187 安堵
「……転移か」
「な〜にが転移よぉ! エネルギーが暴発しちゃってるじゃないの! あんなの酷い失敗作よ失敗作ぅ! やだやだ服が汚れちゃったわもう本当最悪〜」
爆発が収まり、深く抉れた地面に無傷で立っていたミツキ・メイゲツが呟くと、創人族の男は憤慨したかのように声を上げ、汚れたシャツを両手で叩く。
ミツキは大声を上げている男を一瞥すると、直ぐに視線を戻した。
何が失敗作だと言うのか、自分はあんなものを創れやしないというのに。
別の地点へと瞬間的な移動を可能とする魔導具など、もはや殆ど『神具』の域に達している。たとえ多大なリスクがあろうとも、感心こそすれ、失敗作などと蔑むべきではない。
間違いなくロゥリィ・ヘルサイトの品だろう。流石は『創造者』と呼ばれただけはある。創人族としての腕前は、自分を最も優れた存在だと信じて疑わない、自尊心と自己愛の塊のようなこの男と比べるべくもない。
まあそれでも、利用価値はある。
だからわざわざ爆破から守ったのだ。最終的には始末するが駒に勝手に死なれては困る。
――ふふ……早く、お姉さんたちに会いたいよね――
ああ、その通りだね。
ミツキはふいに頭の中に響いた声に、心の中で応えた。口元が僅かに綻ぶ。
――手伝ってあげるからね、一緒に、頑張ろう――
ありがとう、自分の味方は君だけだね。
――たくさん、殺さなきゃね。会いたいもんね――
うん、もう一度……一度だけでもいいから、会いたい。
――その為の力も、方法も、道具も、全部与えてあげる――
助かるよ……自分は何も返すものがないけど。
――気にしないで、ワタシは君の『相棒』だから――
甘く優しく、心地良く心の内に入り込んでくる声を、彼は何の疑問も抱かず受け入れる。たった今ロゥリィ・ヘルサイトへと抱いた敬意の念も、『相棒』の言葉により希薄になっていく。自らのエゴの為に、その他全ての者を犠牲にする事に、罪悪感や疑念を感じなくなる。
ミツキは周囲を見渡した。ナクリ・キャラットが起こした大爆発により、地面は抉れ、木々は吹き飛び、そこかしこは未だ高熱を帯びている。破壊の跡は広範囲に広がっていた。
「転移先は?」
「どうせあの様子じゃ行き先の指定なんてできてないでしょっ。そう遠くもないはずだわ。でもそんなの知らないわよっ」
使えない男だ。
酷い落胆を覚えながら、ミツキは一度瞳を閉じた。
「追うかい?」
『黑狼煙』の構成員の一人、赤い髪を後ろで一つに纏めた、筋肉質の野性味を帯びた凶悪な顔つきの大柄な女が、ミツキへと問いかける。ゆっくりと、彼は首を横に振った。
「いや……まずは周辺の隠蔽だ。ここは友剣の国から距離はあるけど……これだけの爆発を起こされれば、流石に気づかれただろう」
おそらくは、それもナクリ・キャラットの計算の内。既にしてやられている。不完全な転移の魔導具による暴発を逃亡にも利用された。計画を起こす前に勘付かれ、麗剣祭が中止になれば面倒だ。
とはいえ、あれ程の爆発に巻き込まれながら転移したのだ。ナクリ・キャラット自身も決して浅くはない傷を負っているだろう。直ぐには動けず、動けたとしても歩みは鈍いはず。
「自分は周辺を見回った後、友剣の国に入る」
一度中に入れば容易には出られなくなる。結界は内からも作用するからだ。しかし万が一、運良く友剣の国やその周囲へと転移していたら事だった。それだけは確認しておかなければならない。尤も、ナクリ・キャラットもこちらがどう対応するかはわかっているだろう。友剣の国には戻りたくともすぐには戻ろうとしないはずだ。十中八九、とうに移動し逃げおおせている。
ならば何処に消えたかも不明な者を深追いする必要はない。友剣の国周辺の警戒だけで事は足りる。直ぐには戻らなくとも、娘の居る友剣の国へ必ずあの男は戻るのだから。
重症を負った身では、ミツキたちが行動を起こすまでにろくな対策もできないだろう。
「後片付けは頼むよ、しばらくは周囲を警戒してね」
これだけの人数で囲んで逃亡されたのだから、ここはミツキたちの負けといってもいい。大した男だ。しかし所詮は些事でしかない。
ミツキは駒たちに後始末を任せると、その場を後にするのだった。
◇
「シアラさん、あなた昨夜、先輩に何をしました?」
『ツリーハウス』の一室で、ベッドに腰掛けて上機嫌そうに脚をパタパタさせているシアラに、フィオナが笑顔で問いかけた。
寝不足の僕の胃がキリキリと痛む。
「ちゅーーーーーーーーーーーーー」
やたらとツヤツヤしている妹様が、なんと満面の笑みで即答なされた。あのシアラが、満面の笑みで、だ。本人にその気があるのかはわからないが、凄まじい煽りである。
フィオナの額に青筋が浮かぶ。
「深い深い、ちゅーーーーーーーーーーーーー」
シアラさんもうやめて。フィオナの手がもう首にかけられてるよ? わかってる?
「私は、ノイルを信じてたのになぁ……」
背後からそう声をかけられ、ソファに腰を下ろしていた僕はピシリと固まった。
「信じて欲しいって言われたから……」
ノエルが非常に切なそうな声で、胸を鋭角に抉ってくる。確かに僕は何も起きないから信じて欲しいと、昨夜『ツリーハウス』を出たが、これ僕のせいじゃなくない?
それに実際何も起きてないよ。妹とのキスは何か起きた内に入らないよ。だからやめて、裏切られたみたいな雰囲気出すのやめて。顔見られないから。
「結局朝帰りだったし……」
もうやめて。
朝帰りとかいうのやめて。
さてはわかってやってるなこいつぅ。また僕に何か要求するつもりだな、こいつぅ。
「ごめんなさい」
でも僕は素直に謝っておいた。それ以外の選択肢が存在しないからだ。
「私、別に謝って欲しいとは言ってないよ?」
うっそだぁ。
「ただ、やっぱりノイルは一人にできないなぁって思っただけ」
ほぅらね。
「ね?」
「あ、はい」
つまりこれは、今後一人にはなるなということだろう。そしてそれを許容しろと。多分、ノエルはずっと傍に居る気である。少なくとも、友剣の国での僕の単独行動はもはや許されず、常に監視の目がつくのは間違いない。
でもそれ割といつも通りだな。今彼女は僕の許可を得たわけだが、別にいつも通りだな。そう考えてみると、気持ちは軽くなり、頭はおかしくなった。
自由とは何か、と考えながらベッドの方を見てみると、フィオナとシアラが互いに首を締め合っていて、僕の頭は更におかしくなった。
こらこら、君たち友剣の国で争うのはダメだよ。多分配慮して大人しく暴力を振るってるんだろうけど、それもダメだよ。
というか大人しく暴力振るうって何?
その二つ、両立できるんだ。
とにかくやめなさい。テセアがまた観葉植物の葉脈で迷路遊びしてるでしょ。
仕方ないので、一つ息を吐いて二人を止めよとすると、部屋の扉が開かれた。
「そのまま殺せ」
こらこら。
部屋の入口に現れたアリスが、首を締め合っている二人を一瞥すると、シアラに物騒なエールを送る。やはり昨夜ミニミニキュートアリスちゃんを壊された事を大層根に持っているらしい。
「連れてきたぜ」
そう言いながら、アリスはツカツカと部屋の中に入ってきた。彼女の後に続いて、エルとミーナが現れる。
「やあノイル」
「忙しいのに、呼び出してごめん」
「いやむしろ嬉しいよ。この上なくね。キミの方からボクを必要としてくれるなんて、それだけで達する」
「あ、はい」
何に?
エルは部屋に入るなり両手を胸に当てて頬を紅潮させ、身を震わせながら蕩けるような笑みを僕に向けてきた。どうやら少し会わない内に、彼女もタガが外れつつあるらしい。フィオナの件もあるし要注意だ。
「ミーナも……」
そう思いながら彼女に挨拶しようとした僕は、軽く右手を上げたまま言葉を止めた。
「あ……」
ミーナが瞳に涙をいっぱいに溜めて、感極まったように僕を見ていたからだ。一体どうしたのかと思った瞬間――
「良かった!」
その声と共に、ふわりと僕は彼女に抱き締められていた。一瞬何が起こったのかわからず、僕は瞳を瞬く。
え、なに……何で僕は抱き締められたんだ。
しかも気を抜いていたとはいえ、全く動きが見えなかった。
僕だけならまだしも、この部屋にいる全員が止められない速度で動いたとでも言うのか。もしかして〈黒猫の歩行〉使った?
「は……?」
ベッドで首を締め合っていた二人が、同時に背筋が凍えるような声を出し、こちらへと能面の様な顔を向ける。
それは二人だけではなかった。テセアを除いた全員が、表情をなくしこちらを見ている。多分背後のノエルも、先程まで達していたらしいエルもだ。
困惑する僕も含めて、まるで時が止まったかのようだった。
「右手……よかったぁ……」
しかしミーナは、このテセアが頭を抱えてしゃがみ込む部屋の空気など一切意に介した様子もなく、僕の頬に頬擦りしながら小さな声を漏らした。頬に伝わる温かさと柔らかさにドキマギしていた僕は、そこに混じる水気と、彼女の発言で、何故抱き締められたのかを理解する。
「別に……腕はミーナのせいじゃ……」
ぽつりと漏らすと、更にぎゅっと抱き締められた。
「よかった……」
耳元で囁かれる心底安堵したような声に、震える吐息と嗚咽が混じる。密着したミーナの身体は震えており、どれだけ彼女が責任を抱えていたのかがよくわかった。
別に、本当にミーナのせいで僕は腕を失ったわけでもないのに。
もっと上手くやれていれば、こんな思いをさせる事もなかったのだろうか。
そう思いながら、僕は安心させようと、彼女の震える背に右手を伸ばし――
「いや何やってんだメス猫」
どこまでも感情を感じられない平坦な声で、状況を思い出し我に返った。
そして声のした方を恐る恐る向く。フィオナが表現してはいけない顔をしていた。
一瞬アリスの発言かと思ったのだが、今のは間違いなくフィオナの声だ。初めて聞いたよ、そんな乱暴な言葉遣い。
どっと全身から汗が噴き出す。
「薄汚い……泥棒猫、が……」
今のはエルかな?
憎悪しかない声音と、仲間に向ける言葉ではなかったけど、エルかな?
もう僕わかんないや。テセアはとうとうこちらに背を向けたし。
背といえば、後ろのノエルから尋常ではないものをずっと感じてるんだよね。これはあれかなぁ。やっぱり殺気かなぁ。人間ってさ、背後が一番怖く感じるんだよね。ははっ。
「死ね」
シアラはいつだって直球だ。先程まで首を締められながらもツヤツヤしていたのに、あの輝きはどこへ消えたのだろうか。
「わからなくはねぇが、それはねぇぞてめぇ……」
共に戦ったアリスは、ミーナの行動に多少の理解はあるようだ。しかしそれはそれとして、怒りはまた別らしい。彼女の顔って正直普通にしていればかなり愛らしい顔なのに、どうやったらそれが悪鬼みたいになるんだろう。
「み、ミーナ……離れないと……死ぬこれ」
「よかった……よかったわ……」
ダメだ、感極まり過ぎているのか、言葉が届いていない。無理やり引き剥がそうにも、ミーナの方が力は上だし、それはそれで心が非常に痛む。
あと彼女は気づいていないのかな。既にノエルの手がミーナの頭の上に置かれている気がするんだけど。僕の気のせい?
そうこうしている内に、ゆらりゆらりと、もはや床に伏せたテセア以外の皆が僕らに近寄ってくる。
と、ソフィが静かに入室してきた。一縷の望みをかけて、何とも情けない話だが僕は彼女に救いを求め、懇願の目を向ける。
僕の願いが通じたのか、彼女はいい顔で親指を立てた。流石ソフィ、頼りになる。僕の心には途方もない安心感が広がった。
感謝の気持ちでソフィを見ていると、彼女は――静かに部屋の扉を閉めた。
こちらを振り返り、ソフィは再びぐっと親指を立てる。
それを見た僕は、ふっと彼女にクールな笑みを返し、何もかもを諦めて瞳を閉じるのだった。




