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第三話


 アマチュアバンドはお金がかかる。


 防音設備が整った場所など、ほとんどない。だから、ギターやベースにアンプを接続して練習することなど、滅多にない。


 愛奈も優里亜も、自宅で細々と練習しているという。


 ボーカルの美月も、彼女達と同じだった。自宅で、声を抑えて練習している。思い切り歌いたいときは、カラオケボックスに行っている。


 当然ながら、各自の練習だけでライブ本番を迎えるわけにはいかない。だから、一週間に一度だけ、スタジオを借りて音合わせの練習をする。そのときだけは、楽器にアンプを繋げられる。音量を気にせずに歌うこともできる。


 スタジオの利用料は、十二時~十七時で税抜き三五〇〇円。高校生にとっては安くない出費だ。


 だから、美月も愛奈も優里亜も、アルバイトをしている。


 もっとも、三人がアルバイトをしている理由は、スタジオを借りるためだけではない。


「――と、いうわけで。今日は楽しい音合わせの日です」

「何が『と、いうわけ』なの?」

「そういうツッコミはいいから」


 優里亜の言葉を、愛奈はサラリと受け流した。


 土曜日の昼間。午後十二時。


 美月は、愛奈や優里亜と、市内の貸しスタジオに来ていた。音合わせの練習。週一回の、一週間で一番楽しい時間。


 愛奈は、ファストフード店でアルバイトをしている。毎週土曜日は、午前中しかシフトに入らない。アルバイト中に変な男に声を掛けられることもあるが、弱気になることはない。小柄ながら気が強い。意思の強そうな眼差しに、性格が表れている。


 優里亜のアルバイトは新聞配達。土曜日の夕刊配達は毎週休みを取っている。気の抜けたような垂れ目の、温和そうな容貌。甘い物が好きで、アルバイトに新聞配達を選んだ理由は『ダイエットになりそうだから』だそうだ。


 美月は、父の会社で雑用のアルバイトをしていた。もっとも、二人とは違い、面接等をして採用されたのではない。アルバイトの保護者了承を得ようとしたが、父に反対されたのだ。


 アルバイトに反対されたのは、父が、自分の世間体を気にしたからだった。


『俺が、小遣いもやらない父親だと思われるだろ』


 小遣いが欲しいならやる。だから、アルバイトなんてするな。そう言う父と、言い争いになった。


 美月は、自分が稼いだ金で目標を叶えたかった。愛奈や優里亜と共有している目標。去年のライブイベントに参加したときに、三人で立てた目標。


『来年は、自分達の単独ライブをやる。いくつものバンドが乱立するライブイベントじゃなく、自分達だけの』


 当然、単独ライブをするためには金が必要だった。ライブ会場はMOON HALLにしようと決めた。でも、会場を押さえるだけでは、ライブはできない。チケットの作成、印刷料。入場者のチケットを切ったり、客対応をするスタッフの人件費。会場の音響調整の人件費。ライブ前やライブ後の清掃費。その他諸々。


 費用の概算を、父の秘書に頼んで出してもらった。


 わずか二時間程度のライブ。行なうための費用は、一〇〇万ほど。高校生にとっては、とてつもない金額だった。たとえチケットをソールドアウトできても、間違いなく赤字だろう。アマチュアバンドのチケット代に、高い値段は設定できない。あまりに高い値をつけてしまうと、チケットが売れなくて、それこそ大赤字だ。


 単独ライブをやりたいから、金が必要。その金は、自分で働いて稼ぎたい。親の七光りなんて、まっぴらだ。自分の気持ちを父に伝えると、彼は折衷案を用意した。


『それなら、俺の会社で雑用として働け』


 美月の性格を知っているからか、父は、身内贔屓などしなかった。外に何人も愛人がいる父。決して好きにはなれない。だが、こういったところは嫌いではない。母よりも、よほど好感が持てる。賢母の仮面を被りながら男にうつつを抜かす、母に比べたら。


 学校に通い、アルバイトをし、時間を見つけては練習をする。決して楽な日々ではない。それでも、美月のモチベーションは高かった。愛奈や優里亜も、たぶん美月と同じだろう。


 忘れられないのだ。去年のライブイベントが。


 去年のライブイベント。演奏し、歌ったのは、わずか三曲。


 一曲目が終わったとき、MOON HALLの建物が揺れたような気がした。それほどの歓声があがった。声援の量が、他のバンドとは桁違いだった。歓声とともに降り注ぐ、拍手の雨。拍手の豪雨。叩き付けるように、バチバチと降り注いだ。


 目の前の光景に、美月は息を呑んだ。愛奈や優里亜も同じだった。


 二曲目が始まると、椅子に座っていた二階席の客が、全員立ち上がった。曲のリズムの乗せて手を振り、あるいは跳びはねる。


 ラストの三曲目が終わると、一階も二階も、轟音のような歓声と拍手で溢れた。つめかけた客は、最大級の賛辞を与えてくれた。ただのアマチュアバンドである、自分達に。


 今でも思い出せる、あの日の興奮。高揚。気持ちの高鳴り。でも、歌ったのはたったの三曲。


 当たり前のように、三人には欲が出た。


 もっと歌いたい。もっと演奏したい。もっと聞いて欲しい。もっともっと上手くなって、もっともっと盛り上げたい。いくつものバンドのひとつじゃなく、自分達だけで。


『来年くらいを目標に、単独ライブをしよう』


 言い出しっぺは、誰だったか。もう覚えていない。けれど、三人とも思っていたこと。自分達だけのライブがしたい。


 愛奈と優里亜は、さっそくアルバイトを始めた。美月も彼女達に続いた。慌ただしい毎日が始まった。


 学校と、アルバイトと、練習。それ以外の時間なんて、ほとんどない。彼氏をつくっている暇も、友達と街に繰り出す時間も、のんびり昼まで眠る休日もない。


 それでも、楽しかった。去年のライブの興奮を思い出すと、いくらでも頑張れた。


 いや。頑張る、という表現は間違っている。ただひたすらに楽しいのだ。愛奈が弾くギター。優里亜のベースが作り出す音。彼女達の演奏に、歌を乗せる。家で練習するときは声を抑えているし、カラオケでは自分達の曲を歌えない。


 スタジオでの練習のときだけ、全部を解放できる。


 愛奈がギターを弾き始めた。彼女が作詞作曲した曲。優里亜のベースが、音を支える。約三十秒のイントロ。曲の歌い出し直前で、愛奈がギターの音を強めた。


 それが合図のように、美月は腹から声を出した。


 ドラム不在のスリーピースバンド。でも、不足なんて感じない。


『信用できない人を入れるくらいなら、三人でやった方がいいんじゃない?』


 去年のライブの後、美月は、助っ人のドラマーに口説かれた。断っても断っても、しつこく口説かれた。愛奈に股間を蹴られて、そのドラマーはようやく諦めた。


 三人でライブをしようと決めたときに、ドラムをどうするか話し合った。結論を出したのは、優里亜だった。三人でやる。


 美月も愛奈も、反対しなかった。


 ドラムがいた方が、いい音を出せるかも知れない。でも、不確定なことのために、信頼できない人をバンドに混ぜたくない。


 愛奈のギターは、彼女の性格通りに攻撃的だ。鋭い音。作る曲まで攻撃的。気持ちを高揚させ、心を沸き立たせる。

 

 優里亜のベースは、やや独特だ。ときとして、必要以上の存在感を出す。彼女の作る曲は、奏でるベースとは裏腹に、癖がない。誰にでも受け入れやすそうな曲。


 美月は、自分の歌声に自信があった。声はよく響き、空気を貫くように通り抜ける。音域も広く、様々なミックスボイスを使える。作詞作曲はできるものの、「自分らしい曲」というもののイメージはまだ掴めていない。


 自分達の実力は、去年のライブが証明してくれた。あの日MOON HALLに集まった、三〇〇人ほどの客が。


 彼等がくれた、豪雨のような拍手。地鳴りのような歓声。


 それでもまだ、自分達は発展途上。もっと上手くなって、もっと多くの人に聞いてもらいたい。もっと広く知られたい。


 実力だけで、のし上がりたい。


 正直なところ、名前を売るだけなら簡単だった。少なくとも、美月にとっては。自分には「華村真美の娘」というステータスがある。それを吹聴すれば、音楽に興味のない人にも注目されるだろう。


 けれど、そんな格好悪いことはしたくなかった。そんなことをしなくても、自分達ならできると思っていた。


 目標の単独ライブに向かって。その先にある、拍手と歓声に応えるように。


 美月は腹から声を出した。


 頭の中に、ライブ会場が思い浮かぶ。熱狂する観客。最前列で、客が、夢中になって手を振っている。頭の中の映像が、目の前にあるように想像できた。あまりにリアルに。興奮の熱量すら、感じられるほどに。


 一年近く経った今でも、あのライブは忘れられない。


 でも、ただひとつ。現実に見た光景とは違う映像が、浮かび上がっていた。


 美月の記憶にある、ライブ会場。


 最前列には、明人がいた。


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