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32 レンタル


 エルシャン・ファルシードは、四方数百キロに渡り広がるシャール大森林に住まう種族、森人(シンジン)族である。

 森人族は精霊と契約を交わし、自らのマナを与える対価としてその力を借りる、精霊と共に生きる種族だ。

 自らの住まう大森林から滅多に出ることはなく、排他的というわけではないが、閉塞的な生活を送っている。


 そんな森人族の中でも、進んで人里へと出てきたエルは変わり者なのかもしれない。

 しかし、彼女の人間性は大変優れており、誰とでも分け隔てなく接し、人望も厚く、誠実である。魔導学園では生徒会長も務めていた。


 僕とは比べるまでもない。雲と泥、天と地、月とスッポン、それ以上に大差がある人物だ。

 まあ早い話が、本来なら僕のような人間が関わることができるような相手ではない。

 だから、僕がエルについて知っているのは、今も昔もこれくらいの情報だけしかなかった。







 一晩明けて僕が目を覚ましたのは、正午を少し過ぎた頃だった。前日の疲れからか、少々寝過ごしてしまったらしい。


 昨晩はあの後ノエルがもう限界だったので、エルへのお礼もそこそこに、僕らは早々に『白の道標(ホワイトロード)』へと帰った。


 久し振りに会ったとは言ってもエルとはほぼ会話すらしたことがないので、積もる話も特にない。彼女も僕らが帰ることについては特に何も言わなかった。「そうか、それじゃあまた」と言って見送ってくれただけだ。フィオナがやたらエルを気にした様子だったのと、また、という言葉は少し気になったが、まあ王都に居るのならその内会う機会もあるだろう。


 もしかしたら彼女の方は僕に気づいていたのかもしれない。驚いた様子もなかったし。というより僕を憶えていたのが意外だった。僕の方は三年とちょっと王都に居たけれど全く気づかなかったのに。


 まあエルが採掘者(マイナー)になっていたのならそれも仕方ない。僕は面倒事を避けるために、レット君以外の採掘者とはあまり関わらないようにしてるし。


 そんなことを考えながら僕は一階に下り、とりあえず軽くシャワーを浴び歯をみがいてから、服を着替えて店の方へと向かう。

 扉を開けて『白の道標』店内に入った僕を待っていたのは、意外な光景であった。


「おはようございます、先輩」


「起きたか、ノイル」


「ノイル、おはよう」


 まずフィオナがすぐに僕へと笑顔を向け、次に店長、どうやら二日酔いはないらしいノエルと続く。

 そして――


「昨日振りだね、ノイル」


 最後にエルが片手を上げて微笑んだ。

 彼女は応接用のソファに脚を組んで座っており、その向かいには店長が同じ様に腰掛けている。フィオナとノエルは店長の後ろに立っていた。


「エル? どうしてここに?」


「また、と言っただろう?」


 僕が驚きながら訊ねると、彼女は微笑みながらそう答える。確かに言ってはいたが、まさか昨日の今日で再び会うことになるとは思わなかった。一体何の用だろうか。


 しかしそんなことより凄いな。店長とエルが並ぶと物凄く絵になる。ソファに腰掛けてお茶を飲んでいるだけなのに、まるで芸術的な絵画のようだ。店長の後ろに並ぶノエルとフィオナも申し分ない美人だし、この空間の僕の異物感がすごい。


 よし、出ていくか。


「そっか……ごゆっくり」


「何をやっておるのじゃ」


 僕がそう言って四人をスルーして『白の道標』から出ていこうとすると、店長に声を掛けられた。

 なんだろう。異物を排除しようとしただけなのに。絵画に虫が止まってたら邪魔でしょ?


「いや……虫は虫らしく外を飛び回ろうかと」


「何を言うておるのじゃ、早う座れ」


「えぇ……」


 店長にそう言われてしまい、僕は露骨に顔を顰めながら嫌々その隣に腰を下ろした。何これ凄い居心地悪い。間違いなく僕が景観を損ねている。あと滅茶苦茶嫌な予感しかしない。


「ノイル……昨日はごめんね」


「ああ、いや別にいいよ」


 僕の耳に顔を寄せてきたノエルと小声で会話を交わす。しかしあれか、どうやらノエルは酔っても記憶は残るタイプらしい。やや照れくさそうだ。


「ありがとう……それで、あの人って知り合い?」


「知り合いっていうか……魔導学園にいた頃の同級生……かな。殆ど話したこともないよ」


「そっか……」


 彼女の問いに答えるが、ノエルはどこか心配そうだ。嘘は吐いてないんだけどな。エルは恩人ではあるが、それだけだ。関わりなど無いに等しい。


「はい、先輩」


 いつの間にか僕へとお茶を用意してくれていたフィオナが、カップをテーブルに置いた。彼女にお礼を言ってから一口お茶を飲む。

 すると、フィオナは下がる際に僕の耳元で小さく囁いた。


「先輩、気をつけてください」


「え?」


 その言葉の意味がわからず、首を傾げる。フィオナはそれ以上は何も言わず、再び僕らの後ろに静かに立った。その目には何か警戒のような色が見て取れる。

 しかし彼女が何を警戒しているのかわからないので、僕はどうすることもできずに、とりあえずカップをテーブルに置いた。

 くすくすと笑っているエルの姿が目に入る。


「ふふ……やっぱりキミはおもしろいね」


「ふむ、まあそれは同感じゃな」


 エルの言葉に店長がしたり顔で頷くが、僕には何がおもしろいのか理解できない。

 あれ?

 もしかして馬鹿にされてるこれ? 

 怒るとこかな? 

 僕だってたまには怒るぞ、こらって。


「ノイルは見ているだけでおもしろい男じゃからのぅ」


 こら。


「まったくだね。退屈しない」


 こらこらぁ〜。


 人を珍妙な生き物みたいに言うの止めない?

 僕だって傷つく時はあるんだよ? 

 幸いプライドがない生き物だから軽傷で済んでるけどさぁ。小さな傷だって重なればボロボロになるんだってことを知ってほしい。


「それで、じゃ」


 しかし店長とエルの二人はそんな僕を尻目にお互いに腕を組み、話を始めてしまった。


「用件は、ノイルを貸し出してほしいということじゃったな?」


「ああ、その通りだ」


 とんでもない話を。


「はい、ちょっと待って」


「何じゃ?」


「何だい?」


 僕が割って入ると、二人は同時に訊ねてくる。理解が追いつかない上に、二人とも何で不思議そうな表情なのかわからない。おかしいな。ちょっともう一回訊いてみようかな。

 僕は額に手を当てながら問いかける。


「僕を……その、何?」


「貸し出しじゃ」


「なんて?」


「少しの間、ボクのパーティ、『精霊の風(スピリットウィンド)』に加わってほしいんだ」


「なんで?」


 意味がわからない。

 つまりあれか? 

 人材派遣みたいなものかな? 

 僕がエルのパーティーに入るの? 何で? 


 というよりちょっと待ってほしい。なんか『精霊の風』って聞いたことあるな。僕の釣り仲間がそんなパーティに入ってるって言ってたな。


「うちのメンバーの一人が、勝手に王都を飛び出してしまってね」


 僕多分そいつ知ってますよ。

 ていうかまだ帰ってきてないんだね彼。ということはあのまま海釣りに向かいやがったなちくしょう羨ましい。


「そこでだ、彼を誘った人物には責任を取ってもらおうと思ったんだ。幸いにも王都に戻ってきたようだし、彼が居ない間の穴を埋めてもらいたい」


 あ、やっぱり全然知らないやそんな奴。僕とは関わりなんか一切ないね。誰だそんなことをした奴は、まったくどうしようもない奴だな。僕には関係ないけど。僕には関係ないけど。


「彼――レットが残した書き置きにはこう書いてあった。『白の道標』のノイルと、一緒に海釣り行ってきます。と」


 おかしいな。

 僕はレット君なんて知らないのに、どうしてこの店と僕の名前を彼は書いたのかな?

 ああそうか、きっと同名の人物が同名の店で働いてるんだな。いやまいったね、勘違いされちゃったか。僕に責任はないよ。


「これはノイル、キミのことだね?」


「あ、はい」


 ちくしょう。

 微笑みながらそう問われ、僕は諦めて頷くしかなかった。完全に自業自得だった。


「なに、心配ないよ。レットが戻って来るまでの間、彼を借りるだけだ。そうだな、これを依頼ということにしてもいい。『白の道標』へボクからの人材派遣の依頼だ。相応の報酬も払おう」


「ふむ……人手が足りぬというのなら、我が手を貸してもよいぞ」


「必要ない。彼だけで十分だ」


 店長の提案に、しかしエルはきっぱりと答える。


「他の者の助けも必要ない」


「……何故じゃ?」


 怪訝そうに目を細めた店長に、エルは肩を竦めた。


「ミリス、キミは……端的に言って強すぎるんだ。キミの力は過剰だよ、大きくバランスが崩れてしまう。ノエルは逆に能力が足りないね。フィオナはあまり採掘者からの受けが良くない。申し訳ないが、キミたちはボクのパーティには向かないんだよ」


「ノイルだけが適任ということかのぅ?」


「ああ、そういうことだね」


 エルの説明に店長は不敵に微笑み、ノエルは悔しそうに俯く。フィオナは微笑を浮かべているが、目は笑っていないように思える。怖い。


 まあそれよりもだ、僕が適任ってどういうことだろう……エルは僕の情けないところしか知らないはずだが、一体何を見てそんな風に思ったのだろうか。僕の中のエル情報に、その綺麗な目は節穴という新たな情報が加わってしまいそうだ。


「随分、とってつけた理由を並べたものじゃのぅ?」


「……何のことだい?」


「まあよい。ノイルは何があろうと我のものじゃからな」


 店長とエルの二人はお互いに笑みを交わす。しかし何故だろう。何か空気が張り詰めているような気がする。あと店長、僕は自由な男だよ。


「キミのもの、というのは感心しないな」


 そうだそうだ。


「事実じゃからな」


 どこの世界の?


「それはおかしいね。ボクが見た限りではノイルは特定の相手と付き合ったりはしていないはずだ」


「そんな事は関係ない。ノイルは我のものじゃ」


 いやぁ関係あると思うよ僕は。

 得意気な店長に対して、エルは苦笑しながら肩を竦めると、一つ息を吐いた。


「はぁ……話が通じないね。まあ構わない。ノイルを借り受けることについては許可してくれるんだろう?」


「うむ、我は止めはせぬ。ノイル次第じゃ」


「ノイル……」


 何だか僕抜きで話がどんどんと進んでいってしまっているし、ノエルは不安そうだ。だが安心してほしい。僕次第だというのなら、僕ははっきりと断ってやろうじゃないか。採掘者の手伝いなんかまっぴらごめんだ。エルには悪いが、責任感のなさに置いて僕の右に並ぶ者などいやしないってところを見せつけてやる。クールにね。


「どうかな? ノイル」


「悪いけど……」


 僕が断りを入れようとすると、エルは何か思い出したように両手を合わせた。


「そうだ、そういえばボクはキミに貸しがあったね?」


「あ、はい」


「すまない、少し卑怯だったかな。そんな顔をしないでくれ、無理強いするつもりはない。ただ、今回の依頼を受けてくれるのなら、あれも無かったことにしようと思っただけなんだ」


「あ、はい」


「それは了承という意味と取ってもいいのかな?」


「あ、はい」


「ノイル……」


「ありがとう。とても嬉しいよ」


 こくこくと頷くことしか出来なかった僕を見て、ノエルはがっくりと肩を落とし、エルは満足げな笑みを浮かべた。ちくしょう。


「ミリス、それじゃあ早速彼をボクらのパーティハウスへと連れて行っても構わないかな?」


「うむ。じゃが忘れるでないぞ。あくまでも貸すだけじゃ。それから、報酬は高くつくと思っておいたほうがよいのぅ」


「構わないさ。ボクはこれでもお金には困っていない。それに、借りている間は何をしてもいい(・・・・・・・)んだろう?」


「ノイルが命を落とすようなことがなければのぅ」


 え、何それ怖い。

 一体僕は何をやらされるというんだ。何でそんなやり取りを笑顔で出来るのかな君たちは。

 しかし、そんな僕にはお構いなく、エルは颯爽と立ち上がった。


「ああ、任せてくれ。絶対にそんなことにはならない」


 自信たっぷりにそう宣言して、エルは僕へと笑顔で手を差し出す。


「さあ、それじゃあ行こうかノイル。ボクの仲間を紹介するよ」


 どうしてこうなってしまったのか。僕は一つ息を吐いて、しぶしぶ差し出された手を取り立ち上がる。本気で気が重かった。逃げられるものなら今すぐ逃げ出したい。


 可能な限りのろのろと立ち上がった僕を見て、エルは一つ満足そうに頷くと、そのまま手を引き、歩き出そうとする。

 ノエルが悲痛そうな表情でこちらを見ているが、止めることは出来ないようだ。わかるよ、なんかこれ売られた奴隷みたいだよね。そりゃそんな顔で見ちゃうよね。


「……行ってきます」


「ちょっと待ってください」


 しかし、僕が諦めてそう言ったのと同時に、フィオナが僕らを止めた。


「私も付いていきます」


「……申し訳ないがフィオナ。キミは必要ないと言ったはずだ」


 足を止めたエルが、困ったような表情を浮かべて振り向く。


「ええ。でも、私は先輩の傍に居ないと死んじゃうんです」


「感情論だね。実際に死ぬわけじゃ――」


「いえ、死にます」


 そう言ってフィオナは服の襟元を開け、自らの首に嵌っている魔装(マギス)、《(ラヴァー)》を見せつける。例の呪いのアイテムだ。


「それは……?」


 エルが訝しげな目で《愛》を見る。


「魔装です。この《愛》は先輩の傍に居ないと自動的に私の首を締める効果があるんです」


「何だい……それは……」


 うっとりと首輪を撫でて、フィオナは得意気な笑みを浮かべた。店長は好奇心に満ちた目で様子を見ており、ノエルは目を見開いている。そして、エルは彼女に似合わない何とも微妙な表情を浮かべていた。

 事前に《愛》の存在を知っていた僕は比較的冷静だったが、やはり頭がおかしくなりそうだった。


「ほ、本当かい……?」


「うん……嘘であってほしいよね」


 エルが言葉を絞り出すようにそう訊ねてきたので、僕は遠い目をして頷いておいた。

 いや、しかしだ。

 そういえば僕が命令すれば離れても大丈夫なんだよな? 

 だったら着いてこないように言えば……一人で採掘者の所行くの怖いし付いてきてもらったほうがいいな。うん。

 僕はあえて解決方法は言わないことにした。


 そんな僕の考えを察したのか、フィオナが蕩けるような笑みを向けてくる。僕は視線を逸らした。


「私は先輩の所有物ですから」


「まったく……これは……想定外だね」


 フィオナの狂気の沙汰を見せつけられたエルは、顔に手を当てて疲れたように呟くのだった。

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