13.あなたの味方になりたい
帰りの馬車の中で、しばらくお互い無言だった。
やがてアッシュがぽつりと呟く。
「これだけは言っておきたいんだが、俺は、君が【占い師】だからこうやって一緒に過ごしているわけではないんだ」
フィオナが視線を送ると、アッシュは複雑そうな表情を浮かべていた。
「だが俺が貴族で、君が貴族ではないから自由に出来ると考えているようにも見えるのか、と……さっき初めて気づいた」
彼はどうやら落ち込んでいるようだ。
(伯爵……)
アッシュがそんなつもりでないことは、十分に伝わってきている。
「でも『ちから』について他の方には言えませんから、仕方ないことかと――……」
取りなすようにフィオナが口にすれば、アッシュは首を横に振る。
「いや、『ちから』の中和のためだけでもない」
「え?」
「もちろん、『ちから』のことは関係している。君のお父上を探すのを手伝いたいという気持ちにも嘘はない。ないが……しかし……」
彼が拳を強く握りしめる。
「俺の状況を思えば……卑怯な態度だったのだろうか」
そこでアッシュが意を決したように、フィオナに向かって右手を差し出した。
「手を握ってくれないか?」
はっとしてフィオナは彼を見る。
「いいの、ですか……? だって、私が今、手を握ったら……もしかしたら」
もしかしたら視えてしまうかもしれない。
彼が隠したい何もかもが。
「わかっている。でも、いいんだ」
彼がもう少しだけ手をこちらへと伸ばした。
「フィオナだったら、構わない」
「―――っ!」
アッシュと視線を合わせ、彼の瞳に浮かんでいる何かを見つめた時。
手を繋いでいないのに、ふわりと優しい風が吹いたような気がした。
(ああ、なんだろう……、今まで感じたことのない、気持ち。まるで、陽だまりのような……あったかくて……尊いような……)
「伯爵」
「ん?」
「私、伯爵の家に、何か……大きな出来事があったのは、知っています。だって最初に視ましたから」
アッシュがそうだったなと呟きながら、ゆっくり手をおろしていく。
「それなのに、話さない俺に呆れるだろう?」
「いいえ。きっと話せないご事情があるのでしょう。それに、私、そもそもなんでもかんでも話してくれればいいと思っているわけではないんです。だって……人は、嘘をつくから」
「……え?」
いくら耳あたりの良い言葉を囁いても、裏でそぐわない行動をしている人がどれだけいることか。
『ちから』に目覚めてから――いや、『ちから』が目覚めなくても、分かっていた。それだけフィオナは辛辣な環境に生きていた。だから彼女は、ただ言葉を闇雲に信じるようなことはしない。
彼女が信じるのは――……。
「だから言葉だけでなく、行動も信じたいと思っています」
「行動、も……?」
「はい。伯爵はずっと私に、親身になってくださっています。今夜もそう。今夜だけじゃなくて、何度も私を助けてくださっている。私が知っていればいいのは、それだけ。伯爵が私に話せないことを抱えていらっしゃることと、信頼できない人だということは、必ずしもイコールではないと考えます」
言い切ると、どこか力がみなぎるような気持ちになる。
「そして、今、改めて確信しました。……手を握ってもいい、と行動で見せてくださったから。貴方は信頼に足りうる方です」
フィオナはふわりと笑う。
食い入るようにアッシュが彼女を見つめている。
「そして話せないことは、私にもあります。……だから最初に申し上げたんです。私は全てを話せない、と。話せないこともある、と」
「ああ」
「伯爵はそれを受けいれてくれてくださいました。それから――本当に何も聞かないでくださった。やっぱり貴方は信頼できる。でも私……、それから手を繋いでも怖くなかったんですよ」
「え?」
アッシュが驚いたように声をあげる。
「もちろん、みだりに映像を共有しないように気をつけてはいます。でも、もし視えてしまっても伯爵は私の味方になってくださると信じられるから、怖くない。自分からは話せませんけれど、でも、視えても……伯爵でしたら大丈夫なんです」
フィオナはつっかえつっかえ、想いを紡いだ。
今まであまり自分の想いを洗いざらい人に話したことがないから、あまり上手ではないかもしれない。けれど、これだけはどうしても彼に伝えたい。
「フィオナ……」
「だから私、もし何か視えたとしても……絶対に、胸の内に仕舞います。貴方の、味方になりたいから。それを、行動で示したい」
『ちから』があるから、望まないのに真実を知ってしまうことがある。
それは悲しき宿命で、変えられない。
だからこそ視えてしまっても、フィオナは見ないふりをする。
アッシュのためになら、そうしたいと思う。
「それより伯爵が夜、眠れないほうが問題ですから――」
今度はフィオナから手を差し伸べる。
「私と手を繋いでください」
しばらくアッシュは呆然としたように、彼女を見つめていた。
その切れ長の瞳が、どこか潤んでいるように見えることに、彼女は気付く。
「ありがとう、フィオナ」
彼の骨ばった手が伸びてきて、優しく、包み込むように彼女の手を握る。
ふわり、と柔らかな浮遊感を感じて、フィオナは微笑んだ。
映像は何も視えなかった。
けれど、視えても怖くない。
「気持ち、いいな」
「はい、とても」
彼の手がそっと外される。
「いつか、君に全てを話すよ――その前に片付けないといけないことがある」
アッシュは真剣な表情を浮かべていた。
「伯爵が望むなら」
「うん、君に聞いてもらいたい」
ふふ、とフィオナは笑った。
それから彼女は気づいてワンピースに視線を落とす。
「そういえばせっかく買っていただいたワンピースが汚れてしまいました、ごめんなさい」
肩の部分にくっきりと残った赤いワインの染みに、眉間に皺が寄ってしまう。
「君は悪くないから謝る必要はない」
怒りに満ちたアッシュの声が響く。
「でも君は上手にいなしていた。それに……、頭の布を取ったから、みんな、色んなことが吹っ飛んだと思う」
「え、ええ……? そうでしたっけ?」
彼が口元をぐっと歪める。
「すごいインパクトだった。くそっ……、あの令嬢のせいで、君が綺麗だってことがばれてしまった。俺だけの秘密にしておきたかったのに。今夜だって君のワンピース姿を、後で堪能するつもりだったのに」
彼女はぱちぱちっと瞬きをする。
「私、が、綺麗?」
「ああ。何度もそう伝えている気がするが?」
「え、えぇ……?」
確かにアッシュは何度か可愛い、だの、瞳が綺麗、だの言っていた記憶はある。だがそれは社交辞令のようなもので本心のはずがないと軽く流してた。なにしろ、フィオナは自分が美人だなんてこれっぽっちも思っていないからである。
「この国では美醜が逆転してるんですか? 私が綺麗なんてわけはないんですけど?」
「まさか!」
それから彼はまじまじと彼女を見つめる。
「うん。予想通りそのワンピース、本当によく似合ってる。可愛い」
(かわいい……待って、伯爵は、本気で私が可愛いと思って……?)
その瞬間、フィオナの顔がどんどん真っ赤に染まっていく。
「フィオナ……?」
「いえ、待って、待ってください、見ないで、今は見ないで……!」
彼女は熱を孕んだ顔を、自分の両手で覆った。
「見ないでって言われると、見たくなるけど」
「今は、見ないで―――!!!」
ふっとアッシュが笑ったような気配がした。
「かわいい。あ、いけない……、君の信頼に足りうるように、俺は窓の外を見ておくよ。落ち着いたら、君から話しかけて」
「〜〜〜もうしばらくは、無理そうですっ!」
「わかったわかった」
ワンピースについたワインの染みは、それからどれだけ洗っても完全には消えなかった。
だが、フィオナにとっては大切な夜の思い出となったのである。
◇◇◇
次に招待された夜会は、数日後。
場所はアッシュと初めて出会った侯爵家だった。
今夜の彼女は頭の布をきちんと被っているのに、どうしてか大勢の子息たちが机の前に並んでいる。もちろんアッシュもカードルームの一席に陣取り、フィオナを見守っている。そんな中、突然――カードルームの空気が一変した。
『えっ、フォーサイス公爵……!?』
『公爵が夜会にいらっしゃるなんて?』
『公爵子息もいらっしゃるぞ……?』
(え、誰ですって……?)
四十代後半の、いかにも仕立てのよいジャケットを羽織った金髪碧眼のすらっとした男性と、明らかに彼の息子だとわかる、これまた眉目秀麗な若い男性が登場すると、皆が彼らに場所を譲った。
(待って……?)
フィオナの心臓がどくんどくんと高鳴る。
二人がフィオナの机の前に立って、彼女を見下ろした。
「ああ、間違いない。君、だね」
年上の男性が、彼女のグリーンアイを見つめながら、そう断定した。
(この人……、もしかして……)
フィオナはぐっと身体に力を込めた。
そうしないと、望まぬ感情が揺さぶられそうだったから。
(『ちから』をお持ち……ではないかしら……?)