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43 不憫な人


「んルールを決めよう!」


 屋敷の談話室でクライスさんが立ち上がり、両腕を広げてそう言って、優雅に腰を下ろす。優雅な割に騒がしい人だと思った。

 どうやらんルールを決めるらしい。何を言っているのかよくわからない。


 【結晶迷宮(クリスタルラビリンス)】から無事王都のパーティハウスへと帰り着いた僕らは、ガルフさんと別れ、現在談話室に集まりテーブルを囲んでいた。

 上座に当たる位置にエルが座り、僕の隣にはフィオナ、向かいにはミーナとクライスさんがそれぞれ座って、ソフィはエルの傍に控えるようにして立っている。


「まあその前に、改めて、今回はありがとうノイル。キミのおかげで助かったよ。やはりキミは素敵だ」


 エルはもはや僕への態度を隠すつもりはないらしく、蕩けるような笑みを浮かべてそう言った。

 彼女が感謝しているのは、【結晶迷宮】までの強行軍のことだろう。ガルフさんを迅速に救助するのに《馬車》が役に立ったのは間違いない。帰りは流石にちゃんとした休息を取りながらの移動だったが。


 まあでも、それもエルがマナボトルを提供してくれたから出来た事だ。マナボトルが無ければ長距離走るとか無理だからね。


「う、うん……役に立てて良かったよ」


「ああ! あのん《馬車》! は素晴らしかったよ」


 ん《馬車》はクライスさんも気に入ったらしい。彼は《馬車》の上に立っていただけなのに。


「まあ……悪くないわね」


 ミーナまでそっぽを向いてそんな事を言い始める。おかしいな、《馬車》がこんなに絶賛されるとは何だか複雑な気持ちになってくる。創り直したいなぁとか常に思っているのに。


「ふふん」


 フィオナは何だか得意気だ。でも君あれが店長のために創られたって聞いた時は烈火のごとく怒ったよね?

 確かあんまり《馬車》のこと好きじゃなかったよね? 僕の記憶違いかな?


「ミリスのために創られた、という点にはこの際目を瞑ろう。ボクはそれほど器の小さな女じゃないんだ」


 あ、やっぱりエルもそれ知ってたんだね。そして本当に目を瞑るならそんなこと言う必要あるのかな? 

 実は納得いってなくない? 僕の気のせいかな?


「それで、ルールについてだが」


 エルはすらりとした脚を組み、ソファの肘置きに両腕を乗せ手を組むと、そこに顎を乗せた。そして、ごく真剣な眼差しを皆に向ける。


「ノイルとボクが同室、というのはどうだろう?」


 どうだろうじゃないよ。


「もしくは、私と同室ですね」


 もしくはじゃないよ。


 何でエルとフィオナの二人は、当然のように僕が誰かと一緒の部屋に寝泊まりすると思ってるのかな? 

 ていうかルールってそういうこと? 

 ならこうしよう、僕はまーちゃんと二人で幸せに暮らす。


「いや、僕一人部屋がいいから……」


 僕がそう言うと、エルとフィオナが同時に床を鳴らして立ち上がった。僕はビクっと身を震わせる。


「ノイル、それはダメだ。フィオナが何をするかわからない」


「先輩、それはダメです。この女が確実に寝込みを襲います」


 エルは腕を組み、毅然とした態度でそう言って、フィオナは彼女を指差し、必死な様子で僕に訴えかける。

 二人とも言っている事がおかしい。それは君たち二人が大人しくしていれば、全て解決するんじゃないかな? 

 ちょっとよく考えてみて?

 胸に手を当てて、自分の行動と発言を振り返ってみて? 

 プライバシーという言葉を大切にしよう? 


「んん! わかったぁ! 俺の家ならどうだい?」


 クライスさんも立ち上がり、白い歯を見せてポーズを決めながらそう提案する。確かに、悪くない考えかもしれない。彼の家なら特に問題は起きないだろう。屋敷から離れる事で、逃亡の成功率も上がるはずだ。

 男同士だし、一番健全である。


「クライス、キミは性別には拘らないだろう。ノイルはどうだい?」


「ん! イケるねぇ!」


「やはり危険だね」


 健全ではなかった。一番危ない人だった。


 親指を立て、僕へと輝く笑顔を向けるクライスさんに、悪寒が止まらなくなる。自身の身体を抱いて身を竦ませる僕を、フィオナが素早く抱き締め、庇うようにクライスさんをキッと睨んだ。エルがピクリと眉を吊り上げる。


「……なら、ソフィはどうかな? 彼女なら問題はないはずだ」


「ダメですね。ソフィさんは貴女を止めないでしょう?」


「……それがマスターのお望みであれば、止める理由がありませんので」


 ソフィが淡々と答え、エルからギリッと歯を噛み締めるような音がした。そして彼女は一度目を閉じて、気持ちを落ち着かせるように小さな息を吐く。


「……なら、どうするというんだい? というより、ボクの婚約者から離れてくれないかな?」


 いつからそうなったのかなぁ……。

 僕の恋人はまーちゃんだけなんだけど。彼女は今も僕の部屋で帰りを待っているんだ。浮気はしないって約束してるんだ。


「婚約者? 何を勝手に――」


「森人族にとって口付けを交わす行為は、婚約を意味する。つまり、ノイルは既にボクの夫だ」


 ……嘘だと言ってよ。聞いてないよそんなこと。


 嘲るようにエルを見ていたフィオナが、彼女の発言に固まった。抱きつかれている僕は嫌な汗が止まらなくなる。


「くち、づけ……?」


「ああ、とうに済ませたよ。至福の時だった……あれ以上の悦びをボクは知らない。まあ、これから更に知っていくだろうけどね」


 うっとりと、その瞬間を思い出しているかのように、エルは艶やかに唇を指でなぞった。

 フィオナが小刻みに震え出し、そっと僕から離れる。そしていよいよ爆発するかと思った瞬間だった。


「いい加減にしろぉッ!!」


 それよりも早くミーナが大きな音を立ててテーブルを両手で叩いて立ち上がり、そう叫んだ。

 彼女のあまりの威勢に、談話室は一瞬静けさに包まれる。エルもフィオナも、驚いたようにミーナを見つめていた。


「……何ですか? メスね――」


「メス猫って言うな!!」


 訝しげに目を細めたフィオナの言葉を遮り、ミーナは怒声を上げる。


「ミーナ、どうしたんだ――」


「どうしたもこうしたもないのよ!!」


 珍しく狼狽えた様子のエルの問いかけも遮って、ミーナはばんばんとテーブルを叩く。

 振動でカップが倒れお茶が零れるが、それでもお構い無しに、ミーナは最後に一際大きな音を立てテーブルを叩いた。

 ソフィが無言で散らかったテーブルを片付け始め、クライスさんが大仰な仕草でそれを手伝う。僕も手伝っておいた。

 ミーナはエルとフィオナをフーフーと息を切らして睨んだ。


「もうたくさんよ! これ以上好き勝手やらせたら、今度はどんな目に遭うか想像したくもないわ! あたしがどれだけ被害を被ったかわかってるの!?」


 彼女の怒りは至極もっともである。

 間違いなく、この件の一番の被害者はミーナだ。物凄く可哀相な人物である。


「す、すまないミーナ……そんなつもりはなかったんだ……」


「悪気が無くても許されないわよ!」

 

「被害? 貴女はいい思いばかり――」


「あんたは黙れぇ!!」


 ブチ切れたミーナに怒鳴られたエルは項垂れ、フィオナは眉を顰めた。

 彼女はそれはそれはもう怒っていた。大変にご立腹であった。目が血走っていた。

 そして、僕をビシッと指差す。


「大体! こいつの事も少しは考えてやりなさいよ! 自分の気持ちをぶつけるばっかりじゃなくて! 振り回されるほうの身にもなりなさい! 可哀相でしょうが!」


「そ、そうだそうだぁ」


「あんたも男なら、されるがままじゃなくて何か言え! 何も言えないのはわかるけど、言わなきゃダメでしょ!」


「あ、はい」


 汚属性らしくここぞとばかりにミーナに同意したが、叱られてしまった。大人しく縮こまっておくことにする。申し訳ないが、僕はこういう人間だ。


「はぁ……はぁ……」


 一頻り怒鳴り終えたミーナは、荒れた呼吸を整えている。そんな彼女に、少し落ち込んだ様子のエルが声を掛けた。


「本当に悪かったよミーナ……キミが怒るのも無理はないね……反省するよ」


「わかればいいのよ……」


 一方フィオナは、エルとは対照的に居丈高な態度で腕を組んだ。あれだけブチ切れられて反省の色が見られないってある意味すごい。


「じゃあ、どうするんですか? 元はといえば、そちらが無理やり先輩を連れてきたせいで、こんな事態になってしまったわけですけど?」


「……ルールよ。ちゃんとしたルールを決めるわ」


 ミーナは一度顔を顰め、覚悟を決めたように口を開いた。そして僕を再び指差す。


「こいつ――ノイルは……あたしの部屋で預かるわ」


「え」


「は?」


「ん?」


 僕とフィオナとエルが、それぞれそんな声を発する。


「メス猫……! やはり先輩を狙って……!」


「ミーナ、それは良くないな。ボクは反対だ」


 フィオナが今にも襲いかかりそうな程に睨みを利かせ、エルは目だけ笑っていない笑顔をミーナに向けた。

 しかし、ミーナはそんな二人の圧に屈することなく言葉を続ける。


「あたしだって本当は嫌よ。けど、一人にするとあんたたち二人が何するかわかったもんじゃないわ。ソフィじゃ監視にならないし、クライスは……」


「イケちゃうからねぇ!」


 少し言い淀んだミーナに、ソフィと共に片付けを終えたクライスさんが親指を立て、僕の背筋に悪寒が奔った。何よりもこの人が怖い。


「……だから、消去法よ。あたししかまともな監視役が居ないのなら、そうするしかないわ。あたしはもう、問題を起こして欲しくないだけよ。その為なら……我慢する」


 拳を震わせるミーナを見て、僕は申し訳なさでいっぱいになる。どうにかしてあげたいが、どうにかできる気が全くしない。あまりにも不憫である。

 やはり僕はこの世から消えてしまった方が良いのではないだろうか。きっとそのほうが、世界は少しでも彼女に優しくなるはずだ。その為なら僕は喜んでまーちゃんと二人、別世界へと旅立ってもいいが、無事に旅立たせてくれる気もしない。

 ここは現実的に、ミーナの為に少しでも早くこの屋敷から逃亡するとしよう。


「エル、あたしの部屋を精霊で監視するのは無しよ」


「ッ……ミーナ、それはあんまりだ」


「いや、普通のことだから」


 そうだった。エルは僕を精霊で監視出来るのだった。どうしよう、もう逃げられる気もしない。


「大丈夫よ、あたしはノイルに興味ないし何もしないから。約束する。何なら部屋の周りを視るのは許すわ」


「……本当かい? それなら……ミーナは信用できるしね」


 許さないで欲しいかな。部屋から一歩でも出たら見つかるじゃんそれ。逃げ出すとか絶対無理じゃん。絶望しかないよこの屋敷。

 何かお互いちょっといい笑顔で信頼し合ってる感出てるけど、言ってる事はおかしいよ?


 まあけど、ミーナのおかげでとりあえずエルの方は妥協してくれたらしい。

 となると問題は先程から黙っているフィオナだ。その表情から察するに絶対納得していない。


「待ってください。私は信用できません」


 ほらね。


「このメス猫がまたいつ発情するかもわからないのに、先輩と同室なんて許可できるはずがありません。論外です」


「ミーナ様の発情期は――」


「ちょ、ちょちょちょっとソフィ!!」


 悲鳴のような声でミーナに発言を遮られたソフィは、不思議そうに首を傾げる。彼女なりに気を利かせたつもりだったのだろう。何故止められたのかがわからないようだ。誰か今度教えてあげて。僕は嫌だ。


 顔を真っ赤にしたミーナは、僕とクライスさんを素早く睨みつけた。


「聞いてないわよね!」


「あ、はい」


「んもちろんっさ!」


「でしたらもう一度――」


「言わなくていいのよ!」


 必死な形相でミーナが再びソフィを止め、彼女は不思議そうに首を傾げ、そしてその小さな口を開いた。


「では、少し先とだけ」


「うあああああああああああッ!!」


 ミーナが頭を抱えて絶叫するが、ごめん、それ実は一度聞いたんだ。本当に申し訳ない。

 でも聞かなかった事にするから。うん、ほらもう忘れた。


「う、うぅ……」


 しゃがみ込み、膝を抱えて泣き出してしまったミーナに、何と声を掛けたら良いのかわからない。不憫だ、不憫すぎる。彼女は何か、そういう星の下に生まれたのだろうか。


 エルがそっとその背中を撫でて慰め。ソフィは不思議そうに首を傾げ、クライスさんは何故か目を閉じてうんうんと頷いていた。


 流石のフィオナもこの光景を見て、考えを改めたらしい。若干気まずそうに目を逸している。


「まあ……そういう事でしたら……今回ばかりは……やむを得ませんね。幸いその貧相な身体に先輩は興味ないでしょうし」


 そして、余計な事を言いやがりました。


 蹲っていたミーナが物凄い勢いで顔を上げ、涙を流しながらキッとフィオナを睨みつける。

 そして、次の瞬間には僕とエルが止める間もなくフィオナへと飛び掛かり、その胸を両手で鷲掴みにした。


「な、何を……ッ!」


「この無駄肉もぎ取ってやるわッ!」


「ミーナ、落ち着くんだ!」


「本当すいません!」


 凄まじい形相でそう言ったミーナを、僕とエルが慌てて引き剥がす。


「もぎ取ってやるわぁあああああああッ!!」


 僕らに拘束されたミーナは、大暴れしながらそう叫ぶのだった。

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