8-6.エンコントラールホテル横浜桜木町
俺がスタッフの男性に受話器を返すと、時刻はすでに十九時五十一分だった。
「1218号室のお客様から谷崎様をお部屋までご案内するように承っておりますが、お連れしても宜しいでしょうか?」
そう問われて、ママとの約束が頭をよぎった。待っていて、そう言われたのだ。
だが、俺は覚悟を決めた。
「はい、お願いします」
ママ、ごめん。
俺は行く。
「それではご案内いたしますね」
スタッフの男性に連れられて、エレベーターに向かう。
カードキーがないと稼働しないタイプのエレベーターらしく、スタッフがマスターキーを使い十一階のボタンを押してくれた。
俺が乗り込むとそこで、
「お部屋はエレベーターを降りて右側でございます。それではいってらっしゃいませ」
と言って終始笑顔のまま一礼をする。俺も頭を下げたが、扉が閉まるまでスタッフは礼を崩さないままだった。
ゴウンゴウンと音を立ててエレベーターは地上から離れていく。エレベーターの上昇と共に心臓が締め付けられるような感覚になる。
十一階に着いてエレベーターを降りると、先ずは深呼吸。そして尾方 翠に電話を掛けた。何かあった時のために、と先程タクシーの中で連絡先を聞いておいたのだ。
俺の電話番号もしっかり伝えておいたにも関わらず、尾方 翠が開口一番に
「……誰?」
なんて聞いてくるので、少し気が抜ける。
「谷崎だよ! ちゃんと登録しとけよ!」
「あぁ、なんだ谷崎か。で、何?」
面倒くさそうな口ぶりに、ツッコミを入れる気も失せる。いつもと変わらない小生意気な態度にどこか安心している自分もいるが、悔しいのでほんの数ミリ程度だと思っておく。
「……新堂 琉為はエンコントラールホテル横浜桜木町にいた。フロントから電話も繋がった」
俺がそう言うと、電話口の向こうからガタッと大きな音が聞こえた。大方、尾方 翠が驚いて体勢でも崩したのだろう。
「マジかよ!! それ、ママと海鈴さんには伝えたのか?」
「いや、まだなんだ。二十時まであと十分を切ってる。横浜駅からここのホテルまで移動するのに、十分じゃ無理だ」
「おい、まさか……」
「俺は、これから新堂 琉為の部屋に向かう」
そう言い終わらないうちに尾方 翠が、
「止めとけよ! ギリギリまでオッサンを待った方がいいって!」
といきなり大声を出したので、思わず耳からスマホを離した。
尾方 翠の慌てた声を聞いていると、なんだか頭が冴えてくる。自分よりも激しく怒っている人を見ると逆に落ち着いてしまう時のような、そんな感じだと思う。
「すぐそこにしーちゃんがいるんだ。俺はもう行くよ。時間がないんだ。それと俺は何かあった時の為に、新堂 琉為との会話をスマホで録音しておきたいと思ってる。だから、翠から新堂 琉為の居場所をママと笠井さんに伝えておいてくれないか?」
尾方 翠にそう説明をしながら、約束を破ることは不可抗力であると自分に言い聞かせているみたいで笑えてくる。こんな状況で自己判断で勝手な行動をすることに、後ろめたい気持ちも確かにある。
それでも、新堂 琉為には俺が会わなくてはいけない。そんな気がするんだ。
「……待て。どうしても先に行くって言うなら、録音じゃなくてこのまま通話にしておけよ。俺が録音する。万が一だけど録音していたのがバレて、データを削除されるようなことがあったら意味ないだろ」
「わかった。通話のままにしておくよ」
「二人には俺からメッセージを送っておくけど、無茶するなよ」
「ありがとう。頼んだ」
俺はバイトをしている時のように、制服のワイシャツの胸ポケットにスマホを入れた。ワイシャツの上から黒いベストを着ているし、余程近づかない限りわからないだろう。
音がちゃんと聞こえるかどうかが心配だ。
1218号室の目の前に来た。相変わらず心臓は締め付けられているみたいに痛いが、胸ポケットのスマホが心強い。
「翠、聞こえるか。これから部屋に入る」
電話口からの返答は聞こえないが、俺はそう言って1218号室のドア横にあるインターホンを押した。