10-2.悪いことは重なる
悪いことは重なるとは、よく言ったものだ。
「あれっ、もしかして橘さんですか?」
カウンター席に腰掛けるなり声を掛けてきた男性客の顔を見て、龍之助は頭を傾げる。
「管理部でお世話になってた吉瀬です! って言っても橘さんはすぐに昇進しちゃいましたけど」
調子の良い喋り方に、片側だけ上がる口角と目尻。特徴的なニヤケ顔と共に会社員時代の記憶が蘇ってくる。
「あぁ、吉瀬君……。久しぶりね」
「やっぱり! こんなところで会えるなんて!」
大袈裟なくらい大きなリアクションを取る彼に思わず苦笑いをすると、
「ママのお知り合いですか?」
ヒカルちゃんがキョトンとした顔でこちらを見てくる。あの頃の自分とはとっくに決別しているはずなのに、
「えぇ、ちょっとね」
なんて誤魔化してしまう。
「あの頃と全然見た目が違うからまさかと思ったんですけど、お元気そうで何よりです。会社を辞めてお店をやってるって話は本当だったんですねぇ! あっ、こっちは後輩の深澄です!」
急に紹介された深澄という男は気まずそうにこちらを伺いながら小さく会釈した。
「橘さん、折角常務まで登りつめたのに急に退職しちゃうから挨拶も出来なくて。今日会えたのは奇跡ですね!」
関心するくらい流暢にペラペラと話し続ける吉瀬に
「ご注文はお決まりですか?」
見兼ねたヒカルちゃんが割って入ってくれたので、大人気なく助かったと思ってしまう。
ミキシンググラスにドライ・ジンとフレンチベルモットを注ぎステアをしていると、深澄という若い男が吉瀬に耳打ちする声が聞こえてくる。
「もしかして橘さんってあの社長の……」
「そうそう、例のアレね」
ニヤニヤとしながらも同情を含んだ表情をする二人を見るに、自分のしょうもない退職理由が未だ語られているらしいと龍之助は悟った。
吉瀬と深澄は時折龍之助に絡みつつも気前良く酒をたらふく飲むと、足取り軽く店を後にした。
帰り際に、耳を真っ赤にした吉瀬から悪気なく放たれた
「橘さんの店、会社の人達に宣伝しておきますよ! こんな目立たない場所にあったんじゃ客もあまり来ないでしょ?」
という言葉にこめかみがピクリと動いたが、それでも相手はお客様だと笑顔を作る。
「……ご心配ありがとう。常連さんもいるし、これでも一応お店は上手くいってるから」
余計なことしなくて良いと遠回しに伝えたつもりであったが、
「任せてくださいよ! 俺こう見えて社内に仲良い人多いですから!」
ドンと胸を叩く吉瀬には伝わっていないようだ。
――アンタはお節介を焼く程にアタシを好いていなかったじゃないの。
本当に元職場の人たちが来るようになったら面倒だ。今日はとことんツイていないと龍之助は溜息を吐く。
「アタシを見下してるのね。大きなお世話だわ」
もう店を出ている背中に向かって、小さく呟いた。