1.来訪者
「ヨーゼフ・エーデンベルク公がご逝去されました」
黒服を身にまとった初老の男が告げたのは、名前も知らない男の訃報だった。
生まれたときから母と二人暮らしだった。
母は王宮に納めるドレスを作っている洋裁店の針子として勤めながら一人娘である自分を女手一つで育ててくれたのだ。生活は貧しくも裕福でもなかったが、平穏かつ幸福であった。学校にも通い一連の教養も身に着けたし、文官コースに進学し来年には王宮文官採用試験を受ける予定で勉学に本腰を入れ始めたところだったのだ。
だというのに、目の前の男たちは何を言っているのか。『エーデンベルク』といえば王国北東部にある小さな街ではないか。そこの領主様の訃報を、なぜわざわざこんなところまで告げに来たのか。
「あの、それが何か……その人が私と何か関わりでも?」
内心の疑問が言葉となって口からこぼれ落ちる。それを聞くと、能面のようだった男の顔が動く。驚愕と形容するのがふさわしいであろ表情になった。
「ラウラ殿から何も聞いていないのですか?」
母の名前まで彼の口から飛び出して、いよいよ混乱する。エーデンベルク領は王都からも相当離れた場所なのに、ずっとこの王都で暮らしている母がなぜそこの人たちと関わりがあるのだろう。訳が分からなくなってきた。
「お客様が来ているの?」
ちょうどそのタイミングで声がした。振り向くと、キッチンで夕飯の支度をしていた母が出てきたところだった。今年で三十三になるというのにどこか少女めいた雰囲気を漂わせる、自慢の母親だ。
怪訝そうな色を浮かべていた母の顔が、男を認識するなり驚愕に染まった。彼はどこか懐かしそうに目を細め、一礼した。
「――お久しぶりでございます、ラウラ殿。ヨーゼフ様のご遺言により、ご息女のリーゼロッテ様をお次期エーデンベルク領主としてお迎えに上がりました」
――とんでもないことになったかも……。
どうやら自分は領主様のご落胤だったらしい。エーデンベルク領へ向かう馬車に揺られながら、リーゼロッテはぼんやりと先日聞かされた話を思い返していた。
母・ラウラは十代の頃から今の勤め先である洋裁店で働いていた。そこの先輩に誘われて出かけた祭りで、当時勉強のため王都に来ていた当時のエーデンベルク領主嫡男・ヨーゼフと出会って恋に落ちたのだという。そしてそのまま愛を育み、やがてラウラは身ごもった。
ラウラの妊娠を知ったヨーゼフは父親に手紙を書き送りすべてを打ち明けた。平民であるラウラと領主嫡男である自分が正式に結婚するのは身分の問題で無理であることは分かっている、ならばせめて愛妾としてそばに置きたいと。
しかし、当時の領主である父親は息子の申し出を許さなかった。既にヨーゼフには幼い頃からの許嫁がおり、いくらなんでも結婚前に愛妾を持つなど言語道断だったからだ。この国は家父長制が根強く残っており、父親の命令は絶対である。ヨーゼフはそのままエーデンベルク領に連れ戻され、結婚が早められて許嫁を正妻として迎えることになった。
だが、当時の領主も孫への気持ちはあったらしい。ラウラのお腹に宿った子をヨーゼフの子として認知することだけは許してくれたのだ。その代わり、いずれ生まれるであろう正妻との子が大きくなるまではヨーゼフがエーデンベルク領から出ることを禁じた。ラウラが産んだ子に会うことで情が芽生え、その子供を後継者に据えたいと思うことを避けるためだった。
しかし正妻との間に子供が生まれないまま先代当主、そしてヨーゼフ自身もこの世を去った。リーゼロッテのもとにやってきた男――長年エーデンベルク家に仕えてきた執事のカルロス曰く、ヨーゼフと正妻は非常に不仲だったという。正妻は嫁いでくる前から愛人がおり、ヨーゼフに対しては何の想いもなかったのだとか。結果、ヨーゼフが亡くなるとさっさと故郷に帰ってしまったらしい。薄情にも程がある執事は憤慨していた。
『ヨーゼフ様のお子はリーゼロッテ様のみです。亡くなられる前、ヨーゼフ様はリーゼロッテ様を次期領主に任命するという遺言を残されました。どうか、リーゼロッテ様をお引き取りすることをお許しください』
あの日、カルロスはそう言ってラウラに向かって頭を下げたのである。
こうして、リーゼロッテは母と離れてエーデンベルク領へと発つことになった。ヨーゼフは『ラウラが望むのであればリーゼロッテとともにエーデンベルク領へ』という遺言を残していたが、母自身が拒んだのだ。針子の仕事が残っているし、ずっと一緒にいては娘のためにならないと言って。
「リーゼロッテ様」
声をかけられて物思いから覚める。顔を向けると、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべたカルロスがいた。
「どうしたんですか?」
「いえ……リーゼロッテ様にはこれからご苦労をかけることになりますから」
ああ、とリーゼロッテは苦笑を返す。
確かにまだ齢14の自分が領主になるのは並大抵のことではないだろう。そもそも自分はエーデンベルクで生まれていないし育ってもいない。領民たちだって、突然王都からやってきた小娘がいきなり領主だと言われても納得いかないはずだ。
そんなことを口にすると、カルロスの申し訳なさそうな表情がさらに深くなった。
「それはもちろんそうなのですが……それだけではないのです」
「え?」
エーデンベルク領の領地ランクをご存知ですか、とカルロスは言った。
「エーデンベルク領のランクは『水晶』です、リーゼロッテ様。この国の中で最も階級の低い領地となります」