3-1.秘密はぶら下がっている
加納 詩織はホワイトボードを見つめて座っていた。
時刻は朝の七時半。自室の机にてホワイトボードに秘密を書き込もうとしてから、かれこれ二十分は経ったところだ。
机の上には登校準備を終えた赤いランドセル。ランドセルの上には眼鏡。カチコチと時計の秒針の音が詩織を急かしていた。
五日後には小学一年生の一学期が終わり夏休みを迎えようとしているが、詩織は入学式の日に行ったきりずっと教室へ足を運べていなかった。
今まで、色んな秘密をホワイトボードに記してきた。
『かいだんでころんだ』
『おばけがこわい』
『さんすうきらい』
『ピーマンのこした』
『はしるのおそい』
『ちょうむすびできない』
『きゅう食のこした』
けれど、肝心なことは何一つ記せていなかった。
――しおりの、本当のひみつ。
ごくりと唾を飲み込む。ペンを持つ手に力が入り、ホワイトボードと擦れてギュギュギュと嫌な音を立てた。
――パパと、ママは……
そこまで書いたところで、コンコンと部屋のドアをノックする音。慌ててホワイトボードを腕で隠した。
「しーちゃん、朝ごはんできたわよぉ」
橘 龍之助が部屋に入ってくる。詩織のことは叔父である彼が面倒を見ている。
「ありがと……いま行くね」
叔父に早く部屋から立ち去って欲しくてそう言ったが、ホワイトボードを見られてしまったらしい。龍之助の曇った表情に胸がきゅうと締め付けられる。
「アタシはしーちゃんのことが本当に大好きよ。今日一日、元気で過ごしてくれるだけで、アタシは幸せなの。これだけは信じてね」
そう言って龍之助は詩織を優しく抱きしめた。
龍之助はあの日から何度も何度もそんな優しい言葉をかけてくれる。そのことは詩織は素直に嬉しいと感じていた。
しかし、いくら嬉しいと思っても詩織の中に広がった空洞は埋まらず、罪悪感に焦燥感、孤独は募るばかりで、そんな自分に気づいて欲しくなくて、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
ただ、詩織にはそんな気持ちを表す言葉が思いつかないし、彼に伝える勇気もなかった。結局はいつも、
「しおりも、りゅーちゃんのこと……大すきだよ」
そんな風に誤魔化してばかりだ。
「これからの秘密は、これにしましょ」
龍之助は詩織が書きかけていたホワイトボードを手に取って、『めがねが大切』と書いた。
「これも秘密で間違ってないでしょう?」
龍之助は詩織の頭を撫でると、
「さぁさ、朝ごはんにしましょ! 今日の卵焼きは特に上手にできたのよ」
と言って詩織の手を引いてリビングへ向かった。
――りゅーちゃんにまた心ぱいかけちゃった。しおりはわるい子だ。
詩織は自分の中の空洞が広がっていくような気がした。




