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48 黒猫の遊戯場


「うおおおおおおおおおおおおッ!!」


 《狩人》を纏い、全力で駆ける僕に背負われたレット君が、気合いの叫びを上げて〈炎弾(フレイムバレット)〉を連射する。


 彼は身体能力が高くなく、加えて魔法を使うには集中を要するため近接戦闘向きではない。戦えない事はないだろうが、クライスさんのような実力者相手には厳しいだろう。

 獣人族すら圧倒する驚異的な動きをしつつ、魔針や魔力波も飛ばす頭のおかしい存在が身近に居るため勘違いしそうになるが、本来魔人族とは敵と距離を保ちつつ戦うのが定石である。

 故に、レット君には僕の背で固定砲台となってもらっていた。彼は火力担当、僕は脚担当だ。弓はマナを消費して矢を放つため、発現させていない。攻撃は全てレット君頼りである。

 完璧な役割分担のはずなのだが――


「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」


 僕らを追ってくるクライスさんの分身体達は、迫る〈炎弾〉を速度を落とさず爽やかに笑いながら、右手に持ったきらびやかな剣で全て切り払っていく。

 怖いよ、もう怖いよこの人。追いつかれたら何されるかわからないよ。


「だあああああ! 来てる! 止まらねぇ! ノイルん超来てるってぇ!」


「わかってるぅ! わかってるからぁ! 撃って、とにかく撃ってぇ!」


「ちくしょう怖ぇぇぇぇぇ! ミーナ姉ぇ! 助けてくれぇ!」


 無様に叫びながら逃げ惑う僕たちに、しかしミーナからの返答はない。彼女は今クライスさんの本体を相手にしていた。額に汗を浮かべ苛烈な攻撃を繰り出すミーナに対して、クライスさんはその全てを、ひらりひらりと白い歯を輝かせながら躱している。


 分身は全て僕らへと向かってきているが、それでも負担はミーナのほうが大きそうだ。返事をする余裕もないらしい。彼女の助けは期待できそうになかった。


 もはや半狂乱で〈炎弾〉を連射するレット君と、広い訓練場を必死に走り回る僕。

 ミーナとの一戦を参考にして壁を駆けたりするが、クライスさんたちは数を活かして徐々に徐々に僕らを追い詰めていった。

 そしてとうとう、僕らはクライスさんの分身体達に取り囲まれてしまう。


「いく――ぜ!」


「来んなああああああ!」


「やめてええええええ!」


 レット君と僕の叫びも空しく、クライスさん達は一斉にポーズを決めると高速で回転し始め、ゆっくりと僕らへ距離を詰め始めた。

 まるで独楽のような速度で回る彼らの身体をきらびやかなマントが覆い隠す。ミーナの様子を窺いながらも思っていたのだが、シソウ流とは実に厄介である。繰り出される剣の軌道がマントに遮られ、全く読めないのだ。


「ッ……!」


「ノイルん! そっちはやべぇ!」


 咄嗟に上へと逃れようと跳躍した瞬間、レット君が焦ったような声で叫んだ。

 そして次の瞬間には、僕は自分の判断ミスを悟った。

 跳んだ先――そこに既に、クライスさんの一人が燦めく笑顔で待ち受けていたからだ。


「ん残念! さあおいでぇ!」


 空中で身体を捻ったクライスさんが、マントを使い僕らを絡め取る。そして熱烈すぎるハグをすると、もう一度身体を捻り、その勢いで僕らを近くの壁へと放り投げた。

 レット君が僕の背から引き離され、二人揃ってどうする事もできず、壁へと激突する。

 息が詰まるような衝撃と痛みが身体に奔り、《狩人》が破壊され解除された。


「ぐッ……ぅ……」


 そのまま床へと落下し、何とか起き上がるが、もはや《狩人》は使えない。一度破壊された魔装は、再び使用可能になるまで時間が必要だ。つまり、もう逃げ続けることは出来ない。

 ぞろぞろと壁際に追い込まれた僕らへと迫るクライスさん達を見て、僕はレット君と僕の敗北を悟った。

 だから――


「……レット、君」


「ッつぅ……何だよノイルん……?」


 額に手を当てて、頭を振りながら立ち上がったレット君に僕は声を掛けた。


「何とか、邪魔されない状況を作りたい」


 それには、クライスさんの分身体たちを倒すか抑えこむ必要がある。《狩人》無しの僕では無理だ。

 しかし、そんな僕の無茶な要求に、レット君はにやりと笑った。


「……いいぜ、任せろ」


 そして両手を前に翳し、彼は叫んだ。


「包み込め! 〈炎牢獄〉!!」


 クライスさん達を瞬時に業火の檻が包み込み、レット君の鼻からは血が滴り落ちる。


「ッ……急造だッ、長くは保たねぇ!」


 その声と共に、僕は痛む身体を無視して駆け出した。炎の檻を越え、未だクライスさん本体と戦いを繰り広げているミーナへと叫ぶ。


「ミーナ!!」


「はぁッ、はぁッ……! 何よ!?」


 息を切らしながらもクライスさんへと攻撃を続けるミーナが、こちらを見る事なく声を張り上げた。


「〈獣の歩行(ビーストステップ)〉を!」


「……!」


 それだけで、ミーナは意図を察してくれたらしい。レット君といい、流石はマブダチだ。

 彼女はクライスさんから跳び退り距離を取ると、四肢を床へと着け、極低い構えを取った。

 クライスさんが警戒する様にきらびやかな剣を正面へと構える。


「おもしろいねぇ! 受けて立とう!」


「《守護者》!」


 僕は《守護者》を素早く発動させ、クライスさんの周りを囲うように盾を展開させる。

 彼の視線が複数の盾を追うのと同時に、ミーナの姿がブレる様に掻き消えた。

 次の瞬間、僕の身体には強い衝撃が奔る。彼女が、盾を足場に軌道を変えたからだ。


 〈獣の歩行〉と《守護者》。

 ミーナの部屋で過ごしていた時、もしかすると出来るかもしれないと、僕らが冗談混じりに話していた技――〈黒猫の遊戯場(ブラックテリトリー)〉。


 ミーナが目視出来ない程の速さで盾の結界の中を跳び回る。目では追えないが予測と感じる衝撃を頼りに、僕は盾を操作し、衝撃を緩和させ押し出して彼女の速度を後押す。

 神経を集中させ、タイミングがズレないよう、その動きを阻害しないように全力でサポートする。


 マナはどんどんと削れ、〈獣の歩行〉の勢いを受け止める《守護者》も長くは保たないだろう。かなりの荒技だ、これで決めなければ後はない。

 不規則な軌道で迫るミーナの攻撃を、それでもクライスさんは紙一重で躱している。だが、もはやその表情は引き締められ、先程までの余裕は感じられない。


「ぐッ……悪ぃ限界だッ!」


 レット君が苦しげに顔を顰め、膝を着く。それと同時に炎の檻が消失し、クライスさんの分身体たちは一斉に僕へと向かってきた。もはや猶予はない。盾の全てをミーナへと回している今の僕は完全に無防備だ。

 彼女を信じるしかない僕は、叫んだ。


「いけええええええ! ミーナあああああッ!!」


「――――美しいね」


 時の流れがやたらゆっくりと感じられる中、笑みを浮かべたクライスさんの呟きが耳に届き――遂にミーナの攻撃が彼を捉えた。

 腹に超高速の飛び蹴りを受けたクライスさんは吹き飛ばされ、訓練場の壁へと激突し、轟音が辺りに鳴り響く。僕へと寸前まで迫っていた分身体たちが掻き消え、彼はその場に倒れ伏した。


「はぁっ……はあっ……」


 ミーナの乱れた呼吸の音が、静まり返った訓練場に響く。彼女は玉のような汗を腕で拭いながら、呼吸を整えている。やはり余裕はなかったらしく、既に《黒爪(ブラックネイル)》も解除していた。


「……殺してないよね?」


 僕はそんなミーナに、恐る恐る訊ねる。

 いや、戦っている時は必死だったから気にしてなかったけど、ピクリとも動かずうつ伏せで倒れているクライスさんを見ていたら不安になってきた。どう考えてもやり過ぎた気がする。

 だって、僕があんなの食らったら間違いなく死ぬよ。三回くらいは死ぬよ。

 もしかすると、僕らは殺人犯になってしまったのかもしれない。


「はぁ……あ、あのくらいで、死ぬような、奴じゃ、ないわ……」


 自分たちの犯した罪の大きさに怯える僕に、ミーナは息を切らしながら応える。


「……はぁ、まあ、しばらくは動けない、でしょうけどね……ふぅ」


 腰を両手に当てて、ミーナは最後に一つ息を吐いた。どうやら、ようやく呼吸が整ったらしい。こちらへと歩み寄ってきた彼女は、片手を上げる。


「ナイスサポート」


 そして、微笑みながらそう言った。


「あ、はい。頑張りました」


「…………」


 こくこくと頷く僕を、ミーナは片手を上げたままじっと無言で見ていた。何だろう……何か悪い事をしてしまっただろうか。

 機嫌良さそうだった表情がどんどん曇っていってる気がする。眉間に皺が寄っている。とりあえず、謝るか。


「……何やってんのよ」


「謝罪を」


「何でそうなるのよ! ハイタッチよハイタッチ! ほら!」


 ミーナはそう言いながら、床に頭を着けようとした僕の手をとって無理やり立たせると、そのまま自分の掌に押し当てた。

 何だそういうことか。察しが悪くてすいません。僕そういうのとは無縁の人生歩んで来たんで。汚属性なんで。


「まったく……」


 ミーナは腕を組み、呆れたように一つ息を吐いた。


「うおおおおおお! やったぜえええええ!」


 それと同時に、いつの間にか傍まで来ていたレット君が、歓喜の声を上げながら僕の背へと飛び乗った。

 慌てて彼の身体を支えると、がくがくと肩を揺すられる。


「何だよあれ! かっけぇなおい!」


 ちょ、落ち着いて、落ち着いてレット君。

 鼻血、鼻血飛んでるから。ついちゃうから、服についちゃうから。あ、ほら顔についた。


「レットも、ナイスファイト」


「うっす!」


 そんな僕らを見てミーナがくすりと笑い、レット君が快活な笑みを浮かべた。


「さて、と」


 そう呟いてミーナはクライスさんの元へと歩き出す。僕はレット君をおぶったまま後に続いた。

 彼の傍に僕らが到着すると、ミーナが腕を組んで仁王立ちし、倒れているクライスさんを見下ろす。


「どうせまだ起きてるんでしょ?」


「んー、正解っ」


 ミーナが声を掛けると、クライスさんは突然ばっと顔を上げ、白い歯を輝かせた。この人やべぇな、と僕は若干引いた。


「ふん……身体強化でガードしたわね」


「ギリギリ、ねぇ」


 マジかよ。


「マジかよ……」


 思わずレット君とシンクロしてしまう。声に出していたらユニゾンしていた。

 しかし、そんな僕とレット君を見て、クライスさんは苦笑する。


「心配、ないさ、動けはしないよ……完敗、だねぇ」


「よく言うわ、本気じゃなかったくせに」


「マジかよ……」


 今度こそレット君とユニゾンした。

 あれで本気じゃないとか店長とも戦えるレベルなんじゃないかな。クライスさんに店長倒してもらおうかな、多分無理だけど。


「いや、最後の、技は……全力でも厳しいね。美しい……技だった。練習、したのかい?」


「するわけないでしょ」


「した、ほうがいい。そうすれば……もっと美しくなる。俺はそれが、見たい」


「……気が向いたら、ね。無事も確認したし、もうあたしたちは行くわ」


 うーん……何か勝手に話が進んでるけど、僕は一生気が向かないと思うから、練習する機会はないと思うなぁ。この件が一段落したら『精霊の風(スピリットウィンド)』はしばらく遠慮したいし。あ、レット君とはもちろん一緒に遊ぶよ。抜け駆けして海釣りに行ったわけじゃなかった彼は一生マブダチだ。そして師匠は師匠だ。これからも釣り仲間として、末永くお付き合い願いたい。


「……ソフィ、ちゃんを、怒らないで、あげて、欲しい、ねぇ……」


 そう言って、クライスさんは目を閉じた。どうやら気を失ったらしい。流石の彼でも限界はあったようだ。


「……理由次第ね。行くわよノイル、レット」


「あ、はい」


「うっす」


 そして、ミーナに付き従う子分のように、僕らがへこへこと返事をした時だった。


「――その必要はありません」


 訓練場に平坦な声が響く。僕らが振り返ると、入り口には愛らしく小さなメイドが立っていた。この事件を起こした張本人であるソフィだ。

 そして、もう一人――


「ノイルっ!」


 彼女から首筋にナイフを突きつけられているにもかかわらず、何故か満面の笑みを浮かべているノエルである。

 彼女に会うのは久しぶりだが、少なくとも生死を握られた状態で花の咲くような笑顔を浮かべる人物ではなかったはずだ。

 どうしよう、助けたほうがいいのか凄く悩むこれ。ノエルは今どんな立ち位置にいるの?

 誰か教えて。


「……あんたの知り合い?」


「あ、はい」


 ミーナが困惑したように小声で訊ねてくる。僕が頷くと、今度は背中のレット君がぽつりと呟いた。


「変な女しかいねぇの……?」


 うーん……うぅーん……。

 いや、ノエルはまともだよ? 

 彼女は常識人なんだ。そのはずなんだよ。変な人なんかじゃないはずなんだけど……今のノエルを見ていると、自分の記憶が間違っていたのかと思ってしまいそうだ。

 僕が何と言ったらいいのか悩んでいると、ミーナがぶんぶんと頭を振ってソフィに向き直った。


「と、とにかく! ソフィ! あんた何やってんのよ! その人を離しなさい!」


「申し訳ございません。出来かねます。ですが、旦那様がマスターを愛して頂けるのであれば、すぐに解放致します」


「な……! あんたおかしくなったの?」


 ソフィは淡々と告げる。その声からは感情が読み取れないが、これは明らかな脅迫行為だ。ノエルを解放して欲しければ、エルと結ばれろと、そういうことだろう。


 最早やっていることが無茶苦茶だ。ソフィが何を考えているのか全くわからない。冗談を言っているわけでもないらしい。相変わらず無表情ではあるが、瞳には決意と焦りのような色が僅かに窺える。


 一体何が彼女をそこまでさせているのか……事情はわからないが、これは許される行為ではない事だけは確かだ。

 僕はレット君をゆっくりと下ろし、ソフィと正面から向き合った。

 そして口を開き――


「へ?」


 間抜けな声を上げた。


「え?」


「は?」


 ミーナとレット君も、ぽかんと口を開く。


 何故なら、ノエルが自分へと向けられていたナイフを素手で握ると、目を見開くソフィの腕を素早く掴み、捻り上げ、床へと組み伏せたからだ。

 そしてソフィのナイフを奪ったノエルは、自身の血で染まったそれを膝で押さえつけた彼女の首筋に添えた。


 一瞬の出来事だった。ソフィも含め、多分この場にいる全員が呆気に取られていた。


「案内ありがとう。私はミリスやフィオナと違って何処に居るのか、とかはわからないから。でも私が一番ノイルの事わかってるんだ。だから旦那様、なんて呼ぶのはやめてあげて? ノイルは嫌がってるから」


 誰もが動けない中、ノエルは愕然としたような表情を浮かべているソフィへにこりと微笑む。


「ね?」


 シン……と、辺りが静まり返り、そしてレット君がやけくそ気味に叫んだ。


「か、確保ぉ!」


「あ、そ、そうね!」


 はっと、慌てたようにミーナが頷き、二人は迅速な動きでソフィへと駆け、ノエルの代わりに取り押さえる。

 あまりのショックで、僕は動けなかった。


 ゆっくりと、顔を伏せたノエルがこちらへと歩いてくる。右手からは血が滴り落ち、床に点々と痕を残していた。

 大丈夫だろうかとか、痛くないのだろうか、とか思う前に、彼女は本当にノエルなのだろうかと思ってしまう。


 僕が『白の道標(ホワイトロード)』を出てから一体何があったの。ねぇ、誰か教えて。


 ていうか店長だよね? 

 これ店長が何かやったよね? 

 僕こんな人知らないんですけど。無邪気に笑うノエルはどこに行ってしまったの?


「ノイル」


「あ、はい」


 目の前まで来て顔を上げ、僕の名を呼ぶ声は間違いなく彼女のもので、人好きがするであろう可愛らしい顔立ちも、僕の知っているノエルと相違ない。

 けれど、何か怖かった。本音を言えば逃げたかった。だけど脚が動かなかった。


「会いたかった!」


 蕩けるような笑みを浮かべて、彼女は僕の胸へと飛び込んで来る。感動の再会っぽいが、何か怖かった。

 背へと回された両手が(まさぐ)るように動くのも、何か怖かった。


 しばらく僕を抱きしめていたノエルは、そっと僕の頬へ手を添える。何か怖かった。


「寂しかった?」


「ア、ハイ」


 僕の頬にべたっとノエルの真っ赤な血が付着し、普通に怖かった。

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