第六話
明人の言葉は、今まで美月が持っていた固定観念を打ち砕いた。
『せっかく頑張ってるんだから、使えるものは何でも使えよ。どんな天才よりも、努力してる奴が成功すべきなんだから』
売れたキッカケが何であれ、実力が伴えばいい。実力さえ伴えば、売れた理由なんてどうでもよくなる。
単独ライブの日まで、あと約一ヶ月。
美月は動き始めた。
ライブのセットリストは、全十曲。
それに、もう一曲、アドリブ曲を付け加える。
もちろん、この曲を歌うには、愛奈や優里亜の賛成が必要だ。彼女達が納得できる曲を作らなければならない。
同時に、この曲を盛り上げる演出を作る。
平日の昼休み。
早々に昼食を済ますと、美月は、職員室に足を運んだ。去年の担任の、日野輝義を探す。彼は自席にいた。
「日野先生」
声を掛けると、日野は、面倒臭そうにこちらを向いた。
「どうした、北村。何か用か?」
年齢は確か、四十台後半だったか。額が後退している。昭和の時代を知る、事なかれ主義者。鳥取が流した噂についても、彼に軽く注意しただけで終わらせた。「自分はちゃんと行動した」という証明を残せば、問題解決なんてどうでもいい教師。
「去年、先生に相談したことなんですけど。鳥取先輩のこと」
「なんだ、今さら。俺はちゃんと、鳥取に注意したぞ」
日野の表情は、面倒臭そうであり、不機嫌そうでもあった。
「私、未だに、男子に変な風に声かけられるんですけど。鳥取先輩、全然、噂の訂正とかしてくれなくて」
「言っただろ、俺はちゃんと注意したって。これ以上、俺にどうしろって言うんだ?」
日野は小さく舌打ちした。本人は、聞こえないようにしたつもりなのだろう。美月の耳には、はっきりと聞こえていたが。音階が「シ」ということまで分かる。
日野の態度に苛ついたが、美月は、あえて悲しそうな顔を見せた。演技は得意だ。有名女優の娘なのだから。
「……もう、あんなふうに男子に声かけられるの、嫌なんです。噂が訂正されるようにしてほしいです」
日野は、わざとらしく大きな溜め息をついた。音階は「レ」だった。
「そんなこと、俺がどうにかできるわけないだろ。俺は、やることはやったんだ。後は自分でどうにかしろ」
突き放すように言うと、日野は、今度は下劣な顔を見せた。面倒事を持ち込んだ奴に、制裁を加えてやろう。そんな顔。
「それに、噂がいつまでも消えないのは、お前にも原因があるんじゃないのか?」
「……どういうことですか?」
「火のないところに煙は立たない、って言うだろ。心当たりがあるんじゃないのか?」
言葉とともに、日野は、美月の体を舐め回すように見てきた。スカートから出た足。歌うために鍛えた、引き締まったウエスト。それほど大きくないが、膨らみのある胸。
日野が、美月の相談を真剣に聞くはずがない。それは分かっていた。だから去年も、あの程度の対応しかしなかった。
今回も同じように、いい加減な対応をされるだろうと思っていた。けれど彼は、美月の想像以上に不誠実で気持ち悪い対応をしてきた。
吐き気すら覚えながら、美月は、それでも表情を崩さなかった。悲しそうな顔を維持した。全てを諦めるように、低く小さく呟いた。
「……そんなふうに言うなら、もういいです……」
そのまま日野に背を向け、職員室を後にした。
次の日の昼休み。
美月は、今度は鳥取のクラスに足を運んだ。彼に声をかけ、教室の外に連れ出す。
「鳥取先輩」
「何だよ?」
美月に呼び出された鳥取は、不機嫌そうだった。彼は、美月を口説き落とせなかった。さらに、美月を守ろうとした明人に脅された。今ではもう、美月に対して、身勝手な恨みしかないのだろう。
「俺はもう、お前に何もしてないぞ? 南をけしかけてきやがって。まだ何か文句あんのか?」
自分より弱い者にしか強気になれない、調子に乗った小物。鳥取を一言で表すなら、そんな男だった。だから、明人の脅しに屈した。だから、明人のいない場所では、不機嫌を露わにしている。
「噂、訂正してください」
泣きそうな表情をつくり、美月は鳥取を睨んだ。悲しくて苦しくて、たまらない。そんな様子を見せた。もちろん演技だが。
鳥取は大きな舌打ちをした。
「なんで俺がそんなことすんだよ? そもそも、お前が大人しく俺の言う通りにしてれば、こんなことはしなかったんだ」
小悪党によく似合う、理不尽で格好悪いセリフ。もしかしたら、この人、俳優に向いているのかも知れない。登場から十五分以内に死ぬ悪役限定だが。
自分の考えに吹き出しそうになりつつも、美月は表情を崩さなかった。
「私、もう嫌なんです。男子に、変な風に声かけられるの」
美月の悲しそうな顔を見て、鳥取の表情が一変した。不機嫌そうな顔から、意地の悪い笑顔になった。
「いいじゃねぇか。人気者で。どうせ、南にはヤらせてるんだろ?」
少し大げさに、美月は首を横に振った。
「そんなこと、してません」
「嘘つけよ。ヤらせたから、あいつ、お前に従ってるんだろ? 俺にはヤらせなかったくせに、あいつには簡単に落ちたんだな」
「違います。それに、鳥取先輩、私に告白してきたときに、彼女いたんですよね?」
美月は、鳥取の恋愛事情など知らない。カマをかけただけだ。
鳥取は簡単に引っ掛かってくれた。
「いいじゃねえか。あのときは、お前が一番だったんだ。他に女がいても。それなのに、あんな扱いしやがって」
もしこの場に愛奈がいたなら、鳥取の股間を蹴飛ばしていただろう。「女を何だと思ってるんだ」とか言って。
清々くらいのクズだ。
こんなクズなら、踏み台にしても心は痛まない。
「そんなふうに言うなら、もういいです」
涙を拭うように、美月は目を擦った。この仕草は少しわざとらしいかな、と胸中で呟いた。そのまま鳥取に背を向け、この場をあとにした。
鳥取に顔を見られない場所に来ると、美月は、唇の端を上げた。
――これで、曲に演出を加えることができる。