81 強者たち
ミリス・アルバルマが機械兵を閉じ込めるために使用した『神具』は、『私の箱庭』というその名の通り、自分だけの箱庭を作ることができる『神具』である。
小さな瓶の中に創造した空間には、所持者と所持者の招待した者のみが入る事ができるが、前者以外は自由な出入りができない。
『私の箱庭』を創造した者は、自らの箱庭を他者に自慢したいという思いが強かったのかもしれない。
強制的に中へと招待し、許可するまでは外に出られないという仕様は迷惑極まりないものではあるが、今回に限っては都合が良かったと言えるだろう。
主にノイルと強制的に遊ぶ(模擬戦)ために用いられる『私の箱庭』は、邪魔な物が存在しない平原となっている。もっとも、これを使用すると彼はしばらく一切の口を利いてくれなくなるため、ミリスは最近では滅多に使用することは無かった。
そんな半ば置物と化していた『私の箱庭』の中での熾烈な戦闘は、既に決着が着こうとしていた。
一つの影が吹き飛ばされ、草原を転がる。
地に倒れたその影は――ミリスであった。
ノイルが最強と信じて疑わない彼女だが、今回の相手は最悪と言っていい程に相性が悪かったのだ。
ミリスは確かにマナを扱う相手であれば、無敵と言っていい程の力を有している。しかし、逆にマナを用いない強靭な相手には、彼女の能力は通用しない。
強力な魔装や魔法を使う事もできなければ、当然魔導具を生み出す事も、精霊の力を借りる事もできないミリスに出来るのは、魔人族が不得手とする身体強化による肉弾戦のみである。
そもそもが、治癒の属性は戦闘には向いていないのだ。ソフィのような半魔人であり、魔装も扱えるのなら話は別だが、ミリスは純粋な魔人族である。
加えて、ミリスのマナ量は特別多いわけでもない。魔人族の平均よりはほんの僅かに上だが、その程度である。
ミリスにとってマナへの攻撃が通じない多数の敵というのは、天敵に他ならないのだ。
それでも一体一体が大した力を持っていなければ問題にはならないだろう。だが今回の相手は機械兵の集団だった。
『神具』を用いたとしても限界がある。『憩いの場』を『白神』で断てぬように、『神具』同士がぶつかればその格の違いが如実に現れるのだ。
別格とされる『浮遊都市』が相手では、たとえ『神殺刀』であったとしても通じはしないだろう。
ミリス自身が『私の箱庭』に入ったのも、中から破られる事を危惧したからだった。
折れて宙を舞っていた『白神』の切っ先が、倒れたミリスの側の地面へと突き刺さり、彼女が握っていた片割れと共に霧散する。
その光景を酷く損壊した機械兵――アイゾンは放心して見ていた。
漸く、漸くだ。
わけがわからない。全く理解出来ない。
この女は一体何なのだ。
リュメルヘルク様のご創造なされた至高の身体に、これだけの損害を負うなどあり得ない。
たった一人、たった一人の小娘だ。
何故こうなる? 何故こうなった?
殆どの機械兵――神機を投入したのだ。
蹂躙するつもりだった。出来るはずだった。
何故これ程の被害が出てしまった?
手痛いというのすら生温いダメージを受けて、漸くだ。
漸く――――たった一撃。
「ひっ」
ミリスが何事もなかったかのように起き上がり、その上げられた顔を見たアイゾンは、小さな悲鳴と共に一歩後退った。
傷ついた機械兵の周りには、もはや仲間はいない。
全て、『白神』により斬り伏せられた後だった。
相性は最悪だった。
間違いなく、不利な戦いを強いられたのはミリスだった。
相性だけを見れば、天敵と言っても過言ではなかった。
だが――
「……鈍っておったのぅ」
「ば、化物……」
ミリス・アルバルマという存在は――それでも最強であった。
彼女がやった事は至極単純だ。
複数の機械兵を相手取り、その全ての攻撃を躱しながら、『白神』で斬った。
一度で斬れぬのなら、二度。二度で斬れぬのなら、三度。それでも通じぬなら、斬れるまで。
一度も敵の直撃を受けず、手を止める事もなく、その白刃を振るい続けた。
言葉にすると簡単だ。特別な事など何もない。
しかしそれを表情も変えずに成し遂げる存在が、彼女以外に居るだろうか。
攻撃の要を封じられ、尚も機械兵を圧倒できる人間など考えられない。
けれど、それがミリス・アルバルマなのだ。
ノイルが最強と信じる超越者なのだ。
もはや勝敗は決している。
そもそも、アイゾンが彼女へと一撃を入れられたのも、幸運であったからに過ぎない。
攻撃を逸らそうとした『白神』が、ミリスについていけず、折れてしまったからに過ぎないのだ。
そして、ダメージを負った気配すらない。
いや、正確に言えば確かにアイゾンの拳は彼女を捉えた。その時点では傷を負っていただろう。しかし、それはミリスの異常な回復力の前では何ら意味を成さなかった。
口元の血を拭ったミリスの瞳が、アイゾンを冷たく射抜く。
鮮やかで美しい筈の紅玉の瞳。
しかしそこから感じるのは、昏く冥い――死、そのもの。
機械兵へと魂を宿したアイゾンの中にあった、多幸感や万能感、絶対的な安心感などとうに消えてなくなっていた。
身を焼く憤怒さえなくなり、心にあるのはただ一つ。
恐怖。
恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
理解の及ばぬ存在への恐怖。
信仰する神の創造した『神具』でさえ、遠く及ばぬ力への恐怖。
死、そのものを押し付ける瞳への圧倒的な恐怖。
それは元々魂を分けた事により不安定となっているアイゾンの心を、狂わせた。
「あああああおおおああおああおぁうあああおおおおおおッ!!!!」
発狂。
無表情のミリスの瞳に射竦められ、蛇に睨まれたカエルのように固まっていたアイゾンは、その恐怖に心を破壊された。
突如金切り声のような声を張り上げたかと思うと、ミリスへと出鱈目な動きで突進する。
泣き喚く子供のように型も何もない、滅茶苦茶な拳が、彼女へと振り下ろされた。
指、一本。
ミリスはそれを、片手の指一本だけで止めた。
ふわりと、まるで触れただけかのように。
しかし、次の瞬間には地面へ激しい亀裂が走った。
拳から伝わる衝撃、その全てを地へと受け流したのである。
「あひゃひゃひゃひふほほふしおあかかやまけよむかのまてろりゅめるこす――かぺっ!?」
ミリスに拳を止められたアイゾンは更に発狂しけたたましい声を上げ――胴体へと鋭い回し蹴りを受けた。
余りにも苛烈なその一撃は、機械兵の胴体を容易く穿つ。
そして、もはや声すら上げる暇もなく、アイゾンの頭を跳躍したミリスの蹴りが刈り取った。
がくん、と機械兵が膝を落とし、アイゾンの魂と共に消失する。
「……愚物が」
ミリスはそれだけを呟くと、『私の箱庭』を後にした。
◇
「なあ、おいあれどう思うよ? クソデカ乳」
「暴走では?」
『紺碧の人形』プリティキューティアリスちゃんバージョンに乗り込んだアリスは、その人形の身体で両手を頭の後ろに組みながら、時折魔弾を放っているフィオナへと問いかける。
「リュリュリュリュリュリュメリュメリュメリュメヘルヘルヘルヘルククククク様」
彼女たちからやや離れた辺りでは、一体の機械兵が信者たちを巻き込みながら大暴れしていた。
どうやら近くの者へと手当たり次第に攻撃しているらしく、距離を置いたアリスとフィオナへと攻撃する素振りはない。
機械兵に襲われながらも信者たちは二人を狙おうとしているが、余りにもお粗末だ。
大半が機械兵の出鱈目な攻撃を受け、散っていく。
運良くその攻撃を逃れても、待っているのは間髪入れずに撃ち込まれるフィオナの魔弾だ。
「暴走ねぇ……多分魂を分割でもしたんじゃねぇかと思ってたが、綺麗に分けられたわけじゃねぇってとこか。クヒヒ、クソにはお似合いだなおい」
「何でもいいです。手を動かして下さい」
「ああ!? つーかてめぇ容赦ねぇな……あのクソどもも一応人だぞあれ」
アリスにそう言われようが、フィオナは何ら躊躇う素振りもなく信者たちに魔弾を撃ち込む。
「ゴミの間違いでは? 先輩に手を出した時点でそれはゴミです」
「おーおーそういう過激さは嫌いじゃねぇぜクヒヒッ」
「だからあなたもゴミです」
「何でだクソボケェ!!」
「だって――」
フィオナは片方の短銃で魔弾を放ちながらも、もう片方の短銃と顔だけをゆっくりとアリスへと向けた。
「あなたも出しましたよね? 手」
「……」
何でこいつ知ってんだクソが、とアリスは顔を逸らした。
しかしそんなアリスの心を読んだかのように、フィオナは変わらず魔弾で信者を撃ち抜きながら続ける。
「匂うんですよ。こんなどんな高級料理よりも涎が止まらなくなるような芳しい匂い、先輩しか出せません。それが、あなたの、口から、匂うんですよ」
アリスはちょっとやそっとの事では恐怖を感じたりはしない。しないが――その声に背筋に寒気が奔った。
こいつ……やべぇ奴だ。
今更ながら、アリスはそう認識した。
「ねぇ? 何したんですか? ねぇ? ねぇ? 何で、あなたの、口、からッ! 先輩の匂いがするんですかぁ?」
「…………キスしましたぁ〜! ぶぁ〜か!!」
しかしアリスは開き直った。
誤魔化せる空気ではなかったし、元よりここで引くような性格ではない。素を曝け出している以上、真っ向から立ち向かう。それがアリス・ヘルサイトである。
「ぶぁーか! ぶぁーか! ぶっちゅーかましてやりましたぁッ!! クヒハハハハハハハハハ!!」
「ころ、ころ……ころ、す……!」
「その殺意は敵に向けろブースブース!! 雑魚はあらかた片付いたろ! クソノイル助けてぇならアタシよりまずはあっちだブース!!」
「か、く……が……くく……く……」
もはや言葉になっていない声を上げ、小刻みに震えるフィオナをその場に残し、アリスは機械兵へと駆け出した。
「てめぇの豆鉄砲じゃあいつは倒せねぇぞクソブスぅ! それしか出来ねぇのか! だぁーからノイルをモノにできねぇんだよぶぁーか!」
醜い。非常に醜い。
だが半分は完全に私情ではあるが、それ以外はアリスはあえてフィオナを煽った。
戦力的に見て、機械兵を倒すのにその方が良いと判断したからだ。
アリスは自身の『紺碧の人形』の性能には自信があるが、『神具』である機械兵には及ばないことも理解している。
そもそもアリスの本来の戦闘スタイルは、複数の『紺碧の人形』に『命喰い』等のお手製の武器を持たせ、数と武器で蹂躙するというものだ。
単騎特攻、それも自身が最前線に立つなどということはしない。
しかし、今回はそうも言っていられなかった。まともな武器すらない状態では、自身が操る人形で攻撃を仕掛ける他ない。
フィオナの魔装はどちらかといえば後衛向きだろう。ならば自身がやる事は前で機械兵の動きを止めることである。
その間にフィオナに攻撃をさせる。それがベストだ。
だが、フィオナの魔装は見ていた限りではかなり強力で使い勝手は良さそうだが、一定の威力しか出せていない。
その魔弾が通らない相手――機械兵のような頑強な相手には相性が悪い。
なら、怒りに任せたクソ力でも何でもいい。彼女の限界以上を引き出す。
うざったい事にポテンシャルはある。きっかけがあれば今以上の力は出せるはずだ。
そのデカ乳は伊達じゃねぇ所を見せてみろ!
アリスはそう思いながら、暴れ回る機械兵と両手を合わせ、組み合った。
「よお、力比べだクソ野郎」
「ららりりりりゅりゅりゅめへへへるるるるくくくく」
瞬間、アリスの身体は押される。
「ぐ……ちっ……こんのクソがぁああああああああああああッ!!」
想定以上の力に『紺碧の人形』の手が砕けかけるが、アリスは裂帛の気合で堪え、ぎりぎりの所で拮抗を保つ。
彼女の考えは概ね正しかった。
実際、フィオナの魔装は様々な属性の魔法を連射できる反面、一定以上の威力は出せない。
魔弾を防がれてしまえば、攻撃の手を失う。
アリスの見立ては間違っていない。
では何が間違えていたか。
それはフィオナ自身が言われるまでもなくとうにその弱点を把握し、改善していたという点だ。
きっかけは、エルシャンとの戦闘だった。
彼女に自身の魔弾を全て防がれて完膚なきまでに叩きのめされたフィオナは、己を恥じた。恥じて、猛省して、二度とエルシャンなどに遅れを取らないよう、あの女を今度は叩きのめせるよう、一つの技を作り上げた。
フィオナの元々の属性は、風である。
《天翔ける魔女》の方が強力で使い勝手が良い上、ノイルのための魔装を使いこなすために、殆ど自身の属性を活かした魔法を使うことはなかったが、今の彼女は違う。
「いいでしょう……豆鉄砲かどうか、見せてあげます。その後で、あなたも殺します」
フィオナは片膝を着き、短銃の一つを消すと残った一つを両手で構えた。
狙いは、アリスと組み合っている機械兵。
彼女の位置からでは射線上にいるアリスにも魔弾が直撃するが、今からフィオナが放つ技にはそんなものは関係ない。
「おい!! さっさとなんか援護しろやボケェ!!」
アリスはそろそろ限界であった。機械兵の掌が光を放っている。光線を放つ前兆だ。このままでは押し切られる前に、『紺碧の人形』の腕は消し飛ばされるだろう。
「後、少しです……」
「早くしろや早くぅッ!! やべぇやべぇマジやべぇ!!」
間一髪、アリスは一瞬の機転で組んでいた両手を解き、機械兵の両手首を握った。『紺碧の人形』の顔の両端を鋭い光線が走り抜ける。
「おい! 避け――!!」
当然彼女の背後に位置していたフィオナへとその二条の光線が迫り、アリスは焦り声を上げた。
しかし、フィオナは動かなかった。短銃を構えたままの彼女の直ぐ側――紙一重の位置を光線が抉っても、微動だにしない。
その集中力に、アリスは一瞬息を呑む。
「いきます」
「……ハッ、さっさとやれってんだクソが」
フィオナの言葉に、アリスはニヤリと嗤った。
機械兵の手首を逃さないよう締め上げる。
その瞬間、背後から静かな声が響いた。
「〈穿つ魔弾〉」
その声と共に、フィオナの持つ短銃からは何かが放たれた。
何かが放たれたが――アリスには見えなかった。
何だ……?
アリスがそう思った瞬間、突如機械兵の頭部に極小の穴が穿たれ、内部から炎が巻き上がる。
「おお!?」
アリスは機械兵の両手首を離し、その場から跳び退った。
一発だけではない。
「〈乱れ咲く〉」
フィオナの短銃からは次々と何かが発射され、機械兵へと極小の穴を空ける。穿たれた穴からは炎、氷、雷、風――様々な現象が起こり、機械兵へとダメージを与えた。
まだ終わらないのか、構えを解いたフィオナは立ち上がり、片手を機械兵へと向ける。
「〈不滅の花〉」
フィオナが射出した何か――その全てが視認困難な速度で機械兵の周りを取り囲み、再び極小の穴を穿ち魔法のダメージを与えていく。
それは決して止まらない、フィオナにより制御された極小の弾丸。
風により加速され貫通力を上げ、コントロールされ、何度も、何度でも、敵を穿ち魔法を放つ、一度放たれれば敵が倒れるまで咲き続ける――魔法の花。
「りゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゅへへひるへへるくくかくく」
既に勝負は決した。
アリスは反応すら出来ずその機体に魔法の花を咲かせ続ける機械兵を見て、そう思った。
「しっかし……」
えげつねぇ。
その技を見てアリスが、あのアリスが若干引いた。
「さて、次はあなたですね」
「まずはノイルのとこだろうがクソ女」
そして、片手を機械兵へと向けたまま短銃をアリスへと向けニコリと笑うフィオナに、呆れてそう言うのだった。