4-1.苛立ちの原因
九月になり、今日から二学期が始まった。
猛暑も過ぎて窓から心地よい風が吹き込んでくる。風になびくカーテンが少し鬱陶しいが、教室の一番後ろ、かつ窓側のこの席は今の季節は特等席だ。同級生の話し声で賑わう教室で、特等席から校庭を見つめる笠井 海鈴は苛立っていた。
その原因はいくつもあった。
まず一つは、アルバイト先の年上の後輩である谷崎のことだ。彼は仕事中、ことごとく失敗を重ねた。お皿を割る、オーダーを間違える、お釣りを多く渡してしまう等の初歩的なことを繰り返した。
なんでも夏休み中に知人を亡くしたらしく、仕事に集中ができていないことは明白だった。そりゃ、落ち込むのはしょうがない。しかし彼がやらかしたミスのフォローは海鈴が行う羽目になっている。
さらに腹立たしいのは、その谷崎にしーちゃんが懐いていること。誕生日パーティーでも谷崎と結婚するなんて言い出した。まだ小学一年生の女の子の言うことではあるが、あんな頼りないヤツの何がいいのか、さっぱりわからない。
そしてもう一つは、
「みすずんっ! 全校集会だよ! 体育館に移動だよー! 一緒に行こうっ」
そう言って抱きついてくる、今藤 紗綾だ。
海鈴は高校に入学してから、新しい友人を作る気はさらさらなかった。
高校一年生の時は特定のグループには所属せず、自由気ままに過ごしていた。かと言って一匹狼という訳ではない。学校というものは、何かとグループを組まなければならないことが多い。そのため海鈴はどのグループともそこそこ話をする、渡り鳥のような学校生活を送っていた。
その距離感が、人の思考が見えるギフトを持つ海鈴にはちょうど良かったのだ。だから進級しても一年生の時と同じように、誰かと特別に仲良く過ごすつもりは毛頭なかった。
クラス替えが発表された日、後ろの席に座っていた初対面の彼女に肩を叩かれ、振り向きざまに
「私、今藤 紗綾! これからよろしくね!」
と自己紹介された時だって
「私は笠井 海鈴。よろしく、今藤さん」
それだけで会話を切り上げたのだ。深入りする気もさせる気もなかったのに、何が気に入ったのか今藤 紗綾は海鈴にずっと付き纏っている。教室を移動する時、休み時間、トイレに行く時、お昼休み、体育の授業中、必ず海鈴に話しかけてくる。彼女は海鈴のことを「みすずん」と呼ぶが、それだって許可した記憶はない。
海鈴と一緒にいないと彼女が一人きりになってしまうのであれば、その行動は理解ができた。だが女子バスケットボール部に所属している彼女は、新しいクラスでも何人か同じ部活の友人がいた。親しげにお喋りもしていて、放課後は一緒に部活動へ向かっている。決して仲違いしている訳ではないのだ。
一学期は新しいクラスに馴染もうと意図的に今まで関わりがなかった人物に話しかけたりもするが、夏休み中の部活動で今藤 紗綾は他の部員と更に仲を深めるはず。夏休みが明けたら海鈴は晴れて御役御免となり、彼女とは自然と距離が離れるものと高を括っていた。
だが、そんな予想は見事に打ち砕かれた。
「みすずん、はい、これ! 夏休みに家族旅行で熱海に行ったからお土産っ! お揃いで買っちゃったぁ!」
と言って、海鈴が登校するなり和柄のうさぎがプリントされたハンカチを彼女が渡してきた時は酷く絶望した。
別に今藤 紗綾の性格が悪くて距離を取りたいわけではない。むしろ単純で、素直で、明るくて良い子だ。ただ、身振り手振りが激しいのだ。
お土産を受け取った時も、
「……ありがとう、今藤さんからお土産を貰えるなんて思ってなかった。ちょっとびっくりした」
なんて素っ気なく対応しているのに、
「気にしないで! 私がみすずんとお揃いにしたかったの!」
なんて言って、大げさに手を振る仕草をみせる。彼女の手のひらには、
【みすずん、ハンカチ使ってくれるかなぁ〜! 受け取ってくれて嬉しい!】
と円を描くように文字が渦巻いている。そんな風に思って貰えることに嫌な気はしないが、その無防備に晒す手のひらに苛立つのだ。遠回しに突き放しても突き放しても、伝わらない。
今藤 紗綾は海鈴の腕を取って体育館へ向かう。彼女との会話はキャッチボールではなく、海鈴はただ相槌を打つだけだ。
――勘弁してよ。
一日中溜息が止まらなかった。




