25.私の進む道は
泣き止んだヴァイオレットが、大魔女のところへ連れて行ってくれた。
集落の奥に位置する大魔女の家は、取り立てて他の家と変わらない。オレンジ色の屋根に住むその人は、美しい赤毛と灰色の瞳を持つ、穏やかな表情が印象的な女性だった。
きっと考えられないくらいの『ちから』を持っているだろうに、圧を感じさせないのが余計に凄みを感じる。
「いらっしゃい」
にこにこしながら迎えてくれたその人の家には、ゆったりとしたソファーがあった。勧められるがままにアッシュと並んで腰かけると、ふうん、と大魔女が呟く。
「貴方、ヴァイオレットの息子さんね。似通った波動を感じる」
(す、すごい……っ!)
まだ自己紹介をする前にそんなことを言い当ててしまう大魔女に、思わず舌を巻く。
(やっぱり……、すごい『ちから』をお持ちなんだわ……!)
「はい。アッシュと申します」
灰色の瞳を凝らして、じっと彼を眺めていた大魔女が、ふっと目を細める。
「貴方には、人の『ちから』を強くする『ちから』があるわね」
(……わっ……!)
アッシュが驚いたように口を開く。
「どんな『ちから』を持っているのか、分かっていなかったんですが……本当に?」
「うん。『強化』ね、君の『ちから』は」
大魔女の返事は、端的だった。
「実は俺はずっと不眠症だったんですが、彼女と手を繋ぐと、夜眠れるようになったんです。それは俺の『ちから』となにか関係があるでしょうか」
アッシュの質問に、大魔女が軽く首を傾げる。
「貴方の『ちから』は『強化』だから、使われないで溜められていたんでしょう。だから眠れなかったのね。彼女と手をつなぐことで、うまく流れるようになったんだと思うけれど、きっと相性も良かったのだと思う。二人が一緒にいると気が穏やかになっているもの」
思わずフィオナはアッシュと顔を見合わせる。
(だから私と手を繋ぐと、より幅広い過去の光景が視えるようになったのだわ……! 伯爵様が、私の『ちから』を強化してくださったということなのね。それに、不眠症がどうして解消できたのかも納得がいく……!)
大魔女がアッシュの隣に座っているフィオナに視線を向けた。
「そして貴女はなんて数奇な運命を辿っているんでしょう。ずっと耐えていたのね、本当にえらい子」
フィオナは居住まいを正す。
「お分かりに、なられるんですか……!?」
大魔女は目を眇める。
「手を翳させてもらえれば、もっとよく分かるかも知れないけれど」
考える前に、フィオナは立ち上がり、大魔女の前に跪く。
「いいのね?」
「はい、お願いします」
俯いて、ただ待つ。
しばしの沈黙。
それから頭全体に柔らかな空気を感じ、それが去っていく。
誘われるように目を開けて見上げれば、大魔女の澄んだ灰色の瞳がこちらを見下ろしていた。全く、何の感情も感じられないその無機質な眼差しに、どうしてか心が落ち着く。
「隣国の出身ね。この国には探しものがあって来た」
「はい」
「今まで、辛かったことのほうが多かったわね。けれど全ての経験が貴女を強くした」
彼女の声は、歌うかのように、独特の節と共にたゆたう。
「……っ」
「信じる道に進んだらいい。思う道を進めばきっと……、貴女の大切な人に出会える。貴女がずっとずっと、会いたかった人に」
「あ、会えますか、あの人に……?」
大魔女の視線が和らぐ。
「貴女の信じた人と、貴女の進む道を行けば、出会える。自分を信じて、フィオナ」
大魔女はそれ以上明確な言葉は何も言わなかった。
それはあたかもフィオナの『占い』であるかのようだったが、まるで違う。彼女は頭を下げ、大魔女に感謝の意を伝えた。
◇◇◇
ヴァイオレットが集落の出口まで送ってくれることになった。
「ここよ」
そこは何の変哲もない、ただの道だった。
「ここをまっすぐに行けば、元の場所に戻れるわ」
「ありがとうございます」
そっとアッシュを見上げると、彼もこちらを見下ろしていて、視線が合う。
(伯爵様……!)
彼の気持ちを悟ったフィオナが頷けば、アッシュが口を開く。
「母さん、また会おう」
「―――!」
ヴァイオレットが息を呑む。
「伯母さんのことはまだ片付いていない。だから……俺がまた会いに来るよ。フィオナと一緒にね」
ヴァイオレットの両手が力なく下がる。
「アッシュ……! 私を、許してくれるの……!?」
「許すも許さないもない」
「でも、私は、貴方の側にいられなかった……! 自分だけ逃げた、と責められてもおかしくないくらいのことをしたわ。それをのうのうと、って言われても……仕方なくて……」
ヴァイオレットの声にぐっと悔恨が滲む。
(ああ、本当に……この方は伯爵様のことを大切に思っていらっしゃったんだな)
「もちろん何事もなかったかのようにはできない。だが……母さんも、伯母さんの犠牲者であることは間違いない。それに、父さんが……」
アッシュが一度言葉を切る。
「父さんは、最期に母さんに会いたいってずっと願っていた。だけど本当は母さんが父さんに会いに来てくれていたと知って、救われた気持ちになったんだ」
(伯爵様……!)
「これから、親子としてやり直していきたい、と思っている」
アッシュは淡々と告げた。
「親子として……?」
「ああ」
みるみるうちに泣き顔になったヴァイオレットだったが、ぐっと涙をこらえる。何一つ言葉にならない母親の姿に、アッシュが微かに表情を緩める。
「だから、また会おう」
「ありがとう、アッシュ、ありがとう……っ」
ヴァイオレットが何度も何度も頷く。
(運命は必然だとも言うし……伯爵様とお母様はきっと……再び交わることが決められていたのかも知れないな……ああ、よかった)
そんな風に考えているフィオナに、アッシュが手を差し伸べた。
「さあ、行こうか」
「――はい!」
彼の手を握って一歩前に踏み出すと、しゅん、と辺りの景色がすぐに元に戻った。お昼間すぎの、町外れの光景だ。
「すごい。一瞬で戻ってきたな」
「ですね……!」
「これは……、時が経っていない、のかな?」
辺りを見渡しながらアッシュが呟く。
「とりあえず街の宿屋に馬車をまわしてもらってるから、そこまで行こうか」
「はい」
手を繋いだまま宿屋まで歩きながら、アッシュが口を開いた。
「しかし不思議な体験だったな」
「ですね――まさか、伯爵様のお母様がいらっしゃるなんて」
「本当に……でも……お陰で真実を知れて、よかった。俺が望まれて生まれてきたのだと……、状況さえ違えば二人は別れなかったのだと知って、なんだかすっきりした。俺の覚えている二人は、本当に愛し合っていたから」
「……」
「だから余計に伯母が憎い」
アッシュの声が鋭く尖る。
「伯母に問題があることは分かってはいたが、唯一の親族だと思って、見て見ぬふりをしてきた。だがあの記憶をみてしまったら……両親を引き裂いたことを、許せそうにない。両親は、復讐をしてほしいと願ってはいないだろうが……」
「……でも、それは当然かと感じます」
同意すれば、アッシュが繋いでいる手に力を込める。
「伯母様は今は遠くにお住まいなんですよね?」
「ああ。とはいえ、王都にはいる。なんとか手立てはないか――……」
そこで彼が何かを思い出したかのように口調を変えた。
「そういえば、父が亡くなる直前、伯母について誰かに相談していた。家に帰って調べてみる。どんな手を使っても、誰の手を借りても、伯母のことは許せそうにない」
ぎりっとアッシュが奥歯を噛みしめる。
「背後にそれこそ悪徳占い師がいそうですね」
「ああ。だから水面下で動くようにする」
「伯爵様は"強い子”ですもんね」
メイジャーがそう言っていた。
『大丈夫、あの子は強い子だ』と。
「そうだな。いかにも父らしい言葉だよ。父は厳しい人だったから、彼が命じたのだと知ったら母を恨む気にはなれないな――そういや、君は、えらい子、だったな」
大魔女の言葉を思い出したアッシュがそう言う。
「そうですね、私はえらい子、でした。母親に言われたみたいでしたね……なんだか懐かしい気分でした」
「そうか。じゃあこれからは俺が言うよ」
「本当ですか?」
「もちろん。君が良ければ」
「じゃあ私は伯爵様のことを……」
フィオナはアッシュを見上げる。
「強い子って言ってくれる?」
最初はそういうつもりだった。
だが、彼のすっとした顎のラインと、笑みを湛えた口元を眺めているうちに気が変わった。
「優しい子、って言います」
びっくりしてアッシュがこちらを見る。
「優しいって……?」
「はい、ずっとそう思っていますから」
アッシュは強い子。
確かにそうだろう。
だが強くあることを求められて、きっとそう装っている部分もあるはずだ。
今回だって母親にもっと怒っても良かったと思う。
自分だけ逃げて、とヴァイレット自身が言っていたくらいだ。そう責める権利がアッシュにはきっとある。
けれど、彼はそうしなかった。
(だって、優しいから、伯爵様は)
そう責めてしまえば、ヴァイオレットが悲しむことが分かっているから。
ヴァイレオット自身がすでに後悔し、苦しんでいることに気づいたから。
責めることより、赦すことを選んだ。
(本当に素敵な人……。私は貴方の……理解者でいたいな)
「そう思ってるの?」
「はい。ずっと優しいですよ、伯爵様は。貴方に出会えて、良かったです」
「―――っ!」
ぎゅっと握っている手に力を込めると、アッシュが口をつぐみ、前を向く。黒髪の合間の耳が朱に染まっていた。