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最下級領地の女領主様  作者: 葉月あおい
一年目
5/6

3.鶏

何やら大きな荷馬車がエーデンベルク領に到着したのは、リーゼロッテが領主に就任して2ヶ月ほどしたころのことだった。




エーデンベルク領主の屋敷の前に、それぞれの家庭の家主たる男たちが集められた。

彼らの目の前には朝早くにやってきた荷馬車が鎮座しており、そこから次々と小さな檻がおろされてくる。檻の中には小さな生き物が2匹ずつ入っており、どうやら(つがい)のようだ。朝からけたたましい鳴き声を上げており、正直やかましいことこの上ない。

いったいこれは何なのだ、とひそひそ囁き合っていると、扉が開いてリーゼロッテが出てきた。


「朝から呼んでしまってごめんなさい」


ぺこりと頭を下げて詫びる若き領主に男たちは面食らう。先代領主のヨーゼフも、その父である先々代領主も、領民である自分たちにこうして頭を下げたことなど一度もなかった。彼らの間には『治める者』と『治められる者』という明確な上下関係があったのだから。


「頭を上げてください、リーゼロッテ様」

「俺たちなんかにわざわざ……」


その反応に、リーゼロッテは内心複雑な心境になった。

領地というのはどこもこうなのだろうか。王都には中央政府勤めの文官や王国軍の軍人、そして王宮勤めの侍女侍従、そしてリーゼロッテの母のような職人など多種多様な人たちが住んでいたけれど、彼らの間に上下関係はなかった。皆親しげに語り合い、酒場で酒を酌み交わすことだってざらだったのだ。

へりくだり、明らかに委縮してこちらを見る領民たち。領主と領民の間にある心の隔たりも、もしかしたらエーデンベルク領(この街)がずっと水晶(クリスタル)ランクたる所以なのかもしれないとリーゼロッテは思った。


「今日は皆さんに渡したいものがあって呼んだんです」


だが、とりあえず本題に入らなければ。リーゼロッテは意識を切り替え、努めて明るい声でそう言った。


「王都から鶏を取り寄せました。雄と雌の番を各世帯に差し上げます」


鶏は飛ばない鳥ではあるが、水辺でなければならないアヒルとは違ってどこでも育つ。番がいなくとも雌は卵を産むし、その卵も肉も栄養があって美味しい。餌だって料理の際に出た野菜くずや出荷できない出来損ないの野菜で事足りる。有精卵から孵ったヒヨコは売って金にも換えられるし、数匹残して育てれば親同様卵を産んでくれる。貧しい家庭にとってこれほど有益な家畜はないのだ。

けれど、リーゼロッテの言葉に対する領民たちの反応は薄かった。喜ぶと思っていたのだが、それどころか困惑と焦り、悲壮感を滲ませている。


「あの……リーゼロッテ様」


おそるおそる声を上げたのは壮年の男だった。確か、ここに来たときに声をかけてきたネイという少女の父親だったはずだ。名前はキールといったか。


「どうしました?」

「その生き物が鶏というのですか?それが。何かの役に立つのでしょうか?」


その問いにリーゼロッテは驚愕した。

まさか、ここの人たちは鶏を知らないというのか。王都では鶏肉も卵もごく普通に流通し、多種多様に調理されて食べられている。母が作る卵焼きはリーゼロッテの朝食の定番メニューだった。

だがよく考えてみよう。ここに来てから早2ヶ月、リーゼロッテは一度も卵を食べていない。朝食は挽きたての小麦粉を水で溶いて焼いた薄パンと野菜のスープがほとんどで、昼食や夕食も魚ばかり。そもそも肉を食べる文化もないのかもしれないとリーゼロッテは気づいた。そして頭の中で結論付ける。


(ここでは王都で当たり前のことが通用しないんだ)


おそらく、これから何をするにも彼らには一から説明しなければならないだろう。だがそれも仕方ない。

リーゼロッテは内心で嘆息し、領民たちに鶏について話して聞かせた。最初は困惑していた領民たちだが、話を聞くにつれて目を輝かせていく。有用性が分かってきたのだろう。だがすぐに再び表情を曇らせる。今度は何だ、と思わず身構える。

口を開いたのはまたもやキールだった。


「ですが……俺たちには金がありません」

「えっ?」

「鶏をここまで取り寄せるにもお金がかかったはずですよね?去年は先代様の治療費で増税されてて、それを払うのもギリギリだったんです……これ以上増税されたら……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


リーゼロッテは思わずキールの言葉を遮った。隣に立つカルロスを見据える目が険しくなってしまうのは許してほしい。

だって、


「カルロスさん、どういうことですか!? 去年の帳簿には増税の記録なんてありませんでしたよね!?」


ここ数年のエーデンベルク領の収支記録である帳簿を、リーゼロッテはしっかり確認している。去年の税金が増額されている記録などなかったし、それどころか去年は不作の影響で減税されているという記録になっていたのだ。これはいったいどういうことか、と詰め寄ってしまう。


「リーゼロッテ様の仰る通りです、ヨーゼフ様は確かに減税するよう指示をなさいました……!」


カルロスも明らかに動揺している。その声音と表情は明らかに困惑の色を浮かべていて、嘘をついているとは思えない。先代であるヨーゼフが減税を指示したのは確かなのだろう。ということは、おそらく――


(ローゼ様とやらがくすねて自分の懐に入れたってわけね……!)


ただでさえ少ないエーデンベルク家の財産を使いまくった挙句に夫の治療費と銘打って領民から金を搾り取ってそれも散財に費やしたとは。まったくとんでもない女である。


だが、それはともかく。今は領民たちの不安を解決するのが先決だ。リーゼロッテは咳ばらいをし、キール立ちに向き直った。


「安心してください、皆さんからお金を取る気はありません。これは全部私個人の財産から買い付けたものです。これでも私、お金は持ってるんです。だから気にしないでくださいね」


領民たちの不安を解消させるべく、わざとおどけてみせる。まさかリーゼロッテが身銭を切ったとは思ってもみなかったのか、領民たちはざわついていた。


「もしどうしても気が済まないっていうなら、飼育が上手くいって収入が増えたら鶏代を私に返してくれればいいです。だから何も気にしないで、皆さんの生活に役立ててください」





「はぁ……」


何とか納得してくれた領民たちがそれぞれ鶏の番を受け取って帰宅したのを確認し、リーゼロッテは自室に引き揚げた。ぼふん、とベッドに倒れ込んで枕に顔をうずめる。


(みんなと関われば関わるほどとんでもない情報が出てくるわね……)


机にかじりついて数値や文字を眺めているだけでは分からないことがいっぱいある。エーデンベルク領に来てから、リーゼロッテはそれを痛感させられていた。


(――そうだ)


ふと思い立って身を起こす。

関わるたびにいちいち動揺させられるくらいなら、一気にとんでもない情報を貰ったほうがずっといい。それに、王都にいた頃はあった同世代との関わりがここに来てから一切ないのは寂しい。


沢山の情報を得たい。同世代と関わりたい。この欲望を満たす方法が一つある。我ながら名案だ。


(お茶会を開けばいいのよ!)


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