20.フォーサイス公爵親子の訪問
アッシュとの同居生活は思っていた以上に快適だった。
最初の日から、早朝アッシュと一緒に珈琲を飲む習慣ができ、三食も共にした。『占い』の仕事も順調で、彼と手を繋げば、頭痛も長引かない。
清潔な部屋で寝泊まりさせてもらい、美味しいご飯をゆっくり食べることが出来る。アルバートもロージーも、メルケンも、フィオナに優しく接してくれる。
そして、何よりアッシュがいる。
アッシュが側にいるだけで、何もかもが違う景色に見えるのはどうしてだろう。
ゆるゆるとフィオナは新しい生活に馴染んでいく。
あまりにもスムーズに馴染みすぎて、自分でも怖いくらいだった。
(いつまでも、こうしていてはいけないのに……、わたし……勘違い、勘違いだけはしないようにしなきゃ)
そうやって、度々自分の心を引き締める。
必要があれば、ケイトの姿を脳裏に蘇らせたりもした。
アッシュの相手は、ああいう素敵な貴族令嬢なのだと戒めとして。
自虐的だなと思うものの、そうしなければ今の暮らしを続けたいと願ってしまうだろう。それくらいロイド邸での暮らしはフィオナにとって心地よいものだった。
◇◇◇
その朝、フォーサイス公爵親子の訪問をアッシュから告げられたフィオナは目を丸くした。
「お二人が……?」
「ああ。モリス侯爵を通じて正式に申し込みがあったから、断れなかった。朝一番に来るそうだ」
珈琲を飲みながら、珍しくアッシュが不機嫌そうな顔になる。
「いえ、それは……構いませんけれど……?」
公爵の側ではフィオナの力は無効となってしまうはずだが。
珈琲を飲み終えて程なくして、アルバートが公爵親子の到着を告げた。
苦虫を噛み潰したようなアッシュが立ち上がり、フィオナに肘を出す。
「応接間にいるんだってさ。さあ、行こう」
「――はい」
彼にエスコートされるのは、どこかまだぎこちなさが残る。けれど、フィオナはぐっとお腹に力を入れると、肘につかまった。
久しぶりに会ったフォーサイス公爵は、完璧なる貴族そのものだった。公爵とルーカスはソファに座っていたが、ただそれだけで光り輝くオーラが出ているような気がした。
(久しぶりにお会いすると……、やはりパワーが違うわ)
それと同時に以前はアッシュにも気後れを感じていたと思い返す。ちらっとアッシュを見て、今は違うけれど、と心の中で付け加えた。
「やあ、フィオナ」
公爵の隣でルーカスも朗らかな笑顔を見せる。
フィオナはアッシュの肘からそっと手を離すとその場でカーテシーをした。
「お久しぶりでございます」
「うん、うん。顔色がよくて安心したよ」
まるで親戚であるかのような公爵は、前回会ったときと同じように軽い調子だった。けれどフィオナの変化の全てを見極めようとばかりの公爵の瞳は油断なく光り、彼が只者ではないと伝えている。
向かい合って座ると、早速とばかりに公爵が切り出す。
「ロイド家で占いをしているって聞いてね。依頼者としてなら来てもいいだろうってことでやってきたよ。報酬は弾む」
フォーサイス公爵がジャケットからハンカチを出してこちらに向けて差し出す。
「という形を取らせてもらう。これでいいだろう、ロイド?」
「はい」
つい先程までとは違いさすがに微妙な表情ではなかったがそれでもアッシュは言葉少なだった。 フィオナは念の為とそのハンカチを受け取ったが、やはり何の映像も浮かぶことはない。
(やっぱり……公爵様の『ちから』は本物なんだわ)
圧倒的な存在感と共に、確かな『ちから』を感じて、フィオナの背筋が少しだけひやりとする。公爵にはそれだけの圧迫感がある。
けれどどうしてか以前ほどは恐怖は抱かなかった。
(なんでだろう……?)
そう思いながらもハンカチを返すと、公爵は再びにこりと笑う。
「ありがとう、フィオナ。これで私の依頼は完了だよ」
そこへアルバートが紅茶を持って現れ、公爵は優雅な仕草で紅茶のカップを傾けた。
「今日来たのは他でもない。実はルーカスが面白い話を聞いてきたんだ」
「面白い、話、ですか……?」
フィオナがルーカスに視線を送ると、彼がほんのりと頬を赤らめる。
「ええ。実は、僕の友人に変わった奴がいまして、いろいろな情報を持っているんです。彼によると、この国の外れに『魔女の里』と呼ばれる不思議な集落があるそうなんです。それが、普通の人には見つけられず、特殊な力がある人間だけが中に入れるのだとか」
隣でアッシュが息を大きく飲み、フィオナもぽかんと口を開けてしまった。
それはまさに『魔女の里』と言ってもいいだろう。
「そ、そんな集落があるんですか……?」
「らしいです。友人も実際に行ったことはないそうなんですが、近しい特殊な力持ちの知り合いに聞いたとか。友人は、父が不思議な力を持っていることを知っているので、教えてくれたんです」
「隠されてる集落で、実はこの私も知らなかったんだよね」
公爵がのんびりと口を挟む。
「ただ、場所が国境近くということで隣国出身の人もいるらしいです。フィオナさんは隣国の出と聞いたので、もしかしたら縁のある方がいらっしゃるかもしれません」
思っていた以上に、《すごい》情報だった。
「まぁ……、そうなんですね……!」
(隣国のゆかりのある人……もしかしら、お父様の情報を持っていらっしゃる方もいる可能性がある、かも?)
そう思ったフィオナがちらりとアッシュを見れば、彼もこちらを見ていた。視線を交わすと、アッシュも同じことを考えていることが伝わってくる。
微かにアッシュが頷くと、フィオナもきゅっと口元を結んだ。
「あーあ。もうルーカスの出番はなさそうだな」
「父上……!」
嗜めるルーカスに構わず、公爵がのんびりと紅茶を口に運ぶ。
「だってもうフィオナは私の力が怖くなくなってるよ? 安定した証拠じゃないか」
「怖くなくなって……、安定、ですか……?
思わず尋ね返してしまう。
「君の『ちから』が以前よりずっと安定している気がするよ。自分ではわからない?」
「はい」
「そっか。まぁ私の勘違いかもしれないね。でも君にとって悪いことではないと思うよ」
公爵はそれ以上は言及しなかった。
ルーカスが『魔女の里』までの行き方を丁寧に教えてくれ、アッシュもそこなら馬車を使えば数日で到着するな、と呟いている。
「そういえば今度ね、私の知ってる不思議な力持ちの貴族たちのための夜会を開くんだが、君にも是非来てもらいたいな」
「!」
フィオナの鼓動がどくんと高鳴る。
「よかったら君は客人として呼びたいんだけど。占い師ではなく」
(『ちから』がある、貴族たち……!?)
父の手がかりに近づくだろうか。
けれど。
「ありがたい、お申し出なのですが……、その、隣国の方はいらっしゃったりしますか……?」
おそるおそる尋ねると、公爵が一つ瞬いた。
「隣国の貴族ってこと? 例えば君の出身国っていう意味?」
こくりとフィオナは頷く。
(万が一だけど……、隣の国の大聖堂に出入りするような高位貴族の方に会ってしまったら……)
ないとは思う。
けれど、おそらく公爵が付き合っているような高位貴族ならば、可能性はゼロではない。
(私の顔なんて覚えている人、いるとは思えないけど……でもやっぱり、何かあったら……ここから逃げなきゃいけなくなっちゃうから……)
フィオナはぎゅっと両手を握りしめる。
(私……まだここに、いたいから)
「ふうん……?」
そう言いながら公爵が探るようにフィオナの瞳を見つめたが、それからふっと表情を緩めた。
「来ないよ。あくまでも私の知っている、この国の貴族たちだけだ。ああ、心配ならば、ロイドも一緒に来たら良い」
「はい、フィオナが行くのであれば」
フィオナが答える前に、当然だろうと言わんばかりにアッシュが返事をする。公爵は、ふふ、と笑うと、ルーカスと共に帰宅していった。
彼らの姿が応接間から消えると、アッシュがふうとため息をついて、前髪をかきあげる。
「やっと帰ったな。しかし……今日は感謝するべきか。『魔女の里』のことを教えてくれたものな」
「ええ」
「モリス侯爵に頼んで、しばらく依頼はキャンセルしてもらおう」
「!」
「すぐにも行かなきゃね。何か良い情報があるかもしれないよ、君のお父上の」
(……伯爵様……!)
彼女の胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます……!」
かすれた声でお礼をいえば、アッシュが微笑んだ。
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次回、アッシュ目線です