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 ガルフ・コーディアスは、息を切らし、必死の形相を浮かべながら、仄かに青白く発光する水晶のような半透明の石で形成された洞窟内を駆けていた。

 彼の纏った鎧はひしゃげ、所々が欠けており、鍛えられた身体は至るところから血を流している。

 剣は折れ、持ち込んだ道具類も使い果たし、飲水や食料も既に尽きている。体力も気力も、マナすらも僅かにしか残ってはいない。

 もはや死に体と言ってもいい程にボロボロなガルフだが、それでも彼は走る。背後から響いてくる、金切り声のような鳴き声を上げる化物達に追いつかれれば、そこに待っているのは苦痛を伴う死しかないからだ。


「クソッ! クソッ! クソぉぉぉぉぉぉッ!」


 自らの絶望的な状況に、ガルフは掠れた声で堪らず叫んだ。こうなったのは全て自分のせいだと理解はしている。身の丈に合わぬ愚かな行動を取ったせいで、自分は今窮地に立たされている。胸に抱くのは激しい後悔だ。

 あまりの悔しさに涙腺が弛むが、涙は流れない。涙を流す余裕すらも、今の彼の身体には無かった。


 王都イーリストから南西へと進んだ先に広がる、大小様々な半透明の結晶が地面から生え連なった結晶地帯。その中でも一際巨大なそれの内部に存在する採掘跡――【結晶迷宮(クリスタルラビリンス)】。

 現在ガルフはそこに居た。


【結晶迷宮】は危険度Cに認定されている採掘跡だ。本来採掘者(マイナー)に推奨されるのは、自身のランクの一つ下の危険度の採掘跡であり、パーティであっても、パーティ内で最もランクの高い者と同ランクの採掘跡へと潜るのが常識とされている。

 自分が認定されているランクよりも危険度が上の採掘跡へ一人で足を踏み入れるなど、自殺願望でもない限りは行わない。


 ガルフの採掘者としてのランクはD。そんな彼が【結晶迷宮】へとたった一人で挑めば、どうなるかなど明らかであった。

 それでもガルフは【結晶迷宮】に立ち入ってしまったのだ。


 ガルフは採掘者としての自分に薄々限界を感じていた。いくら鍛錬し、経験を重ねても万年ランクD止まり。とうに全盛期は過ぎ、歳を取るだけで成長もしていない。それどころか、最近では力の衰えすら感じ始めていた。そんな自分に嫌気が差し、彼は焦燥感に苛まれていた。


 こんなはずでは無かった。自分は採掘者としてもっと上まで上り詰め、地位も名誉も金も女も、何もかもを手に入れるつもりだった。

 だというのに、この体たらくは何だ。


 ガルフが生まれ育った小さな村では、誰も彼に敵わなかった。自分は特別な存在なのだと思い込んでいた。しかし、蓋を開けてみればガルフは凡人であった。そう、理解させられた。

 自分が燻っている間に、若い採掘者たちがどんどんと実績を残し、ガルフは置き去りにされていく。


 実際には、ランクDまで上がることができれば充分に優秀だと言ってもいい。だが、ガルフはそうは思えなかった。本物の天才たちの前では、自分が酷く矮小な存在に見えた。

 酒に溺れるようになり、自分のちっぽけな自尊心を守る為、採掘者ではない一般人に対して示威行為すら行うようになったが、当然の如く気分は晴れなかった。それどころか、罪悪感すら覚える始末だった。

 終いには、自分よりも若く優秀な採掘者に悪戯を発見された子供のように咎められ、嗜められた。

 惨めだった。酷く、惨めだった。

 

 荒れに荒れたガルフは、自分に釣り合わない【結晶迷宮】へとロクな策もなく踏み込む暴挙に出る。それがどれほど愚かな行為なのか、長年採掘者をやってきた彼にわからないはずがない。

 しかしそれでもガルフは【結晶迷宮】へ挑んだ。自分はもっとやれるはずだと信じて、いや、目の前に突きつけられている現実を認めたくなくて。


 《猛獅子》のメンバーは誰も付いてはこなかった。最近マナストーンが採取された【結晶迷宮】は現在クールタイムで活性も低い、俺たちならやれるはずだと説得したが、勘弁してくれ、無謀過ぎる、頭がおかしくなったのか、と誰も耳を貸さなかった。頼むから馬鹿な真似はやめてくれとまで言われた。

 それは長年パーティを組んだ彼らの優しさだったのだろう。しかし、ガルフは憤った。お前らは腑抜けだ。愚か者共だ、と。


 だが――


「……」


 どうしようもなく愚かだったのは自分だ。

 目の前に立ちはだかる半透明の壁を前にして、ガルフは膝を落とした。

 行き止まりだ。もはや逃げ場はない。背後からは続々と化物が集まってくる気配がする。


 ガルフは残り少ないマナで魔装(マギス)を発動させる。現れた特徴のない大剣を支えに、よろよろと立ち上がった。

 彼の魔装は《獅子の牙》という。しかしそれは、取り立てて特別な能力を保たない、少し切れ味が良く丈夫なだけの大剣だった。


「はッ……! ははは!」


 ガルフは嗤う。こんなもので、こんなものしか創れない自分が、何を夢見ていたのだ。とうに気づいていただろう。才能がない事くらい。


 酷く可笑しそうに、彼は振り返った。

 緑色の体表をした、鋭利な鉤爪を持った二足二腕の細長い体躯の化物がこちらへと向かってきている。頭部には目も口もないそれは、代わりに腹が縦に裂け、そこに針のような牙が並んでいた。金切り声のような鳴き声は、そこから発せられている。

【結晶迷宮】の代表的な神獣、マンイーターだ。


 採掘跡の生物は外では見られない。採掘跡内だけでしか生きる事ができず、死骸すら残らない。果たして生物と言っていいのかもわからないそれは、かつて神々が生み出した遺跡の防衛機構、または実験生物の成れの果てとも言われている。

 採掘者や研究者ではない者たちは魔物だと思っている者が多いが、実際に目にすればそれが全くの別物だとすぐにわかるだろう。

 採掘跡への侵入者に対して容赦はなく、多くの魔物よりも、非常に強力で残忍だ。


 そんな化物が、広い通路を埋め尽くすほど蠢いている。ランクC以上に上がるためには才能や運が必要だと言われているが、この光景を目にすればその理由がわかるだろう。

 クールタイムだというのに、これ程の神獣。

 危険度Dまでの採掘跡とはまるで別物だ。


 こいつらから逃げに逃げて、どのくらい【結晶迷宮】を彷徨っていたのかわからない。


 だが、ああ……これで終わりか。


 ガルフは《獅子の牙》を両手で構え、不快な鳴き声を上げている神獣たちを睨んだ。


 終わって良かったのかもしれない。

 絶対に届かない世界がある事を知り、絶望を知って、自分の牙は完全に折れた。

 ここで生き残ったとしても、もはやこの先どうやって生きていくというのか。


 ならば最期は、採掘者として戦って死のうじゃないか。思い残す事はあるが、悪くない。誰もこの惨めな自分を見ていないのがいい。


 ガルフはにやりと口角を吊り上げ、もはや立っているのがやっとな身体に鞭を打つ。


 クソったれな人生だった。だから、最期くらいは好きに格好つけさせてくれ。


 大きく息を吸い、彼は叫んだ。


「来いッ! この俺が! ガルフ・コーディアス様だぁあああああッ!!」


「あ、はい。知ってます」


「んん!?」


 そして、突然空から隣へと降ってきた黒髪の男に、気合いの雄叫びを上げていたガルフは目を丸くした。


「《守護者》!」


 それと同時に黒髪の男の周りに輝きを放つ灰色の半透明の十枚の盾が現れ、瞬く間に形を変えてガルフ達を包む。

 目の前に迫ってきていたマンイーターが鋭利な鉤爪を振り下ろすが、それは薄い膜状になった盾に防がれガルフにも黒髪の男にも届かない。

 次々に押し寄せてくるマンイーター達に呑み込まれるが、それでもその守りは揺るがなかった。


「うわぁ……キモいなこれ」


 群がったマンイーター達が盾に張り付いて、ガチガチと腹の牙を鳴らしながら金切り声を上げるのを見た男が、気の抜けた声を出し顔を顰める。

 ガルフには何が起こっているのか全くわからなかった。理解が一切追いつかず、ただただ瞬きを繰り返す事しかできない。


 そして、次の瞬間にはマンイーター達は盾から引き剥がされた。


「憂さ晴らしに付き合ってもらうわ」


 黒い猫耳に、尻尾。鋭利な爪のついた手甲(ガントレット)

 目にも止まらぬ速さで次々とマンイーターを蹴散らしていくその姿は、ガルフも良く知っている採掘者、ランクB『黒猫』、ミーナ・キャラットだ。


「醜い! いや、それもまたよし! だが俺的には、んエヌッジィ!」


 くねくねとポーズを決めながら攻撃する様子もなく、マンイーターの隙間をくぐり抜けるように動く色男は、ランクA『悪夢(ナイトメア)』、クライス・ティアルエ。


「こんこんこん、入れて頂けますか?」


 いつの間にか盾の側に立って、無表情でノックすることも無くそう言ったのは、ランクC『完璧侍女(パーフェクトメイド)』、ソフィ・シャルミル。


「あ、はい」


 黒髪の男が頷いて盾に人一人が通れる程の隙間を開けると、ソフィ・シャルミルは一礼してから盾の中に入る。


「治療致しますので、抵抗しないで頂けると助かります」


「お、おぅ……」


 ガルフはまだよく回らない頭で、呆然と頷く。


「マナがあまり残っていませんね……」


「お高いマナボトルあるよ」


「お気遣いありがとうございます旦那様。ですがソフィも持っていますので」


「その呼び方やめない?」


 なんとものんびりとしたやり取りを聞きながら、ガルフはソフィ・シャルミルから手渡されたマナボトルを飲む。とんでもなく不味いが、ぐっと堪えた。直ぐにでも吐きそうだが、吐き出してしまえば意味がない。治療にはマナが多いほうがいい。

 頭のおかしい不味さのせいで、なんとか現状を理解してきた。『炎弾』、レット・クライスターは見当たらないが、こいつらは――


「ミーナ、気は済んだかい?」


 凛とした声が辺りに響く。


「まだだけど……もういいわ、こいつら弱すぎ」


「わかった」


 黄白色の長い髪、翡翠の瞳、常識外れの美貌。その姿は間違いなく、かつてたった一人だけが成し遂げた偉業、ランクS。それに届くとさえ言われている『精霊王』――エルシャン・ファルシード。


「さあ、親愛なる風の乙女よ。ボクに優美な歌声を聞かせてくれ」


 彼女が指を鳴らすのと同時に、ガルフ達が居る空間一帯に突風が吹き荒れた。しかし、それはまるで生きているかのようにマンイーター達だけを捕らえ、宙へ運び、切り刻む。

 成すすべもなく消滅していくマンイーターは、直ぐに跡形もなく姿を消した。


 圧倒的だった。あっという間の出来事であった。

 ガルフであれば、一体倒すのにさえ苦労するマンイーターの群れは、まるでゴミを掃除するかのように処理されていた。

 そして、それを呑気に会話しながらやってみせた者たちは、突如王都に誕生し、瞬く間に頭角を現して、たった三年の間に王都で知らぬ者など居ないであろうほどのパーティへと駆け上がった――『精霊の風(スピリットウィンド)』だ。


「貴女、今私に当てようとしませんでしたか?」


 上から怪訝そうな声が聞こえ、ガルフが見上げると顔が殆ど隠れるゴーグルを掛けた、空色の髪の、背に一対の銀翼を生やした女がエルシャン・ファルシードへと銃口を向けていた。

 どうやらこの女が黒髪の男をガルフの上まで運んできていたらしい。


「そんなわけないだろう?」


「どうだか」


 何か不穏な会話が交わされ、女は鼻を鳴らすとゆっくりと着地し、顔に掛けていたゴーグルを外した。ガルフはその顔に見覚えがあった。いつだったか、採掘者協会に突然現れ、喧嘩を売っていった女だ。

 そして、心底嫌そうなら顔をして二人のやり取りを見ながら、盾を解除した黒髪の男にも見覚えがある。


 こいつらは確かあの日、酒場に居た――


「何ですか? 不快だから見ないで下さい。殺しますよ?」


「助けに来たのに殺しちゃダメだよね?」


 ガルフが二人を見ていると、女の方が目の前へと銃口を突きつけ、男が流れるような動きでその銃を下げさせる。

 まるでコントのような動きだとガルフは呆然としながら思った。


「でも先輩……!」


「でもじゃない」


「わかりました……でも、後でキスしてくださいね」


「でもじゃない」


 女を疲れたような顔で宥めた男が、一つ息を吐いた後、ぽんと手を打って、腰のポーチから何やら取り出し、ガルフへと差し出す。


「マナボトル飲んだら口の中気持ち悪いですよね? 水飲みますか? ……えっと、コーディアス様?」


 へらっとした笑みを浮かべた男を見て、ガルフは混乱する頭でとりあえず思った。


「すまねぇが……その呼び方は止めてくれ……」


 そして、そう言いながら水の入った水筒を受け取るのだった。

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