8.その視線の先には?
次の【占い師】としての仕事は、それから二日後。
マッケンジー伯爵の屋敷で開かれる夜会であった。
フィオナは初めて声をかけてもらったのだが、アッシュは当主と知り合いらしく、もとより招待されていたという。
「君がいるなら行くことにする」
参加を決めたアッシュがフィオナの自宅近くまで馬車を回すといったが、断った。貴族だと言わんばかりの立派な馬車で乗りつけられたら悪目立ちしてしまう。
なので貴族たちの住むエリアに入った路地裏で拾ってもらうことにした。
約束の時間通りにアッシュはやってきた。
荷物をかかえたフィオナが馬車に乗り込むと、ぱりっとした正装姿のアッシュが瞠る。
「ああ、そうか……! 今夜は【占い師】だものな!」
どうやら布を巻きつけているから驚いたらしい。
驚いたのは、フィオナもだ。
(ああ、やっぱり貴族の方、なんだなぁ……!)
細身の身体にぴったりの黒のジャケットが、彼の黒髪を一層引き立てる。糊のかかった白いシャツにダークグレーのタイが締められていて、銀色のネクタイピンや、ジャケットの袖口からちらりと覗く銀色のカフスがシンプルな装いを洗練されたものにみせている。
(私なんて、ほんと代わり映えしない……)
一方フィオナは、この前と同じワンピースに白い布を顔に巻きつけた仕事着スタイルである。ワンピースは毎日手洗いしているから清潔ではあるが、彼の隣に立つにはみすぼらしい。
そんなことを考えているフィオナの瞳を、彼がのぞきこむ。
「うん、フィオナのグリーンアイだ。綺麗だな」
「――!」
自分こそ貴公子といった風体の彼にそう言われて、布の下でフィオナは顔を赤らめる。
「それに布を被っているのは幸いだ。変な虫が寄ってこないだろうし」
「……、虫? 室内ですよ? というか、【占い師】っぽいでしょう?」
意味が分からなくて、困惑しつつそう答える。
彼は瞬くと、ふっと笑った。
「ああ、そうか。それもあるな」
「それも、ある?」
「うん。そういうことにしておこう」
「?」
彼が何を言っているのか分からないが、アッシュは機嫌が良さそうだから気にしないことにした。
「眠れてます?」
「君の手を握った夜は眠れた。でも翌日からはやっぱり駄目だな。それでも前よりは眠れているけれどね」
「そうですか。今、手を握っておきます?」
フィオナの提案に、アッシュが首を横に振る。
「帰りでいいよ――もちろん、帰りも俺が送るからね?」
「いや、無理はしなくても……」
「無理はしてないよ。それに、フィオナは『ちから』を使うと頭痛がするんだろう? だったら帰りにしよう」
フィオナは目を丸くした。
(私の頭痛を、治したいと思ってくださって……?)
「それでいいだろう?」
重ねて尋ねられ、フィオナはおずおずと頷く。
「ありがとうございます。でしたら、お言葉に甘えます」
「俺こそありがとう、だよ」
アッシュはそう言うと、微笑んだ。
◇◇◇
マッケンジー伯爵家はとてつもなく大豪邸で、アッシュによれば副業である海運関係でかなりの儲けを得ているらしい。
頼んで、裏門前で下ろしてもらうことにした。
「ここでいいのか? 俺がいれば一緒に正門から入ることができるぞ」
目立ちたくないフィオナは首を横に振る。
「いえ、こちらで大丈夫です」
「マッケンジーはきっと占い師の席を大広間に設けていると思う。残念だな、カードルームの方が楽に君の側にいられるのに」
フィオナは布の下で、苦笑した。
「ロイド伯爵はご自分の社交をされないといけないでしょう? 後でまた、お目にかかります」
「……そうだな。仕方ない」
アッシュと別れ、裏門から屋敷に入る。執事によれば、アッシュの予想通り大広間の一角にフィオナたち占い師の席が設けられているとのことだった。
執事に連れられて、使用人のための扉から大広間に入る。
(私の他に四人も占い師が招待されているなんて、占いが流行っている証拠よね)
その流行にあやかれて自分は幸運だったなとしみじみ思いながら、一番端の席に腰を落ち着けた。それから大広間を眺めれば、アッシュが子息や令嬢たちに囲まれているのが目に入る。
特に数人の令嬢たちはアッシュの腕に絡まろうと苦心しているようだ。彼女たちを上手にかわしているようにも見えるアッシュはそれでもずっと笑顔である。
(やっぱり、モテるのね――そりゃそうか。あの若さで伯爵で、イケメンだものね)
納得していると、今夜初めての客である令息に声をかけられたので意識を向ける。
「どういったご用件ですか?」
「実は――……」
占い師が五人もいるのに、めちゃくちゃ忙しい夜だった。
彼女がようやく一息つけたのは、夜会も半ばも半ば、中央でダンスタイムが始まってからだ。自分のテーブル付近に人がいないことを見計らい、フィオナは席を立つ。
(喉が乾いちゃった。水をもらいたいな)
軽い立ち眩みと共に、ずきずきと頭痛がする。
すぐ近くを通った使用人に水を頼むと少しだけ待っていて欲しいと言われた。
待つ間、彼女はぼんやりと大広間に視線を送る。
大広間の中央では、綺羅びやかなシャンデリアの下で、美しいドレスを着た令嬢や、精悍な令息たちが踊っている。
(色んな人生があるのよね、ここに……)
ぼんやりと眺めていると、ふと強い視線を感じる。
そちらを向けば、人垣の先にアッシュが立っていた。
先ほどよりももっと多くの令嬢たちが鈴なりになっていて、代わる代わる彼に話しかけている。
(すっごい人気ねぇ。そっか、ワルツの時間だものね……婚約者がいないイケメン伯爵なんて、皆さん憧れるか)
そう思っていると、彼の切れ長のヘイゼルの瞳がフィオナに向かってそっと緩められた。それから小さくウィンクまで。
(――わ!)
どうしてか鼓動が高鳴ったその時、「水をお持ちしました」と使用人に声をかけられて、フィオナは振り返る。
「ありがとうございます!」
水の入ったグラスを受け取ってもまだ心臓はどきどきしていて、彼女はもうアッシュの方へ視線を向けることができなかった。
◇◇◇
「―――これで、この方との相性を占ってほしいんです」
席に戻ってからしばらくして。
ブロンドの髪をくるくるに巻いた可愛らしい令嬢に差し出されたのは、扇だった。
「かしこまりました」
その扇を受け取って、令嬢を見上げる。
「アッシュ=ロイド伯爵という方で――……ほら、あそこにいらっしゃいますわ」
「!」
どきっとして、フィオナは二、三回瞬く。
「占いには、お相手の顔を見る必要はありません」
「あら、そうなの」
「はい。それで、この扇をその方が触られたのは確かですか?」
「ええ。さっき落としたのを拾ってもらったから間違いないわ。その人が触ったものがないと駄目なんでしょ? せっかくの機会だから占っていただこうと思って!」
令嬢はあっけらかんと答える。
「光栄です」
「そんなわけでお願いします。彼、いつも優しくって。それなりに好意は持っていただいているとは思うんだけど、でもみんなに優しいから違うんだろうなって……」
みんなに、優しい。
その言葉にどうしてか胸が鈍く痛んだが、フィオナは頷く。
「では、視させていただきます」
扇を持つ手に力を込めると、 ふわり、と青みがかった映像が現れる。
この大広間で、アッシュがたくさんの令嬢たちに囲まれて立っていた。彼の着ている洋服から判断すると、どうやら本当につい先ほどの記憶のようである。
『えぇー、また踊ってくださらないんですか?』
『ああ、ごめんね』
『残念。確かにロイド様が誰かと踊ったら、私も私もってなっちゃうとは思うんですけどぉ』
『まさか、僕なんて』
目の前でアッシュが感じの良い笑顔を浮かべている。
『なりますよぉ!』
ぷうと膨れている令嬢に向けている彼の視線がつと逸らされた。
ああだこうだと喋っている令嬢にそつなく相槌を打ちながら、彼の視線が向かったのは大広間の隅、白い布を被った―――。
(……っ!)
ばっとフィオナは扇から手を離した。
すると映像が一瞬でかき消える。
(気のせい、気のせいっ!!! えっと、し、仕事、仕事っ……!!)
どくどくと高鳴る鼓動を忘れるように、フィオナは水晶に手をかざした。
「水晶水晶、水晶よ。どうぞ悩めるこの方の道をお照らしください」
むむむ、と読み取っている演技をする時間がいつもより少しだけ長かったかもしれない。
「どうですか?」
令嬢に尋ねられ、フィオナははっと我に返る。
「……、っ、えっと」
彼女らしくなく言い淀むと、令嬢がふうとため息をつく。
「やっぱり私の思った通りなんでしょう。ロイド様は私のことを友人としか思っていないのでは?」
彼女は半ば予想がついていたのか、さっぱりとした口調である。
「そ、そうですね。親しみは感じていらっしゃるようですが……」
親しみもなにも、知人の域をでていなかった。
「やっぱりそうか。ロイド様が私に好意をもっていらっしゃったら、なんとか両親を説得できるのになぁと思ったけれど。でも難しいか……」
「失礼ですが、私がさせていただいているのはあくまでも占いであって、必ずしも真実というわけではありません」
一応断りをいれるのを忘れない。
「うん、それは分かっているわ。でも、いいの」
令嬢は明るく答えてから、独り言のように続けた。
「ロイド家じゃなければ、よかったのに」
(ロイド家じゃなければ? どういう意味だろう?)
けれどフィオナには尋ね返す権利はない。
「ごちゃごちゃ言ってごめんなさい。占い、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
令嬢はフィオナから扇を受け取ると、友人らしい令嬢たちのもとへと戻っていった。