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「そもそも私、ロックオンボタンに指が届かないから、ロックオンしてないんです」
ヨーコちゃんは続けて理解不能なことを言い出した。
「ご、ごめん。手の大きさを比べさせてもらっていい?」
「あ、はい」
ヨウタさんが再起動して手を挙げる。その手にヨーコちゃんは自分の手を重ねた。
指の太さや長さに若干の違いはあれど、二人の手の大きさにそこまでの違いは見られない。せいぜい一センチぐらいだ。
ますます不思議になってしまったところに食事が来たので食べ始めた。
「……分かった。ヨウタは近距離が主体だから右手のロックオンボタンが押せるが、射撃機だと押しにくいんだ」
よーへいさんの解説に脳裏でコックピットを思い浮かべながら耳を傾ける。
紅蒼は椅子の左右に肘置きがあり、それから伸びる形で左右にレバーがある。そのレバーを左右同時に押したり引いたりすることで前進と後進を、片方だけ押すことで左右の反転をする。
足下にはペダルがあり、ジャンプやホバーはこちらで行う。設定を弄ればレバー操作でもできるようになるらしい。
そして、問題のロックオンボタンは右側のレバーの親指側にある。その反対側にあるボタンは。
「あー……射撃ボタンか」
俺の呟きにヨウタさんも納得したようだ。右手は射撃武器用のボタンだ。
「確かに。私も最初は上手く出来なかったから射撃は補助と割り切って、今じゃ射撃ボタンに人差し指を置いてないわ」
ちょっとわかる。体勢を整えたいときの弾幕として使うが、基本的には近接武器で殴る方が多い。
ヨウタさんの言葉にヨーコちゃんは目をまん丸くして彼女を見ていた。両手でピザを食べながらなのでリスっぽい。
ここで自分たちのポジションを言っていなかったことに気づき説明する。ヨーコちゃんはますます目を丸くした。
「近接、怖くないんですか……?」
「楽しいよ?」
「ひぇぇ……」
普通女の子はその反応だろう。良かった、間違ってなかった。
俺の周りの女の子はやってない人も「撃つより殴った方が早い」なんて言う人ばかりだから。
それにしても、ロックオン無しで射撃しようなんてすごいことだ。
「大体の飛距離は分かるの?」
「えっと、毎回最初に試し打ちは必須ですけど、初期キャノンなら」
「曲射の飛距離が分かるって充分すごいんですけども!?」
「や、でも、感覚なので何メートルとか言えないし、味方にも当てちゃうから絶対に使うなって言われてたし……」
「それは味方の配置が悪いよ。ロックオン無しで的確に降ってくる爆弾ほど威嚇になるものはないのに」
「味方なら頼もしいな。あれだ、乱戦になったらコア狙いに行けば良いんだよ。んでさ、再出撃してきたらちょっと高いところから足止めとかしてくれたら、俺はすごく助かる」
「ああー、それ私も助かる! 全快した奴が来ると勢いに押されちゃうんだよねー」
もぐもぐと食べながらも喋ることは止まらない。彼女の力があれば、俺たちはどれだけ強くなれるだろう。
そうやって盛り上がっていたから、ヨーコちゃんが泣いていることに気づくのが遅れた。
「……どうしたの?」
よーへいさんがティッシュを差し出しながら優しく問いかけてやっと気づいた。
「ごめん、なさい……」
「謝るのはこっちだよ! ごめんね、勝手に盛り上がっちゃって!」
「ごめん! 調子に乗った! まだチームに入るとも言ってないのに勝手に話しててごめん!」
平謝りするヨウタさんと俺に、彼女はティッシュで涙と鼻水を拭きながら首を振った。
「ちが、ちがうん、です……」
嗚咽の合間に絞り出すようにして言葉を発したヨーコちゃんは、泣きながら端末を取り出して、少し弄った。
見せられたのは、退会完了のメール画面だった。
****
暖かい人たちだと彼女は思った。
こんな他人にも気を遣って、彼女が橋で何をしていたのかも訊かずに、明るく振る舞ってくれた。
彼氏やリーダーにロックオンも出来ない役立たずと言われたのに、本当はすごいことだと教えてくれた。
目の前で広げられる作戦は一度は彼女も考えたことだった。彼女はそうやって戦いたかった。チームは誰一人その意見を受け入れることは無く、くだらないと鼻で笑ったけれど。
だが、どんなに褒められたところでこの人達の役には立てない。
ボックス席の奥の席に座らされたが、やはり通路側にしてもらうべきだった。
このご飯の席は勧誘が目的だろうになにも返せない。
ご飯代を置いて逃げたかった。
失望されるのが嫌だった。役立たずと暖かい人たちから言われることが怖かった。
泣いてはいけないのに涙が勝手に出てきた。
「……どうしたの?」
差し出されたティッシュを受け取る資格なんてないのに、ここで受け取らないと親切を無駄にするなと言われるかもしれないと思い、受け取って使う。
謝罪は勝手に口から出ていって、それを聞いた二人が大慌てで頭を下げた。
違う。違うのだ。
嗚咽で言葉が詰まり上手く説明できない代わりに、彼女は端末のメール画面を見せた。
これでもうこの人たちは目的が無くなる。だから離れていって欲しい。そんな気持ちを込めて。
だけど、心のどこかでは思っていた。
助けて。と。
****
泣いている彼女を落ち着かせるためにそっとヨウタさんが背中をさする。
ティッシュは二袋目に突入した。よーへいさん、いくつティッシュを持っているんだろう。
「彼、氏にっ……一からやり、直せ、って、言われ……ひっく……」
「はぁ!?」
ヨーコちゃんが何とか絞り出した説明に、思わず怒りの声が上がり彼女が怯えて口を閉ざす。よーへいさんに頭を叩かれ、ヨウタさんに睨まれた。
「大丈夫、今のはあなたを責める声じゃ無いよ。大丈夫だよ。その彼氏の非常識な行動に怒っただけだからね」
よしよしと撫でながらヨウタさんは優しく言い聞かせる。俺はうっかり声を上げないために両手で口を塞いだ。
「ひ、じょうしき……じゃ、ないで、す……私が、だめ、だから」
「違うよ。どれだけ本人の適性に合っていないと思い込んでいても、自分のものではないアカウントを消すことは非常識なの。
例え彼氏でも、夫でも、親でも。誰一人としてあなたのアカウントを消す権利は無い」
その通りだと頷く。彼女は俯いていて見えていないが。
ヨウタさんの言うとおりだ。例え付き合っていても、越えてはいけない一線はある。
ふつふつと沸き立つ怒りに彼女が怯えないように、俺は目の前のご飯を食べることにした。美味しいはずの飯が不味い。そういう意味でもヨーコちゃんの彼氏とやらに怒りが増した。
「――うん。アカウントを消されただけなら、復旧は簡単だよ」
重い沈黙が漂っていたところに、よーへいさんの安堵した声が流れた。
脳が理解するのに時間がかかった。理解した瞬間、彼を見上げる。それは、この場の全員。
「……どう、やって」
「最近のゲームって、アカウントを消しても一定期間はデータを残している事が多いんだ。
紅蒼も例に漏れずそうでね。ちゃんとQ&Aで確認したから間違いないよ」
ログインしてごらん。と促されて、ヨーコちゃんは震える手で紅蒼のログインページを開いた。
IDとパスワードを入れて。
「入れてる! 入れてるよ、ヨーコさん!!」
横から見ていたヨウタさんがヨーコちゃんを抱きしめる。
俺はガッツポーズ。よーへいさんはニコニコ笑顔だ。
「……はい……れた……」
ヨーコちゃんは、端末を大切そうに胸に抱いて泣いた。
泣いてるけど、その顔は嬉しそうだった。