2-3.凧揚げアニキ
そんな凧揚げアニキが、今日はなんだか様子が変だ。手が滑るようで、藤川酒店の文字が入った前掛けでやたら手汗を拭っている。
「蒔田さん、今日はなんだか元気がないですね。体調が悪いんですか?」
「えっ? あっ……あはは、そうですかねぇ……。体調は悪くないんですけれどもねぇ〜……」
「なぁに蒔ちゃん、何かお悩み事? もしかして、恋のお悩みぃ?」
目ざとくママが食いついてくる。そんなママの言葉に蒔田さんはわかり易く顔を赤面させた。
「こっこここ、恋だなんて! いい年した僕がっすよ! いや、恋なんて……」
「うっそぉ、やっだぁっ! 恋愛するのに年齢なんて関係ないじゃなぁい。それに蒔ちゃんだってまだ若いわよ! で、相手はどんな子なの!?」
ママは蒔田さんの恋バナに興味津々で、先程少年に突っかかられた時は淡々とレモンを切っていたが、今は完全に手元がお留守である。
「いやぁ〜……。実はその、さっきエレベーターで乗り合わせた女性がね、ドアを開けてくれた時の笑顔が可愛らしくて……。お恥ずかしい話ですが、一目惚れというか……。僕は今年で45才になりますが、今まで一人で趣味を満喫しながら過ごしてきたもんで、恋愛事には疎くてですね……。いや、全くお恥ずかしい……」
照れ臭そうに話す凧揚げアニキに、不覚にもキュンとしてしまった。
詩織も蚊の鳴くような声で
「……ひとめ、ぼれ」
と呟き、キラキラと眼鏡の奥の瞳を輝かせている。こちらも興味津々のようだ。小学一年生といっても立派な女性である。
凧揚げアニキの恋バナで盛り上がっているところに、またカランカランとベルが鳴り扉が開いた。
「ママ〜ぁ、オツカレサマね! シフト出すの忘れテタから持って来たのヨ〜!」
カタコトの日本語を喋りながら入ってきたのは、占いの館で働く李 蘭玲さんだ。
いつも元気で明るく、頭のてっぺんで一つにまとめたお団子ヘアがトレードマークである。そして彼女の顔には“珈琲を淹れる”と書いてある。その文字の下には小さな花がいくつも咲いているように見えるので、割と特技を生かせているのだと思う。
「蘭玲ちゃん、今日もお疲れ様。シフトを持ってきてくれたのね。ありがと」
ママと李 蘭玲さんが話す横で、蒔田さんが顔を真っ赤にして黙り込んでいる。
おやおや、これは。
「ソレじゃ、またネ!」
李 蘭玲さんは笑顔でその場の全員に手を振ると、早々に店を後にした。バタンと扉が閉まると、蒔田さんはふーっと息を吐く。
「蒔田さんが一目惚れした相手って、もしかして今の……?」
と聞くと、蒔田さんの真っ赤に染まった顔から更に蒸気が登る。言葉通り茹でダコのようだ。
「えぇ……蒔ちゃんが好きになった相手って、蘭玲ちゃんだったの?」
先程のテンションの高さとはうってかわって、ママの反応は微妙であった。そんなママのテンションの差を察した蒔田さんはガックリと肩を落とした。
「も、もしかして彼氏がいるんですか? あんな素敵な方ですもんね……。恋人が居ない方がおかしいですよね」
「ごめんなさい、そうじゃないのよ! ええとね、蘭玲ちゃんは留学生なのよ。来年大学を卒業した後は、中国に帰るって聞いてたからつい……」
ママは慌てて説明するが、李 蘭玲さんが帰国する予定だと聞いた蒔田さんは生気が抜けたような表情をしている。
「例え遠距離恋愛になったって、今はビデオ通話もあるんだから大丈夫よ! それに、もし振られちゃったらアタシが慰めてあげるわ。アタシ、蒔ちゃんみたいなダンディな男がタイプなのよぉ」
ママは慰めつつアピールするが、対する蒔田さんは完全にジョークだと思ったようで
「もうやだなぁ、ママってば〜。褒めるのが上手いんだから!」
と笑った。ママも一緒になって笑っているが、ママが獲物を狩る目ようなをしていたことを俺は見逃さなかった。
そんな二人を見て詩織は真剣な表情で
「……これが、さんかくかんけい……」
と呟いたが、そういう言葉はどこで覚えてくるんだろうか。子供と侮るなかれ、やはり立派な女性なのだ。