9-4.卒業式
それは小骨を飲み込んだ時のようにちりちりと、ずっと翠の心に引っ掛かっていたことだ。
「だって、あのままだとウチは自分の描きたい絵が描けなくなるから」
ちらりと苑田 寧々が見る目線の先には、“行きたい場所を全部くっつけた”あの絵。お伽話に出てきそうなパステルカラーでファンシーな優しい色使いをした、彼女が失敗作と言った絵だ。
そして目の前の大きな絵に向き直る。
「この絵を描けたのも、大賞をもらえたのは尾方先輩のおかげ。だから、ありがとう」
こんな風に礼を言われると複雑な気持ちではあるが、翠もなんだか笑えてしまった。
「これからも、頑張れよ」
そう言って握手しようと苑田 寧々に手を差し出そうとした瞬間、突然に美術室の扉が開いた。
そこに立っていた二人組の女子に、翠は薄っすらと見覚えがあった。
「あっ、苑田さん! こんなところにいたぁ!」
「マジで探したし。これが賞を取った絵? よくわかんないけどスゴーい! 苑田さんって変人って思ってたけど実はスゴい人だったんだねぇ」
あぁ、そうだと翠は思い出す。去年廊下の窓から校庭を眺めていた時、苑田 寧々が持っていたボールを奪ってぶつけるという子供じみた嫌がらせをしていた二人組だ。
「てかさ、これから遊びに行かない? 苑田さんっていつも一人だし私達と仲良くしよーよ」
「この絵で賞金を貰ったんでしょ? ヤバ〜い!」
二人の女子は苑田 寧々の言葉を待たずキャッキャと騒ぎ立てる。
こいつら才能がある奴に群がるタイプの人間だったのか。
胸糞悪い、そう思って翠が言い返そうとした時。
「ウチはボールぶつけられるのも好きじゃないし、二人と仲良くしなくて大丈夫」
ピシャリと苑田 寧々は表情を崩さぬまま言い放った。取り付く島もない二人組の女子はたじろぎ、
「何それ、やっぱり苑田さんってわけわかんない!」
「せっかく誘ったのに。もういいよ! 行こ!」
と言い残して台風のように去って行く。そんな二人組を呆然と見送り、
「……苑田って強いんだな」
唖然として翠が呟くと、苑田 寧々は首を傾げた。
「何が?」
本当にわからないといった様子でキョトンとしている苑田 寧々が可笑しくて、翠はお腹を抱えて笑う。
そんな翠を見て苑田 寧々はふっと微笑んだ。初めて見る彼女の柔らかな表情に驚いて思わずドキッとする。
「ウチはこれからも絵を描くから。高等部に上がった頃には、もっと上手く絵を描くから。……そうしたらまた、ウチの絵を見に来てくれる?」
「あぁ。約束する」
握手は指切りに。
そうして翠は苑田 寧々と別れた。
翠の胸は軽くて、やっと少しだけ寂しさを感じた。