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40 蝋燭の力


 頭が、身体が熱い。

 思考はふわふわと定まらず、息は乱れ、心臓は早鐘のように脈を打っている。

 明かりが落とされ、蝋燭の淡い火だけが照らす部屋には熱気が籠もり、充満した甘い薫りが脳を犯していく。

 身体は既に汗でぐっしょりと濡れ、駄目だと理解しているはずなのに、僕に馬乗りになって艶やかに微笑むエルから目が離せない。


 彼女は黒のインナーをゆっくりと脱ぎ捨てた。露わになったシミ一つない雪のように白い肌。美しい双丘を包む細やかな刺繍が施された黒と薄緑の下着に、心が歓喜の叫びを上げ、下半身により熱が集まるような感覚を覚える。


「気に入ってくれたようだね」


 更に呼吸を荒くする僕を見て、エルは淫靡な笑みを浮かべた。そんな姿に、思わず彼女へと手を伸ばし、その細く柔らかな腰に触れてしまう。

 しっとりと、少し汗ばんだ、手に吸い付くような滑らかできめ細かな肌。

 エルが「ん……」と、吐息混じりの声を漏らす。


「まー……ちゃんッ……」


 そのまま吹き飛びそうになった理性を、奥歯を噛み締め何とか堪えて、粗相をしでかそうとした腕をもう一方の手で掴み引き離す。必死に頭に思い浮かべるのは最愛の人(まーちゃん)の姿。


 まーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんまーちゃんんんんんんんん!!


 ここで欲望に屈するわけには、まーちゃんを裏切るわけにはいかない。僕は浮気をしない男だ。彼女と結ばれた時にそう誓ったんだ。


「遠慮しないでいいんだよ。ノイル」


 ぎりぎりと腕を掴んで欲望に抵抗していた僕を見たエルは、そう言って暴れん坊な右腕を優しく包み、自らの胸へと押し当てた。掌に伝わる下着と、そこからはみ出した熱く柔からな感触。身体の力が一瞬で抜け、僕の頭は沸騰する。


「伝わるかい? ボクの鼓動が。こんなにも興奮してしまっている。キミが、そうさせているんだよ?」


「…………」


 蕩けるような笑みでそう告げたエルに何も言えず、手も離す事ができない。彼女の魅力にくらくらと目眩がする。

 エルが片手を僕の腕から離し、胸辺りへと指を当てると、次の瞬間には着ていた服が二つに裂け、僕の上半身が曝け出される。


「少々もったいないが……綺麗だ……美しいよ。キミは素敵だ」


 そう言いながら、彼女は一旦僕の手を胸から離し、下着を脱ぐ。

 言葉が出なかった。芸術的なその身体に、僕の目は釘付けとなってしまう。


「キミの為に、色々と勉強したんだ。きっと満足してくれるはずだ。ボク無しじゃ生きられない程に、ね」


 エルは僕へと覆い被さり、耳元で囁く。

 密着した肌と肌。互いの鼓動が重なり合う。


「んっ……」


「ぁ……っ」


 彼女が僕の耳を舐め、中へと舌を侵入させる。耳の中でエルの舌が動く度に、僕はびくびくと身体を震わせた。

 たっぷりと僕の耳を蹂躙したエルは、そのまま頬を舐め、首を舐め、胸や腹、上半身全てに舌を這わせながら、器用に残りの服も脱いでいく。そして、いつしか彼女は下着一枚の姿となり、僕を舐め回していた。

 淫靡な音が部屋に響き、ぞくぞくとした得も言われぬ快楽が身を奔る。

 そして、今度こそ僕の理性は消し飛んだ。


 もう――どうでもいい。


 エルの身体に腕を回す。一瞬驚いたようだった彼女の表情はすぐに蕩け、僕は身体を捻った。

 先程とは逆に、僕に押し倒されるように下になったエルが、頬を上気させて歓喜するかのように艷やかな笑みを浮かべ、両手を僕の頬へと伸ばした。


「嬉しいよノイル……! さあ、来てくれ……!」


 首に腕が回され、僕はエルの美しい顔へと口を近づける。そうして、唇を重ねようとした瞬間だった。


 轟音と共に部屋の扉が破壊され、僕ははっと動きを止めた。

 一気に新鮮な空気が部屋に流れ込み、制御の効かない頭が少しだけ冷静さを取り戻す。


「うわっ! くさっ! 何よこの臭い!」


「思った通りですね。方法は少し違いましたが」


 破壊された扉からそんな声が聞こえ、二つの人影が部屋へと飛び込んでくる。

 鼻を抓み涙目でパタパタと目の前を扇ぐミーナ、そして、二挺の短銃を携えゴーグルを装着した完全武装のフィオナだ。

 彼女は僕を見て、ゴーグルで隠れた顔でもわかるほどの笑みを浮かべた。

 

「せんぱ……」


 しかし、次の瞬間には一気にその表情は強張り、わなわなと口元が震え始める。

 

「え、エル……? あんた本気でそいつと……」


 ミーナが鼻を抓んだまま愕然としたような表情を浮かべ、震える声でそう言った瞬間――


「先輩から離れなさいッ! エルシャンッ! ファルシードぉおおおおおおッ!!」


 フィオナが屋敷中に響くのでは無いかと思うほどの怒声を張り上げた。

 隣のミーナが慌てて耳を塞ぎ、鼻を抓めなくなった事でもろに空気を吸ってしまったのか、吐きそうな顔をする。

 しかし、そんな彼女などお構いなしに、フィオナはこちらへと銃口を向け、さらに叫んだ。


「やはりッ! 殺しておくべきでしたッ!!」


 ミーナは耳をぎゅっと押さえてしゃがみ込み、さらにもどしそうな顔になる。目には涙がいっぱいに溜まっていた。


「……後少しだったのに」


 急な展開に呆然としてしまっていた僕は、ゾッとするような全く感情を感じない声が下から聞こえ、思わずその場から跳び退く。

 すると、エルがシーツで身体を隠しながらゆっくりと起き上がった。その俯いた顔は乱れた長い髪に隠れて窺えないが、僕は本能的に恐怖を感じて、じりじりと彼女から距離を置く。


「大丈夫だよノイル……後で続きを……ああ、正気に戻ってしまったのかな? ……残念だ。それじゃあ……また今度だね……本当に、残念だよ」


 ぶつぶつと呟き、エルは顔を上げる。乱れた髪を整えた彼女の表情は、普段通りのものだ。だが、僕はそれが逆に怖かった。

 すぐさまベッドから飛び下り、全力で駆けてフィオナの背後へと回り込む。そこでしゃがみ込み、頭を抱えて震えた。

 情けないが、これが僕という男の生き様だ。


「先輩、少しだけ待っていてください。すぐにあの女を始末しますから」


「あ、はい」


 とりあえず冷静に話し合おうよ。そう思ったが、振り向きもせずエルを睨みつけているフィオナも怖かった。だから頷いておいた。

 というかさっきのすごい声はどこから出したの? 

 初めて聞いたよあんなの。昔に戻れとは言わないから、昔の君を思い出して。


「メスね……ミーナさん」


「おぇぇ……」


「ちッ……役に立たないメス猫ですね」


 余程苦手だったのか、部屋の空気を吸って非常に具合悪そうに蹲ったままのミーナに、フィオナは辛辣な言葉を吐いた。

 ねぇ、何か可哀想だからやめてあげて。いたたまれない気持ちになる。

 僕はそっと彼女の背中を擦っておいた。


「あまり……邪魔をしないでくれるかな? ボクだって怒ることはある」


 一体どうやったのか、いつの間にかベッドから下り服を着たエルが、腕を組みながらそう言った。

 凛とした態度と表情、台詞は格好良いが、ねぇ? 何かおかしくない? 

 よく考えてみて?

 冷静になって考えてみたら、さっきの状況って頭おかしいよね? 犯罪に近いよね?

 邪魔されても怒れなくない?


「ボクとノイルはようやく結ばれる瞬間だったんだ。ひどいじゃないか」


 怪し気な蝋燭の力でね。怪し気な蝋燭の力だからあれ。ノイルくんがノイルさんになってしまったのも怪し気な蝋燭のせいだから。僕が後一歩で取り返しのつかない事を致してしまいそうになったのも、怪し気な蝋燭のせいだから。

 別にエルに魅力がないわけじゃないけど。どちらかといえば魅力たっぷりだけど。

 それを踏まえた上で言い訳をさせてください。あれは怪し気な蝋燭さんのせいです。


「ふんっ、何を寝ぼけた事を。先輩は既に私と結ばれているんです」


 その返しは何か違うなぁ……。

 もっとこう、そんなやり方間違ってますとかさ、あると思うんだよ僕は。いや、そう思うなら自分で言えばいいだけの話なんだけども。この状況でそんな事を言う勇気は、残念ながら持ち合わせてないんだなこれが。

 ははっまいったね。はい、すいません。


「笑えないね。キミこそ寝ぼけているんじゃないかい?」


「事実です。先輩のお父様にも報告済みですし、いずれ結婚する事実も伝えてあります」


「ちょっと……あの、ちょっと」


 僕はそんなこと初めて聞いたなぁ。流石に会話に割り込むよ。

 何で僕とフィオナが付き合ってる事になってて、父さんがそれを知ってるの? 

 ちょっと詳しく教えてくれない? 


「何ですか、先輩?」


「どういうこと?」


「旅の途中にご挨拶に伺いました」


「あ、はい」


 フィオナはエルに銃口を向けたまま簡潔に答えてくれた。なるほどなぁ。


「妹にも会った?」


「はい、義姉になりますとしっかり挨拶しておきましたから、安心してください」


「あ、はい」


 なるほどなぁ。頭がおかしくなりそうだぜ。


「キミは……本当に……」


 あれだよね。

 何がとは言わないけどあれだよね。


 僕は額に手を当てて頭を振るエルに、さっきまで襲われそうになっていた恐怖を忘れて同調してしまう。


「ボクの邪魔をするね」


 していなかったらしい。

 顔を上げたエルは険しい表情をフィオナに向けてそう言った。

 ダメだ、エルはエルで頭があれだ。


「邪魔なのは貴女です」


 フィオナの言葉に、エルは片手を前に翳す。


「ノイルの後輩であるキミを傷つけたくは無かったんだが、こうなっては仕方ない。無理に付いてきたのはキミだ。ボクとノイルの仲を邪魔するとどうなるか……少し痛い目をみてもらおうか」


「先輩を無理やり連れてきた女が何を……貴女にこそ、身の程を弁えてもらいます。二度と先輩に近づく事がないように」


 部屋の空気がピンと張り詰めた。置きもノイル君たちのせいであまり緊張感がないように思えるが、一触即発の雰囲気である。

 この二人がやり合えば、絶対にただでは済まないだろう。


 フィオナの《天翔ける魔女(ヘヴンズウイッチ)》は、飛行能力と、二挺の短銃から魔弾を放つ魔装(マギス)だ。

 簡単に言えば、空を飛びながら僕の《魔法士》のような攻撃が出来る。

 とんでもない性能の魔装だが、これはフィオナが才能に溢れ、そして何よりも、特別な種族であるからこそ発現出来た魔装だ。

 

 彼女は実のところ、普人族ではない。

 普人族と魔人族との間に稀に誕生する、半魔人(ハーフ)である。

 半魔人はマナコントロールに長け、マナ量も多く、魔法も魔装も扱えるのが特徴だが、身体能力は普通の魔人族よりも更に低い。

 ミーナのような半獣人と違い、半魔人は見た目だけでは判断し辛く、フィオナは普人族よりの見た目をしているため、勘違いされやすいのだ。


 そんな彼女だからこそ扱える《天翔ける魔女》は非常に強力な魔装で、釣り堀を作る際に

魚を遠くから運んだりと、僕も大変お世話になった。


 そして――


「ソフィ、エルって採掘者(マイナー)としてのランクは?」


 僕はいつの間にやら部屋の入り口に立って、何を考えているのかわからない顔で様子を見ていたソフィへと、恐る恐る訊ねた。


「Aです。旦那様」


「……その呼び方何?」


「マスターがそうお呼びするようにと」


「やめてもらえる?」


「申し訳ありません旦那様。マスターのご要望なので」


「あ、はい」


 しかしそうか、やはりエルはランクAか……。

 だとしたら本気でマズい。

 僕がそう思い、嫌々ながら二人を止めに入ろうとした時だった。


「待ちなさい……待って……」


「え?」


 背中を擦っていたミーナにそう言って肩を掴まれ、僕は彼女の方を向いた。

 ずっと気分悪そうに蹲っていたミーナが顔を上げる。僕は、頬を上気させ、息を乱し、とろんとした目を向けてくる彼女を見て、嫌な予感がした。

 しかし、すぐさま逃れようとした僕よりも素早く、彼女は僕の顔を両手でがしっと掴み――


「んむ!?」


 僕へと、唇を重ねてきた。軽く、啄むように彼女は何度か口付けし、そして、唇をぺろぺろと舐め始める。

 

「…………ミーナ……?」


「メス、猫……?」


 エルが信じられないように目を見開き、フィオナの手から短銃が落ちる。


「発情期はまだ先だったはずですが……」


 ソフィが不思議そうに首を傾げた。


「異常を察知し誰が来たぁ? 俺が来たぁ!」


 そして、クライスさんがどこからともなくスライドしながらポーズを決めて現れた。


「ふにゃへへ」


 ミーナは少しの間唇を舐めると、ふにゃんとした笑みを浮かべ、僕の胸に倒れ込んできた。聞こえてくるのは、穏やかな寝息。


 辺りが静まり返る中、クライスさんが陽気な声を上げる。


「ハッハー! んなるほどぉ! どういう状況だい?」


 僕が訊きたかった。

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