第九話
愛奈が作った曲は、攻撃的で挑発的。
優里亜の曲は、癖がなく胸に刺さる。
美月の曲は、独特であり、どこか尖っている。
三人が、それぞれ作った曲。個性のある曲が、入れ替わり立ち替わり演奏され、歌われる。まったく違う特徴の曲ばかり。だからこそ、頭打ちになることなく、客に楽しんでもらえた。
このライブは、会場での録画を禁止していない。客の中には、スマートフォンで録画している人もチラホラいた。ポツリポツリと見える、スマートフォンのライト。まるで、都会の星空のようだった。
熱く暑いライブハウス。一曲ごとに、熱気が増してゆく。
温度と雰囲気で、美月は、汗ビッショリになっていた。Tシャツが体に張り付りついている。体の線が出て、ついでに下着のラインも出そうで、少し恥ずかしい。でも、そんな恥ずかしさよりも、楽しさの方が上回っていた。
十曲、全部終わった。途中でMCも入れたが、予定通りの時間だ。残り十五分ほど。
美月は腹から声を出し、喉に負担をかけないように歌う。喉は消耗品。だからこそ、大切にしないといけない。ケアは怠っていない。それでも、立て続けに十曲も歌えば、多少なりとも枯れてくる。
本来なら、最後の十曲目で、このライブは終わるはずだった。
でも、この後、アドリブ曲を披露する。ほんの数日前に、急ピッチで作成した曲。他の曲より短くて、他の曲より単純な構成の、けれどひたすら尖った曲。
ライブハウスには、今までの曲の余韻が残っている。
集まった客達。客席一階最前列にいる、美月にとってのVIP。マイクを通して、美月は、彼等に語りかけた。
「今日は、本当に楽しみました。本当に楽しかったです。単独ライブをやるのを目標にして、去年から、愛奈や優里亜とバイトして。一生懸命お金貯めて。正直、結構大変だった。けど、こんなに楽しいんなら、頑張った甲斐があったなー、って思えます」
美月はTシャツの首元を摘まみ、パタパタと煽った。暑い。汗でベタベタだ。
「外は真冬で極寒なのに、ここは本当に暑いですよね。もう、汗でベッタベタ。化粧も落ちてる気がするし、Tシャツは体に張り付いてるし。下着のライン、出てないですよね? 出てたら少し恥ずかしいな」
客席から「大丈夫だよ!」だの「化粧が落ちても可愛いよ!」と言った声が返ってきた。応えるように、美月は手を振った。声の主がどこにいるのか、分からなかったが。
「それで、と。本当は、今までの十曲で終わりの予定だったんです。でも、少し前に、一曲だけ増やしたんです。ちょっと短めの曲。愛奈や優里亜と話し合って、最後にアドリブ的な感じでやろうかな、って」
客席から声が上がった。言葉にならない声。だが、もう一曲あることを喜んでくれているのが分かる。
「ちなみに最後の曲、タイトルがすっごく長いんです。どれくらい長いかと言えば、正確に覚えられないくらいに長いの。だから、実は、カンペも用意してます」
客席から笑い声が上がった。
客と一緒に笑いながら、美月は、右ポケットをまさぐった。曲のタイトルを書いた、メモ帳の切れ端。汗で湿っていた。
メモを開いて、曲のタイトルを読み上げる。
「えー。『事なかれ主義の聖職者とか、女を穴としか思ってないヤリチン野郎とか、嘘にまみれたビッチマザー』」
今までの歓声とは違う意味で、客席がザワついた。だが、想定内だ。
美月はマイクを上げ、愛奈と優里亜に合図を送った。彼女達が頷いた。
ラストの曲のイントロが始まる。単調な曲調。それでも、優里亜の独特なベースが、単調さを感じさせない。
これから歌う、尖った歌詞。愛奈の攻撃的なギターが、その破壊力を増長させる。
イントロ終了間近。
美月は、大きく息を吸い込んだ。
歌詞部分が始まる。
思い切り、腹から声を出した。歌うのではなく、叫ぶように。まるで、ただの主張のように。
『先生
助けてください
私
イジメられてるんです』
『手を差し伸べる先生
でもそれは偽り
解決までの最短ルート
手の掛からない最短ルート』
『嘘つきの聖職者
優しい仮面を被ってる
仮面を取るとただの怠惰
痛みを無視して楽をする』
曲の最初のサビが終わり、間奏に入った。
美月は、ポケットからスマートフォンを取り出した。録音した音声を画面上に出す。マイクに近付け、音声を再生。約一ヶ月前に録音した音声。
ある程度、音声の編集はした。実名が出ないように。話が、合間なく続くように。
『(ピー)先生』
『どうした、(ピー)。何か用か?』
『去年、先生に相談したことなんですけど。(ピー)先輩のこと』
『なんだ、今さら。俺はちゃんと、(ピー)に注意したぞ』
『私、未だに、男子に変な風に声かけられるんですけど。(ピー)先輩、全然、噂の訂正とかしてくれなくて』
『言っただろ、俺はちゃんと注意したって。これ以上、俺にどうしろって言うんだ?』
『……もう、あんなふうに男子に声かけられるの、嫌なんです。噂が訂正されるようにしてほしいです』
『そんなこと、俺がどうにかできるわけないだろ。俺は、やることはやったんだ。後は自分でどうにかしろ』
『それに、噂がいつまでも消えないのは、お前にも原因があるんじゃないのか?』
『……どういうことですか?』
『火のないところに煙は立たない、って言うだろ。心当たりがあるんじゃないのか?』
『……そんなふうに言うなら、もういいです……』
客席がザワついていた。みんなの視線が、美月に集中している。色々な感情が入り交じった、視線達。でも、悪意のある視線ではなかった。
ひとりだけ、楽しそうな顔の客がいる。明人だ。
間奏が終わった。
美月は、大きく息を吸い込んだ。
再び、歌い出す。
『先輩
やめてください
私
あなたとは付き合えない』
『いい女がいれば口説く
脳ミソは下半身
ベッドインまでの最短ルート
ヤリたいだけの色情狂』
『スケベ心の先輩
いい男のフリをしてる
実はただのヤリチン野郎
女をただの穴扱い』
二番目のサビが終わり、間奏に入った。
美月は再び、スマートフォンに入っている音声を再生させた。
『(ピー)先輩』
『何だよ?』
『俺はもう、お前に何もしてないぞ? (ピー)をけしかけてきやがって。まだ何か文句あんのか?』
『噂、訂正してください』
『なんで俺がそんなことすんだよ? そもそも、お前が大人しく俺の言う通りにしてれば、こんなことはしなかったんだ』
『私、もう嫌なんです。男子に、変な風に声かけられるの』
『いいじゃねぇか。人気者で。どうせ、(ピー)にはヤらせてるんだろ?』
『そんなこと、してません』
『嘘つけよ。ヤらせたから、あいつ、お前に従ってるんだろ? 俺にはヤらせなかったくせに、あいつには簡単に落ちたんだな』
『違います。それに、(ピー)先輩、私に告白してきたときに、彼女いたんですよね?』
『いいじゃねえか。あのときは、お前が一番だったんだ。他に女がいても。それなのに、あんな扱いしやがって』
『そんなふうに言うなら、もういいです』
客席から、歓声が上がり始めた。美月が流した、生々しい会話。生々しくて当然なのだ。ある程度編集しているとはいえ、これは、実際の会話なのだから。
だが、MOON HALLに集まった客は、歌詞に交じるセリフだと思ったのだろう。今までの曲と同じようにノってくれた。
客の中でただ一人、明人だけが事実を知っている。
彼は、楽しそうに笑っていた。他の客と同じように、歓声を上げながら。
間奏が終わった。
三番の歌詞。
美月は、腹に思い切り力を入れた。
感じた不快感も、気持ち悪さも、全部全部吐き出す。
辛いことも、苦しいことも、悲しいことも。何もかも、高く飛ぶための踏み台にする。
『お母さん
お弁当作って
私
あなたの子なんだよ』
『外ではいいお母さん
そんな姿は嘘
素敵なママへの最短ルート
本当はお股の緩い女』
『綺麗で優しいマザー
ベストと称えられる母
一皮剥ければただのビッチ
パパじゃない人とベッドイン』
最後の間奏に入った。
美月は、マイクスタンドの側の箱を開けた。
コピー用紙がビッシリと詰まっている。
母の――華村真美の不倫報道。それをすっぱ抜いた、週刊誌の記事。三〇〇枚以上の、記事のコピー。
コピー用紙を鷲掴みにし、美月は、会場に向かって撒き散らした。
空調の緩い風に乗って、コピー用紙が、ヒラヒラと宙を舞った。
観客達が、コピー用紙を受け取っていた。
コピー用紙をばら撒きながら、美月は、何度もシャウトした。
「my mother!」
「my mother!」
「my mother!」
「my mother!」
もちろん、ばら撒いたコピー用紙は、一階前列にしか届かない。
コピー用紙を手にした人達は、何度も、記事と美月を交互に見ていた。
気付いただろう。美月が、何者なのか。
このライブは、スマートフォンでの録画を禁じていない。
ライブ開始直後は、ポツリポツリと、スマートフォンのライトが見えていた。
そのライトの数が、ここにきて一気に増えた。夜の山頂で見る、星空のように。
無数の星が、美月達の前で輝いている。
最後の間奏が終わった。
曲の締め。
力を振り絞るように、美月は叫んだ。
愛奈のギターと優里亜のベースに乗せて、気持ちを吐き出した。
『どいつもこいつも嘘つきで
どいつもこいつも下衆野郎
そんな奴等に囲まれても
私はひたすら歌を歌う』
『ただひたすらに
魂を吐き出すように
好きな人に届くように』
『歌を歌う』
歌詞の最後を、息の続く限り伸ばした。
やがて、肺に貯めた空気がなくなった。
山彦が消えてゆくように、最後の曲が終わった。
直後、会場から音が消えた。
熱気に包まれた会場が、静まりかえった。
熱戦直後に、脱力したように。
盛り上がった祭りの、余韻のように。
美月は大きく息を吸い、大きく吐いた。額から流れた汗は、頬を伝っていた。
静寂の後。
怒号のような拍手と歓声が押し寄せた。
去年のライブイベントで演奏した曲は、たった三曲。
それでも、豪雨のような拍手と歓声に包まれた。
今回は、去年なんて比べものにならなかった。
豪雨なんて程度じゃない。
空から降り注ぐ流星のようだった。
数え切れないほどの星々が、自分達に降ってくる。
美月は両手を広げ、天を仰いだ。向かってくる流星の全てを、自分の身で浴びるように。
少しだけ視線を移して、愛奈や優里亜を見た。彼女達は顔を見合わせながら、本当に楽しそうに、本当に嬉しそうに笑っていた。
客席一階の中央部。明人がいる。
彼と、目が合った。
明人は、他の客と同じように、夢中になって拍手をしていた。
美月は彼に向かい、ニッと歯を見せて笑いかけた。
頬が紅潮している。顔が熱い。
それは決して、ライブの興奮のせいだけではない。