14.私はロイド伯爵と一緒にいます
フォーサイス公爵は、じっとフィオナの瞳を見つめ、それからふっと相好を崩した。
「私は珍しいものが好きでね。君と話がしたい」
「――!」
唇が震える。
彼女は布を被っていて良かったと思った。
(どうしてだろう……、とても、こわい……)
公爵は穏やかな笑顔を浮かべているのに、その碧の瞳はすべてを見通しているかのようで。
(やはり『ちから』がおあり、なんだと、思う……)
先ほどはただの直感だった。
だがそれがじわりじわりとどうしてか現実味を覚える。
かたかたと小さく震える手を拳にして、ぎゅっと握りしめた。
もしアッシュが側にいれば。
そんな考えがちらりと脳裏を掠める。
だがそんな自分にフィオナは愕然とした。
(私、いつからそんな弱くなったの……!?)
ずっと一人で生きてきたではないか。
彼女は背筋を伸ばした。
「ここの主人とは懇意の仲でね、別室を用意してもらった。そちらで君と話をしたいんだが――……」
そこで公爵がカードルーム内に視線を滑らせ、固唾をのんで見守っているアッシュを捉えた。
「ロイド。君も来てくれ」
◇◇◇
フィオナとアッシュは、そのまま公爵に連れられて、言われるがままに部屋に入る。そこはどうやら談話室の一つらしく、広い部屋には立派なソファーセットが設えてあった。
「どうぞ、座ってくれ」
大きなソファの端と端に、アッシュと並んで座る。彼とは、ここに来る前にちらりと視線を交わしただけだ。向かい側に座った公爵がにこやかに口火を切る。
「よければ、その布を取ってくれると嬉しいのだけれど?」
「これは失礼いたしました」
フィオナが布を取って顔を晒すと、公爵がふむ、と言わんばかりの表情になり、その隣に座っている公爵子息の瞳に熱が入る。
「君はやはり本物だね」
公爵の言葉に、フィオナはぎくっと身を強張らせる。
「ああ、そんなに緊張しないで。君も分かっているだろう、私が、君と同類だということを?」
ごくりと唾を呑み込んだフィオナは、肯定も否定もできなかった。
「それにロイド、君にも微弱ながら感じられる。まぁ、でも今、私が話があるのは彼女なんだが――名前は?」
「……フィオナ、と申します」
「名字がないということは、平民の生まれかな?」
「おっしゃる通りです」
「なるほど。いや、フィオナは実に興味深い。……彼女で間違いないよな、ルーカス?」
尋ねられた公爵子息がはっきりと頷いた。
「はい」
ふむ、と公爵が再び彼女に向き直る。
「じゃあ単刀直入に話そう。――君には不思議な力があるだろう?」
フィオナが答える前に、公爵が手を軽く振る。
「ああ、良い。答えなくていいよ。だがね、君がどれだけ隠そうともわかるんだ。だから黙っていても無駄だ。どうしてかというと……」
公爵は淡々と続けた。
「私はね……、不思議な力があるかどうかを判別することができるし、側にいることでその力を相殺することもできる」
「!」
フィオナはわずかに目を見開いた。
「とはいえ、相手が力持ちかどうかわかったところで何の役にも立たないんだ。だって相手の力を消してしまうからね。ああ、答えなくていいよ。私が勝手に喋っているだけだから」
フィオナは微かに頷く。
いくら高位貴族だとはいえ、フィオナはあくまでも平民だ。
この部屋を出てしまえば、すれ違うこともないだろうから、無礼を承知でこのまま席を立つこともできる。だが――公爵は決して嘘をついていないという謎の確信があり、フィオナをその場に留めた。
公爵には間違いなく、凄まじい『ちから』があるはずで、彼女はずっと鳥肌が立っている。
(ああ、だから……なんだか、得体のしれない感じがして怖いんだわ)
そしてフィオナは同時に、公爵が何を話そうとしているのかにも興味を持った。
「我が家には時々、力がある人間が生まれてね。私の父もそうだった。ルーカスの母には力がなかったし、ルーカスにも力は遺伝しなかった。だから別にルーカスの配偶者には力がある人の必要はない……と思っていたんだけどね? まぁ力がある人ならば、それはそれで歓迎だが。ほら、自分で話しなさい」
「僕は邪魔にならないように黙っていただけです」
「おや、それはすまないね」
軽く肩をすくめた公爵が引き下がると、ルーカスがフィオナをひたと見つめた。
「貴女に惹きつけられてしまって」
ぐっ、と隣に座っているアッシュの喉から音にならない音がした。
「この前の、貴女が頭の布を取った……あの夜会に僕もいたんです。それで……、実は僕にも少しだけ不思議な力を判別できる能力があるのです。僕の場合は、分かるだけなんですが、貴女とロイドに力があると判断しました。その上で貴女に魅せられてしまって。もちろん、布を取ったお顔にも惹かれたことは否定しませんが」
ルーカスは静かに続ける。
「父を見ているので、不思議な力を持った人がどれだけ不自由な暮らしをしているのか、少しは分かっているつもりです。我が家は公爵家で恵まれている方だとは思います。それでも、力なんてない方がいいでしょう。なければないほうがきっと楽だろう、とそんな風にも感じます」
「!」
公爵家、それも夜会で他の貴族たちが道をあけるほどの高貴な家の出身で、いくら父親にその不思議な力が備わっているとはいえ、ここまで寄り添ってくれるものなのか。
「この前の夜会で、あの不届きな男に手を掴まれて、苦しそうな貴女を見ていました。けれど、貴女はそれからもずっと凛とされていた。その姿に強烈に惹かれました。どうか僕に、貴女を知る機会を与えてくださいませんか? 是非、我が家専属の占い師になってください」
(せんぞくの、うらないし、ですって……?)
予想外の言葉だった。
頭が真っ白になったフィオナは、一言も返すことができない。
「まぁ、そんなところだよ」
面白そうに公爵が口を挟む。
「ルーカスの話から察すると、君にはきっと物から記憶を読み取る力があるんだろう? 必要な記憶を物に浮かび上がらせる力を持つものもいるとは聞くが、どうやら違うらしいからな。それにそんなに綺麗な顔をしているのがバレてしまったんだ。今後、外で占い師をするのは難しくなるんじゃないか。その点、我が家専属の占い師になれば、無用なゴタゴタには巻き込まれないはずだよ」
アッシュがぐぐっと背筋を伸ばしたのを、フィオナは視界の端で捉えた。
(伯爵……)
アッシュが側にいる。
そう思えば、再びフィオナの心が急速に落ち着くのを感じた。
「――……、公爵様は」
「うん」
「他にも、不思議な力がある方と会ったことがあるんですか?」
「もちろん」
あっさりと彼は頷く。
「では、その方たちに全員に、専属の占い師になるようにお願いしているのですか?」
「まさか」
彼が一笑に付す。
「そこまで大勢に会ったわけではないんだがね。それでも未来を透視する能力がある人もいるにはいた。だが別に占い師になってほしいとは思わなかったな」
「では、なぜ、私に?」
「ルーカスが気に入ったからだよ? 彼がそんなことを言うのは、初めてだったからね。そもそも第二夫人の息子だから、婚約だってそこまで気にする必要もないから――……」
公爵があっさりと言い放つ。
(こんやく?)
ぱっとルーカスを見れば、彼の頬が赤くなっていた。
先ほど、惹きつけられて、とは言っていた。
だが婚約とは?
まるで王子のように整った顔の持ち主で、公爵家の出身であれば、令嬢などよりどりみどりだろう、この人が?
「いいだろう、ロイド?」
そこで公爵がアッシュに尋ねる。
「どうやら君は大事に彼女を囲っているようだが、我が家に来てもらったほうがよほど良い待遇を約束してやれる。欲しいものはできる限り与えてもやれる。そうだろう?」
「――……、っ」
「なんだって?」
アッシュはぐっと公爵をまっすぐに見つめた。
「そうかもしれませんが、私は、嫌です」
まさか否定されるとは思っていなかったらしい公爵が一瞬ぽかんとしたあと、爆笑しはじめた。
「ははっ、嫌だったか、そうかそうか……君の気持ちを否定するつもりはないけどね? だがロイド、君が与えてあげられるものには限界があるだろう? だから我が家に任せないか」
下位貴族であるアッシュに反論されても、気にもとめていないらしい。まるで友人に話すかのように公爵はそう続けた。
「――っ」
ぐぐぐっとアッシュが拳に力をこめて、歯を食いしばる音が響く。
「……フィオナの、ためになる、なら……」
「うん、そうだな」
公爵は淡々とそう言ったが、アッシュへ向ける眼差しは意外なほどに柔らかいように思えた。
「だが、これはあくまでも私達の希望だ。もちろん、どうするかはフィオナに選んでもらおう」
三人の視線が一気にフィオナに集中する。
(え、私……!?)
まさか自分に選ばせてくれるとは思わなかった。
(きっと、公爵家の専属占い師になれば、お父さんを探すのも、もっと楽になる、んだろうな。そしてそれを伯爵も分かっている。だから私が公爵の手を取っても、彼は理解してくれる……)
カルドリア王国に来てからの日々が一気に脳裏を駆け巡る。
その記憶のほとんどに、アッシュがいた。
そう思うだけで、ふわり、と浮遊感を感じた。
(だけど、私は――……)
心を決めたフィオナはまっすぐに公爵とルーカスを見つめる。
「私はロイド伯爵と一緒にいます」
誰かが鋭く息を呑んだ――きっとアッシュかもしれない。
(よし、断った……!!)
公爵たちは気分を害して、席を立ってしまうだろうか。
今後、いろいろな貴族の家での夜会への出入りを禁止されるかもしれない。
色んな覚悟をしながら顔を上げると、公爵が苦笑して、ルーカスの脇腹を肘でつついたところだった。
「残念だな、振られちゃったな。ルーカス?」
「父上のせいです。なんでそんな追いつめるようなことを……! 怖かったと思いますよ、彼女は!」
「そうか? うーん、それは悪かったな。ごめんね?」
軽い調子で公爵がフィオナに謝罪してきて、ある程度の覚悟をしていた彼女の度肝を抜いた。
「あ、いえ……、それ、は、いいんですけど……」
「ああ、断ったから気分を害しているかと心配かい?」
フィオナは素直にこっくりと頷く。
「そのことは心配しないでくれ。私達は力がある人の邪魔をしたりはしない――協力こそすれ。それで、これからもフィオナはいろいろな貴族の夜会で占い師をしていくつもり? さっきも言ったけれど、それはおすすめしないな。特にフィオナの顔がバレてしまったからね」
(確かにそれはそうかもしれない)
公爵の指摘はもっともなことだった。
「そうですね……、そのことについては、少し考えてみます」
「うん、そうした方が良い。それから是非、私達にパトロンにならせてくれ。君を金銭的に援助したい」
「……えっ!」
(申し出を断ったのに……! こんな風に言ってくださるなんて)
フィオナが少しだけ口元を緩めると、公爵もルーカスも優しい表情になる。
一瞬、公爵に父のことを尋ねてみようかと思った。
公爵に力があるのはもちろん、幾人か力がある、おそらく貴族を知っているというのだから―……
だが彼女はその衝動を押し留めた。
公爵の手を取らなかったのだから、そんな風に利用するのは申し訳ない。
フィオナは顔をあげる。
「ありがとうございます。でも、ご心配なく。私は私のペースでやっていきます」
「そうかい?」
「はい――それに私には、ロイド伯爵がいますから」
彼女がそう言って、アッシュに視線を送ると、彼はまだ信じられないとばかりに呆然としている様子だった。
彼を側に感じたい。
彼の手に触れたいな。
そう思ったが、今この時は我慢した。
◇◇◇
「フィオナ、いつでも困ったことがあったら私達の屋敷に来てもらっていいからな? 執事に名前を伝えておく。それから君に連絡したいときは、ロイドに言うからね。まだ専属の占い師になってもらうのは諦めていないよ――ではまた会おう」
そう言って公爵とルーカスは去っていった。
そうしてようやくフィオナは呼吸が楽にできるように感じる。
ずるずるとソファに座り込むと、隣に座っていたアッシュがぱっと彼女を見る。
「よかったのか?」
「何がですか?」
見ると、アッシュはどこか悲しそうな表情だった。
「公爵なら、君にもっと素晴らしいものを与えてくれる。君のお父様のことだって、もしかしたら公爵に相談すれば、すぐに分かるかもしれないのに……。俺じゃ、足りない」
黙ってフィオナは手を伸ばして、彼の手を握る。
ふわりとした浮遊感を感じて、口元に笑みを浮かべた。
「十分すぎるほど、十分なものを私は伯爵に与えていただいています。それにお父さんのことは……、一緒に探してくださるんじゃなかったんですか?」
そう言えば、切れ長のヘイゼル色の瞳に力が入る。
「もちろんだ!」
「よかった。ではこれからも一緒に、探してください――……それに伯爵は私に、時々母の記憶を視せてくださる。それだけで十分です、私」
繋がれているアッシュの手に、力がこもる。
「それから……フォーサイス公爵のおっしゃっていたことを考えたのですが……、もしまだ気が変わっていらっしゃらなかったら、ロイド邸で占いを始めさせていただけないかと」
彼女の言葉が終わるか終わらないかの前に、頬に赤みが差したアッシュが大きく頷く。
「もちろん大歓迎だ!」
今ではすっかり慣れた、子どものようなアッシュに、フィオナの笑みが大きくなる。
「ふふっ。ではまた相談させてください」
ころころと笑っているフィオナの笑顔をしばらく黙って見つめていたアッシュがしみじみと呟く。
「ああ……俺は本当に君の笑顔が好きだなぁ」
彼がぎゅっと彼女の手を握りしめる。
「じゃあ、帰ろうか?」
アッシュの問いかけに、フィオナの笑顔が弾けた。
「はい、伯爵」
そうしてフィオナは、アッシュと共に歩きだすことを選んだのだった。
◇
◇
◇
作者より
ちょっと長いですが、よろしければ読んで頂けますと嬉しいです↓
主要人物が揃ったのでここで一章終わりとさせていただきます。
ようやくフィオナがアッシュの方を向いた……!
少しお時間いただき、二章は書き溜めてから投稿するつもりです。
二章ではフィオナの父探しがメインの予定でして、
あわせてロイド家の謎もわかっていくと思います
(これについては皆様ご想像ついているかもしれませんが)
今回突発的な連載開始でしたのに、感想はもちろん、
ブックマークに、評価といいねを本当にありがとうございました。
めっちゃくちゃ励みになりました!
よろしければ気長に待っていていただけると嬉しいです。