250 笑顔の別れ
「優勢じゃな」
『大翼の王宮』の船体の上で、目の前に広がる戦争が如き光景を眺めながら、ミリスは呟いた。
各所から細長い筒のような砲身を展開させた『大翼の王宮』からも、時折敵を追尾する赤い光が一斉に放たれており、黒鎧たちを撃ち落とせぬまでも弾き返している。
戦況は、彼女たちが圧倒していると言えた。
上空は絶えず連射されるフィオナの高火力の魔弾が、もはや黒鎧たちの数を上回るのではないかと思う程に飛び交っており、そうでなくともシアラとテセアの突進は誰にも止められない。ネアとラキは言うまでもなく善戦しており、炎雷の輝きはフィオナの魔弾にも劣らないだろう。レットも、シアラとテセアには及ばないまでも、自身を弾丸と化した高速飛行により黒鎧たちを確実に穿き焼き尽くしていく。
アリスの自動人形たちは、銀と碧の装甲を纏った存在以外は単体では黒鎧に及ばないが、数と魔導具で押し、破壊されようがその身体を爆発させ、ただでは倒れない。捨て身の特攻を防ぐ手立てはなく、脅威的であった。
地上組も、もはや天変地異を起こしているかの如き圧倒的戦力を誇るエルシャンを中心に、これ以上ない程に上手く立ち回っている。
グレイとネレス、ナクリが近接戦闘で引きちぎるかのように黒鎧たちの中を爆進し、ソフィとノエルがそれを上手くカバーするように動いている。特にノエルの血液による攻撃は驚異的だ。少しでも付着すれば、ほんの僅かな隙間からでも敵の内部に入り込み、内から攻撃が可能になる。その強度と柔軟性も申し分なく、盾として使えば確実に黒鎧の攻撃を防いでいた。
クライスは分身体を上手く使い、全体のサポートから遊撃、カバーまで、全てをこなしている。本体の実力も黒鎧たちには当然ながら劣っていない。
そして、黒鎧たちのこれ以上の増殖はミーナが食い止めていた。『破滅の死獣』は気配の掴めない彼女の襲撃を度々受け、黒壁を展開せざるを得ず、今や殻に閉じこもるように全体を覆っている。あの状態では、リソースを黒鎧に回すことができないようだ。
敵は、次第にその数を減らしていた。
全員が類稀な強者であるからこそ、『破滅の死獣』を圧倒しているのは間違いない。しかし、ここまで上手く事が運んでいるのは、エイミーの《夢物語》の影響が大きいだろう。こちらの行動は必ず有効打となり、逆に敵の動きは致命的なミスに繋がる。
全体の戦況を確認しながら、彼女へと『双鳴耳』で指示を出しているミリスだからこそ、その可能性を高める力が、如何に効果を発揮しているのかがよく理解できた。
とはいえ、もしも『魔王』が力を抑えられていなければ、そもそも勝負になっていたかも怪しい。
『破滅の死獣』は殆ど動けず、黒鎧たちの力も《白の王》には遠く及んでいない。本来ならば、一体一体がオリジナル程ではなくとも並外れた力を持っている筈だ。
本体も自由に力を行使出来たのならば、それはもう止めようがないだろう。
故にノイルを手に入れようとした『魔王』の選択は決して誤りではなく、しかし致命的なミスだったとも言えた。
彼が共に戦い続ける限り、ミリスたちは圧倒的に有利だ。
だが、いくら優勢だとはいえ、このまま押し続けるのは不可能だ。消耗戦になれば間違いなくこちらが先に力尽きる。ノイルの負担を考慮すれば逃がすわけにもいかず、一度引く事も許されない。
この交戦で決められなければ、次はより力を増している事だろう。
この辺りが、最大の勝機。
ミリスはそう判断し、腰の剣帯から静かに勇者の剣を抜き放った。力を溜めるためにミゼリオとフュリスは一言も発しないが、彼女に応えるかのように、純白の光が太陽光を浴びずとも輝く。
「頃合いじゃ、エイミー」
『はい!』
船内のエイミーへと、彼女は短くそう伝え、アリスへと視線を向けた。
「次弾は?」
『いけるぜ』
既に自身に似せた自動人形の中に入り、準備を進めていたアリスが、銀と碧の巨大なクロスボウを抱えて答える。
『全員聞けやぁあああああああッ!!』
そして、戦場中に響き渡るかのような大音声を発した。
『最大火力をッ!! あのクソにぶち込んでやれッ!!』
指示はそれだけだった。
しかしそれだけで充分だった。
全員が――言葉を交わす事なく動き出す。
一斉に、黒鎧たちから『破滅の死獣』へとその矛先を変えた。
『ミスるんじゃねーぞ』
「誰に言うておる」
『てめーだよ』
アリスもそれだけを言うと、背負った背嚢のような魔導具から紺碧の光を噴き出して飛び立ち、黒鎧たちの合間を自動人形たちの援護を受け、快速で抜けて前線へと向かう。
そして、宙空で紺碧の光が集束された巨大なクロスボウを構えた。
「行ってきなッ!!」
「〈双牙〉」
ネレスの叫びと共に、ナクリが猛進するグレイの背へと跳び乗り、二人は同時に黒き壁へと剣を振るう。
「〈炎雷竜の咆哮〉」
「〈炎弾〉!!」
ネアとラキが向き合うように掌を合わせ、その先から一条の光のような炎雷が放たれ、レットの全身の炎が構えた指先へと集約し、小さな太陽が如き弾丸を発射した。
「〈森羅万象〉」
「〈暴虐の黒爪〉!!」
エルシャンの纏っていた精霊たちがその姿を変え、荒れ狂う嵐となり黒き壁を襲い、ソフィの風により加速したミーナが薄紫の輝きを帯びた剛爪を振り下ろす。
「ノエルさんッ!」
「任せてッ!」
「〈絶槍〉!!」
クライスの分身体たちに次々と上空高く打ち上げられていたノエルの手をテセアが握り、シアラの声と共に馬車が三人を包み込みながら一本の巨大な槍へと変容する。穂先が赤い血液で覆われた漆黒の巨槍を、三人は天空から黒き壁に突き刺した。
「〈大輪花〉!!」
「〈銀碧弩弓〉!!」
そして、フィオナの複数の魔弾を纏めた魔法の大輪の花束が咲き乱れ、アリスの紺碧の極光を放つ巨大な矢がその中心に炸裂する。
各々が連携し放った最大火力により、辺りの地形が崩壊する程の衝撃波と、大気を震わせる轟音が鳴り響く。眩い輝きが辺り一体を照らし尽くし、残った黒鎧たちを攻撃の余波が一斉に吹き飛ばした。
『破滅の死獣』を覆っていた黒き壁に、亀裂が生じ、全体に広がる。
それを見たアリスが、素早く『双鳴耳』で『大翼の王宮』へと指示を出す。
『今だッ!!』
既に発射準備を終えていた船体から、黒き壁が砕け散ると同時に赤き極光が放たれた。
その瞬間に全員が退避し、『破滅の死獣』から距離を取る。
そして、〈断罪の赤光〉が――瞬時に展開された黒き壁に阻まれた。
『チィッ!!』
全員が眼を見開き、眉を歪める。
ただ一人――ミリスを除いて。
「問題ない」
顔の横で切っ先を前に向け、水平に勇者の剣を構えた彼女の瞳に、絶望の色は一切ない。
「ゆくぞ、父よ母よ」
『うむ』
『任せて』
ミリスの声に二人が応えると同時に、勇者の剣の輝きは一層増した。
〈断罪の赤光〉が、一撃目と異なり黒き壁を破壊する。辛うじて展開できただけだったのだろう。
赤き極光も同時に消失したが――瞬間、彼女は静かに動いた。
『大翼の王宮』の船体を蹴り、両足から光の翼を伸ばし、一直線に、白き閃光となり『破滅の死獣』へと向かう。
繋がる純白の光に導かれるように、吸い込まれるように、静かに、されど苛烈に、『破滅の死獣』の頭部へと勇者の剣を突き立てる。
白光が辺りを照らし、黒き靄を打ち払った。
「く……!」
――かに思えたが、その切っ先は『破滅の死獣』を穿けてはいない。ぎりぎりと、黒き巨体はミリスを押し返している。
負けはせぬ。
歯を食い縛り、彼女は勇者の剣を更に突き立てた。
拮抗するミリスと『破滅の死獣』。
何時までも続くかと思われるかのような競り合いは、しかしミリスへとゆっくりと迫る二本の鋏が終わらせようとしていた。
「はぁああああああああああッ!!」
ミリスは裂帛の気合いを込めて叫ぶが、勇者の剣はその進行を完全に止めている。
負けるわけにはいかぬのじゃ……!
既に全力であるミリスは、限界など知らぬとばかりに更に一層の力を絞り出す。
その、瞬間だった。
「ミリス」
フュリスの優しげな声が、彼女の耳に届く。頭の中に響くでもなく、まるで、直ぐ傍に立ってくれているかのように。
白光が――その輝きを増した。
「いつまでも、愛しておる」
背に触れた手が、その温もりが、ミゼリオのものだとミリスにはわかった。父に触れられた記憶などなくとも、直ぐに。
「行きなさい」
父の手に、母の手が重ねられる。
両親が背を押してくれる。
優しく温かく、力強く、慈しみを込めて。
振り向けば、そこに居るのだろうか。
きっと、居るのだろう。
優しく微笑んでくれているのだろう。
けれど――彼女は振り向かなかった。
これが最期だと理解していても、決して。
泣き出しそうな笑顔を一度だけ浮かべ、ミリスは真っ直ぐに前だけを見つめた。繋がる白き光を、その先に居る、彼の元へと行くために。
涙は流さない。
悲しい別れは必要ない。
「――我も愛しておる」
だからそれだけを言って、娘は愛する両親の力を受け取った。
ミゼリオとフュリスが頷いて笑ってくれたのを感じると同時に、背が強く押される。
勇者の剣が薄れながらも眩い程に光を放ち、『破滅の死獣』の頭部へその切っ先が僅かに突き刺さった。
「あやつと幸せにのぅ」
大丈夫じゃ父よ、ノイルと居れば我は幸せにしかならぬ。
「あんまり困らせちゃだめだよ」
善処はするが、それは多分無理じゃ母よ。
「おおそうじゃ、最期に」
「せっかくだからね」
ミリスは笑みを浮かべて、両親の次の言葉を待った。二人は、声を揃え――
「うんこー!!」
明るい声でそう言って、一層頼もしく彼女の背中を押してくれた。
ああ、やはり……。
「好きじゃのぅ……」
ミリスが微笑んで呟くと同時に、勇者の剣が深々と『破滅の死獣』の頭部を穿つ。
そして、彼女は白き光に導かれ、彼の元へと向かった。