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46 釣り堀


 一月程前、フィオナを屋敷から追い出したのは――ソフィであった。


 ミーナの部屋でノイルが眠る事が決まった日、心底彼の身を案じながら宛てがわれた屋敷の一室で悶々と過ごしていたフィオナの元へ、彼女が訪ねてきたのだ。


「心中お察しします。気分転換にマッサージでもいかがでしょうか?」


 そう言われたフィオナは、その程度の事で気分が晴れるなどとは到底思えなかったが、何もしないよりは、とソフィの申し出を受けてしまった。


 敵地である『精霊の風(スピリットウィンド)』のパーティハウスで気を抜くなど、彼女にとってはありえない話だったが、この小さな少女にだけは、フィオナは僅かな甘さがあった。どうしても、完全に敵視する事ができなかったのだ。


 ノイル・アーレンスが世界の全てであり、それ以外には基本的に興味がないフィオナだが、ソフィに対してはほんの少しだけ関心があった。

 彼女が殆ど出会うことがない、自分と同じ(・・・・・)半魔人(ハーフ)だったからだ。


 だからこそ、フィオナは最大のミスを犯してしまった。


 気がついた時には、フィオナは屋敷の外に寝かされていた。

 一生の不覚、恥ずべき失態であり、自分が許せなかった。

 すぐに屋敷へと乗り込もうとしたが、それも出来なかった。屋敷を包むように、視認出来ない結界が張られていたからだ。

 自分では破れぬ結界を前に、焦燥感に駆られたフィオナは、なりふり構わずミリスへと助力を乞う。しかし屋敷を包む結界は、彼女の力を持ってしても破れなかった――――。







 長い――長い時間だった。愚かな自分のせいで味わった苦痛は、ノイルが卒業してしまった魔導学園で過ごした虚無の一年間など比較にならない程のものだ。

 しかし、それも今日で終わる。


 フィオナは屋敷に踏み込むと同時に、ミリスに破壊してもらい、強制的に解除していた《(ラヴァー)》を発現させた。その名の通り、ノイルへの深い深い、愛を込めて。

 首に嵌まった《愛》から、彼が伝わってくる。

 屋敷の地下、そこに彼が居る。


 会いたい、会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。


「あいたい……」


 ぽつりと、囁くようにフィオナはごく僅かにそう漏らした。


 今すぐに彼の元へ飛んで行きたい。愛しいあの人を抱きしめて、匂い、温もり、鼓動、吐息、あらゆる全てをこの身に感じたい。

 触れてほしい、あの身体が蕩けそうになる声で名前を呼んでほしい。そして、愚かな自分を厳しく叱ってほしい。

 罵倒して、その後優しく頭を撫でてほしい、あの日のように。


 けれど――彼の元へと行く前に、やらなければならない事がある。


「招かれざる客、だね」


 屋敷の玄関前に腕を組んで立つ、長い黄白色の髪と翡翠の瞳の女を、フィオナは憎悪を込めて睨んだ。


 エルシャン・ファルシードッ……!!


 自分が愛するノイルの傍を離れていた間、浅ましくも彼にすり寄り、醜く甘え、べたべたと気色悪く触れていた女だ。

 ソフィ・シャルミルも許せないが、この一月の間、ノイルを独占していたこの女が何よりも許せない。


 視ていた。

 全てをフィオナは視ていた。『願望鏡(デザイアミラー)』を通して。

 気が狂いそうだった。発狂する寸前だった。いや、していた。体重は落ち、髪や肌は荒れ、何度も何度も吐いた。それ程に、耐え難い光景であった。


 そんな自分と比べてあの女はどうだ?

 偽物といえど、何よりも自分が欲しているノイルからの愛情を向けられ、以前よりも肌ツヤが良くなっている。

 許せない。許せるわけがない。


「ボクとノイルの愛の巣へ、一体何のようかな?」


 ――――――ああ……。

 殺そう。


「我のノイルを取り戻しに来た」


 ミリスの言葉も、今のフィオナの頭には入らない。

 エルシャンは不快そうに眉を顰めた。


「キミの……? ノイルはボクの婚約者だ。おかしな事を言うね。そもそも、キミは誰だい?」


「ふむ、やはり貴様もか。まあ、貴様にとって心から望むものじゃからなぁ。さぞ暗示は掛けやすかった事じゃろう」


「だけど、ぜーんぶウソ」


 ノエルが笑顔でそう言った。普段の彼女からは想像できない。嘲るようなとびっきりの笑みで。


「ウソだよ。ウソウソ。ぜーんぶ作り物。ノイルはあなたのことなんか好きじゃない。好きなわけない。あなたの一方的な片想い。なのに……ね? こんなのずるいよね……?」


 弾むようだった声は徐々に暗く小さくなっていき、ノエルの顔からは笑顔が消える。

 彼女の言葉に、エルシャンは静かに組んでいた腕を解き、何か堪えるように額に手を当て俯く。


「…………意味がわからない。あまり不快なことを言うのはやめてくれないかな? 手が出てしまいそうだよ」


 そして、呟くようにそう言うと、顔を上げフィオナたちを睨みつけた。瞳からは先程よりもはっきりとした敵意が感じられる。


 彼女が何か言うよりも先に、フィオナは無言で屋敷の庭に作られた釣り堀に魔弾を撃った。

 着弾と共に竜巻のような豪風が吹き荒れ、釣り堀は見るも無残に破壊される。


 予想外の行動だったのだろう。

 エルシャンは愕然としたように目を見開いた。


「なんてことを……ッ!」


 精霊の力を持つ彼女ならば、すぐに作り直せるはずだ。にもかかわらず、エルシャンは普段の冷静さを無くすほどに取り乱した様子でそう叫び、肩を震わせた。

 彼女はもはや怒りを顕にして、フィオナへと鋭い目を向ける。


「よくもボクとノイルの――」


「あんな紛い物でッ!! 先輩と私の大切な思い出を汚すなぁああああああああああッ!!!!」


 しかし、そんなエルシャンの言葉を遮って、フィオナは大気が震える程の怒声を張り上げた。

 普段の丁寧な言葉遣いすらも消え、そこにあるのはただただ純粋な心からの叫びだった。


 フィオナは憶えている。汗を流した時間を。格好良く自分を助けてくれた彼を。完成した時は手を取り笑い合ったことを。二人で過ごした穏やかで幸福に満ちた日々を。あのきらきらと輝いていた全てを、フィオナは細部まで忘れていない。

 かけがえのない、かけがえのない宝石のような思い出だ。


 それを、だ。取ってつけたようなあんな粗末なもので、あんな偽物で、侵されていいわけがない。侮辱だ、この上ない冒涜だ。

 ノイルとこの女が釣り堀で過ごすのを見る度に、フィオナの胸は鋭利に掻き毟られ、激情は身を焦がした。彼が笑う度に輝いていた思い出がどす黒く塗り潰されていくようで、耐えられなかった。


「……ミリスさん、ノエルさん。ここは譲ってください」


 辺りが静まり返る中、フィオナは小さな声を発した。

 それを聞いたミリスが、腕を組んで片目を閉じる。


「ふむ……まあよかろう。じゃが、あやつはフィオナよりも上じゃぞ。遥かに、のぅ」


「関係ありません」


 あの女がどれだけ強かろうが、今のフィオナには関係ない。そんな事はどうでもよかった。

 ミリスが愉快そうに笑う。


「では、我は見物させてもらおうかのぅ」


「私は先にいくね。ノイルが待ってるから」


 ノエルはそう言って駆け出した。ミリスからマナの扱いを学んだ彼女は、以前とは比べ物にならない程の身のこなしで、屋敷の扉へと向かう。


「行かせると思うかい?」


 だが、その前にエルシャンが立ち塞がった。彼女が片腕を翳すのと同時に、土壁がせり上がり――ミリスがそれを蹴り砕いた。

 エルシャンの目が見開かれ、次の瞬間には扉の前に立つ彼女の背後から回し蹴りが迫る。

 綺麗な黄白色の髪が数本、宙を舞った。


「うむ、よい動きじゃ」


 腰を落とし、自分の蹴りを躱したエルを見下ろしながら、ミリスは愉快そうに笑い、高く上げた脚を下ろす。

 エルシャンは跳び退るようにしてミリスから距離を取った。だが、そこにフィオナの魔弾が撃ち込まれる。


「ッ……」


 その場で素早く跳躍し、エルシャンは弾丸を躱す。先程まで彼女が居た地面から尖った氷柱が突き立つ。しかし、それは高く跳んだ彼女には届かなかった。

 氷柱の先端にふわりと着地したエルシャンは、自分を挟む二人を見下ろす。既にノエルはこの場には居らず、屋敷の中へと入っていた。


「……ボクだって怒ることはあるんだ。もう手加減は出来そうにない。特に、キミにはね」


 視線を向けられたミリスは、屋敷の扉へと寄りかかり、鷹揚と腕を組んで笑う。


「安心せい。我はもう手は出さぬ。貴様の相手は――」


「私です」


 空へと飛び上がったフィオナが、氷柱の上に立つエルシャンへと両手に持った短銃を連射した。

 唸りを上げてエルシャンへと迫る複数の魔弾は、しかし空中で不自然に停止する。フィオナの口元が歪んだ。


 未だミリスへと視線を向けたままのエルシャンが片手を上へと向けると、魔弾は全て夜空に吸い込まれるように消え、遥か上空で炎、風、雷、氷と様々に変化し炸裂した。

 エルシャンはゆっくりとフィオナの方を向く。その瞳は冷ややかな輝きを帯びていた。


「まったく……わけがわからない。キミ達は一体何なんだい?」


「ノイル先輩の恋人です」


 銃口を向けたままのフィオナの言葉に、エルシャンは顔に手を当て、一つ息を吐くとゆっくりと頭を振った。


「……一つだけ、わかったよ。キミ達は――不快だ」


 退かされた手の向こうに現れたのは、冷酷な表情。

 フィオナはそれを恐れる事なく魔弾を撃ち込もうとして――突如暴風に包まれる。


「くッ……!」


 逃れようとする間もなく、彼女はきりもみに回転し、地へと叩きつけられた。


 頭から落下することは避けたが、受けた衝撃にフィオナの息は詰まり、激痛が身体中を駆け抜ける。それでも素早く態勢を整えようとした彼女は、せり上がった地面に再び宙へと打ち上げられた。


「ぁッ……!」


「風の乙女よ、愚かな鳥に安らぎを」


 そして、冷淡な声と共に、フィオナの全身はズタズタに引き裂かれ、夜空は真っ赤に染まった。







「う……」


 全身に当たる固く冷たい感触。

 ゆっくりと目を開けると、まず視界に入ったのは、無機質な金属の床だった。どうやら僕はうつ伏せで眠っていたらしい。

 ぼうっとした頭で状況を把握しようとする。


「ここは……訓練場……?」


 何でこんなところに……?

 確か僕は、ミーナとソフィ、二人と一緒に――


「そうだ!」


 そこまで考え、僕は跳ね起きた。

 エルへと異変を知らせに向かう途中、誰かに襲われたのか、急に意識が遠くなり倒れたのだ。


「うわっ!」


 急いで辺りを確認しようとして、僕は驚き身を引いた。


「え……レット君……?」


 すぐ傍にミーナ、そして海釣りを満喫しているはずのレット君が倒れていたからだ。

 どうして彼がここに?

 いや、それよりもまずは二人の無事を確認しなければ。


 僕は二人の呼吸を確認し、外傷がないか確かめる。どうやら眠っているだけらしい。


「ううん……?」


 ほっと胸を撫で下ろしていると、レット君が身じろぎして目を開いた。


「おはよう」


 ぼうっとこちらを見ている彼に、とりあえず挨拶しておく。


「おぅ……ノイルん……おは……って!」


 すると、彼は突然目を見開いて飛び起き、慌てたように僕の両肩を掴んだ。そのままがくがくと揺すってくる。


「やべぇぞノイルん! お前やべぇって!」


「ちょ、ちょっと、お、おちついて、て、ていうか、な、なんで王都に居るの? う、海釣りは?」


「んなもん端っから行ってねぇよ! あの後俺らもすぐ王都に戻ったんだ!」


「ええ!?」


「なに……? うるさい……え? ここって訓練場?」


 僕らが騒いでいると、ミーナが目を擦りながら起き上がった。そして辺りを見回し、レット君を見て目を丸くする。


「レット? 帰ってきてたの?」


 ミーナに問われ、ようやくレット君は僕を揺するのをやめ、必死な様子で彼女の方を向いた。


「ずっと前にな! ソフィに監禁されてた!」


「はぁ!? 何で?」


「ノイルんをここに留めとく為だよ! ボスとくっつけたいからって!」


「くっつけるって……とっくにくっついてるわよ」


「んなわけねぇ!」


「いや……本当だけど……」


 僕がそう言うと、レット君はばっと信じられないかのようにこちらを見た。僕の顔をじっと見つめた後、両手でガシッと頬を挟んでくる。

 何? 一体何?

 確かに信じられないかもしれないけど、僕はエルと――


「……まーちゃんだ、ノイルんの恋人は、まーちゃんだろうがぁ!」


 その名を聞いた瞬間、僕の身体には電流が流れたかのような衝撃が奔った。

 まーちゃん……そうだ、まーちゃんだ。

 僕の恋人はまーちゃんただ一人、それ以外にはありえない。だって浮気はしないと誓っている。


 まるで霧が晴れるかのように、僕は一気に記憶を取り戻していく。そうだ、僕はエルの恋人じゃない。学園時代、仲が良かったのも彼女ではなく――


「フィオナ……」


「まーちゃんだって言ってんだろうが!」


 違うよそうじゃないよ。

 レット君、大丈夫。僕はもう正常だから。


 何故今まで彼女の存在を忘れていたのか。

 フィオナだけではない。ノエル、店長、そして、『白の道標(ホワイトロード)』。


「フィオナって……」


「ミーナ、その……あれだよ……メス猫」


 何か思い出しそうに頭を悩ませていたミーナに、僕はレット君に顔を掴まれたままそう言った。

 変化は劇的であった。彼女の顔が怒りに歪み、耳と尻尾がピンと伸びて毛が逆立つ。


「無駄肉性悪クソ女!!」


 凄い悪口言ったね。いや、まあフィオナに問題があるんだけどさ。流石に酷くない?

 無駄肉のとこにめちゃくちゃ憎悪が込められてた気がする。

 とにかく、ミーナもちゃんと記憶を取り戻せたようだ。


「んー! 皆お目覚めみたいだねぇ!」


 その時、辺りに無駄に良い声が響き渡り、一人のイケメンが白い歯とさらっさらの金髪を輝かせながら訓練場へと入ってきた。


「あなたは……」


「はぁい! んマイフレンド! クライス・ティアルエ、だぜ!」


 そう言いながら、クライスさんはビシッとポーズを決めるのだった。

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