80 精霊顕現
『浮遊都市』を覆う防護壁、その上を戦況を見定めながらソフィはレットを背負い駆けていた。
少し離れた上空では、特殊な機械兵とエルシャンが空中を自在に飛び回りながら拮抗した戦いを繰り広げており、同じく防護壁の上ではクライス、ミーナの両名がそれぞれ一体ずつの機械兵を相手にしている。
これまでで最多である三十体以上の《俺がいっぱい》を展開したクライスは機械兵を押しているが、逆にミーナの方は防戦一方だった。
敵が空を飛べる上に足場や壁など存在しないこの場では、ミーナの動きも限定されてしまう。平面上の動きしかできなければ、いくら速くともその力を存分に活かすことはできない。
それでもミーナは強いが、今回は相手が相手だ。その上で分の悪い戦いを強いられれば彼女が苦戦するのも致し方ない。
ソフィは機械兵から充分な距離を保ちつつ、ミーナの動きに合わせ駆ける。背中のレットが彼女を援護できる位置へと移動し続けていた。
レットもそれほど身体が大きくないとはいえ、小柄なソフィが彼を背負っているのはかなり不格好だ。しかし、この場ではこれが最も彼の力を活かせるやり方だった。
ソフィの右手の甲には風を纏う乙女の紋章が淡い輝きを放ち出現している。
《精霊の風》を使用し、仲間が傍にいる状態であれば、ソフィの身体能力はレットよりもずっと高い。
しかしそれでも到底真っ向から機械兵に立ち迎える程ではない。レットと共にミーナのサポートに回りつつも、ソフィは僅かな焦りを感じていた。
「マスター……」
小さな呟きが漏れる。
ソフィの懸念はエルシャンの消耗と、彼女が今まさに対峙している機械兵の出鱈目な強さだ。
万全な状態であれば、敵がいくら強くとも問題はない。ソフィは絶対の信頼をエルシャンに置いている。
しかし今回は、戦闘を始める前からエルシャンの消耗は激しかった。
森人族は生まれた頃から精霊と共に生きる。周囲の精霊とは別に、特定の精霊をその身に宿し、生涯を共にする。
戦闘において、何よりも森人族が頼りにするのは、普段からその身に宿し共に生きる精霊だ。
エルシャンの場合は、風と大地の精霊を宿している。だが、今回は上空での戦闘であり、大地の精霊の力は本領を発揮できないだろう。
そして、彼女が最も得意とする風の精霊だが――明らかに疲弊している様子だった。
ここまで休みなく仲間全員を運び、『浮遊都市』を覆う雲を周囲の精霊と協力して大規模な豪風を起こし吹き飛ばした。加えて『白の道標』の皆とアリスを中へと向かわせるために張った結界。その際に受けた手痛いダメージ。
エルシャンの表情に焦りはなかったが、実際のところ、精霊の消耗は大きかったのだろう。
機械兵の射出する光線を紙一重で躱したエルシャンの動きは、しかしいつもの様なキレがなかった。
本来であれば、今の一連の動きの間に機械兵への反撃も行っているはずだ。
こちらは問題はない。
ミーナは今のところ苦戦しているが、徐々にその動きに慣れてきているのがわかる。ソフィの《精霊の風》があれば多少のダメージなど無視できるし、レットの援護があれば負けることはないだろう。
クライスに至っては、機械兵を手玉に取っている。ノイルの魔装の発動、切り換えの早さを見習ったのか、《俺がいっぱい》の数体を解除し、再び瞬時に発動させる事で、普通なら身動きのできない宙空でも分身体と協力し、空中戦すらもこなしていた。
頑強な機械兵を削るのに手を焼いているようだが、既にその剣は無数の傷をつけている。間もなく勝負は決するはずだ。
早く、マスターのサポートに――
「あ……」
一瞬、ソフィが集中力を欠き、目を離した瞬間だった。
ミーナと対峙していた機械兵が前触れなく突如動きを変え、ソフィとレットへと突撃する。
ソフィはそのあまりの速度に、目を見開く事しかできなかった。
しまっ――
「〈大咆炎〉!!」
「〈獣の歩行〉!!」
硬直したソフィの背から砲弾のような火炎が放たれ目前まで迫った機械兵へと直撃し、その背後からは黒い旋風のような蹴りが打ち込まれる。
レットとミーナ、両名から大打撃を受けた機械兵からは、激しく軋むような音が鳴り響いた。
一瞬動きを止めた機械兵は、直ぐに飛びたち、ソフィたちから距離を取る。
その機体の胴体は、僅かに破損していた。
「ソフィ、今はあいつに集中だ」
鼻から血を流したレットが、しかしそれでも気絶する事なく機械兵から一切目を逸らさずにそう言った。
「所詮は物、ね。動きが単純よ」
機械兵との戦闘で疲弊し呼吸が乱れ大量の汗を流すミーナが、安心させるかのように微笑む。
「こっちは! んもう終わるさぁ!!」
打ち込まれた機械兵の拳の軌道を剣で逸らし、分身体と共に鋭い剣閃を四方から浴びせたクライスが、歯を輝かせながら声を上げた。
「んフィニッシュ!!」
そのままクライスは止まらず、分身体と共に残像が残る程の連撃で機械兵を斬り刻む。一切の反撃を許さず四方から打ち込まれる斬撃は、その刃が機械兵の身体に通ることはない。しかし、確かなダメージを与え、機体は次々と欠けていく。
そして――動く事もままならない機械兵の頭部に罅が生じた瞬間、クライスは跳躍すると、コマのように空中で身体を捻り、その頭部へと鋭い突きを放った。
一寸の狂いもなく回転の力を乗せた剣は、罅を穿ち、頭部を貫く。
機械兵の頭部は破壊され、機体からは力が抜けたかのように両腕がだらりと下がった。
完全に停止した機械兵は、次の瞬間には幻であったかのように霧散する。
「さて、次だねぇ」
鮮やかに機械兵を沈めたクライスは、マントを翻し剣の切っ先を残る一体へと向けた。
「皆様……」
頼もしい仲間のおかげで、ソフィの中の焦りは消えてなくなる。
そうだ、負けるわけがない。
『精霊の風』は、最高のパーティなのだ。
マスターも――
「避けるんだ!! ソフィ!!」
「えっ?」
「ッ!!」
エルシャンへと視線を送ったソフィの視界を光が覆い尽くし、耳には平時の彼女からは考えられない怒号のような声が届く。
そして、次の瞬間には誰かに突き飛ばされ、ソフィが尻もちをついた瞬間、響く轟音、思わず身体を腕で庇う程の風圧と衝撃。
それらが収まり、目を開け真っ先に視界に飛び込んで来たのは――吹き飛ばされたように宙を舞うミーナの姿。
「ミーナ姉ぇ!!」
ソフィの背から下りたレットが、叫び声を上げた。
何が起こったのか、ソフィは一拍遅れて理解する。
上空の機械兵が、こちらへと攻撃を放ったのだ。そしてソフィとレットを庇ったミーナが、その攻撃を受けた。直撃ではなかった筈だ。直撃ではないが――
「ミーナ様!!」
高く吹き飛ばされたミーナは、傷つき完全に気を失っていた。
ソフィは即座に立ち上がり、落下地点へと走る。気を失ったままあの高さから落ちれば危険だ。そうでなくとも既に深刻なダメージを負っている。
動いたのはソフィだけではない。魔法を放ち身体の自由が効かないレット以外の全員だ。
だが――クライスは機械兵に阻まれ、エルシャンもこちらへと手を回す余力がない。
そして、ソフィでは間に合わない。
懸命に駆ける。己の全てを賭して駆ける。
それでも――間に合わない。
「ミーナ様ぁああああああ!!」
ソフィが届かぬ手を伸ばし、悲痛な叫び声を上げた瞬間だった。
空を駆ける黒い影が、落下するミーナを抱き抱える。
「え……」
「遅くなった」
そう言ってソフィの前へと着地したのは――
「師匠ぉおおおおおおおおお!!」
レットが感極まったような歓声を上げた。
「治療を」
「は、はい……」
呆然とするソフィへとミーナを預けた彼は、クライスが対峙している機械兵の元へと向かう。
ソフィは急ぎ傷ついたミーナを寝かせ、治癒の魔法をかける。幸い、ミーナの傷は命に関わるようなものではなかった。《精霊の風》の効果もあり、大事には至らないだろう。
ほっと胸を撫で下ろし、ソフィは突如現れた男の背へと視線を送った。
静かで激しい怒り、そして洗練された空気を纏う獣人族の男に。
「クライス、合わせろ」
「んお任せを!!」
腰から細剣を抜いた男は、片足を僅かに引いて華麗ともいえる構えを取り、その切っ先を機械兵へと向けた。
反対に立つクライスも歯を輝かせ剣を向ける。
「さあ、舞うぞ」
その声と共に、二人は同時に動いた。
だが、注視すべきは獣人族の男だ。
クライスよりも――疾い。
挟撃、加えてダメージを負っているとはいえ機械兵すらも反応の出来ぬ、超速の刺突。
一撃ではない、視認不可のそれは寸分違わず機械兵の腕へ突き立てられる。
たった一度の――しかし幾重にも重なった突きは、頑強な筈の機械兵の腕を穿つ。
片腕を吹き飛ばされた機械兵は、大きくバランスを崩しながらも、刺突を放ち一瞬動きの止まった男へと掌から光線を放とうと構えた。
しかし、それはクライスが許さない。
「素晴らしい、今の俺では届きません」
そう言いながら、クライスは機械兵の腕を切り上げる。鋭い剣圧に打ち上げられた腕は光線を放つが、それは遥か上空へと消えた。
「一人では、ね」
そのままクライスは身体を捻り、分身体と共に回転の威力を乗せた突きを一斉に機械兵の腕へと突き立てる。
こちらもバランスの崩れた機械兵では回避出来ぬ無数の一撃。
それは、見事に機械兵の腕を貫き吹き飛ばした。
「見事」
「光栄です」
笑みを交わした二人は、両腕を失った機械兵へと追撃をかける。
クライスが分身体で機械兵を取り囲み先程と同じように鋭い無数の斬撃を浴びせ、獣人族の男は高く跳び上がった。ただ跳躍したわけではない、空中を蹴るようにその高度を上げる。
そして、再び空中を蹴るように、今度は急降下した。
「見習わせて貰おう」
その声と共に、男の身体はコマのように回転する。クライスが得意とする、回転力を活かし、破壊力を上げる動き。
そこから放たれる男の技量からなる幾重にも重なった超速の刺突は――機械兵の頭部を天から穿った。
機械兵はその動きを止め、霧散するかのように消失する。
軽やかに着地した獣人族の男と、分身体を解除したクライスは、微笑んで視線を交わし、お互い剣を一度払うと鞘へと納める。
レットが師匠と崇める謎の男の助力により、二体の機械兵は倒されたのだった。
◇
「あり得ない……あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないぃいいいいいいいいあああああ!!」
「…………」
「貴様らのような汚物にぃ! リュメルヘルク様の至高の『神具』が破壊されるなどぉ!! あってはならんのだああああああああッ!!」
「もう、黙れ」
目の前の狂乱したかのような機械兵に、エルシャン・ファルシードは冷ややかな視線を向けた。
「貴様らぁッ!! 楽に殺されると思うなよッ!! 生まれた事を後悔し、殺してくれと懇願しようがッ!! 慈悲が与えられると思うなぁッ!! 一生を懸けッ!! 地獄の苦しみを与え続けてやるッ!! それがぁッ!! リュメルヘルク様のご意思だ!!!!」
「黙れ、と言ったんだ」
けたたましく喚き散らす機械兵――アイゾンを風の刃が襲う。
しかしそれは、機械兵の腕により容易く打ち払われた。
「図に乗るなゴミぃ……! 人の身で私に傷をつけられると思うなぁッ!」
エルシャンの表情は変わらない。ただ冷酷な瞳を狂気に染まったアイゾンへと向けるだけだ。
彼女の怒りは、とうに限界を超えていた。
ノイルを奪われ、自分が真っ先に彼の元へ向かいたかったにもかかわらず邪魔をされ――仲間を傷つけられた。
どれも許せる事ではない。
何より、ノイルを容易に奪われ、仲間への攻撃を止められなかった自身を許せはしなかった。
精霊の力が疲弊していたなど言い訳にもならない。
エルシャンは己のマナの殆どを、自身が宿す精霊へと喰らわせた。
彼女のマナは特に精霊に好まれる。森人族のマナは精霊の好物だが、エルシャンのマナはその中でも一際極上の品だ。だからこそ、彼女は一層精霊に愛されている。
疲弊しきっていた風の乙女が、喜びに打ち震えた。
「〈精霊顕現〉」
エルシャンの声に応えるように、風が彼女の身体を包み、衣となる。
彼女の顔が切れ長の瞳の女性のものへと代わり、その手には鋼鉄の輝きを思わせる程の土で出来た両刃の剣が現れた。
それは、一本だけではない。
エルシャンの周りに、数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の剣が出現する。
〈精霊顕現〉――本来決まった姿を持たない筈の精霊が、エルシャンの呼びかけに応じてその姿を現す彼女の切り札である。
一度使用してしまえば、しばらくは精霊を休めなくてはならなくなるため、そう安々と使えるものではないが――
「何をしようがリュメルヘルク様とこの私に通用すると思うな冒涜者がぁ!!」
耳障りな声と共に、機械兵の両手の平から光線が放たれた。
回避不可、防御不可――ではない。
今の状態のエルシャンならば、どちらも容易く行えただろう。
しかし――
「受けよう」
エルシャンは――何もしなかった。
厳密に言えば、致命打にならぬほどにはその威力を僅かに散らしていたが、やったことはそれだけだ。
当然彼女の身体には決して浅くはない傷がつき、頭や口からは血が流れ落ちる。
「耐えただと!?」
「これは――ボク自身への罰だ」
ぼろぼろになりながらも、エルシャンは毅然とそう言った。
「ノイルを奪われ、仲間を傷つけられた。ボクは自分自身が許せないよ」
エルシャンは片手の剣を機械兵へと向ける。
彼女が負った傷は、ソフィの《精霊の風》により徐々に癒えていく。
「そして、お前も許しはしない」
「冒涜者が何を――」
「〈風土剣舞〉」
アイゾンの言葉を遮ったエルシャンの声と共に、無数の剣が一斉に射出される。
高速で迫るそれを見たアイゾンは、怒り狂ったように叫んだ。
「どこまでも愚弄しおってぇ! ゴミがぁッ!!」
機械兵の掌から再び光線が射出されようとした瞬間、突如側に現れたエルシャンがその腕を土剣でかち上げた。
あまりの速度にアイゾンは反応できず、光線は空へと射出される。
「な……ッ! ぐぅおおおおおおおおッ!!」
その間に、無数の土剣は機械兵へと次々と豪雨のように降り注いだ。無防備な胴へと集中砲火を浴びたアイゾンは、荒れ狂う無慈悲な暴風雨の如き威力に声を上げる。
「ぐ、くぅッ!!」
耐えきれないと判断したのか、機械兵の機体が変形し、殻に閉じこもるように球体となった。
「ば、馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁッ!! ああ、傷がぁッ! この至高の身体に傷がぁッ!!」
殻に閉じこもったアイゾンは、パニックを起こしたかのような悲鳴を上げた。
当然、土剣は止まることなく降り注いでいる。
やがて、防御を固めたその球体にすら、罅が生じ始めた。
「はぁ!? な、何故、何故だッ!? どうしてこうなるッ!? リュメルヘルク様ッ!! ああッ!! リュメルヘルク様ぁッ!!」
ロクな抵抗も出来ず、悲鳴とも狂声ともとれる叫びを発するアイゾンを、エルシャンはただ黙って冷ややかな瞳で見下ろしていた。
「リュメルヘルク様!! 私に救いを!! どうかお助けくださいリュメルヘルク様ぁああああああああああああッ!!」
その絶叫を最後に、もはやアイゾンは言葉を発する事もできなかった。
ただ絶対の信頼をおいていた身体をまともに動かす事も叶わずに破壊され続ける。
降り注ぐ土剣は決してやまず、むしろその勢いを増し続けた。
言葉にすらなっていない声しか上げることの出来ないアイゾン――機械兵を次々と土剣が貫いていく。
そして――
「か、が……ぁ……」
頭部を土剣が穿ち、アイゾンは完全に沈黙した。
音もなく、機械兵の身体とアイゾンの魂は消失する。
それを確認したエルシャンは、〈精霊顕現〉を解く。
「痛みは感じないのか……残念だ」
そして、そう呟くのだった。