エピローグ
翌日二人の姿は、貴族と平民の境目のないあの街にあった。
「この街が打ち上げにはぴったりだろう?」
いつものようにアッシュの美貌には行きすがる女性たちの視線が集中している。だが相変わらずアッシュは周囲の目を気にせず、あれこれフィオナの世話を焼きたがるから、彼女たちは残念そうにため息をついていた。
「次はこれを食べよう」
「甘いものは?」
「喉が乾いたんじゃない?」
どんどん勧めてくれるが、さすがに限界というものがある。慌ててフィオナは、彼にストップをかけた。
「ありがとうございます。でも、これでもう最後ということでお願いします……!」
渡された珈琲カップを手に、フィオナは頼んだ。
「そっか。じゃあ、ここまでにしておこう。残念だけど」
アッシュが笑いながら、ぱちっとウィンクをしてくる。
「ふふ、ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらの方だよ。君に食べ物をあげるのが俺の趣味だからね。付き合ってくれてありがとう」
「もう、伯爵様ったら……!」
二人で過ごす時間はあまりにも楽しく、フィオナは胸を弾ませる。
隣を歩くアッシュの横顔を見上げると、一際鼓動が高鳴った。
(私、伯爵様のこと――ううん、これ以上考えてはいけないのよ、フィオナ)
彼女がそう思ったのと同時に、目の前を走ってきた五歳くらいの男の子が転んでしまった。
(わっ……!)
助け起こそうと思ったが、あいにく珈琲カップを手に持っているから、一瞬だけ出遅れる。けれどそこで素早くアッシュが男の子を助け起こす。
「凄いなあ、元気だなあ、君!」
男の子は泣きそうだったが突然褒められて、びっくりしたようにアッシュを見上げる。
「どこに行こうとしてたんだ?」
「あっ……、あっちに、おばあちゃんがいるんだ。足が悪いから、座ってるの」
男の子が指さした方向のベンチには、確かに銀髪の女性が座っている。
「そっか。元気なのはいいけど、転んだらおばあちゃんがびっくりしちゃうから、気をつけていけよ」
そう言いながら男の子のズボンについた砂を払ってやっている。
男の子が、アッシュのその言葉で笑顔になる。
「へへ、ありがと、おにいちゃん」
男の子は手を振りながら、今度は歩いて去っていった。手を振り返している笑顔のアッシュを見上げながら、フィオナの胸がきゅうっと締めつけられる。
アッシュの大らかさを、しみじみと感じたから。
(ああ、伯爵様って……相手が誰であっても変わらなくて、こうやって必要な手を差し伸べることができて……だから私――……)
通りすがりの男の子だけじゃない。使用人に対しても、それからフィオナに対しても。
彼はいつだって自然体で向き合ってくれる。
彼の両親のことだって。
アッシュは赦す心を持っている。
誤魔化せないほどに大きく花開いた想いを、彼女はついに認めた。
(私、伯爵が、好き)
認めると、ふわりとした浮遊感を感じた。そう、彼と手を繋いだ時のように。
男の子を見送ったアッシュが、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、フィオナに手を差し出した。
「フィオナ、手を繋いでいこう」
「えっ……?」
「あの男の子みたいに君が転んだらいけないからね? ほら、珈琲カップも持っているし?」
「こ、珈琲カップは伯爵様が渡してきたんですけど?」
「そうだった。じゃあ俺の作戦勝ちだな」
「さ、さくせん、がちっ……!?」
「そうだとも!」
彼が笑うと、さっさと彼女の手を握って歩き始めた。
もちろん手を繋ぐのは初めてではないし、何なら前回この街にきたときもそうしたというのに、今しがた彼への想いを自覚したフィオナの動悸が怪しいほどに高鳴る。
(し、静まれ、私の心臓……!! 彼には……そんなつもりはないってば!!)
「こ、転びませんよ、私は……っ!」
「わからないよ? まぁ、今のうちに珈琲を飲んじゃって?」
ははっと笑うアッシュの横顔はどこまでも爽やかだった。
◇◇◇
それからアッシュが連れてきてくれたのは、あのブティックだった。
「え、ここ、ですか……?」
「そ。俺の用事につきあって」
困惑するフィオナを引っ張って、彼がラックの中から取り出したのは――盗まれてしまったあのドレスによく似た、可愛らしいライトピンク色のワンピースだった。
デザインと色味こそ少し違うけれど、やはり絵本にでてくるような可憐さはよく似ていた。リボンが多用されているのも同じである。
「全く同じデザインがないのは残念だけど、これにしよう」
「え?」
「買ってくるから、待ってて!」
反論の余地も与えずにアッシュはさっさとワンピースを買ってきてしまう。
「はい、これ。フィオナに」
フィオナは頬を染めて、彼を見上げた。
ワンピースを盗まれてしまい、悲しんでいたフィオナのために、彼が再び手に入れてくれた。それがどれだけ嬉しいことか、言葉に出来ない。油断すると泣きそうになるがなんとか堪えて、彼女は口を開く。
「あ、ありがとうございます! でも……自分で払います……! 選んで、いただけただけで、十分ですからっ!」
けれどアッシュは聞き耳をもたずに、いいからいいからと言いながら彼女の手を引いて店を出る。
「いえ、で、でも……!」
尚も言い募っている間に、運河の脇に出た。道が広くなり、往来の邪魔にならない辺りで、アッシュが足を止める。
「あのね、フィオナ。これだけは俺が君に贈りたいんだ」
「え……?」
「次のデートで着てほしいから」
ぽかんとするフィオナの前で、みるみるうちにアッシュの顔が真っ赤になっていく。
「お父上との交流が再開したってことは、もしかしたら君は彼と住むことになるかもしれないだろう?」
「――!」
「もしくは、君はもう用はないって王都から離れてしまうかも。貴族なんてこりごりって思っているかも――だけど、どうかこの街に残って欲しいし、また俺とデートしてほしいんだ」
「で、でーと!?」
「そう」
躊躇うことなくアッシュが頷く。
「で、でも私は、平民ですよ?」
今しがた彼が好きだと自覚したばかりでも、これこそがフィオナを苦しめている確かな鎖だった。
だがそんな彼女の鎖を、他でもないアッシュがあっさりと解いてしまう。
「身分なんて気にしないよ、君が君である限り」
そうはっきりと言い切ったアッシュが手を差し出す。
「……!?」
「手を握ってもらってもいい。最近は手を繋いでも、視えないことも増えてきたけど……今日この話をするにあたって色々考えてきたから、きっと視えると思う」
それはまさに、彼の誠意だった。
けれど。
差し出された手を見下ろして、反射的にフィオナは首を横に振る。
その必要はないと、思ったからだ。
(だって、他でもない伯爵様だもの……、嘘をつかれるわけがない)
フィオナにとって、誰よりも信じることできる相手が、このアッシュ=ロイドなのだから。
(……、そう、私は……、彼のことを『ちから』がなくても、視えなくても、信じることができる)
とくん、と鼓動が跳ねる。
(そんな人、これからの人生、他に現れる……?)
フィオナの脳裏に、アッシュと出会ってからの記憶がさあっと駆け巡った。
(ああ、そうよね、そう――……私は、伯爵様を、信じることができる。身分なんて、関係ない。私がそうなのに、彼がどうしてこだわると、思っていたのかしら――そう、信じることが、できる)
今までの迷いが、嘘のように晴れていく。
「首を横に振るってことは……、もうデートをしてくれないってことか? して……くれるよな?」
目の前でアッシュがかすれ声で尋ねてくる。
じわじわと喜びが胸にみち、フィオナはゆっくりと微笑んだ。
「はい」
途端にアッシュが大きな声をあげる。
「はいって言ったよね? ってことは、次、あるだろう? あるよな!? あるってことだよな!?」
ふふっと思わず笑い声が漏れる。
(子供、みたい)
フィオナはアッシュを見上げる。
その表情に何を見たのか、アッシュの顔が期待に輝く。
「次を、楽しみにしていますね。伯爵様のことを信じているから……手を握らなくても、大丈夫です」
「フィオナ!!」
ゆるゆると微笑んだフィオナを、アッシュが抱き寄せた。
「!!」
「ごめん、つい……!!」
ぱっとアッシュが彼女を離して謝罪する。
けれどフィオナは嬉しくって、声を上げて笑ってしまう。
「謝らないでください。……嬉しいから」
そっと付け加えると、自身も笑顔になったアッシュがもう一度彼女を引き寄せて――額に小さな口づけを落とした。
(わっ……!)
ぱっと彼を見上げると、アッシュはまるで宝物を見つめるかのような眼差しをしていた。
「君に出会えたことが、俺の人生の最良の出来事だ」
そんなアッシュの言葉に、フィオナの瞳が再び潤み始める。
フィオナの脳裏に様々な人たちの記憶が過る。
誰もがみな、正しいことだけを選択できるわけではない。
時には間違えるし、その結果、後悔をし続けることだってある。
そうして別れた道を行き、死に別れることも――二度と会えないことだって、ある。
フィオナはいま、生きている。
そして目の前には、自分が想いを向けているアッシュがいる。
(後悔、しないように……!)
「私もです、伯爵様」
それを聞いたアッシュが本当に嬉しそうに笑う。
「ねえ、アッシュって呼んでくれないかな?」
前はそう言われても、簡単には頷けなかった。
けれど、今は。
「はい――アッシュ様」
自然とアッシュに寄り添うと、彼はもう一度フィオナの額に口づけを落とした。
それから二人は顔を見合わせて、笑い合う。
「じゃあ、帰ろうか?」
「はい……!」
アッシュと手を繋いで帰る道すがら、フィオナはこう考えていた。
(アッシュ様に、私が聖女候補だったことを話したい。きっと最後まで聞いてくださると思うから)
ロイド邸に戻ったら、そうしよう。
そして次に二人で街に出かける時は、アッシュが今日買ってくれたライトピンク色のドレスを着よう。
(自分に似合わないとか、そんなことは考えないで――明日を後悔しないように、今日を生きよう)
そうして、アッシュと一つずつ思い出を積み重ねていきたい。
そう考えたフィオナは、ゆっくりと微笑んだのだった。
++FIN++
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◇
ここで完結です……!
最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら
ありがとうございました(;_;)
この話にこめた私の思いは、活動報告に書くので
よろしければ読んでやってください。
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