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44 マッサージ

 

 お風呂や食事を済ませた後、お邪魔したミーナの部屋は、想像していたよりもずっと可愛らしい部屋だった。


 家具や調度品はどれも女の子らしく、愛らしい。つまり、僕にとっては非常に居心地の悪い部屋である。僕の異物感が凄い。

 しかし、その点に目を瞑れば快適に過ごせそうな部屋とも言える。今は夜なのでわからないが、広々としていて陽当たりも良好そうだし、床一面に敷かれた畳は独特な感触で、寝転がると気持ち良さそうだ。


 僕は畳は初体験だったのだが、なるほどこれは悪くないと思った。

 余裕があれば『白の道標(ホワイトロード)』の自室に敷いてみるのもいいかもしれない。ちょっと失礼して、寝そべってみてもいいだろうか? ダメかな? ダメだね。


 流石にそれは自由が過ぎる。とりあえず、ミーナに許可をもらうべきだろう。


「さて、それじゃ出して」


「お金ならありません」


 ミーナに畳で寝る許可をもらおうとすると、彼女は僕を見てそう言った。

 僕は反射的に素早く頭を下げて許しを乞う。まさか部屋に入って開口一番に要求されるとは思わなかったが、僕を舐めてもらっては困る。迷惑料とか部屋代とか取られるかもしれない事くらいは想定していたのだ。


「何でそうなるのよ……」


 しかし、ミーナは額に手を当てて、呆れたように頭を振る。どうやらお金を出せという意味ではなかったらしい。だとしたら、一体何を要求されたのだろうか。全く見当もつかない。

 僕が戸惑っていると、彼女は一つ息をついて腕を組んだ。


「はぁ、《馬車》よ。《馬車》出して」


「何でそうなるのよ……」


 思わず先程のミーナと同じ事を言ってしまった。

 だっておかしいではないか。何故部屋の中で《馬車》を出さなければならないのか。全く意味がわからない。

 確かにこれだけ広い部屋ならば《馬車》も出せるけれど、屋内で《馬車》出す馬鹿がどこにいる。


「いいから出しなさい」


「あ、はい」


 凄まれて、僕は仕方なしに頷いた。まあ良いだろう。ミーナには現在進行形で散々迷惑を掛けているし、《馬車》出すくらいならお安い御用さ。


「あ、馬は要らないわよ」


「あ、はい」


 中々面倒な要求するね。魔装(マギス)の部分発動って割と難しいんだけど。出来ないことはないが、別に馬も出してよくない? 

 確かに《馬車》の馬は不気味だけど、愛してあげてよ。僕は嫌だけど。


 部屋をテキパキと片付けながらそう言ったミーナに、心の中で少しだけ文句を言いながら、僕は彼女が空けたスペースに馬の居ない《馬車》を出現させた。


 するとミーナは途端に目を輝かせ、《馬車》へといそいそと乗り込んだ。


「はぁ……やっぱりこの中最高ね……」


 心地よさそうなミーナの声が中から聞こえてくる。


「何よこの感触……ふわっふわじゃない……」


 そりゃそうだ。誰かさんのせいで無駄に内装に拘ったんだ、ふわっふわに決まっている。おかけで燃費が頗る悪くなった。ふわっふわになっていないと困る。

 しかし、どうやらこれはあれだ。


「あの……もしかして、気に入った?」


「気に入らないわけないでしょ……こんなの……」


 今にも眠ってしまいそうな、とろんとした声でミーナが答える。店長用に整えた内装は、彼女も大層気に入ったらしい。それはいいのだが、僕は一体あとどれくらい《馬車》を出していればいいのだろうか。

 動かしていないためマナの減りはそこまで激しくないが、削れるものは削れるわけで、そうなると僕は家庭の味を堪能しなければならなくなるわけで。


「ミーナ、あのさ……」


「なぁによぉ……」


「いや、何でもないです」


 至福そうな声のミーナに、僕は何も言えなくなってしまった。

 まあ仕方ない。彼女の気が済むまで付き合ってあげよう。これくらいのわがままは許される。僕のマナを消費してミーナが癒やされるのであれば、甘んじて受け入れるべきだろう。彼女には癒やしを求める権利があるのだ。


 そう思い、僕はごろんと畳に寝転がった。

 思った通り悪くない。昼寝するのに丁度良さそうだ。今は眠れないけど。

 しかし、マナボトルを飲む必要があるとはいえ、何だかこの屋敷に来て初めての穏やかな時間な気がする。


 ミーナとは色々あったが、僕は一緒に居て疲れない人は大体好きだ。だから、彼女ともマブダチになれそうだと思った。







「ふーん、それでここに来たってわけね」


「うん……」


 ミーナと僕は、お互いに魔導学園を卒業してから今までの事を話していた。

 たっぷり《馬車》を堪能した彼女は、畳に直に座る僕から少し離れた位置で、クッションを抱きしめて畳に寝そべっている。

 尻尾がゆっくり大きく揺れていた。


 ミーナはエルに誘われて採掘者(マイナー)になったらしい。元から興味もあったらしく、二人で『精霊の風(スピリットウィンド)』を結成した後は、様々な依頼をこなしつつ採掘跡へと潜り、破竹の勢いでランクを上げ、レット君、クライスさん、ソフィと仲間も増え、今では王都でもトップレベルのパーティとなった。目標は、ランクSになる事だそうだ。

 実に立派な生き方をしている。


 対して僕だが――


「何の目標もなくその場その場で生きて、流れに流されて……あんたの人生スライムみたいね」


「あ、はい」


 改めて思い返してみると、自分でもそう思う。ロクな生き方をしていない。正真正銘のダメ人間である。

 しかしそんなダメ人間を見て、ミーナは可笑しそうにくすっと笑った。


「冗談よ、ばーか。本気でスライムみたいに生きてたら、あたしに勝てるわけないし」


 僕が最近戦ったスライムの話する?

 いや、あれは殆ど『神具』が相手みたいなものか。それに思い出すだけで胸糞悪いからやめておこう。


「ちょ、ちょっと何よ……怒ったの?」


「え? いや…………少しね」


 スライムの一件を思い出し、固い顔をして黙り込んだ僕を見て、ミーナは自分が怒らせてしまったと勘違いしたらしい。僕はすぐに否定しようと思ったが、不安げにこちらを見る彼女に何だか悪戯心が芽生えてしまった。

 僕はふい、とそっぽを向く。


「わ、悪かったわよ。怒るとは思わなくて――」


 そして、四つん這いで恐る恐るといった様子でこちらに近づいてきたミーナに、とびっきりの変顔を披露した。僕の百八の奥義の一つ、〈笑う門には福来たる(ハッピーフェイス)〉だ。


「なーんちゃっふがっ!」


 そのままそう言おうとして、ミーナに鼻を思いっきり抓まれた。彼女の目は据わっていた。

 調子に乗りすぎたと僕の心が叫んでいた。


「お、おふぉってまふか(おこってますか)……?」


「んー別に?」


 僕が鼻声で許しを乞うように問うと、ミーナはにっこりと愛らしい笑みを浮かべる。非常に可愛らしいが、鼻がめちゃくちゃ痛いので多分怒ってる。

 そして、ミーナは僕の鼻から手を離すと、今度は両手でガシッと頬を抓んでぐにぐにと弄り始めた。


「ただ、もっと面白い顔にしてあげるわね」


へらひ(ひらに)へらひ(ひらに)ふぉよおうひゃふぉ(ごようしゃを)


「えー、ヤダ」


 何かこのやり取り憶えがある。僕がそう思い、全てを諦めて目を閉じた時だった。


「こんこんこん、こんこんこん」


 扉がノックされ――るのではなく、扉の向こうから平坦な声が小さく聞こえてきた。

 素の状態の僕の耳にも届いたのだから、ミーナが気づかないわけもない。


「来た!」


 彼女は僕からパッと手を離し、何かうきうきとした様子で駆け寄って扉を開き、ノック? をした相手を部屋へ招き入れた。

 頬を擦りながら入ってきた人物を見ると、それは夜でも変わらずメイド服のソフィだった。


「ソフィのー出張マッサージサービスー」


 彼女は両手をわきわきと動かしながら、感情の籠もっていない声でそう言うのだった。







「ん……ぁっ……」


 部屋の中央付近を隔てるように設けられた衝立の向こうから、時折非常に心臓に悪い扇情的な声が漏れ聞こえる。

 この衝立はミーナが設置したものであり、同じ部屋で眠る都合上必須のものであった。


 しかし、今は境界線の役目を果たすはずの衝立が、部屋に如何わしい雰囲気を齎すのに一役買ってしまっている。


「ぁんっ……! ソ、ソフィ……そこ……あぁん……!」


 マッサージ、マッサージだ。


 今衝立の向こうで行われているのは、ただのマッサージのはずなんだ。頼むから僕の想像力さんはもう休んで。代わりに鋼の理性さんは休まず働け。


 そうして僕が勝手に悶々とした時間を過ごしていると、一度部屋に嬌声のような声が響き、少しして衝立が一つ二つと脇に寄せられた。

 現れたソフィが一人頭を抱えていた僕を見て一礼する。


「お待たせ致しました。次は旦那様です」


「み、ミーナは……?」


「お休みになられています」


「あ、はい」


 ソフィが手で指した方を見れば、ミーナが幸せそうな顔をして涎を垂らし、ベッドで眠りこけていた。まるで天国に辿り着いたかのような笑顔を浮かべている。果たして現実に戻ってこられるのだろうか。


 ミーナの説明によれば、ソフィのマッサージは『精霊の風』の名物らしい。頼まずとも毎日のように現れ、極上のマッサージを施してくれるのだそうだ。

 治癒の属性を活かしたマッサージは、身体の内部――マナのコリから解きほぐし、得も言われぬ快感を味わえ、驚くほどに身体が軽くなるらしい。一度味わえば、ソフィのマッサージなしの人生などありえないとミーナは言っていた。危ない薬か何かかな?


「さあ、こちらに」


 手早く準備を済ませ、マナボトルを一本飲んだソフィが、両手をわきわきとさせながら僕を呼ぶ。彼女は事あるごとにマナボトルを飲んでいる気がする。魔人族はそうそうマナが枯渇するなんて事はないはずだが、マッサージとはそれ程マナを消費するのだろうか。少し怖い。


「いや、僕は遠慮しとこうかな……」


 正直マッサージを受けてみたいという気持ちは少なからずあるが、何か嫌な予感がする。現実に戻って来られなくなったら嫌だ。


「大丈夫です。怖くない怖くない」


 しかし、躊躇う僕をソフィはじっと見たまま両手をわきわきと動かすのをやめない。そのまましばらく見つめ合っていたが、諦める様子のない彼女に僕はとうとう根負けして、恐る恐る彼女が敷いたマットの上にうつ伏せになった。


「優しくしてね……?」


「かしこまりました」


 一礼したソフィが、僕の首から背中、腰までを一度そっと撫でる。それと同時に、じんわりと身体が中から温められるのを感じた。マナに干渉したのだろう。これだけでも気分が良い。


「リラックスして、ソフィに全てを委ねてください」


 彼女の小さな両手が、僕の肩を擦るように動き、首の付け根の辺りをぐっと指で押し込んだ。途端、痺れるような快楽が全身を貫く。


「っ……」


 何これすごい。すっごい。すっごいわこれ。あたしこんなの知らない。


 思わず声が漏れそうになってしまった。まるで身体の内と外から同時にほぐされているかのようだ。ソフィの手が首筋や肩に触れ、力が込められる度に意識がどこかに飛んで行きそうになるほどの快感が僕を襲う。

 想像していたより何倍も気持ちいい。というかこれはもはや凶器だ。

 もう現実に戻りたくない。天国はここにあった。


「旦那様、旦那様はマスターの事をどう思っていらっしゃいますか?」


 肩甲骨の隙間を指圧され、必死に声を堪えていると、ソフィがマッサージを続けながら訊ねてくる。

 あまりの気持ち良さにふわふわとしていた思考が少しだけ引き締まった。


 どう思っているかと訊かれても、どうなのだろうか? 


 僕はエルの事をどうこうと思うほど知っているわけじゃない。流石にあれ程の好意をストレートに伝えられると意識せざるを得ないが、そもそも僕には恋人(まーちゃん)がいる。


「……よくわからない、かな」


 結局のところ、そうなってしまう。

 僕自身、彼女をどう思っているのかわからないのだ。魅力的だとは思う。ちょっと怖いけど。


「そうですか」


 ソフィは平坦な声でそう言って、首から腰を慣れた手付きでマッサージしていく。彼女の手がツボを刺激する度に、身体が跳ねそうになる。

 しばらく無言でマッサージを続けていたソフィだが、その内ぽつりと呟いた。


「マスターは、旦那様を愛しておられます」


「…………」


 どうしよう、物凄く反応に困る。


「マスターの心からの願いは、旦那様と結ばれる事です」


 太腿や脹脛(ふくらはぎ)など、ソフィは今度は脚の方をマッサージしながら続ける。口を開きながらも淀みなく動く手は、もはや快楽をそのまま伝えているかのようだ。このままいくと溶けてしまうかもしれない。


「ソフィは、マスターの願いを叶えて差し上げたいのです」


 主の願い叶えたい、という気持ちはわからなくもないが……いや、僕はわからないな。店長の願いとか叶えたいどころかハナクソ飛ばしてやりたくなるし。というかそもそも店長は僕の主じゃないな、うん。


「ですから旦那様も、マスターの事を愛していただけませんか?」


「それは……できないよ」


 別に、エルが嫌いだからというわけじゃない。ただ、そういうものじゃないと思うだけだ。


「誰かを愛するって、人に頼まれてやることじゃない……と、思うんだ。思います、はい」


 自分で言っといて何だけど、めちゃくちゃ恥ずかしい台詞吐いたよ今。もう二度と言わないよこんなこと。

 でも、あまりの恥ずかしさに思わず敬語になるほどクサイ台詞だけど、間違ってはいないと僕は思う。二度と言わないけど。

 

「…………ソフィは、愛というものがわかりません」


 僕にもよくわかりません。

 まーちゃんの事は愛してるけど。言葉で説明するのは難しい。


「ですが、旦那様と接するマスターを見ていると、それはきっと素晴らしいものなのだろうと思います」


「ソフィも、いつかわかるようになるよ」


 僕はあまり深く考える事もなくそう言った。

 ソフィの事情はわからないが、まあ、生きていれば理解できる日は来るだろう。僕がまーちゃんに出会って気づいたように、ああ、これが愛なんだと。


「いつか……」


「どうかした?」


 しかし僕の適当な発言に、ソフィの手がピタリと止まった。彼女は一瞬目を伏せた後、マッサージを再開する。


「いえ、何でもありません。失礼致しました」


「んあっ!」


 もう一度丹念に僕の全身をほぐし始めたその手付きに、とうとう声が漏れてしまった。身体全体にじんじんとした心地よさが広がり、思考が纏まらなくなっていく。力が抜け、奔り続ける快感に身を委ねた。

 ふわふわと、まるで宙に浮いているような。

 それでいて、全身を柔らかく包み込まれているかのような感覚だ。


 ああ、これは無理だ。抗う事なんてできない。そんな事をするなんて馬鹿らしい。

 もはや僕はソフィのマッサージの虜だ。ミーナが涎を垂らして眠りこけてしまったのも納得だ。多分、僕も今同じ様な顔をしていることだろう。


 瞼が自然と落ち、徐々に意識が遠のいていくのを感じる。


「……ソフィに、いつかはありません」


 最後に、そんな声が聞こえた気がした。

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