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47 悪夢


「気ぃつけろ二人とも、クライス兄ぃもこの件に一枚噛んでる」


 レット君が警戒するように立ち上がり、僕らに小さな声で注意を促す。

 僕とミーナは一度頷き合い、立ち上がってくるくると回っているクライスさんと向き合った。いや、くるくる回ってはいるが、彼の顔は固定されたように常にこちらを向いているのだ。だからどうやっているのかはわからないが、多分向き合ってる。


「クライスさん、どうしてこんな事を?」


「んー、ソフィちゃんに頼まれてしまったからねぇ」


 相変わらずくるくると回転しながら、顔だけを固定してクライスさんは答える。表情だけが器用に変化するのは不気味だ。彼は眉をハの字にして、困ったように続ける。


「俺もこんなやり方は良くないと思うんだけどねぇ、美しくない」


 そしてビシッとポーズを決めると、一度乱れた髪を掻き上げ、肩を竦めた。


「だけど、俺は今回はソフィちゃんの味方をするって決めたのさ」


 ふざけた態度から一転して、クライスさんの瞳には僅かな憂いの色が見られた。


「悪いねマイフレンド。君たちが彼女を止めると言うのなら、俺はそれを阻止させてもらうよ」


「何か、事情があるんですね? 教えてくれませんか?」


「んー、ノンノンノン。残念だけどそれは俺の口からは言えないね」


「もう、いいわ」


 ミーナが痺れを切らしたように一歩前に出て、クライスさんを睨みつける。


「直接ソフィを問い詰める」


「……それが、いいだろうね」


 クライスさんがふっと息を吐き、どこか寂しげな笑みを浮かべた。普段から大仰すぎる仕草ではなくこうした態度ならば、今頃王都中の女性を虜にしているのではないかと思える程に今の彼は美青年だ。

 しかしそれは一瞬の事で、すぐに気を取り直したようにビシッとポーズを決め、白い歯を輝かせた。


「んだごほっ! んごほっ!」


 そして咽た。


「ごほっ、こほっ……あー、んん、あーめんごめんご、ちょっとタイムね。あーなんか気管に……うん、うんんんんん!」


 咳き込みながらこちらに片手を向け、クライスさんは喉の調子を整え始める。思わず気が抜けてしまった僕とは対照的に、ミーナが素早くクライスさんと距離を詰め、右脚で蹴りを繰り出す。が、それをクライスさんは喉のチェックをしながら屈んで躱してみせた。

 決してミーナの蹴りは手を抜いていたわけではない。むしろ殺意が込められていたように思う。


「ちッ……」


 ミーナが忌々しげに舌打ちし、跳び退り再び僕らの傍へと戻る。

 今の一連の動きを見て、僕は恐る恐る彼女に訊ねた。


「クライスさんってランクAだっけ……?」


「そうね」


「ミーナより強いの?」


「……勝った事はないわ」


 なるほど。


「レット君は?」


「相手にもならねぇ」


 なるほど。

 険しい表情を浮かべている二人からの返答に、僕は落ち着いて一つ息を吐いた。


 んなるほどね。


 化物じゃん。

 何だあの人、化物じゃん。

 ただのハグの達人であってほしかった。

 その二つ名に相応しく、どうやらクライスさんは悪夢のごとく強いらしい。

 ミーナが勝てないのはともかくとして、レット君が相手にもならないとは、一体どれほど規格外なのか、最悪だ。


 どうしてこんな暴挙に走ったのかソフィに確かめなければならないのだが、彼が敵――という表現は正しくないかもしれない。とにかく、クライスさんが僕らの妨害をするのであれば、厄介極まりない。まあこちらは三人もいるし、何とかなるはずだけど――


「あ」


 そう考えた時、僕は何か違和感がある事に気づいた。自分の身体を確認し、すぐにその正体へとたどり着き、嫌な事実に頬を汗が伝う。

 ミーナが《黒爪(ブラックネイル)》を発動させながら、少し悔しそうに口を開く。


「問題ないわ、確かに一人じゃ厳しいけど――」


「ミーナさん、ミーナさん」


 僕は彼女の言葉を遮り、ちょいちょいと肩をつついた。ミーナが怪訝そうに眉を顰めてこちらを見る。


「何よ?」


「マナボトルが無いんですけど」


 僕の腰からは、いつものポーチが無くなっている。当然、マナボトルなど一本も無いわけで、僕のマナ量はたかが知れているわけで。これでは《狩人》くらいしかまともに使えないわけで。

 いや、《狩人》は優秀なんだけども。


「……」


「……」


「はは、やべぇな……」


 思いっきり顔を顰めたミーナと無言で見つめ合っていると、レット君が半笑いでぽつりとそう呟いた。

 ミーナがぶんぶんと大きく頭を振る。


「も、問題ないわ! あんたらはあたしのサポート! いいわね!?」


「あ、はい」


「う、うっす!」


 気迫のこもった声で言われ、僕とレット君はこくこくと頷く。ダメな男二人組であった。


「んだけど! 俺がそうはさせないよ!」


「あ、はい」


 そうこうしている内に、喉のチェックを終えたクライスさんが、両手を広げながら高らかな声を上げた。どうやら先程の続きらしい。

 僕らは一斉に彼の方を向くと、クライスさんはお得意のターンを始めた。


「《完璧な俺(パーフェクトクライス)》!」


 何だその魔装(マギス)


 くるくると回るクライスさんの背に、きらびやかな真紅のマント、腰に宝石の様に輝くこれまたきらびやかな一振りの剣が現れる。もうなんかきらっきらしてる。とにかくきらっきらしてる。


 彼はバサッとマントを翻して一度停止しポーズを決めると、先程とは逆回転し始める。目とか回さないんだろうかあれ。


「んん! そしてぇ! 《俺がいっぱい(パーフェクトワールド)》!!」


 何だその魔装。


 くるくると回るクライスさんが、一人、また一人と増え始め、僕は目を疑った。ごしごしと目を擦ってみるが、どう見ても見間違いではない。十数人程に増えたクライスさんが、横一列に並び、くるくると回っている。


「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」

「ハハハ!」


「ひぇっ」


 ひぇっ。


 クライスさんたちが一斉に笑いだし、僕は思わず一歩後退る。何あれ怖い。

 僕が怯えていると、彼らは一斉に止まり、マントを翻しながら全員がそれぞれ違うポーズを決めた。


「え、このポーズの俺格好良すぎない?」

「んん、最高だねぇ。だけど俺も負けちゃいない」

「俺の美しさに勝てるかな?」

「この俺こそが! ん至高のんポーズんだ!」

「いや、俺の腰つきを見てくれ!」

「んなら! 俺は整った指先を!」


 そして、全員がわちゃわちゃと会話し始める。頭がおかしくなりそうだった。

 汚物でも見るかのような視線を向けたミーナが、心底嫌そうに説明する。


「……《完璧な俺》は、単純に能力を上げる魔装だと思えばいいわ。腰の趣味悪い剣は、見た目に反して切れ味は抜群よ。クライスはシソウ流の達人なの」


 シソウ流と言われても、剣術に興味のない僕はよくわからない。確か、大きなマントと片手剣を使った変わった流派だったと思う。その動きは変則的であり、使用者も少ないといつだったか店長から聞いた。あの人剣も扱えるからね。ていうか武器全般扱えるんじゃないかな。自己流らしいけど。

 しかしなるほど、その為の魔装なわけだ。


「《俺がいっぱい》は……見たまんまよ。自分の分身を創り出す魔装。何体出せるのかはその日の調子次第らしいわ。一体一体は大したことないけどね。レットと同じくらいよ」


 ……それ、大したことありますけど。


「ちょ! ミーナ姉ぇ、俺が弱いみたいに言うなよ! 流石に俺のほうがつええって!」


 だよね、そうだよね、流石にね。

 まったくミーナもこんな時に冗談はやめてほしい。

 ほら、レット君も不満そうじゃん。


「……ちゃんと距離があれば」


「え、近かったら?」


「きつい」


 ………………。


 なるほど。

 やや肩を落としたレット君の答えを聞いて、僕は思ったのだった。


 確かにこれは――『悪夢(ナイトメア)』だ、と。







 屋敷の庭、氷柱から降り立ったエルシャンが、屋敷の扉に寄りかかっているミリスへと向き直った。


「次はキミだ」


 目を細めるエルシャンとは対照的に、ミリスはくつくつと愉快そうに笑う。

 そんな彼女を見て、エルシャンは訝しげに眉を顰めた。


「ああ、すまんのぅ。あまりにも滑稽でな」


「滑稽、だって……?」


「それ程必死になっている姿を見ると、どうしても笑いが堪えられぬ。ノイルは我のものじゃというのにな。やはり我のノイルはそれほど魅力的だということかのぅ。まあ貴様は一月と少しの間楽しめたのだからよいではないか。『願望鏡(デザイアミラー)』を通して全てを視ておったが、中々に羨ましいものじゃったぞ。後で我もノイルに同じ事をしてやらねばならぬと思うくらいにはのぅ。じゃが、ノイルは照れ屋じゃから嫌がるかもしれんのぅ。そうじゃ、あの蝋燭を譲ってくれぬか? この機に身体も繋がるのは悪くないかもしれんからのぅ。心は既に繋がっておるが、肉体的な繋がりを作っておくのも悪くないかもしれぬ。貴様程ではないかもしれんが、我も女じゃ、そういった欲求は少なからずあるからのぅ。まあもっとも、我とノイルは《白の王(ホワイトロード)》で一つとなる事もあるのじゃから、身体も心も何もかもが既に繋がっておるといっても過言ではないがな。あれはよいぞ、他の者には一生味わうことの出来ぬ快楽じゃ。貴様は何よりも肉体的な繋がりを求め、ノイルと結ばれたいようじゃが、真の意味で結ばれるというのは、ああいった事を言うのじゃ。そしてそれは我にしか成し得ぬ。我だけが真の意味でノイルの特別な存在なのじゃ。ああ、じゃからと言って悲観する必要はないぞ? 今回のように、ノイルを誘惑することに関しては我は何も言わぬ。身体を重ねてもよいじゃろう。そうなったら我もそれよりも多く身体を重ねればよいだけじゃ。恥ずかしい話じゃが、ノイルは我のものだとわかっているというのに、他者が触れた部分はそのままにしておけなくてのぅ。ノイルが自らの意思で相手を選ぶことは許容できるのじゃが、我のノイルの身体に他の女の手垢がついたまま、というのはどうしても許せぬのじゃ。これが独占欲というものなのかのぅ。ああ、これでは貴様を滑稽だと笑えぬのぅ。ふふ、愛とは人を愚かにするものじゃな。悪かったのぅ、我のノイルの為に必死な貴様を馬鹿にして。謝罪するのじゃ。じゃからどうじゃ? ここは一つ和解せぬか? 貴様は精霊を通してずっとノイルを視ておったのじゃろう? 無いとは思うが、もしかすると我の知らぬノイルの秘密などあったら教えてくれぬか? ああ、それからやはりあの蝋燭も譲ってくれると嬉しいのぅ」


 にこやかに手を差し出すミリスに、エルシャンは冷たい瞳を向けていた。伸ばされたミリスの手が、風に切り裂かれ、鮮血が辺りに飛び散る。


「ふむ……残念じゃ」


 ミリスは複数の深い切り傷がつけられ、どくどくと血を滴らせる自分の腕を眺めながら、つまらなそうに呟いた。それと同時に、徐々に傷が塞がっていく。


「キミは異常者だ。危険すぎる」


「そう昂ぶるでない。それに、勘違いしておるようじゃが――まだ終わっておらんぞ?」


 ミリスが口の端を吊り上げるのと同時に、エルシャンの背後の氷柱が砕け散った。

 翼が折れ、欠けたゴーグルの隙間から片目が露出している傷だらけのフィオナが、ぼろぼろになった短銃を向ける。一発の魔弾が発射されると、短銃は粉々に砕け散った。既に一挺しか残っていなかった武器を失ったフィオナは、しかしそれを意に介さずエルシャンへと突進した。


「くッ……!」


 ミリスへと意識を向けていたエルシャンの反応はやや遅れる。発射された魔弾を寸前で風が弾く、が、既にその時にはフィオナが目の前に迫っていた。

 エルシャンの目が見開かれ、その頬に、フィオナの拳が叩き込まれる。


「ッ……!」


 たたらを踏むエルシャンに、さらにフィオナは追い打ちをかけようと迫る。が、吹き荒れた突風吹き飛ばされ、地面を転がった。

 顔を上げたエルシャンの口元から、一筋の血が流れる。彼女はそれを親指で拭い、未だ起き上がろうとするフィオナを見て瞠目した。


「……どうして、動ける? そんな身体で」


 ふらふらと立ち上がったフィオナは、全身から血を流し、《天翔ける魔女(ヘブンズウィッチ)》は大半が破壊され、もはや機能していない。どこからどう見ても満身創痍だ。

 しかし、その瞳だけは強い輝きを放っていた。


「……愛、の、力です」


 息も絶え絶えに、フィオナはそう言って笑う。彼女の身体はとうに限界など超えている。無数の切り傷だけではなく、左肩は落下の際に骨が砕け、内臓にもダメージはある。視界は霞み、ほとんど見えてはいない。絶え間なく全身を激痛が奔り、呼吸すら覚束ない。


 けれど、意識だけは失わない。

 彼女の首に嵌まった、《(ラヴァー)》の力で。


 《愛》はノイル・アーレンスの命令に応える為の魔装である。彼の要望に応える為、本来低いフィオナの身体能力は強化され、そして、ノイルの命令以外では容易に意識を失わない。

 だが、それは彼女にとってはおまけにしか過ぎなかった。《愛》を通して彼を感じているだけで、フィオナはどれ程苦痛を味わおうが、それに勝る幸福を得られる。どれだけ辛くとも、頑張ることができる。

 だから、簡単には倒れたりしない。


 彼女を突き動かすのは、もはや狂気とも呼べるノイルへの愛だ。


「……もうやめるんだ。それ以上動けば、命を落とす事になる」


「……あ、なた、を……」


 ゆっくりと、一歩ずつ、身体を引きずるようにして、フィオナは前へと進む。

 エルシャンは、自身へと近づいてくる彼女を、ただ黙って見ていた。


「……せ、ん、ぱい……を」


 やがて、エルシャンの目の前へとたどり着いたフィオナは、ゆっくりと手を上げ、震える手でその頬を叩いた。しかしそれは、ほとんど力が入っておらず、ただ触れただけのような一撃だ。


「……かえ……し、て……!」


 瞳に涙を溜め、絞り出すような声でそう言って崩れ落ちたフィオナを、エルシャンが支える。

 そして、その場に優しく寝かせると、ミリスへと振り返った。


「……キミ、この子の治療を」


「うむ」


「ふぅ……全部、説明してもらえるかな?」


 頷き二人へと歩み寄るミリスに、エルシャンは一つ息を吐いて、疲れたようにそう言うのだった。

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