第十二話『私ではない、と弁えている』
パリのほぼ中央に位置する2区。
シックな外観の建物が多く並ぶパレ・ロワイヤル地区のリシュリュー通りに、パーティー会場であるリュミエールホテルはある。
フランス国内で最上級の意味を持つ「パラス」の称号を有するこのホテルのバルコニーからは、近くのルーヴル美術館や美しい庭園を持つかつての王宮、パレ・ロワイヤルが展望できた。
そしてロビーや客室は勿論、レストランの内装までもが、16世紀から17世紀を彷彿とさせる宮殿のような造りになっている。
しかし今日、レストラン内は立食パーティーのため机や椅子の数を減らし、その空間を殊更広く見せていた。
展覧会で品を出した宝石商人や宝飾彫刻師。そして日常で宝飾を扱う政府の重鎮や芸能人、またカンヌ国際映画祭を終えた俳優等が談笑するパーティーの外。
ほのかにライトアップされたホテルの入り口付近に、一台のタクシーが停車する。
車内から降りてきたのは、展覧会を終えたエニフェルとビアンカであった。
かつり、とビアンカが履くネイビーブルーのパンプスが石畳みを踏んで、ヒールの音が高く響く。
緩く巻いてハーフアップにした金糸の髪が風に揺れた。
両サイドから持ってきた髪は大きな編み込みで中央に結ばれており、大粒のダイヤモンドがあしらわれた髪飾りと揃いのピアス、ネックレスは上品な顔立ちのビアンカを一層美しく引き立てている。
淡いブルーのイブニングドレスは彼女が歩みを進めるたびにキラキラと銀に輝き、まるで陽に照らされる水面のようであった。
その隣に並び立つエニフェルは、鮮やかな赤色のイブニングドレスを着用していた。
金のラメ刺繍が全体にあしらわれたドレスはオフショルダーになっており、華奢な鎖骨をビアンカから贈られたルビーのネックレスが飾る。
長い黒髪は後ろで纏めて、その外側を三つ編みで囲うというエレガントな髪型に。ビアンカと共に歩くエニフェルの耳元でルビーのピアスが揺れ、ワインレッドのハイヒールが音を鳴らす。
清廉とした白薔薇を思わせるビアンカと、艶やかな赤薔薇を思わせるエニフェルの出立ちは、通り過ぎる人々の注目を集め感嘆の溜息を吐かせた。
「……あ、お祖母様!」
ホテルのロビーに入ったビアンカは、早速祖母の姿を見つけて声を上げる。
展覧会で合流するはずだった彼女からさらに遅れる旨の連絡が来たのは今朝のことだった。
ようやっと顔を合わせることができたビアンカは嬉しそうに破顔した。
「こんばんは、雪乃さん」
「こんばんは、お祖母様。パーティーに間に合って良かったです」
「ふふ。久しぶりに人災が重なってしまったけれど、なんとかなって良かったわ」
薄桃色の色留袖を金の帯で締めた着物姿で、和子はうふふと嫋やかに微笑む。
そして彼女の中で唯一の異国の特徴である青白磁色の瞳がエニフェルを見やった。
「……貴方が、火条絢華さんね?」
「はい。本日はご同伴を許していただきありがとうございます」
「いえいえ。フランスは初めてかしら?」
「はい」
「そう。とてもいい国だから、楽しんでね」
「ありがとうございます」
挨拶を交わした三人は、やがてパーティー会場であるレストラン内に足を踏み入れた。
フランスが誇るロココ調の内装は絢爛で美しく、壁や天井には繊細な水彩で描かれた女神や天使の絵画が天井から吊るされたシャンデリアの光によって柔らかく照らされている。
「ボンジュール、ワコ! ユキノも久しぶり!」
談笑のざわめきが三人を迎え入れる。
その中から和子に向けられた声に見ると、甘栗色の柔らかな髪を肩まで伸ばした女がこちらに手を振っていた。
「久しぶりね、アンナ」
瑞々しい肌にルージュが引かれた紅色の唇。アーモンド型の瞳は愛らしく、とても三十代には見えない。
若草色のイブニングドレスも相まっていっそ少女と間違えてしまうような彼女は、和子とビアンカに展覧会の招待状を送ったベルナール夫人である。
「ボンジュール、マダム! お久しぶりです」
フランス語でそう返したビアンカは、顔を綻ばせてアンナ・ベルナールと挨拶を交わした。
ビアンカの両頬に手を添えて、アンナは感極まったように言う。
「えぇ、相変わらず美しいわね! そのイブニングドレスもとても良く似合っているわ」
「ありがとうございます」
ビアンカとアンナが再会を喜んでいると、燕尾服を着た一人の男が近づいてきた。
後ろに撫でつけられた黒髪と吊り上がった瞳がその顔を凛々しく見せている。
「やぁ、ワコ、ユキナ。待っていたよ」
「遅くなってごめんなさいね。ルイ」
「いや、むしろ遅い方が助かる。私達フランス人は時間にルーズだからね。少し遅れてくるぐらいがマナーだよ」
茶目っ気にウィンクを飛ばして、ルイ・ベルナールは和子と軽口を叩き合う。
アンナはこの近くにある学校で教鞭をとっている数学教師であり、ルイはフランスで名の知れた宝石彫刻師だ。
「それで、そちらの美しいお嬢さんはどなたかな?」
ルイの碧眼がエニフェルの方を向く。
「彼女は火条絢華。私の高校の先輩です」
「初めまして。素敵な集まりに参加できて光栄です」
ビアンカが紹介し、エニフェルが礼をすれば、ベルナール夫妻が目を丸くして驚く。
否、彼らだけでなく、周囲もザワッとどよめいた。驚愕が主なその反応にビアンカがたじろぐ。
「ひ、火条絢華って、あの火条家の娘さん……!?」
「難病だったと聞いていたけれど、回復したみたいね」
「顔がデキモノだらけって聞いてたけど、とても綺麗じゃない……!」
そしてエニフェルは、続けて聞こえてきた自分と同い年ぐらいの女達の声に内心で辟易とした。
チラチラとこちらを見て睨みつけるような視線をよこす巻き髪の女は、かつてエニフェル……絢華を罵り嘲笑した相手だった。
葉月にそれとなく聞いていた火条絢華の人間関係を記憶から掘り起こす。彼女の周りはこんなのばっかだ。
「フン! どうせ整形か何かしたんでしょ!!」
「上辺だけ取り繕ってもねぇ」
「ヴァイオリンなんて酷い腕前だったじゃない。ちょっとはマシになってるのかしら?」
女とその取り巻きが甲高い声でクスクス笑う。
まったく、あれで抑えてるつもりかね。案の定、ビアンカが威嚇する猫のように肩を怒らせはじめる。
今にも「シャーッッッ!!」と牙を剥きそうなギラついた目に「どうどう」と宥めた。
「でもあの人達……!」
「気にするな。あれは私の評価ではない。お前も分かっているだろう?」
ビアンカはエニフェルが絢華を殺し成り代わっていることを知っている。
どこから漏れたのか、火条絢華が難病を患っていると知ったビアンカが、エニフェルに体調を聞いてきたのがきっかけだった。
「私が怖いか?」と問えば、ビアンカは安堵した顔で「じゃあエニフェル先輩は病気じゃないんですね? よかった」と答え、葉月のドン引きとエニフェルの爆笑を引き出したのは記憶に新しい。
まったく、喋るたびに百点満点を更新してくる女である。恐ろしい。
エニフェルは火条絢華本人ではない。
しかし彼女の汚名は全てエニフェルのものだ。絢華を声もあげさずに殺した日にそう決まった。
「火条家の愛娘さんに会えるなんて光栄だ。今日のパーティーをぜひ楽しんでいってくれ。……おっと、そのアクセサリーは……」
ルイの言葉に、エニフェルはバッと身を乗り出した。ネックレスに手をやって彼に応える。
「えぇ。素敵でしょう。私のために雪乃が作ってくれたものなんです」
「おぉ! 世界に一点物というわけだね? 華やかで大胆なカッティング。繊細で緻密なフレーム。……うん! 素晴らしいアクセサリーだ!」
「え、あ、ありがとうございます!」
目をキラキラさせて興奮気味に話すエニフェルに、頷いて品評するルイ。
そして彼からの忖度ない褒め言葉に嬉しそうな顔をするビアンカ。きゃっきゃと騒ぐ三人を見て、アンナと和子は目を見合わせて微笑んだ。
◇
挨拶回りに会場を歩き出す和子とベルナール夫妻を見送って、エニフェルとビアンカはふぅ、と一息ついた。
「やはり慣れないな、この名前は」
「……私も、雪乃よりビアンカの方が良いです」
記憶が無いはずのビアンカの言葉に頬が緩む。彼女が時折見せる孤独感は、きっとビアンカの魂によるモノなのだろう。
それを知るたびに、早く思い出してしまえと気持ちばかりが逸ってしまう。
心の奥底から期待が昂る。首を振って、エニフェルはそんな己を自戒した。
「あらぁ。私達に挨拶はないわけ? 火条さん」
そして割り込んできた鼻につく声に片眉を上げる。
「病気が治ったなら言ってくれれば良かったのに。私達の仲じゃない」
知らんわ。というか初対面だ。
火条絢華本人では決してないエニフェルは心の中で悪態をついた。
勿論そんな裡はおくびにも出さず、淑やかな笑みを貼り付ける。
「……すまないな、美也森嬢。今から赴こうと思っていたんだが」
微塵にも思っていないことを口から吐いて、エニフェルは先ほど自分を遠巻きに睨め付けて批評していた巻き毛の女ーー美也森真凜を見やった。
己が知る絢華なら絶対にしない物言いに驚いたのだろう。一瞬口を噤むが、しかし彼女はすぐに口端を吊り上げる。
「それにしても、あの火条の娘がパーティーに同伴だなんて! 可哀想ねえ!!」
甲高い声どうにかなんないかな、とエニフェルはぼんやり思った。
自らそう言うということは、彼女達は招待された人間なのだろう。火条家夫妻のせいで霞んではいるが、美也森家も有名な音楽一家である。
「私達は招待を受けてここにいるの! それに演奏までお願いされたのよ? 先ほどあの舞台でヴァイオリンを弾いてきたの。貴方の冴えない演奏じゃ、あの場所に立つのに何年かかるかしら!!」
おぉ。全部言ってくれる。
まったく興味ないんだが。話を聞く素振りだけでもしておこうと、エニフェルは真凜が指差した方に顔を向けた。
奥にある広い舞台では、演奏家やパフォーマーが意気揚々と招待客達を湧かせている。
「……ほぉ」
「ひじょ……絢華先輩!」
今はマジックが披露されているらしい。
仕掛けでも見破ってやろうかと真凜の存在そっちのけで目を細めたが、直ぐに目を見開くことになった。
何故って、今まで火条絢華を呼ぶ時は苗字だったビアンカが、名前で呼んできたからだ。
え、どうした? と振り返れば、いつの間にかそばを離れていたらしい。人混みを縫うようにしてビアンカがエニフェルの方に駆けてくる。
「ビアンカ?」
「先輩……弾けますよね?」
そう言ったビアンカから差し出されたのは、赤い光沢が美しいヴァイオリン。誰かから借りてきたのか。
というか、“私”がヴァイオリンを弾けると、なぜ知っているのだろうか。
しかし、期待と怒りに染まった鮮やかな水縹色の瞳に、エニフェルは問いかけるよりも先にヴァイオリンを受け取っていた。
「はぁ!? またあんなだっさい演奏でもするの? 迷惑よ!!」
ヴァイオリンを構えて、喚き立てる真凜を一瞥する。
「……うるさい。少し黙ってろ」
「なっーー!?」
耳を澄まして音を聴く。人の声。食器の音。拍手に靴音まで、この場にある全ての音の波長。
そしてその中に、過ぎ去った弦楽器の音を見つけた。
「ーー最初の音は……ソ、だったか?」
え、と呟いたのは誰だったか。
しかしエニフェルは構わず弓を引いた。弦が震える。奏でるのは、かの有名な独奏曲、クライスラーより『愛の喜び』。
音は瞬く間に広がり、華やかな曲を歌い出す。
それは真凜達が舞台の上で演奏した曲であった。
しかし彼女達よりも遥かに上手く、美しい旋律に、周囲の人間は息を呑み、真凜の自尊心はみるみるうちに砕かれていく。
なにせ、皮肉なことに音楽のことを知っているものほど、曲を通してエニフェルの技量がよく分かってしまうのだ。
「ーーさて、こんな感じか?」
最後の一小節を味わうように弾き切って、エニフェルは涼しい顔をして真凜に笑いかけた。
途端、静まり返っていた人々から割れんばかりの歓声と拍手が湧き起こる。
「流石、火条家の娘さんね!」
「今まで聞いた中で一番の演奏だったよ!」
ヴァイオリンを下げて、エニフェルは軽くお辞儀をする。
そして二の句がつげない真凜達に再度向き直った。やれやれ、と肩を竦める。ニヒルな笑み。
「すまない。お前達の演奏が霞んでしまったな」
「ーーっ!! お、おぼえてなさい!!!」
エニフェルの挑発に、真凜はぐしゃりと顔を歪めて捨て台詞を吐いた。
そしてカッと荒々しくヒールを響かせながら、彼女は取り巻きを引き連れて去っていく。
嵐のようだな。
「……さて、ヴァイオリンを返しにいくか。どこにあったんだ? これ」
「……」
「ビアンカ?」
「……あ、はい! 私が戻してきます」
エニフェルは興奮冷めやらぬと言った感じでぽぉ……と熱い視線を送ってくるビアンカに話しかける。
ハッと瞬きをして勢いよく返事をする彼女に、エニフェルはヴァイオリンを持ちながら悪戯げに微笑んだ。
「……いや、割と注目を集めてしまったからな。ここから少し離れたいんだ」
「は、はい!」
エニフェルはビアンカの案内でレストラン内を抜け、隣の小部屋に入った。
今回のパーティーの為の簡易的な楽屋なのだろう、無人の室内にはパフォーマーや演奏者の楽器が置かれている。
「それでーー」
ヴァイオリンを部屋の奥にある空のケースに戻して、エニフェルはビアンカに向き直った。
「どうして、私がヴァイオリンを弾けると知っていたんだ?」
遠い昔、ヴァイオリンはエニフェルの趣味であった。けれどそれはまだ誰にも言っておらず、記憶のないビアンカならば知らないはずだ。
燃える真紅の瞳で見つめれば、ビアンカは逃げるように目を伏せる。
「わ、分かりません。ただ、貴方の演奏は素晴らしいもので、それを馬鹿にするなんて、と怒りが湧きました。だから……」
言い訳のようになってしまったソレに、エニフェルは眇めていた目をぱちくりと瞬かせた。
「……そうか。ふふ、嬉しいな。お前はいつも直接的な褒め言葉は言ってくれなかったから」
そして、「好んでくれていたのか」と微笑する。
ビアンカはその隠しきれない喜色の笑みに戸惑った。
「え、私って褒めたこととかなかったんですか?」
一瞬のうちにビアンカの胸を締めた気持ち。
彼女が弾くヴァイオリンへの絶対的な自信。
閃光のように走り去った前世の感情を、しかしエニフェルは知らないと言う。
「というより、お前はあまり自分の気持ちとかを話さない性格だったんだ。その分、目は随分と素直だったけど」
「そうなんですか……」
(私なら…………)
ーーモヤ……。
「……?」
急に、心の中のものを全て掻き回して沈めたように、胸の裡が重くなる。
ビアンカは得体の知らない不快感に顔を顰めた。
「ビアンカ?」
「い、いえ。なんでもありません!」
黙りこくったビアンカにエニフェルが首を傾げる。慌てて言い繕って、ビアンカは続けた。
「そろそろ会場に戻りませんか?」
「そうだな。食べてみたい菓子も沢山あったし」
懐かしいものもあった、とテーブルに置かれた伝統菓子を思い出してエニフェルがビアンカの方へと戻る。
そして二人、連れ立って部屋の外へ出た。
(私だったら、なんてーー)
楽しげなエニフェルの声を聞きながら、ビアンカはなんて栓なき事を考えたのだろうと自嘲する。
渦を巻く不快感を感じた時、咄嗟に浮かんだビアンカの気持ちは、あまりにもエニフェルに不要なものだった。
だから、ビアンカは。
「食べ過ぎないでくださいよ?」
否。ビアンカと呼ばれる女は、自身のこの想いは忘却することが正しいと信じた。
彼女が望むのは、記憶のないビアンカの言葉ではないのだから、と。
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