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第30話:こんな気持ちになったのは、生まれて初めてです

あらすじ:肝試しの最中にトラブルが発生する。



◆◆◆◆



「……来ましたね」


 猛烈な殺気としか言いようのない気配が四方八方から押し寄せてきた。さすがに僕も黙る。無駄に跳びはねて気を引かないようにするためだ。密林の樹木の影から、空から、地中から、少し離れた水場から、四方八方から関節の軋る音、大顎を噛み合わせる音、羽ばたく音、奇妙な鳴き声、そういった鳥肌が立つ音が聞こえてくる。


 次の瞬間、僕は自分が縛られていてしかも猿ぐつわを噛まされていることに心から感謝した。そうでなければ、僕は悲鳴を上げて逃げ出そうとしていたからだ。ありとあらゆる種類の複眼が、虫呼びの香に誘われて興奮した状態で押し寄せてきたのだ。小さい複眼でも猟犬くらいはあるし、大きい複眼は馬車くらいはある。


「むむむーっ!」

「お静かに。虫除けの香が焚かれているここは安全です」


 本当に!? と僕は目だけでスミレに問う。


「――多分」


 スミレーッッッ!!


 溶解性の鱗粉をばらまいて獲物を溶かし血肉を啜る硫酸蝶、強靱な脚で這い回り、見境なく噛み付く青銅オサムシ、集団で屍肉を引き裂くスカベンジャー。普段は大人しいけど血の臭いで発狂するツチアカゴ。


 そういう一匹だけでも危険極まる複眼が大量に、互いにぶつかり合いながら、時々威嚇したり噛み付いたり鳴いたりしつつ、僕たちの周りを忙しく嗅ぎ回っている。虫呼びの香に猛烈に興奮しているのがよく分かる。吐き気がしてきた。今すぐ逃げ出したいけど、そんなことをしたら絶対にこの虫たちに生きたまま八つ裂きにされる。


 発狂寸前の僕をよそに、スミレは目を閉じたまま静かにお茶を飲んでいる。刀と脇差は既に帯から抜いて並べて地面に置いてある。どこまでも自分を追い込む気だ。


「セシルが強くなりたいと言ってくれた時、私はとても嬉しかったのですよ」


 音に反応する複眼もいるのに、スミレはそれを知っていて、それでも静かに僕に話しかけてほほ笑む。


「ああ、この殿方となら、私は共に切磋琢磨していける、と心から感じられたのです。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてです」


 それは僕だって嬉しいけど、何もこんな頭のおかしい方法で鍛えなくてもいいじゃないか!


「私は、こうして――」


 スミレが言いかけた時、凄まじい金切り声が響き渡った。身が竦む。


「むーっ!」


 のっそりと密林の奥から出てきた複眼に、僕は今度こそ心臓が一瞬止まった。数メートルはある巨体と、全長に匹敵する長い二本の触角。全身から漂う生木と樹液の臭い。何よりも恐ろしいのは、潤滑油のような唾液を滴らせる大顎。大まかな外見はカミキリムシに近い。間違いない。滅多に姿を現さない、本来は深層に住む複眼――大樹の守護者だ。


「おや、どうやらここはあの複眼の巣に近かったようですね。喜ばしいです」


 頭のおかしいことを言うスミレ。


「むぐーっ! むむーっ!」

「しかしこれでは他の複眼が逃げてしまいますね。次回は場所を変えましょう。楽しみですね」

「むむむーっ!」


 僕は必死で首を左右に振る。絶対に嫌です!


 案の定、巨大カミキリムシである大樹の守護者は、自分の縄張りに不自然に集まってきた複眼たちが気に食わなかったらしい。甲殻を軋らせつつ、またあの耳をつんざく金切り声を放った。


「むーっ!」


 ああ、よく分かった。なぜ生物は威嚇する時叫ぶのか。身動きできない状態であの音を聞かされると、本当に心臓も呼吸も止まるほど怖い。


 体の震えが止まらない。失禁しないのが我ながら不思議なくらいだ。大樹の守護者は集まってきた複眼を蹴散らし始めた。さっさと逃げていく虫もいれば、逆上して襲いかかる複眼もいる。暴れるな! 騒ぐな! 触角が振り回され、無数の脚があちこちに突き出される。香炉がひっくり返されそうで気が気じゃない。


「私も、最初の肝試しは泣いてしまうほど恐ろしかったです」


 がたがた震える僕をよそに、スミレは相変わらず落ち着いたままそう言う。刀に手をかけることさえしない。本当に自分を追い込んでいる。


「しかし、兄上と姉上は毅然として私を参加させました」


 あの戦闘民族! スミレの奇行はあんたたちのせいなのか!


「ちなみにその時は――」


 最後の一匹である青銅オサムシを体当たりで吹っ飛ばし、大樹の守護者が集まった複眼を全部追い払ったその時だった。長い触角が鞭のようにしなり、僕たちの目の前にあった虫除けの香を吹っ飛ばした。


「おや」

「むーっ!?」


 遙か遠くに香炉が転がっていく。あああああ! どうしようどうしようどうしよう!



◆◆◆◆




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