4-4.嫌な予感
――やめろ、やめろ、やめろ。
海鈴の頭の中で警鐘が鳴り響く。
それでも、咄嗟に声を掛けてしまう。
「あのっ、三好先輩!……袖のところ、ボタンが取れかけてますよ?」
三好先輩は左右の手首を確認して、
「あ、本当だ」
と言った。右手側の袖のボタンが外れそうだった。これ以上踏み込んではいけないと思っているのに、口が勝手に動く。
「……良かったら直しましょうか?」
鞄のポケットからソーイングセットを出すと、
「みすずんってボタン付けられるの? さっすが〜!」
海鈴の思いとは裏腹に今藤 紗綾は能天気な明るい声を上げた。
三好先輩に手のひらを上に向けてもらい、ボタンの穴に針を通していく。
「二人は付き合うことになったって聞きました。……今藤さん、本当に喜んでましたよ」
占い師としてお客様の情報を引き出す時の要領で話しながら表情を盗み見ると、三好先輩は顔を背けた。
「はは……恥ずかしいな」
【そーゆうの本当にダルい。どうせ一回ヤったら別れるつもりだし、言いふらされたらウザいな】
ボタンを付けながら、手のひらでとぐろのように渦巻く文字を見て海鈴は唾を飲み込んだ。
どうしよう。嫌な予感が当たってしまった。しかも、最悪だ。
「ありがと、笠井さん。助かった!」
三好先輩は海鈴が付けた袖のボタンを見て満足気に笑顔を見せる。そんな彼に寄り添うようにして今藤 紗綾も笑顔で海鈴に手を振った。
「それじゃ、私そろそろ行くねっ! また明日!」
【三好先輩とお付き合いできて、みすずんにも報告できて、私めっちゃ幸せだぁ】
幸せという文字を見て、頭がぐるぐる回る。
――やめろ、やめろ、関わるな。私には関係ない。
「こっ、今藤さん!」
海鈴に呼び止められて、今藤 紗綾は驚いた表情を見せた。
「ちょっとだけ……、手伝って欲しいんだけど…」
その言葉に、更に目を丸くしている。海鈴が今藤 紗綾を呼び止めて、さらに手伝いを求めるなんて初めてだったのだ。
「じゃ、俺は先に戻ってるから」
そんな二人の空気を察してか、三好先輩は教室を離れて行く。今藤 紗綾は嬉しそうに声を上げた。
「初めてみすずんから頼られちゃった! 嬉しい!」
そして近くに置いてある刷毛を手に取り、やる気満々でペンキに手を伸ばした。
しばらく二人は無言でペンキを塗り進めた。
今藤 紗綾は鼻歌交じりで手を動かしていて、このまま何も言わなければ彼女は幸せな気持ちのまま過ごせるのだと海鈴は自分に何度も言い聞かせた。
それでも。
「……今藤さん、あの人と付き合うの……良くないと思う」
口の中が乾いてパサパサしていた。緊張で汗をかいていた手が、足先が、どんどん冷たくなっていくのがわかる。心臓の鼓動が、五月蝿い。
海鈴の言葉に、今藤 紗綾は引き攣った笑顔を見せた。
「三好先輩のこと?……どうして? みすずん、先輩と面識あったの?」
「……面識は、ない……けど」
手のひらの文字を見た、なんて言えない。なんて返そうか言い淀んでいると、
「私、一年生の時からずっと片思いしてたの。みすずんは三好先輩のこと何も知らないくせに、なんでそんなこと言うの? なんでそう思うの?」
今藤 紗綾は落ち着いていた。手を止めて、じっと真っ直ぐに海鈴を見据えている。対する海鈴はたじろぎ、沈黙するだけだった。
「ねぇ、なんで何も言わないの? 私、ずっと、みすずんと仲良くなりたいって思ってきたよ。ねぇ、みすずん」
海鈴は何も言えないまま、彼女から目が離せなかった。
「みすずんは私と、仲良くなりたいなんて思ってないんでしょう?」
今藤 紗綾は静かに涙を流した。
その日から、今藤 紗綾は海鈴に付き纏うのをやめた。
教室を移動する時、休み時間、トイレに行く時、お昼休み、体育の授業中、海鈴は一人になった。
ずっと彼女から離れたいと思ってきたのだ。一人になりたかったのだ。願いが叶ったじゃないか。苛立ちの原因が一つ消えたのだ。それなのに海鈴の心は浮かずにズキズキと痛んだ。




