7-1.割れた期待を踏み付けて
母親は翠が学力をキープするために、部屋に籠もってずっと勉強をしていると思っている。だが実際は、翌日の予習復習と宿題の全てを終わらせるために約一時間半くらい机に向かっているだけだ。
後はもっぱらスマホでゲームをしているか、音楽を聞いているか。芸術に対して敬愛の念を強く持つドイツ出身の母親は、音楽については甘いのだ。その一方でテレビ、ゲーム、漫画等のエンタメについては口煩く言われる。ただその音楽についても、最近は咎められることが増えている。
テレビはリビングに一台だけ。ゲーム機は勿論買って貰えないし、買うことも禁止。本はまだしも、漫画なんて以ての外。小さい頃に家族で出掛ける先といえば美術館や博物館、時々ミュージカル。ざっくり言うと、許されているのは芸術と勉強のみ。
そうやって厳しく強制していれば、子どもが芸術的な感性を育てながらも健やかに真っ直ぐ育っていくと信じているのだ。
ひと昔前ならそれで子どもをコントロール出来たかもしれないが、今はスマホがあれば自由に遊べる。なので部屋に籠もって過ごすことで母親との面倒臭い衝突を避けつつ娯楽を楽しむという抜け道を作っている。
それに、翠は中学校に入学してからずっと中間テストでも期末テストでも学年一位を取ってきた。結果があれば、その成績をキープしてさえいれば文句も言えないのだ。
勉強を終えるとベッドに寝そべりスマホを弄る。ずらり並ぶアプリの中でも、最近インストールしたばかりのゲームにハマっている。オンラインでも対戦できる格闘ゲームだ。
ゲームをしていると、トントン、とノックする音と
「翠、入っていいか?」
とドア越しに声を掛けられる。
反射的にベッドから飛び上がり、机に向かう。閉じてあった教科書とノートをさっと開く。あたかも勉強中であるかのようにポーズを決めたところで、
「いいよ、藍兄さん」
そう言うとガチャリとドアを開けて藍兄さんが入ってきた。
一つ年上の兄である尾方 藍は高校一年生。二人が通っている学校は中間一貫校だが、中等部と高等部では校舎が違うため校内で会うことはない。同じように英才教育を受けていたはずの藍兄さんだが、高等部に上がってからは部活動に勤しみ、帰宅時間が遅くなった。
藍兄さんの部活動への熱意に比例するかのように、成績がどんどん落ちていると母親が嘆いていた。
「勉強してるところ邪魔して悪いな」
先程まで翠が寝転んでゲームをしていたベッドに腰掛けながら、藍兄さんは話しかけてくる。
「大丈夫だよ」
もう終わってるから、と思っても口に出すことはしない。でも出来れば、ベッドには腰掛けないで欲しいと思う。
翠のギフトでは、自分に対する期待が可視化される。吹き出しに書いてあるのように見えるのだ。
《翠の気持ちが変わらないで欲しい》
ああ、それだってもう解っている。
「翠は本当に真面目だよな。またテストが学年一位だったって、母さんが喜んでたよ」
藍兄さんは、たまにこうやって翠の様子を確認しに来る。
《翠の方が優秀なんだから、病院を継ぐと自ら言って欲しい》
さて、その期待には何て言おうか。
「成績が落ちないように、これからも精一杯頑張るよ」
翠がそう言うと、藍兄さんはまだ何か言いたそうにしていたものの大人しく部屋から出ていった。
ふーっと長く息を吐く。何とか割れずに済んだ。
翠には自分に対する期待が吹き出しに書いてあるように見える。まるで漫画の世界だ。漫画と違っているのは、その期待に沿えなかった時、まるで硝子が割れるかのように音を立ててその期待は崩れ落ちる。崩れ落ちた期待の破片は、ご丁寧にざりざりと砂利のような感触まであるのだ。




