第1話_『異世界行きたい、一般男性。』
『異世界』
この言葉の指す意味は、直訳してしまえば”現実とは別の世界”である。
これだけでは、あまりに抽象的過ぎて、別の世界といってもどんな世界なのか、
情報らしい情報はまるで掴めず、イメージすることも難しい。
しかし、こと令和の日本においてはそうではない。
『異世界』という言葉を聞くだけで、少し真夜中のアニメを見ている人であれば、細部こそは違えど、そこには大きな共通認識が生まれているはずだ。
勇者に魔王にモンスターの存在、そしてエルフやドワーフといった異種族との交流。
現代の物理法則では説明がつかない、魔法とスキルの文化。
冒険者ギルドと多種多様なクエスト、新たな出会いと未知の探求。
そしてそんな世界への異世界転生。
自分だけの"特別"を授かる神様からの特典。
つまるところ、RPGゲームの設定を延長したような世界のことだ。
現実なんてクソゲーだ。なんてこき下ろすつもりはないけれど、
自分の人生にゲームのような華やかなイベントがあるとは到底思えない。
きっと適当に仕事をして、結婚して、家庭を持って、働いて、子を育てて、
仕事をやめて、老いた体で出来る範囲の趣味をしながら死んでいくのだろう。
もしかしたら、それでいいのかもしれない。それだけできれば幸せだろと、
周りからは口を揃えて言われるだろう。
しかし一度きりの人生だ。やりたいことはやってみたい。
バカな夢かもしれないが、それが異世界生活なのだ。
だけど困ったことにここは現実。そんなファンタジーでフィクションな世界は存在しない。
変わりにゲームに手を伸ばしもするが、いかに体験型ゲームが進化しても、
体は現実に置いてきぼりなのだ。技術の進歩を感じるし、それに感動も感謝もしているが、
いかに没入感が凄いといえど、やはり安全面を考慮して色々制限は掛かっているし、
悲しいことにそれを異世界と呼ぶには程遠い。
異世界の設定に定番があれば、異世界の行き方にも当然定番があり、
トラックに轢かれる、階段から落ちる、過労で倒れる等など、ほぼ死ぬ事で異世界に転生することが多い。
でもさすがにこれは試せない。もしかしたら本当に転生できるのかもしれないが、
死んでみるのは本当に本当の最終手段だ。人生が詰んだ時に、誰にも迷惑にならない方法で死んでみるのは
あるのかもしれないが……きっと無理だろう。
となれば、死なずに異世界に行く方法は『異世界転移』。
誰かに召喚されるか、自ら行くか、だ。
召喚されるといっても、正しい召喚の待ち方なんて想像もつかないし、
いつまでも待っていられない。自分で行く方法を考えよう。
一般人の平凡な思い付きで異世界転移ができてしまうのであれば、
今頃異世界は身近な存在であるはずだが、世の中トライアンドエラーだ。
異世界生活への熱が冷めるまで、できる限りのことはやってみよう。
せっかくなら、記録を残しておこう。
もし異世界に行けた時、次に異世界を夢見る者たちへの助けとなるように。
20XX年XX月XX日と、適当な白紙のノートに今日の日付を書く。
今日からお前が、異世界の行き方の教本となるのだ。
意気込みを表すように、ノートのタイトル部分に大きく”異世界日記”と書く。
異世界にはまだ行っていないが、こういう時に大事なのは気持ちだ。
さて、まずはオリジナル魔方陣でも書いてみますか。えぇと……まずは――
――――――
――――
――
20YY年XX年XX月
あれからどれだけの月日がたったのだろう。
気づけば異世界日記はvol.40を超えていた。
異世界には未だ行けていない。
学生時代に書いたvol.1に比べ、随分と内容は質素になったものだ。
その日にどんな儀式を行ったのか事細かに書きなぐり、毎日数ページ書かれていたこの異世界日記。
いまや1日分が数行で終わっているのも珍しくない。
諦めたら、これまでの積み重ねが無駄になってしまうと辞めきれず、
かといって、本気で異世界に行けるとも思ってもなく、かつての熱意はそこに無い。
それはそうだ。高校、大学と通い、すでに社会人になり、それなりに年数も重ねている。
少しずつ現実を思い知ってきた。
かつて自分が思い描いた、なんてことない平凡な人生より、
さらに下の生活を送っていることに、焦りを感じているのかもしれない。
会社帰りのくたびれた体を引きずって、
”異世界用”に作った部屋の扉を開け、広がる光景にため息をつく。
一人暮らしにしてはやや広めの2DKの賃貸アパート。
その部屋の一つを占領したこの魔方陣には、一体意味があるのだろうか。
ホームセンターで買った黒いタイルを敷き詰め、白のチョークで書かれた魔方陣。
二重に縁どった正円の中に、正確に描かれた五芒星。
五芒星のマスの中には、旅行で遠方に行った際、曰くつきと言われた品々を配置している。
……いや違うか。珍しいものがあると情報を見つけ、それを探しに行った結果、旅行になったのだ。
四角の部屋の四つの壁には、東西南北方向にそれぞれ、
青龍、白虎、朱雀、玄武を模った石造を祀っている。
そして中心には麒麟の石造。
もちろん全ての石造は、昔の自分が作っている。
日本の東西南北それぞれの末端で拾った石を、自分で削ったのだ。
中央の麒麟の石には、東京で拾った石を使っている。
五芒星の中に配置する素材も、四神の石造も、少しでも違うと感じたら、
その都度新しい素材を探したり、石造を作り直したりもしたが、流石に今はやっていない。
今は、その配置を少しずついじっているだけだ。
もしかしたら少しだけ位置がずれてるだけかもしれないから、と自分に言い聞かせている。
我ながらよく続くと思う。
異世界日記vol.40の、昨日の記録を見ながら、今日の配置換えを行う。
昨日は青龍を動かしているから、今日は玄武の位置を北に1mm動かした。明日は2mm動かすくらいでいいか。
さらさらっとvol.40に今日の分のメモを1行書き加え、本棚に戻した。
寝室に戻り、眠りにつく。あぁ、明日も仕事だ。
そういやオフィスの掃除当番だったっけ、早起きしなきゃな……。
ご清覧いただきありがとうございました。
2023/11/14
急に寒くなってきましたね。もこもこのスリッパを買いました。
足がとってもあったかいです。