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15.タッカー通りのロイド邸にて

 タッカー通りのロイド邸に通う日々が始まった。

 こじんまりとした二階建ての屋敷で豪華さとは無縁だ。けれど最初の印象通り、やはり居心地は抜群に良い。家の空気感が肌に合うのは変わらず、主人であるアッシュを始め、皆がフィオナを歓迎してくれるのだ。 

 今日もドアノッカーを叩くと、執事のアルバートが顔をのぞかせる。


「フィオナさん、お待ちしておりました」

「こんにちは、アルバートさん」


 三十歳手前くらいのアルバートが爽やかに微笑み、彼女を中に通してくれた。その物腰は柔らかく、それもそのはずアルバートは男爵家の出身らしい。まだ年若く、貴族階級出身のアルバートがロイド家の執事をしているのにはもちろん理由があるのだろうが、詮索するつもりはない。

 アルバートに続いて廊下を歩いていると、メイド頭のロージーと行き合う。ロージーは、フィオナの母くらいの年齢の落ち着いた女性で、すごく頼りになる印象だ。フィオナにもいつでも丁寧に、親切にしてくれる。

 

「いらっしゃいませ、フィオナさん」

「こんにちは、ロージー」

「後でよろしければ、厨房に来ていただけないかとメルケンが申しておりました。フィオナさんに是非、ご賞味していただきたいものがあるとのことです」


 メルケンは料理長の名前である。


「メルケンさんが!? もちろんです!」

「ふふ、お忘れなく」


 優しい笑みを浮かべたロージーと別れて、アッシュの待っている執務室へと向かう。

 

「フィオナ、待っていたよ」


(ああ、よかった。今日も顔色はよろしいわ)


 にこやかなアッシュの顔色をまずは確認し、フィオナはほっと安堵する。

 アッシュは今日も外出の予定がないらしく、ベージュのカーディガンに白いシャツ、それから黒のボトムスを履いている。取り立ててお洒落な装いではないのに、アッシュがするとなんだか流行の最先端な気がしてしまう。


「今日もよろしくお願いします」

「うん」


 ロイド邸に通い始めて一週間ほど。

 今はまだアッシュと今後について相談している最中だ。古ぼけてはいるけれど、手入れの行き届いた革張りのソファに腰掛けると、フィオナは口を開く。


「考えたんですけれど、伯爵の仰るとおり、やはりモリス侯爵を通して依頼を受けたいと思います」


 実はアッシュと初めて出会ったのがモリス侯爵邸である。

 モリス侯爵は占い師にも親切にしてくれるし、手厚い報酬をくれることで印象はとても良い。ロイド家との関係も昔から続いているらしい。

 聞く限りでは悪い話ではないけれど、たださすがに即断はできなかった。

 一日考えさせてください、と持ち帰ったものの、やはりアッシュが信頼している相手のことを自分も信頼しようと考えれば結論は自然と出た。


「そうか、そう思ってくれて嬉しいよ」


 アッシュがほっとしたかのように微笑む。


「モリス侯爵は聡明な方だから悪いようにはなさらないと思う。我が家が……その……ゴタゴタしたときも、力になってくださったんだ」

「そうだったんですか……!」

「うん。それで、君はどうしたい? 自分の名前を出して占いをしたいか、それとも……?」

「いえ、私はできれば名前は出したくありません。それに、またあの頭巾をかぶるつもりです」


 父を探そうとは思っているものの、できれば目立ちたくないフィオナはそこは譲れなかった。隣国の落ちこぼれ聖女がこの国で占い師として有名になってしまい、万が一彼らがそれを知ったら……?


(連れ戻されるかもしれない)


 フィオナを人間扱いしてくれない、あの陰険な人たちばかりがいる、暗い暗い聖堂に。

 今こうして陽の光が入るロイド邸で心地よく過ごさせてもらっているフィオナにはもう考えられない。彼女としてはそういうつもりだったが、アッシュは違う風に取ったようだ。


「頭巾を! それはいいね! 君の顔が不必要に人々に晒されなくて済む」


 自分こそが整った顔の持ち主であるアッシュが目を輝かせる。どうも彼はフィオナが美人だと思っている節がある。


(やっぱりこの国は美醜が逆転しているのではないかしら。私が美人のわけはないのに)


 フィオナは思わず苦笑してしまった。


「君が占いをするときは、俺も同席するからね?」


 この申し出には素直にこくんと彼女は頷く。


「私が『ちから』を使いすぎて、倒れないか心配してくださっているんですよね……。本当にいつもありがとうございます!」


 心からお礼を告げると、アッシュがなんともいえない顔になる。

 けれどそれ以上彼は何も言わず、しばらく雑談をした。

 

「よければ、そろそろ中和しましょうか?」


 話の切れ目にフィオナが申し出ると、アッシュが手を差し伸べながら尋ねた。


「今日はどうする?」

「今日は、指輪はなしで」

「わかった」


 あれからも時々、形見の指輪を視ているが、初日以上の収穫はなかなかない。しかもフィオナはできれば隣国で自分が虐待に耐えていた姿をできればアッシュに見せたくないと思っているから、何の映像も浮かばないことがほとんどだった。

 彼に視られてもいいとは思っているけれど、今では彼がきっと傷つくことが分かっているから。その気持がどこかでストッパーになってしまっている。

 彼の隣に座り、手を繋ぐと、今日もふわりとした浮遊感を感じる。


「気持ちいいな」

「はい」


 アッシュの側は心地よい。

 今のフィオナにはそれで十分だった。


 ◇◇◇


 アッシュの執務室を出て、厨房に向かう。


「こんにちは、メルケンさん」

「フィオナさん、いらっしゃい! 待ってたよ」


 メルケンは、大柄な体躯を持つ穏やかな性格の料理長である。フィオナの父が生きていればこのくらいの年の頃だろうか。メルケンは父のようにフィオナに優しくしてくれる。


「実は新作の味見してほしいんだ! すぐりのジャムは嫌いじゃないよね?」


 そういいながら差し出されたのは小振りなパイ生地の焼き菓子だった。


「すぐりは好きです」

「よかった。じゃ、食べてみて」


 言われるがままに頬張ると、表面がキャラメリゼされているらしく、さくっとした口当たりだった。パイ生地の中にすぐりのジャムが入っているシンプルさだったが、シンプルゆえにとても美味しい。


(おいし〜〜!!!)


 気持ちがそのまま顔に現れていたのか、メルケンが満面の笑顔になる。


「よかった、好きだったね!?」


 ごくんと飲み込んでから、フィオナは頷く。


「はい、とっても好きです」

「これ、すぐりじゃなくて、すもものジャムでもいいかもしれないなって思ってるんだ」

「それも絶対美味しいですね!」

「だろう!? また作ったら味見してね!」

「もちろん! 光栄です」


 メルケンはお土産に持っていきなよ、と紙袋にいくつか焼き菓子をいれてくれた。

 明日の朝ご飯にしようとルンルンしながら受け取る。


「ああ、味見は終わりました?」


 そこで厨房に登場したのは、メイド頭のロージーだった。


「ああ、無事にね。フィオナさんはお好きだったよ。いくつかお土産に渡したところなんだ」

「それはよかったです」

「彼女はよい味見係で助かるよ」


 メルケンとロージーはニコニコしながらフィオナを見る。


「いや、本当に……フィオナさんが来てくださって良かった」

「ですよねえ、伯爵様もお陰さまで日に日にお元気になられていらっしゃいますしね。あんな溌剌とされている伯爵様を見るのは久方ぶりですよ」

「そう! フィオナさんのおかげで明るくなった!」

「このままずっといてくださればいいのに」

「えっ……!」


 なんだか勝手に話が進んでいき、フィオナは慌ててしまう。


「いえ、まさか、そんなことは……!?」


 長い間不眠症に苦しめられていたアッシュが、ここしばらくよく眠れているのは確かだろう。彼が最初に出会った頃より顔色も良く、朗らかなのはフィオナ自身も感じていることだ。

 それはでも。

 どうしてか不思議な『ちから』で中和しているだけで、決してフィオナがこの家に来ているからではない。


「私達の目はごまかせませんよ! あんな伯爵は見たことないですから」

「そうそう、やっと伯爵様に春がやっていらっしゃったねぇ」


 まるで親戚のような口ぶりに、思いきりフィオナは首を横に振る。


「まさか! 第一私は平民ですよ!?」

「えぇ、関係ないだろう? まあ、ここはロイド家だしねぇ……そうか、ロイド家だから、いくら平民とはいえフィオナさんも嫁には来たくないかもしれないね」


(ああ、ロイド家の謎がある……、っていうか違う! そもそも論点がずれている! ロイド家だから嫁に来る来ないになってしまっているけど、そうじゃないってば……!)


 心の中でつっこみをいれたけれど、それをどうやって伝えればいいのかフィオナは内心頭を抱えた。

 そこでしかしメルケンがことさら笑顔になる。


「でも、伯爵は本当にフィオナさんを大事に思っているよ。だって君の好きな美味しいものを探そうと頑張っていらっしゃるからね。そもそも伯爵もそこまで食に興味がないというのに」


(えっ……!?)


「え、でもそれって、ご迷惑をおかけしているってことでは?」

「まさかまさか。フィオナさんが気にすることはないよ。伯爵は好きにしてるだけだろうから」


 メルケンはあっさりそう言う。


「そ、そう……?」

「うん。お陰で私は腕を奮えるんだから、ありがたいくらいだよ」


 料理長はどこまでも明るく笑った。


「俺がなんだって? ああやっぱり。フィオナがここにいると思った」


 そこへアッシュも厨房に顔を出した。


「伯爵が、フィオナさんの好きなお菓子を探ってくれと私に命じたことを話していました」


 メルケンが胸を張る。

 アッシュは使用人に対しても穏やかな態度を崩さないから、ロイド家の使用人たちは皆アッシュに親しみを感じている。


(そう、伯爵様の雰囲気が、ロイド家の雰囲気そのまま、なのよね……! 心地よいはずだわ)


 フィオナは少し目を細めた。


「ああ、そのことか」


 どうしてかアッシュの耳が朱に染まる。


「フィオナとは……その、長い付き合いになりそう、だから、好きなものを知るのは悪いことではあるまい?」


(嬉しい、そんな風に言ってくださるなんて!!)

 

 フィオナはアッシュの言葉を額面通りに受け取った。


「なんて親切な……! そこまでお気遣いいただいて、ありがとうございます! 今日もメルケンさんがとっても美味しい焼き菓子をくださったんです。すぐりのジャムがつまったパイなんですけど……!」


 いそいそと貰った紙袋の中をのぞきながらフィオナは明るく笑う。

 ちょっとだけ肩を落としたアッシュの背中にそっとメルケンが手をおいていたことには気づかなかったのである。


二章の連載開始します。

7時&19時投稿で、29話+エピローグで完結します。

待っていてくださった方がいらしてくださったらいいなと願いつつ……!

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