78 突破
神天聖国――『浮遊都市』へと突入したシアラは、愕然と目を見開いていた。
「…………」
《魔女を狩る者》の中で言葉を失い、目の前に広がる光景に冷や汗が流れ落ちる。
彼女が驚愕し戦慄したのは『浮遊都市』の独特な造形にではない。
一本の通路に降り立ったシアラたちを取り囲む――十数体の機械兵にだった。
「神聖な地をその薄汚い身で穢す冒涜者共よ、もはや慈悲が与えられると思うな」
「おいおい……マジで何人いやがんだこのクソは……」
一体の機械兵が無機質な声を発し、背に乗ったアリスが額から汗を流しながら呟く。
その声に余裕は感じられない。彼女は今まさに魔導具を創り出そうとしているが、まだ完成に至ってはいなかった。戦闘力はほとんどないに等しい。
しかし、余裕がないのはそんなアリスだけではない。フィオナ、ノエル、そしてシアラも同じである。
外の三体ですら厄介な相手であった。中でも特別らしい一体は、シアラですら一対一では勝てないと判断していた。
そんな相手が――これ程の数。
しかも、また特殊な個体に引き連れられている。あれも外の一体と同格だろう。
ノイルへと辿り着くどころか、全滅を免れ得ない可能性すらある。
いや、確実にそうなっていただろう。
「行け」
ミリス・アルバルマという超越者が居なければ。
「どうやらここは我にしか務まらぬ」
静かで、それでいて取り囲む機械兵よりも遥かに強い威圧感を感じる声。凍てつく程冷たく鋭いそれは、味方でありながらシアラに恐怖を覚えさせた。
ノイルが拉致されてから今まで言葉少なだった彼女が、どれ程の怒りを湛えていたのか。そして今、ここで足止めを食うことがどれ程不快なのか。それは想像を絶するものだろう。
決して、想いの強さは負けているつもりはない。しかしシアラは、身体の震えを抑えられなかった。
ミリスはそれ以上は何も言わず、『収納函』から手のひら程の小さな瓶を取り出した。
口の広い小瓶はコルクで栓がされており、中にミニチュアの平原が広がっているように見える。
コルクを外したミリスは、機械兵たちを睥睨した。
「招待じゃ」
彼女がそう声を発すると、瓶が一度輝き――
「何っ!?」
周囲の機械兵を次々と中へ吸い込み始めた。
瞬く間に、抵抗も虚しく機械兵たちは小さな瓶へと納められていく。
そして最後に、ミリス自身が瓶の中へと取り込まれ、誰が触れる事もなくひとりでにコルクがその口に嵌った。
通路に残された瓶を、フィオナが拾い上げようとして――その手が弾かれた。
自身の手を見つめながら、彼女は頷く。
「なるほど……ミリスさん以外は触る事もできないようですね」
「間違いなく『神具』だな。このマナストーンといい……あの女は何で色々持ってやがんだ」
アリスが作業の手は止めずにそう言った。
確かにシアラも気にはなるが、今はそんなことはどうでもいい。重要なのは道が開けたということだ。
「行きましょうか」
「そうだね」
フィオナの声にノエルが迷いなく応える。シアラも異論はなかった。すぐにその場から飛び立つ。
「置いてくことにちったぁ躊躇いとかねぇのかよてめぇら。死ぬぞあいつ」
「…………あの女は、死なない。化物だから」
「あぁん? 確かにつえぇのはわかるがあの数だぞ」
「あなた、意外と優しいんですね」
「あ? 殺すぞ」
「ミリスなら問題ないよ」
「……ハッ、イカれてんな」
三人の言葉を聞いたアリスは、呆れたように口を閉ざした。彼女が力を注いでいたマナストーンは、既にその造形を殆ど整えつつある。
そして、大聖珠がいよいよ目前へと迫った時であった。
「来ます!!」
「ッ……!」
下方からの強襲をフィオナとシアラは左右に別れ回避する。機械兵の腕がその間を通り抜けた。
「まだいるの!?」
ノエルが声を上げたのと同時に、腕を回収するかのように一体の機械兵が現れた。
フィオナが素早く短銃を向け、シアラは身構える。
と、その瞬間更に下方からシアラ達を火球や氷塊など、複数の魔法の嵐が強襲した。
「くッ……!」
魔力耐性のある《魔女を狩る者》を纏うシアラは回避する必要はなかったが、フィオナは別だ。しかし不意をつかれながらも彼女は高速機動でそれら全てを回避する。が――そうして生れた隙に機械兵が突っ込んだ。
シアラの位置からではカバーは間に合わない。
「ッ!?」
瞬間、突如背への重みが増し、強い衝撃をシアラは感じた。
「はいどーんッ!!!」
紙一重――フィオナへと機械兵の拳が届く寸前、アリスの声が響き機械兵を上から何かが叩き落とす。凄まじい勢いで機械兵は通路の一本に叩き落とされ。大聖珠周囲に集まっていた信者たちを数人吹き飛ばした。
飛び蹴りを機械兵へと浴びせたそれは、攻撃の反動を活かし、シアラの背へと再び跳び乗る。
「ぐ……ッ」
着地の衝撃と重みに、シアラは眉を顰めた。
だがそんな彼女は他所に、辺りには独特の笑い声が響き渡る。
「クヒ、クヒヒヒヒヒヒヒ! クヒハハハハハハハハハ!」
両腕を広げ、通路に落ちた機械兵を見下ろしながら、アリスは嗤う。
彼女の隣には、機械兵の体躯に劣らぬ巨大な――もう一人のアリスが居た。
紺碧のフリルのついた愛らしい服を着たそれは、よくよく見れば人形だという事がわかる。
自動人形、アリスが最も得意とする魔導具だ。
「『紺碧の人形』プリティキューティアリスちゃんバージョンの完成だおら!」
趣味が悪い。シアラはそう思った。
「助かりました……ですが、趣味は最悪ですね」
「んだとぉ!?」
シアラと全く同じ意見だったのか、フィオナがそう呟く。おそらくゴーグルの下の眉はこれでもかとばかりに顰められている事だろう。
アリスはフィオナを睨みつける。
「本物より可愛いね」
「んだとぉ!? あ、いや、あー……」
そしてノエルの柔らかく辛辣な言葉に、アリスは彼女にもガンを飛ばし、思い直したように頭をガリガリとかいた。
自らの創ったものを褒められて嬉しいのと、同時に貶められたのとで、複雑な心境なのだろう。
実際、人形のアリスは若干本物よりもスタイルが良くなっているが、シアラとしてはどうでも良かった。
「…………重い」
「ああ!? アリスちゃんが重いってぇのか!?」
それだけ大きければ当然だろう。シアラはそう思った。
「ちっ……まあ良い。最高のマナストーンのおかげで性能はピカイチだ。本当はもっと拘りたかったが……そこはしゃあねぇ」
言いながら、アリスは人形の背へと回り込む。途端、その背が両開きの扉のように開いた。彼女は迷うことなく人形の中へと入り込む。すると人形の瞳が輝き、まるで生きているかのように口を開いた。
『――可愛い可愛いアリスちゃんと超絶可愛いアリスちゃんが揃えばどうなると思う?』
「…………知らないけど」
『最強だ』
意味がわからなかったが、アリスが中から人形を操っているのだということだけは理解できた。
『おい、付き合えデカ乳クソゴーグル。二人であのクソ野郎とその取り巻きやんぞ』
「何で私が……」
ノイルの元に一刻も早く駆けつけたいのだろう。フィオナは不満げな声を発した。
彼女の首には当然、《愛》が嵌っている。都市の防護壁を越え中に侵入した事で、ノイルの存在を強く感じているのだ。もう目と鼻の先の彼に会いたい気持ちを抑えるのは、フィオナにとって耐え難い苦痛なのだろう。
「アタシはテセアのダチだ。だからまずこいつを会わせてやりてぇのと、地味ノエルは単体じゃ戦力にならねぇらしいからな。ここの足止めはアタシたちだ」
シアラの背を遠慮なくガンガンと踏みつけながらアリスはそう言った。それに苛つきながらも、シアラはテセアという存在の事を考える。事情はアリスから聞いていた。血の繋がった双子の姉らしいが――正直あまり興味はない。
シアラはノイルさえ居ればそれでいいのだ。
今更姉妹が居ると言われても――
「それによ、ノイルも会わせたいって言ってたぜ? そのためにあいつは頑張ってた」
ならば話は別である。
シアラは姉と良好な関係を築こうと決めた。
「……あなた一人では?」
「無理だ」
「はぁ、最強じゃなかったんですか……」
フィオナは諦めたように嘆息する。先程のアリスの言葉は、自身をノイルの所有物と自称する彼女にとっても殺し文句だったのだろう。ノイルの望みを叶える事は、フィオナにとってもこの上ない喜びであるはずだ。
「っせーな! 魔導具ってのは数があってこそなんだよボケ! いくらアリスちゃんの魔導具が最強でも一つじゃ限界があんだクソ!」
「醜い言い訳はやめてください」
「ああ!? 殺すぞてめぇ!」
「その殺意は敵に向けてください。あなたの攻撃、全くダメージがなかったみたいですよ?」
シアラ達の下――通路の上では、機械兵が起き上がっているところだった。残念なことにどこにも損傷は見当たらない。
「さっさと片付けて私は先輩の元に向かうつもりですから。せいぜい足を引っ張らないで下さいね」
そう言うと、フィオナは急降下しながら機械兵と信者達に向けて短銃を連射した。複数の魔弾が唸りを上げ着弾し、起き上がった機械兵を凍りつかせ、周囲の信者達を豪風が吹き飛ばす。
「てめぇ待てやこら! 殺す絶対殺す! てめぇも敵だおら待てやクソデカ乳がぁッ!!」
アリスがシアラの背から飛び降り、フィオナの後を追う。
「行こう、シアラちゃん」
身体が軽くなったシアラは、ノエルの声とほぼ同時に急加速し、大聖珠入り口へと向かった。
そして入り口に辿り着くと、一旦魔装を解く。《魔女を狩る者》のサイズでは扉を通れない。
ノエルが事前に聞いていた通りに素早く球体を操作し扉を開けると、二人は即座に中へと侵入した。
二枚目の扉も開け、大聖珠へと足を踏み入れる。
「…………面倒」
「やっちゃってシアラちゃん」
その複雑な構造を、バカ正直に順路通り進むつもりなど毛頭ない。シアラは再度《魔女を狩る者》を纏い。通常形態の拳で筒状の通路の壁を殴りつけた。一撃目で罅が入り、二度目で壁は粉々に砕け散る。
素早く飛行形態に変形したシアラの背にノエルが跳び乗り、破壊した壁から飛び出した。
瞬間、大聖珠内にはけたたましい音が鳴り響く。
これも事前に聞いた情報の中にあった、『浮遊都市』の防衛機能。
すぐさま大聖珠の至る所から、一つ目のようなものがついた浮遊する球体が出現し始めた。
人の頭程のそれは、侵入者である二人へと次々とワイヤーのようなものを放ち、捕らえようとする。
無数のそれを躱し、複雑に張り巡らされた筒状の通路の隙間を縫うように飛びながら、シアラは大聖珠内の床へと着地した。球体特有のなだらかな傾斜の先――大聖珠中央から伸びる透明な管を、通常形態へと変形したシアラは目指す。
追ってくる無数の防衛装置は――ノエルに任せて。
シアラの背から下りた彼女の顔には、目から鼻辺りまでを覆い隠す仮面が嵌っている。
今回ノエルは、ミリスから二つ程『神具』を預かっていた。
これはその内の一つ。戦闘力の劣る彼女がどうしても戦わざるを得なくなった時の為の保険――『血染めの舞踏会』。
「あはっ」
仮面を着けたノエルが嗤ったのと同時に、『血染めの舞踏会』の目元部分からは大量の血液が流れ落ちた。
それは、彼女の身体を瞬く間に包み込み、深紅のドレスとなる。
そして、次の瞬間――ノエルは視認困難な速度で、跳んだ。
大聖珠内の通路や壁、球状の防衛装置すらも足場にし、彼女は縦横無尽に跳び回る。
ノエルを捕らえんとするワイヤーに似た物体など、掠りもしない。
「あはははははははははは!!」
愉しげに、愉悦を貪るかのように、狂乱したかのようにノエルは甲高い笑い声を上げながら、口角を思い切り吊り上げ、次々と一つ目の球体を荒々しく破壊していく。
「あはっあははあはは!! ノイル! ノイルノイルノイルぅッ!! 待っててねぇ!! すぐにぃ! あはっ! すぐに行くからねええええええッ!! あははっ! こいつらを殺してからぁッ!! あははははははははははははは!!」
平時の彼女からはかけ離れた戦闘力と、狂気に染まったかのような言動。
それが、『血染めの舞踏会』が彼女に齎した効果であった。
『血染めの舞踏会』は、強者の血を吸わせることで、使用した者に力を与える『神具』だ。しかし、同時に強力な力を与えられれば与えられる程、使用者の精神は狂気へと導かれる。
そして『血染めの舞踏会』が与える力は、吸わせた血の量と、その血の持ち主の強さに依存するが――今ノエルが使用している『血染めの舞踏会』に血を捧げたのは、ミリスであった。
それも、自身が使用する予定など一切無いにもかかわらず、何となく、持っているからという理由で彼女は長年『血染めの舞踏会』へと血を吸わせ続けていたのだ。
故に、『血染めの舞踏会』が与える力は計り知れないものとなっていた。
今ノエルの戦闘力は、ミリス自身と戦っても勝負になる程に高まっている。
しかしそれと同時に、精神にも多大な影響を与えていた。常人ならば到底制御などできず、ただ暴れるだけの存在と化していただろう。
『血染めの舞踏会』を貸し与えられたノエルへのミリスからの忠告は、「ノイルの事だけを考えよ」だ。
精神を蝕む『血染めの舞踏会』の影響を受け、それでもなおノエルが完全に呑まれていない理由は一つ。ノイルへの一途な想いである。
狂気的な想いで、ノエルは自身を蝕む狂気に抗っていた。
「…………」
シアラは驚異的な動きで狂気的な叫びを上げているノエルを見て、やはりノイルには近づけない事に決めた。
危うく騙されるところであった。
最も狡猾なタイプだ。
やはりノイルの傍に居るのは自分だけでいい。
シアラは大聖珠の更に下へと伸びる管を渾身の力を込めて殴り続けながら、そう思っていた。
「…………硬い」
先程の通路の壁とは比べ物にならない程の強度だ。手を休めずにもう何度殴ったことだろうか。
《魔女を狩る者》は飛行能力と堅固な防御以外には特殊な能力を持たないが、決して物理的な攻撃力が低いわけではない。むしろその巨体に見合わぬ速度と純粋な力を持ち合わせている。
普通の壁程度ならば容易く破壊できるが、この都市はやはり異常だ。『神具』の中でも別格と言われるだけはある。
だが――既に管には無数の罅が入っていた。
強度は外の防護壁程ではない。
「…………なら、壊せる」
シアラは最後の一撃を、全身全霊をもって叩きつけた。
大きなガラスが破損するような音が辺りに響き渡る。
後は、進むだけだ。
シアラは一度振り返る。
未だ甲高い笑い声を上げながら凄まじい速度で暴れ回っているノエル。
既に殆どの一つ目は破壊され、ついでに目に付く所も手当たり次第破壊したのか、凄惨な光景が広がっていた。
もはや警戒する必要はないだろう。
「…………行くよ」
「あはっ! うん! ノイルに会いに行こうねぇ!! ぎゅううううううううってするのぉッ!!」
ノエルの危険度を上方修正しまくったシアラは、管の中へと飛び込み、基盤内部を目指すのだった。