231 英雄
闘技場では、『双竜』と『魔王』の戦いに決着が着きつつあった。
何匹もの影の兎が重なり混ざり合い顕現した巨大な〈月兎〉が、その身の丈に相応しき長大な槌を振り下ろす。
それを紅く輝く髪の竜人族――ネア・ビエラ・エンが集束された閃光のような炎を纏った拳を打ちつけて弾いた。
「〈雷破槍〉」
蒼白く発光する髪の竜人族――ラキ・ビエラ・メルが両手を合わせると、一瞬で辺りを明るく照らす程の雷がその手に集まり、巨大な雷槍を生み出す。
「〈迅炎走破〉」
ラキの背後に敏速にネアが移動し、その背に片手を、もう一方の手を背後に翳した。ラキの雷槍を、ネアの光と見紛う炎が包み、神聖さすら感じさせる程の輝きを放つ。
「〈炎雷覇竜滅尽槍〉」
二人の声が重なり、背後に翳したネアの手から閃光のような炎が噴出した。体勢を大きく崩した影の兎へと、二人は超速で迫り、その胴を大きく穿つ。弾け飛ぶように、影の兎は消滅した。
高く飛び上がった宙空の二人はそのまま手を取り、互いに半身となってもう片方の伸ばした掌を合わせると、幾重もの影の植物に守られている『魔王』へと、その指先を向ける。
「〈炎雷竜の咆哮〉」
再び二人の声はぴたりと重なり、合わせた手からは雷を纏う豪炎が、太き一条の光のように放たれた。
『魔王』を覆う影の植物の塊に直撃したそれは、眩き光と轟音、衝撃波を生み、影の植物を消し飛ばす。
ネアとラキが軽やかに着地し宙空を見上げる。しかしそこには変わらず『魔王』の姿があった。
「そろそろ終わりでしょ」
影の植物と兎が、フィオナ達と戦った時とは比較にならない程の速度で再び湧き上がる。
「ネア」
「わかっている」
対して、竜人族の二人の髪からはその輝きが褪せていた。纏っていた仄かな光がなくなり、通常の人間と殆ど変わらくなる。顔に入っている紋様の発光も消えていた。
「まだ来ぬか」
「もう保たぬぞ」
再び顕現した巨大な〈月兎〉を見上げ、二人は素早く二手に分かれる。影の植物はラキを、兎はネアに狙いを定めた。
巨大な槌を両腕で受け止めたネアが膝を着き、地面が大きく陥没する。無数の影の植物に襲いかかられたラキは、超速の蹴りや拳打で次々とそれを打ち払うが、次第に影の植物の手数に押され、片手を絡め取られると全身を拘束され宙へと持ち上げられた。
「ぬ……」
「く……」
影の兎が槌を振り切りネアを叩き潰し、影の植物はラキを呑み込み締め上げる。
上げられた槌の下で陥没した地面に倒れ付すネア。そして、影の植物がしゅるしゅると元の位置に戻ると、ラキが地へと落下した。
『双竜』の二人はどちらも、ぴくりとも動かない。
ミリスが『結晶牢』に思い切り頭を打ちつけ、その場にずるずると崩れ落ちた。
「疲れた……後はお願い」
『魔王』はぽつりとそう言うと、一度瞳を閉じる。
「うん、ゆっくり休んで……」
再び目を開いた時、その口調はミツキのものとなっていた。
「ようやく片付いた……」
彼は呟いて自身の傍に浮く『天門』へと目を向ける。アーチ型の扉には、赤黒い輝きが宿っていた。
「『天門』もいい感じだね。血と魂をかなり吸ってくれたみたいだ。後はこの場にいる全員を殺して……竜人の二人から先にやった方がいいかな」
「貴様が……父と母も奪ったのか」
「ん? さあ……自分は知らないかな……どうでもいいし……」
俯いたまま拳を震わせているミリスに、ミツキは首を傾げる。
「姉さん達に会えれば、それでいい……」
「…………」
「さて……」
黙り込んだ彼女から視線を外し、ミツキは地上に倒れるネアとラキを見下ろした。
「始め――」
そして、気怠そうに口を開いた瞬間――白光が、闇夜を切り裂いた。
「う……」
ミツキが顔を顰めて胸を押さえ、ミリスが弾かれたように顔を上げる。
晴れ渡った空を苦しげな表情で見上げたミツキは、支えを失くしたように地上へと落下した。着地し胸を押さえたまま膝を着いた彼は、額に手を当てて一度頭を振り立ち上がる。
「今のは……何が……」
「貴様は、終わりじゃ」
「え……?」
眉を歪めて、ミツキは未だ浮いたままとなっている『結晶牢』を見上げた。
「――我のノイルが、来る」
そんな彼に、疲弊しきった顔で、それでもミリスは笑みを向けるのだった。
◇
「――イミー」
優しげな声と、温かな感触。
「エイミー」
二度目の呼びかけで、エイミーはゆっくりと目を開けた。不思議と身体の痛みは感じず、誰かに抱き起こされている。そして、その姿がはっきりと目に入り、彼女は安心して微笑んだ。
「良かった……ノイルさん」
「……ありがとう、助けてくれて」
純白の髪に、紅玉の瞳。
まるで、ミリス・アルバルマを思わせるかのように大きく容姿は変化しているが、それは間違いなくノイル・アーレンスだった。
エイミーは自身を抱いている、純白の右腕へと目を向け、もう一度彼の顔へと視線を向け直す。
「その、姿は……」
「魔装だよ。あいつを倒す為のね」
ノイルはそっと彼女をその場に座らせながらそう言った。同時に、エイミーは勇者の剣がなくなっている事に気づく。
「エイミー、ごめん。君を傷つけた挙げ句……結局巻き込んだ」
その言葉に、はっと彼女はノイルへと視線を戻した。
「あ、謝らないでください! 私が悪いんです、から……」
酷く後悔しているかのように、申し訳なさそうに眉根を寄せているノイルに慌てて両手を振り――エイミーは自身の傷が全て癒えている事に目を瞬かせる。
「え? 何で……」
「どこも痛くない?」
「あ、は、はい」
「良かった」
彼は安心したようにそれだけを言うと、エイミーをその場に残し友剣の塔の入口へと向かう。そして扉を開け放ち、外へと出た。
彼女は再び慌てて、落ちたままとなっていた《夢物語》を拾い――そこに遠慮がちに書かれている小さな文字に気づく。最後、ノイルの傷を癒やす為の文章を書いたページには、隅の方に本当に小さな文字でこう書かれていた。
――ノイル・アーレンスは、エイミー・フリアンと仲直りしたい。
じわりと、エイミーの瞳に涙が浮かび、ぎゅっと《夢物語》を胸に抱き締める。可能な限り魔装を無駄にしないように書いたのであろう小さな文字には、しかし彼女の心を満たす程に大きな優しさが込められていた。
《夢物語》を両手で胸に抱いたまま、エイミーは自分を許してくれたノイルの後を追いかける。
「ハイエンさん……」
入口から見た彼は、ぼろぼろとなり意識を失った様子のキルギス・ハイエンを、そっと抱き止めその場に優しく寝かせているところだった。ノイルが触れているだけで、キルギスの負った傷は癒えていき、漆黒の首輪は砕け消失する。
見れば、友剣の塔を囲んでいた多くの者たちも、既に漆黒の装飾品から解放され、その場に皆倒れていた。
それでも辺りから響き渡る争いの音、上がる煙、無惨に崩壊した都市を改めて見たエイミーは、眉を顰める。
酷い……。
必死だった時は周りに気を配る余裕がなかったためあまり見えていなかったが、友剣の国はもう元には戻らないだろう有様だ。平和の象徴は、この世界から消え去っていた。
ノイルは、何も言わず僅かな間崩壊した都市を眺め、拳を握り締める。その背からエイミーは、激しく静かな怒りが溢れているように感じた。
純白の右腕を、彼が静かに掲げる。
瞬間――温かな白光がその手から友剣の国へと広がった。月夜を晴らし消滅させ、傷つき倒れた人々の傷を癒やす。
ノイルが手を下ろす頃には、闇に包まれていた友剣の国を太陽が照らしていた。
各地から聞こえていた悲鳴や争いの音が止み、地獄と化していた友剣の国に、青空が広がる。
すごい……。
それはまさに、奇跡のような光景であった。呆然と眺めていたエイミーに、彼は振り返り歩み寄る。
「エイミー、これを持っていて欲しい」
「これは……」
ノイルは唯一無事だと言えるポーチを腰から外すと、それをエイミーに手渡した。《夢物語》を解除し、ポーチを受け取った彼女は中を覗き込む。そこには、彼が以前使っていた口の広い小瓶――『私の箱庭』が入っている。
「所有権は君に譲ってあるから大切に持ってて。僕の大切な人たちが中に居るんだ」
「わ、わかりました」
エイミーはこくこくと頷き、ポーチをぎゅっと胸に抱く。
「ありがとう」
ノイルは微笑んで頷くと、襤褸のようになっていたシャツを破り捨てて振り返った。
「あ、あの!」
「ん?」
「私も――」
一緒に行きたいと言おうとして、エイミーはしかし口を噤んだ。ノイルがこれから向かう先はわかっている。この惨劇を起こした元凶を、倒しに行くつもりだろう。自分も何か出来ることがあるならば、と彼女は思ったが、どう考えても邪魔にしかならない。
「いいよ。じゃあ一緒に行こうか」
「え? でも邪魔じゃ……」
しかし、彼は平然とした様子でそう言うと、再びエイミーの方へと振り返った。
「大丈夫。もう何があっても――誰も傷つけさせやしないから」
強い決意と怒りが込められた瞳で、ノイルは彼女を真っ直ぐに見つめる。
「ひゃ、ひゃあっ」
そして、呆然とするエイミーをそっと抱きかかえた。
「いや、第一声は絶対うんこじゃないほうがいいですって……」
何故かそんなわけのわからない事も呟いていたが、彼女はこんな状況にもかかわらず、その腕の逞しさと温かさに絶対の安心を覚える。
「それじゃ、行くよ」
「はい……!」
彼に身を委ね、エイミーは頷いた。ノイルはそれと同時に凄まじい速度で跳躍する。しかし、彼女は風は感じても、全く揺れることのないその安定感により、怖いと思うことはなかった。
倒壊した建物の上を跳び移る彼の顔を眺めながら、エイミーはふと声をかける。
「あの、ノイルさん」
「ん? 何?」
ノイルは前方から視線を逸らさずに訊ねた。
「えっと、その魔装の名前は……?」
「ああ、まあ僕には似合わないと思うんだけど……」
変わらず前だけを見ながら、彼はエイミーに答える。
「――《英雄》」
ああ……そんな事ない。
彼女はノイルの腕に抱かれながら、目尻に滲む涙を拭った。
あなたにこそ、ぴったりの魔装ですよ。
そうじゃなくてもいいと思っていた。
そうならなくてもいいと思っていた。
けれどやはり、この人は、ノイル・アーレンスは――紛れもなく英雄であった。