16.一人目の依頼者
アッシュがモリス侯爵に話を通してくれ、ロイド邸の談話室にて占いをすることとなった――今日はその記念すべき初日。
(いよいよだわ……!)
アッシュに買ってもらったクリーム色のワンピース姿のフィオナは気合を入れ直す。このドレスは、彼女の一張羅だ。残念ながらワインの染みは完全には落ちなかったけれど。
「今日の依頼は一人だ」
「ひとり、ですか……?」
フィオナは呆気にとられる。
モリス侯爵とのやり取りを含め、そのあたりはアッシュに一任している。だから不満があるというわけではないが、驚いたのは事実だ。
「少ないって思ってる?」
ダークグレーのカーディガン姿のアッシュが尋ねる。どんな軽装でも彼は着こなしてしまう。
「はい、正直に言えば……」
フィオナはこくりと頷く。
「だよね。夜会では一夜に何十人も視ていたからな。でもあれば夜会だから、前に並ばれたら避けられないだろう?」
「そうですね」
「君の目的は占いを通して有名になることではなく、あくまでも日銭を稼ぐことと、万が一お父様の情報を知れたら、ということだったよね?」
「はい。特に父に関しては、おまけみたいなものです」
「うん。だから俺としては、一日に受け付ける人数を減らして、単価をあげたらいいと思うんだ」
「えっ……!」
「もちろん、非常識な値段には設定しないよ。でもね、人が価値を感じるには、安ければいいというわけでもないと思う。本気の人だけが払ってもいいと思える価格設定にして、冷やかしの客は減らす。そうすれば釣り合いがとれて、一日にそんなに何人も視なくていい」
アッシュはフィオナでも理解しやすいように丁寧に説明をしてくれた。
それにアッシュが教えてくれた単価は、思ってもいなかった額だった。今着ているワンピースは以前ならば夜会二回分の稼ぎが必要だったが、一人を視るだけでも十分おつりが来る。
その値段であれば、確かにちょっと視てもらおう、というスタンスの客は減るだろう。
(そんなこと、考えたことなかった……!)
驚きのあまり、フィオナは二の句が告げない。
「君には本当の『ちから』があるし、一人一人きちんと視ている。この値段でも安いくらいだと思うよ」
アッシュはそう言った後、思案気にフィオナを見やる。
「それから……、たくさん視ると、君の身体にかかる負担が心配だからね」
そっと付け加えられた言葉に、胸が熱くなった。母が亡くなってから、こうして親身になってくれる存在が身近にいなかったフィオナは、胸をつかれるような思いがした。
(なんて優しいのだろう、伯爵様は……!)
使用人とのやり取りをみていても、アッシュは慕われているのがよく伝わってくる。
彼の手を取るというフィオナの選択は、間違っていなかった。
「ありがとうございます、伯爵」
深い感謝と共にお礼を言えば、アッシュが優しい顔をして頷いた。
◇◇◇
一人目の依頼人は、上品な物腰の、六十代くらいの男性だった。
綺麗な銀髪と同じ色の口ひげをたくわえた彼は、アッシュとも顔見知りらしい。
「久しぶりだな、ロイド」
「お久しぶりです、ホワイトリー侯爵」
ホワイトリー侯爵は、モリス侯爵とも親しい友人なのだという。
「モリスから聞いて、是非にとお願いした。よろしく頼む」
どっかりと椅子に座ったホワイトリー侯爵に向かって、フィオナは頷く。
「よろしくお願い致します、侯爵」
「うむ。君は亡くなった人に関しての占いも可能だと聞いた」
モリス侯爵邸でも何人かに頼まれたことがある。
必ず視れるとは約束できなかったが、不可能ではない。
「はい。場合によっては、になりますが」
「それで構わない。実は、物心がつく前に母が亡くなったもので、母の顔をよく知らなくてね。肖像画はあるんだが、どうもしっくりこない。父は、母は私を愛していたと言っていたが」
(なんてこと……、彼もお母様の顔を知らないのね……)
自分にとっての父と同じだ。
フィオナはそう思った。
(でも随分前の話だろうから、少し難しいかもしれない……けど、視てあげたいな)
フィオナはあくまでも残留思念を視るだけだから、思いの深さによって左右される。彼女の両親の形見の指輪のように、フィオナの想いが深く残っていると、どうしてもそちらに引っ張られてしまうのだ。
「そうだとは思っていても、どこか拠り所がなくてね。数年前に父が亡くなってから、ぽっかりと胸の中に空洞があいてしまったようだ。自分にも家庭があってもう孫だっているのに、未だに両親のことを想ってしまうのだよ」
ふう、とホワイトリー侯爵がため息をつく。
「そこでモリスから、かなり精度の高い占いをしてくれる人がいると聞いてね、もしよければ母が私を本当に愛していたかをみてほしい」
ホワイトリー侯爵は、ジャケットの内ポケットから古ぼけた手鏡を取り出した。
「これは母が亡くなる直前まで使っていた手鏡だ。いわゆる形見で、父が後生大事にしていた」
「お預かりいたしますわ」
手のひらサイズの手鏡。
持ち手には繊細な彫刻が施されていて、高級品であることは間違いないだろう。
ホワイトリー侯爵のご両親以外があまり触れていないのであれば、もしかしたらきちんと視れるかもしれない。
(どうぞお母様の顔が、分かりますように……っ!)
フィオナがぎゅっと握ると、ふわりと目の前の光景が青みがかった。
『リチャード、可愛い私の子』
優しい女性の声が響く。
フィオナが視線を上げると、椅子に座った、金髪の巻き毛の女性が赤ん坊をあやしている。残念ながら後ろ姿で顔を視ることができない。
(かお、顔を拝見できれば……!)
隣に立ったメイド服をきた女性が、おろおろとした様子で声をかける。
『奥様、それくらいにしませんと。お気持ちは分かりますが、お体に触りますから』
『わかっているわ。でも、もうちょっとだけ。だってやっと起き上がれたんだもの』
『ですが……』
『お願い、後悔したくないの』
そう言えば、メイドが引き下がった。
『もう少しだけ、もう少しだけ触らせて……ああ、なんて可愛いの』
女性の声には慈しみが満ち、赤ん坊の、銀色の髪を触る手つきはどこまでも丁寧で。
その左手の薬指には、指輪が嵌められていて。
優しい、穏やかな時間。
『あいしている、リチャード……、リック』
情景が変わり、厳しい顔立ちの男性が立っていた。銀色の髪を持つ男児の手を握った彼は、花に囲まれて眠る若い女性を見下ろした。
美しい顔立ちに、ほんのりと化粧が施されている。
フィオナは今、はっきりとその顔を視た。
(ああ、なんて綺麗な……方……)
けれど、固く閉じられたその瞼が開くことはない。
『アマンダ、愛しい人……どうして私達を置いて、逝ってしまったんだ』
男性の喉からこらえきれない嗚咽が漏れ始める。
『どうして、どうしてだ……!! ずっと一緒にいようと約束したではないか……!』
『おとーさま、どうしたの……?』
男児が男性を見上げる。幼気な、どこか明るさすら感じるその声に、男性の嗚咽はますます大きくなる。
『おとうさま、泣かないで。僕はずっと一緒にいるよ』
『リチャード……っ!』
幼児を、男性は抱き上げる。
その男性からも、幼児への愛しか伝わってこなかった。
(―――……)
ぱち、とフィオナは瞬きをする。気づけば、ロイド邸の応接間に戻っていた。
真剣な表情を称えたホワイトリー侯爵は、美しい銀髪の持ち主だ。
そろそろと彼女はテーブルに置いてある水晶に手を伸ばす。
「水晶水晶、水晶よ。どうぞ悩めるこの方の道をお照らしください」
ぐっと祈るように目を瞑ってから、開く。
「占いによれば……、お母様は貴方をとても愛していらっしゃった。お体が辛いときでも、貴方をあやすくらいに」
「……!」
「綺麗な金色の巻き毛で……、瞳の色は分かりませんが、口元の横にほくろがあるような気がしました。……占いなのであたっているかはわかりませんが……。お母様は貴方のことをとても愛していらっしゃったと思います」
「ああ……、確かに母の口元にはほくろがあったはずだ。父が大事にしていた姿絵に描かれていた……」
ホワイトリー侯爵が、呟く。
次の一言を付け加えるか、フィオナは一瞬迷った。部屋の隅で背筋を伸ばして座っているアッシュに視線を送ってから心を決める。
(伯爵が信頼しているモリス侯爵の親友でいらっしゃるもの……大丈夫)
「貴方のことをリックと呼ばれていたのではありませんか?」
ホワイトリー侯爵が息を吸い込む音が聞こえた。
「……! リック、だと……?」
「違うかもしれませんが」
「まて……、たしかに、誰かが、私のことを……、リックと呼んでいた記憶が……! あれは、もしかして母上だったのか……!?」
そして片手で口元を覆いしばらく黙っていたが、やがてホワイトリー侯爵の顔に笑みが浮かんでいく。
「ありがとう。君にみてもらえて、よかった」
(よかった……!)
フィオナは安堵したような気持ちで、深く頷いた。
それからホワイトリー侯爵に手鏡を返すと、彼は大切そうに握りしめる。
「君の言った通り、リックと呼ばれていた記憶がある。優しい声だった。あれが母だとしたら、私は確かに愛されていたんだな。恥ずかしいことだが、やはり自分の母親に愛されているという実感がほしかった。君は確かに優秀な占い師だ。おかげで、すごく気が楽になったよ」
(―――!)
わかります、と彼女は言葉にしたくなった。
私も、父から愛されていると知りたい気持ちがあるから。フィオナには愛してくれた母がいて、きっとホワイトリー侯爵にも愛してくれた父がいた。愛されているとは知ってはいても、それでも。
フィオナとアッシュに何度もお礼を言ったホワイトリー侯爵は、心付けのチップをたくさん置いて帰っていった。それをアッシュはそのままフィオナに渡してくれたから、戸惑ってしまう。
ホワイトリー侯爵のいなくなった応接間で、困惑しながらアッシュを見る。
「こんなに頂けるなんて……」
「彼は心から感謝していたんだよ。気持ちなのだからそのまま受け取るといい」
そう言うと、彼はそっと彼女に手を差し出す。
「?」
「中和しよう?」
「私なら大丈夫ですよ?」
実際、ホワイトリー侯爵の記憶はあまりにも愛に満ちていたこともあってか、頭痛はほぼない。けれどアッシュは首を横に振る。
「心配なんだ。これからは一人視る度に、手を握ることにしたい。もう二度と目の前で君に倒れてほしくない」
「……っ」
はっきりと言い切られ、フィオナは圧倒される。
(た、確かに……、倒れちゃったことがあるのは事実、よね……?)
彼女はそっと手を伸ばすと、アッシュの手を握った。
そうして、ロイド邸で『占い』をする日々が幕を明けたのだった。