245 チームワーク
大丈夫かよこれ……。
『六重奏』と協力する選出された六人を見て、レットはただならぬ不安を覚えていた。
場所は『私の箱庭』の中だ。瓶の中に広がる平原には、それぞれが思い思いの場所に立っている。
アリスの創った器は本人が言っていた通り完全なものではなく、間もなく消滅し、そうすれば魂たちは自然と抜け出して存在できるのはこの中だけになる。
そうなれば、『六重奏』はそれぞれの相手に入り込み、共に『私の箱庭』を出ればいい。魂を宿した状態でも、一人の人間として認識される事はこれまでにノイルが証明している。
イーリストへ進行中の『魔王』の元までは、『大翼の王宮』の速度ならば三時間程。
それまでに魂の宿った状態に慣れるまでの練習場所としても、『私の箱庭』は適している。
確かに理には叶っているし、『六重奏』の力を使いこなす事ができれば、戦力は大きく上昇するだろう。
しかし、この六人が本当に相性がいいのかレットは甚だ疑問だった。
「悍しい……こんな害虫が先輩に寄生していたなんて」
「は? 嫉妬ですか生ゴミさん? ノイルさんのものだというのなら、妻である私にも文句を言わず敬意を払い黙って従うべきですよね? 生ゴミを有効活用してあげるんですから、感謝こそすれその態度はおかしくないですか? 私だって死ぬ程嫌なのを我慢してるんですから」
「ごめんなさい、虫の鳴き声まで私は詳しくないんです。人の言葉を喋ってもらえますか? キイキイ喚かずに。吐き気がするので不快な音を発しないでください」
最悪の相性だろこれ……。
少し離れた位置で二人の様子を眺めながら、レットは薄目になる。
既に一触即発の雰囲気を放っているのは、顔を盛大に顰めているフィオナと、ストロベリーブロンドの髪にアメジストの瞳の女性――魔法士だ。
一応彼女は笑顔だが、目は全く笑っていなかった。
確かに能力だけならばレットも納得のいく組み合わせだ。ノイルの《魔法士》は様々な魔法を扱う魔装だった。その力の源である魔法士は、フィオナの《天翔ける魔女》と間違いなく相性が良いだろう。
「黙れ、ノイルさんに擦り寄る変態色情狂」
「身の程を弁えろ、先輩の身体を汚した醜い寄生虫が」
しかしそれは能力だけの話である。
この世全ての憎悪を集め溶かし固め、その上から更に同じものを塗りたくったかのような顔で睨み合っていた魔法士とフィオナは、ふっと同時に表情を緩め、レットは胃に氷を落とされたような寒気を覚えた。
「あなたの死は私からノイルさんにちゃんと伝えますね、尊い犠牲だったと。その後は私が心も身体も慰めますから、安心してこの戦いでノイルさんのために命を使って死んで下さい」
「それはこちらの台詞です。消滅するまで使い潰してあげますから、きちんと塵も残さず消えてくださいね。先輩と私のために」
「まあ、今は大人になりましょう。ノイルさんを救ける道具として、お互いに信頼するべきですね」
「ええ、虫は大嫌いですが、一パーセントでも先輩を救う確率が上がるのなら、仕方ない事です」
「……はー、死ねばいいのに」
「……生まれた事を後悔して消えろ」
そっと、レットは魔法士とフィオナから視線を外した。これ以上見ていたくなかった。何処となく似た者同士、同族嫌悪というやつだろうか。最悪のマリアージュが生まれていた。
「……何よ」
「……そっちが何よ」
そして、視線を逸らした先ではミーナと、薄紫の髪をポニーテールにしたスタイルの良い女性――狩人がお互いに腕を組んで睨み合っており、レットは眉根を寄せまた目を細める。
確かに《狩人》の能力を考えれば、ミーナとの相性は悪くはない。
「……あんたも、ノイルの中に居たのよね」
「そ、それが何? わ、悪い?」
「悪いとは言わないけど、虫唾が走るわ」
「ひえ」
キッと睨みつけられた狩人が、涙目になって身を竦める。その態度に、ミーナが更に顔を顰めた。
ミーナ姉ぇの嫌いなタイプだな……。
狩人を改めて見たレットは、そう思いながら嘆息する。
「……あんたが訊いてきたから答えたんでしょうが」
「だ、だってぇ……」
大きく息を吐き出したミーナが、目を閉じ自身の腕を指でとんとんと叩きながら明らかに苛ついた声でそう言うと、狩人は更に怯えたようにか細い声を発する。
「……うっざ」
「ひえ」
ぽつりとそう漏らしたミーナに、涙目で心底怯えたような表情を狩人は浮かべた。ミーナの耳がぴくぴくと動き、尻尾がバタバタと荒ぶる。
素なのだろうが、狩人の態度はレットの目から見てもあざとかった。弱々しく、まるで庇護欲を誘う小動物かのようだ。そしてミーナは、そういう女が嫌いだと彼は知っている。
「そうやってか弱い態度であいつを誘惑してたわけね」
「そ、そんなことしてないもん!」
「もん? ……キッモ」
「なんでそんなことゆうの?」
水と油だと、レットは思った。
正直ノイルと二人で居る時のミーナも大差はない気がするが、《狩人》が彼お気に入りの魔装であった事実が、また彼女を苛つかせているのだろう。
しかしまだ狩人は相手がミーナで幸運と言えるかもしれない。
ノイルのお気に入りであった彼女へのヘイトは一際高かった。他の者が相手ならば、間違いなくこの程度では済んでいない。
魔装と本人は関係ねぇだろ……。
レットは呆れながら思う。だが、そう言った所で何の意味もない。
ミーナが額に手を当てて再度大きく息を吐き出す。
「はぁ……とりあえず、そのきも……気の抜ける態度はやめて。見せかけでもいいからさっきみたいに強気でいなさい。そうしたらあたしも普通に――」
「う、うん! わかった! えへへ」
希望を見出したのか、彼女が言い切る前にぱあと子供のように狩人は顔を輝かせた。
それを見たミーナが、心底苛ついたように歯を噛み締める。
「ッ……だから……そういう……」
「え、な、なに?」
彼女が身体を小刻みに震わせ、我慢ならないといった様子で拳を握りしめると、狩人は直ぐに泣きそうに眉尻を下げておどおどとし始めた。
「喧嘩売ってんのあんた!?」
「ええ!? なんでぇ!?」
とうとう怒声を上げたミーナと、涙を溢れさせた狩人からも、レットはそっと視線を外した。
まあここはまだマシか……。
そう思いながら、また別の組へと目を向ける。
「だからね、私はノイルちゃんのことなら何でも知っているし、ぽっと出の貴女よりずっと深い仲なの。もちろん貴女には感謝はしているけれど、どうかしら? 貴女はノイルちゃんに自分が相応しいと思う? ずっと一緒に過ごしてきた相手よりも」
「う、うぅ……でもこれから関係を深めていけば……」
「私はノイルちゃんの精通の瞬間も知っているわ」
「だから何なんですかぁ!! それはむしろ知られたくない事ですよね!?」
そこではエイミーに、金髪碧眼に抜群のプロポーションを持つ女性――癒し手がひたすら優しくマウントを取っていた。
確かに、ここも能力だけを見れば相性は悪くない。
エイミーの《夢物語》は、強い願い程自身の身体を代償にする魔装だ。その傷を、圧倒的な回復力を誇った《癒し手》の力の源であった彼女が癒やす。
それに、直接戦闘に加わる事のできないエイミーならば、魂を宿した影響で動きが鈍ろうが関係はなかった。
「それはどうかしら? 何故、喜んだかも、という想像にはならないの?」
「へ、え!? まさかノイルさんは……」
「私はどうだったか知っているわ」
「ぐぬぬ……」
癒し手は唇に指を添わせながら、嫣然とした笑みを浮かべ、エイミーは悔しそうに、困惑したように頭を抱える。
アホじゃねぇの……。
レットはそう思ったが、口には出さなかった。ただ、親友のことを哀れに思った。
「それで、もしノイルちゃんがそういった性癖を持っていたら、それでも貴女は愛することができるのかしら」
アホじゃねぇの。
レットはそう思った。
「馬鹿にしないでください! 余裕です!」
アホじゃねぇの。
レットはそう思った。
「そう……まだまだ貴女の知らない事は山ほどあるけれど」
「これから知っていくんですぅ! 仲を深めていくんですぅ!」
まずは性癖について訂正してやってくれ。
レットはそう願った。
しかしそれも虚しく、癒し手は鷹揚に腕を組むと、性癖についてはそれ以上触れなかった。
「貴女はこれからの事しか知る事ができない。でも私は違うわ」
「充分ですぅ! ふとした時に新たな一面を知って、落胆する事ももっと好きになる事も両方あって! 思い通りじゃなくても理想通りじゃなくても! そんな風に仲を深めていくんですぅ!」
「……そう、面倒な女になったわね」
「な、何ですか! やろうってんですか!」
すっと癒し手が目を細め、エイミーが慌てて不格好なファイティングポーズを取る。しばし彼女を見下ろすように眺めた癒し手は、ゆっくりと首を振って息を吐き出した。
「はぁ……頭の中で一生一人遊びをしていれば良かったのに。まあいいわ、別に私も多くは望んでいないもの。ただ、ノイルちゃんの初めてだけは譲る気はないわ」
「強欲極まれりじゃないですか!!」
エイミーがそう叫び、癒し手は肩を竦める。
最もノイルと付き合いが長いと言っても過言ではなく、ずっと彼を見てきた癒し手と、最もノイルとの付き合いが短く、最近ようやく彼をちゃんと見始めたエイミー。
圧倒的なアドバンテージが癒し手にはあるように思えるが、それでも彼女がエイミーをやたらと警戒している理由は、やはり《夢物語》の存在だろう。
ありゃとんでもねぇ飛び道具みてぇなもんだからな。
レットは二人のやり取りに呆れながらも、癒し手の、いや、ノイルに想いを寄せる者たちのエイミーへの警戒心はなんとなく理解できていた。
《夢物語》はそうなる確率を高める魔装。言ってしまえば彼女とノイルが結ばれる可能性は、今後ずっと高まったままだ。
そこに、これまでの積み重ねや関係性、付き合いの長さは関係なく、何かのきっかけさえあれば、ころっと未来は変化するかもしれない。
ノイルが全力で避け続けるのならば、問題はなかっただろう。しかし今のエイミーならば、彼は殊更に遠ざけようとはしないはずだ。ならば全力で周りが邪魔をし続けるしかないのは、彼女たちにとって道理である。
本人に自覚はないだろうが、排除すべき相手としての優先順位としては、かなり高い位置に居るはずだ。
まだ狩りやすい相手でもあるしな……。
早々に護身術でも身に着けた方がいい。
そう思いながらレットはまたそっと視線を別の方向に向けた。
「一つ聞かせて。あなたは男の人? それとも女の人?」
「それはノイルが決める事だ。彼はどちらでも構わないと言っていたけどね」
そこではノエルと夕陽色の髪の人物――変革者が意味のわからないやり取りをしていた。微笑んだ変革者に、彼女は顎に手を当てて何やら思案している。
「ふぅん……ね、もう一つ、ノイルは好き?」
「もちろん」
「ふぅん……」
淀みなく変革者が答えると、ノエルは再度そう呟く。彼女が何を考えているのか考えるのが、レットは怖かった。
ノエルの《深紅の花嫁》と《伴侶》を同時に発動させた《披露宴》は、それまでと比べて暴走を抑えられが、未だ完全に制御しきれているとは言えない。
しかしそこに魂へと干渉する力を持つ変革者が加わる事で、狂気に染まる精神を安定させる事ができるだろう。
能力だけを考慮すれば、この組み合わせも相性は良い。
「あなたはノイルとどうなりたいの?」
「自分はそうだね、考え方としては彼女……ミリスに似ているよ。ただ自分の場合彼女ほど積極的な干渉はしない。ノイルが幸せならそれでいい。自分が彼とどうなりたいか、とはあまり考えないね。望みがないと言ったら嘘にはなるけど、ノイルの幸せが自分の幸せだ」
ただ、この二人に関してはその他の相性は未知数もいいところだった。
おそらく変革者は誰にでも合わせられる人格者だとレットは思っている。今もノエルの唐突すぎる質問に至極真面目な顔で答えていた。
この二人は変革者の方は問題ない。
考えの読めないノエルがどう対応するか次第である。
変革者から献身的すぎる答えを聞いた彼女は、顎から手を離してニコリと微笑んだ。
「じゃあ私とノイルの仲を取り持ってくれる?」
この女、ドスレートに来やがった。
笑顔のノエルを見たレットの背筋に冷たいものが駆け抜ける。
これすらも駆け引きの一つだとでも言うのか、変革者を与しやすしと踏んだのか。
そのどちらかはわからないが、はっきりとわかるのは変革者を利用する事に一切の迷いがないという事だ。
その躊躇のなさと笑顔の裏の読めない思惑に、レットは思わず固唾を飲んで成り行きを見守ってしまう。
変革者は、ノエルの頼みに顎に手を当てて何処までも真面目に考え込んでいた。
「いや……それは……直ぐには頷けないかな」
「どうして?」
「もう少し時間が必要だよ。怒らせるかもしれないけど、君と結ばれる事が最もノイルの幸せに繋がるのかまだ判断できない」
「どうして?」
正論にノータイムで重ねてきやがった。
レットは僅かに身震いする。
変革者は戸惑ったような表情を浮かべているが、無理もないだろう。
「どうして……と言われても。ノイル本人の気持ちが大切だからね。彼の周りには他にも女性が多いし、あくまでも選択するのは彼だ」
「でももしノイルが私以外と結ばれて、不幸になったら?」
「……それは、君にも言えることだろう? 未来なんて、そうなってみないと――」
「ううん、私は絶対にノイルを不幸にしない。自信あるし」
「いや、それは――」
「ね、さっきあなたは望みがないと言ったら嘘になるって言ったよね?」
喋らせねぇ。
レットは笑顔で畳み掛けるノエルを見て、なんとなく何をやろうとしているのか理解した。
相手の意志では口を開かせず、自身の望む言葉だけを誘導して引き出そうとしている。自然に、自分がそう考えたのだと思わせようとしている。
つまり、軽い洗脳を施そうとしているのだ。
「その望みってなに?」
「…………」
ノエルが首を傾げて訊ねると、変革者は少し考えるように俯き、そして窺うように上目遣いで彼女を改めて見た。
「……怒らないかい?」
「まさか、何で怒るの?」
「いや、以前魔法士に同じ事を言ったら、あまりいい顔をされなくてね」
ノエルは人好きのする笑顔を浮かべた。
「そうなんだ。でも――私はその人と違うよ」
レットはゾッとする。
変革者が少し安心したように顔を上げたの見て、ダメだと叫びたかった。
「……そうだね」
おいやめろバカ! そいつに心を開くな!
しかし声には出せない。もしレットが止めに入ったのならば、今度は自分の身が危険だからだ。故に彼は必死に心の中でそう叫ぶしかなかった。
この組み合わせはダメだ、変革者の人が良すぎる。そう思っても、もはや何もできない。
変革者が微笑み、思わずレットは目を瞑って顔を伏せた。
「自分は、ノイルにたまにでいいから構ってもらいたい」
あまりにもささやかな望みに、彼は涙が溢れそうになる。
「ええーそんなの望みなんて言わないよ」
ああそうだろうな。
レットはノエルの声を聞きながらそう思った。
「でも、自分は本当にそれだけで――」
「あなたがもっと幸せになれば、ノイルは喜ぶよ? そういう人でしょ?」
「…………そう、考えた事はなかったけど、言われてみれば……」
「ふふ、ね? じゃあ一緒に考えようよ、ノイルと、あなたと、私が皆幸せになる方法を」
レットは、酷い無力感を覚えながら二人に背を向ける。
「うおぇぇぇぇぇぇ……」
「おい、そんなに嫌かおい、吐くほど嫌かこら」
その先では、シアラが蹲って嘔吐しており、それを燃えるような赤毛にバンダナを巻いた美男子が、顔を顰めて見ていた。
もうこの組み合わせに至っては、能力の相性がいいのかもレットにはわからない。
ただ、どうしてこうなったと、そうぼんやり考える。
「あはは……ごめんなさい。えっと……」
「馬車だよ馬車。不本意ながらな」
シアラの背中を擦っていたテセアに、馬車が大層不貞腐れたような顔で答える。
彼女がぽんと手を打った。
「ああ、確か小さいんですよね。憶えてます」
馬車がその場に崩折れる。
そして地面に両手を叩きつけた。
「忘れろぉっ!! あと小さくねぇッ!!」
「え、でも、アリスが……」
「小さくねぇんだッ!!」
「あ、はい」
哀れだ。
レットはただそう思った。
困惑した様子のテセアに、蹲って吐き続けるシアラ、そして四つん這いでぶるぶると震えている馬車。
この組み合わせはもうダメだと、レットは思っていた。
「……テセア・アーレンス。少しいいか」
「え、あ、はい」
と、三人の傍で腕を組んで目を閉じていた灰色の髪の美丈夫――守護者がテセアに声をかけると、立ち上がった彼女を馬車とシアラから少し離れた位置に連れて行く。
おそらく、今の発言について何がマズかったのか説明しているのだろう。ノイルの立場では教えづらい事も考慮して、代わりにやってくれているのだ。
あの二人はまあ……問題ねぇだろうな。
テセアと守護者は唯一まともな組だとレットには思えた。
彼女の能力はどちらもサポート向きで、本人の戦闘力自体は周りに比べれば低い。守りに特化した守護者がテセアに力を貸すことは合理的であり、明らかに面倒見も良さそうだ。
それに比べて――
「もし、私に、変なことしうえぇぇぇぇ……」
「しねぇって言ってんだろうがちくしょう! 妹なんざクソだ!」
この蹲っている二人には、不安しか覚えない。
レットは遠い目をして空を見上げる。
「ノイルん……無理かもしれねぇ……」
『私の箱庭』の中とはいえ、綺麗な空を見つめながら、彼はそう呟くのだった。




