184 覚悟
「…………」
「…………」
「…………」
僕ら三人の間には長い沈黙が訪れていた。全員が全員、目を細めて渋い表情を浮かべている。多分三人とも同じ事を考えていることだろう。
どうすんだよ、これ……と。
今でも世界の何処かにマジヤバいやつが存在している可能性が高い事はわかったが、だからといってどうすればいいというのか。当然僕の手に負えるような事態ではないし、かつてそのマジヤバいやつと戦ったらしい二人は今はこんなだし。
何より情報元が僕では、いくらこの事実を周知しようとしたところで、頭のおかしな人間の戯言としか思われない。エルやアリス辺りに相談したところで流石に厳しいものがある。二人の力を借りて、仮に信じてもらえたとしても悪戯に混乱を招くだけだろう。
「まあ……あれじゃ……今すぐにどうこうなるわけでもないじゃろう」
「う、うん……そうだよ。長年動きを見せてないんだし……」
「…………僕、魔王の相棒、らしいんですよね」
「む?」
「へ?」
安心させるようにうんうんと頷いていた二人に、僕はテセアの《解析》により知り得た情報を伝えた。マオーさんと勇者さんは、同時に首を傾げる。
あの謎の称号の意味。未だに理解できていなかったが、先程のマオーさんの言葉を聞いて、僕は嫌な予感がしていた。
「僕の妹は、情報を読み取れる魔装を持ってるんですけど、それで僕を視たら……魔王の相棒という情報が、あったって」
「わ、我らのツッコミ役という意味じゃろう」
「それはない」
僕はマオーさんへとツッコミを入れたあと、意を決して訊ねてみる。
「『魔王』は、人の意識を操る……いや、乗っ取るんですね?」
彼は先程、抗っていたと言っていた。おそらくだが、『魔王』は人の身体を奪い効果を発揮する『神具』なのだろう。かつての人類はマナに耐性を持たなかった。ならばと考えたのではないだろうか。毒には毒を、と。
カリサ村に現れたスライムが持っていた『愚者の指輪』という『神具』があった。使用者を呑み込む程に力を増幅させる『神具』だ。僕の想像では、『魔王』はあれに近いものなのだろう。力を与え支配権を奪い、マナを持つ存在を滅ぼし、そして最後にはおそらく――宿主すらも喰らう。
これはあくまで僕の最悪の想定でしかないが、そこまで的外れというわけでもないはずだ。現に一度、装人族と魔人族は滅びかけている。だからこそかつてのマオーさんは『六重奏』の皆に、止めてくれと頼んだのだ。必死に己を蝕む『魔王』に抗いながら。
それでも出来たことは、希望を見い出した相手を『封魂珠』に閉じ込める事で生かし、己から逃がす事だけだった。『魔王』に一度侵食されてしまえば、如何に抵抗する事が困難だったのかがわかる。
マオーさんが僕をじっと見つめた後、眉間を押さえた。
「わからぬ……が、そういう事じゃろうな。戦争を起こした、ということは周囲にも影響を与えるのじゃろう」
その予想される性質上、利用する相手は相応の能力を有する者となるのだろう。
……テセア曰く、僕はどうやら少し特殊らしいし。とんだ宝の持ち腐れだと思っていたが、そのまま腐り果ててほしかった。
いつからかはわからないし、まだ確定したわけでもないが――僕は『魔王』のお眼鏡に適ってしまったのかもしれない。
世界を破滅させるための相棒に、選ばれていたのだ。
もしこの仮説が正しいのだとしたら、僕はいずれ正真正銘の化け物になる恐れがある。
災厄を引き起こし、友も家族も何もかもを巻き込んで、世界を崩壊させる化け物に。
一体僕が何をしたというのか。
世界は本当に僕に厳しい。
「変なこと、考えちゃだめだよ……?」
一つ息を吐いて、劇場のような空間の天井を眺めていると、勇者さんが不安そうな瞳を僕に向けた。
「お主が消えようが、奴は消えぬぞ」
マオーさんが紅玉の瞳を細めて、僕を鋭い目つきで見る。
「君はきっと、ミリスの大切な人なんでしょう?」
「それに、既に我らと笑いを極めると誓いあった仲じゃろうが」
いつそんな事になったのかな?
それと、別に僕は『魔王』に手を出される前に死のうなんて思っちゃいない。
覚悟は決めたが。
「悲観する必要などない。我らが手を貸そう。ノイルやその周りの者には指一本触れさせぬ」
「だから――剣を抜いて」
マオーさんと勇者さんは、頼もしい笑みを浮かべて僕に同時に手を差し出す。
僕は――
「いや僕は抜きませんって」
へらへらと笑いながら片手を振ってきっぱりとお断りしておいた。
「何でじゃあ!?」
「今抜く流れだったよね!?」
二人が愕然としたような表情で、信じられないかのように大声を上げる。
「いや断るのはよい、断るのはまだよいが……」
「顔! しめて! 顔!」
悪いが僕の真剣さは長持ちしないのだ。ボケとツッコミの立場が逆転してしまった。というか、この二人どっちかツッコミに回れば僕いらなくない?
「お二人の力は、もちろんお借りします」
僕はクールな笑みを浮かべ、舞台上で大層困惑している様子の二人にそう言った。
当然だろう。基本的に他力本願な僕が、これ程までに頼りになりそうな相手に、頼らないわけが無い。むしろ全力で僕が何もしないで済むくらいに力を借りる。僕を舐めないでほしい。
でも、それは僕であって僕じゃない。
「――そう、カエ・ルーメンスがね」
「何じゃ、意味がわからぬぞ。いつの間に頭を打ったのじゃ」
「ボケは私たちに任せてくれていいから、無理しないで」
別に僕はボケてるわけじゃない。本気だ。僕を舐めないでほしい。
仕方がないので、肩を竦めてクールに頭を振っておく。
「僕にだって――守りたい世界が、あるんです――よ」
「何じゃ、意味がわからぬぞ。いつの間に頭を打ったのじゃ」
「ボケは私たちに任せてくれていいから、無理しないで」
ツッコミがループしているので、そろそろ真面目に話そう。僕は何故かいつもふざけているとしか思われないクールな表情をやめ、舞台上から白けたような視線を送ってくる二人に向き直った。
「僕は剣を抜きません」
そんな事をしたら、たとえ『魔王』に打ち勝ったとしても、今後一生何かと目立つ存在になってしまうだろう。かといって、盗み出すわけにもいかない。どちらでも、僕の守りたい平穏な日常は崩れ去ってしまう。
「だから、カエ・ルーメンスとして抜くんです」
「何じゃ、意味がわからぬぞ。いつの間に頭を打ったのじゃ」
「ボケは私たちに任せてくれていいから、無理しないで」
それはもういいよ。
いや、これは僕が悪いのか。
もうちょっとちゃんと説明しよう。
「僕は伝説の剣なんて代物と関わりたくないんです。僕がこの剣を抜けるだなんて、周りに思われたくない」
「じゃから別人に扮すると?」
「それがカエ・ルーメンスね。人名だったんだ」
理解が早くて助かる。もうちょっと早く理解の早さを披露してほしかったけど。
僕は二人に頷いて、話を続ける。
「まずはカエ・ルーメンスとして――麗剣祭で優勝します」
そして、身の程を弁えない大それたことを堂々と言い放った。
麗剣祭で優勝したほどの者ならば、正面から勇者の剣を引き抜いたとしても、所持を許可されるかもしれない。されなかったとしても、それがカエ・ルーメンスにしか扱えない剣であったならば、勇者との何かしらの繋がりがあると思わせられるだろう。カエ・ルーメンスとはでたらめな素性を持つ存在しない男だ。そこから僕へと繋がるものは何もない。
だからこそ僕はカエ・ルーメンスという架空の存在を、勇者の剣を引き抜いた英雄とする。
そして正式な、勇者の剣の所持権を得る。
有事の際『魔王』と戦うのは彼であり、ノイル・アーレンスはそこには存在しない。
「ふむ……面倒な事をするのぅ。今すぐに剣を持って逃げだせばよいじゃろうに」
「麗剣祭って、そんなに簡単に優勝できるものじゃないんでしょ?」
それはそうだ。
はっきりと言って自信は微塵もない。
しかし僕は卑怯の限りを尽くし、たとえ皆から呆れられようとも、優勝を目指す。
何故ならば――
「それでも、言ったとおり守りたいものがあるんですよ」
困ったことにね。
僕はマオーさんと勇者さんに苦笑する
あの寂れた、常に辞めたいと思っているなんでも屋で過ごす日常は、たとえ死ぬほど怖い相手に狙われていようとも、差し伸べられた手に今すぐに縋りたいと思っても――簡単に捨て去ることができないものらしい。
今ここで剣を抜いてしまえば、もう今までのように過ごすことはできないだろう。何もかもが変わってしまうという確信がある。
今日交わしたばかりのフィオナたちとの約束も守れなくなる。
多分、賢く強い人間ならば、ここで剣を引き抜くのだろう。だけど僕は馬鹿で、卑怯で、弱くて、自分にとって大切なものを捨てて戦う覚悟なんて到底できないから――代わりにわがままに、自分勝手に、戦う覚悟を決める。
失いたくないものにみっともなく縋り付き、そのせいで皆に迷惑をかけることになろうとも、最後まで惨めに足掻いてやろう。
元々僕は『魔王』を倒し、世界を守るために戦うような殊勝な人間ではない。だからこれは、僕自身と、僕の大切なものを守るための戦いでしかない。たとえ勝っても今の日常が失われるのであれば、意味などないのだ。
まあ、まだ『魔王』に本当に狙われているのかもわからないが――これは、ノイル・アーレンスが『魔王』に真の意味で脅かされないための第一歩だ。
無謀だとしても――麗剣祭で優勝してやる。
それに、自分でも意外だが僕は最初から思ったよりも悲観的になってはいなかった。もし『魔王』に襲われたとしても、不思議と何とかなると思っている。なんとも他力本願だが、皆が居れば――そしてあの人が居れば、得体の知れない強大な存在に狙われていようが、恐怖はない。
いや、ごめん。本当はめっちゃ怖い。胃はキリキリするしおしっこも漏れそう。
でも――きっと大丈夫だ。
「……そうか、ならば我らはここで待つとするかのぅ」
マオーさんが腕を組んでふっと微笑んだ。
「その時が来たら、力になるよ」
勇者さんが彼の肩に手を置いて、楽しげに笑う。僕は二人に頭を下げた。
「よろしくお願いします。でも多分……」
そう言って顔を上げると、二人は首を傾げる。
「剣を使うことになるのは、僕じゃないと思います」
これは直感――というよりも、どう考えても僕よりも相応しく、おそらくだが誰よりも使いこなせる人が居る。
「じゃから、カエ・ルーメンスじゃろう?」
「でもそれ君じゃん」
違う。カエ・ルーメンスじゃない。
僕はここぞというところでやっぱりボケる二人に苦笑した。
「そうじゃなくて――ミリスですよ」
マオーさんと勇者さんの瞳が見開かれる。
そうだ、この剣はあの人にこそ相応しい。
「すみません、僕はこの件にミリスを巻き込むつもりです」
というよりも、そうしないとあの人は怒るだろう。
「だけど……ミリスは……」
勇者さんが目を伏せた。
「話してみたらいいじゃないですか」
僕は三人の間に何があったのかは知らないし、この二人も憶えてはいない。ならばもうあの人から直接何があったのか聞くしかないだろう。何かしてしまったという消えない罪悪感だけを、いつまでも抱えている必要などない。
「簡単に言うがのぅ……」
「簡単ですよ、ミリスも友剣の国に来てますし」
「いやいやそういう問題じゃ……ってええ!? ミリスも近くに居るの!?」
勇者さんが大層驚いたような声を上げ、マオーさんが腰ほどまで舞台の床に埋まる。どうやら驚きのあまり、彼の肩に置いた手に力が入り過ぎたらしい。マオーさんの下半身は見事に床を突き抜けていた。見た目に似合わず凄い力だ。
声すら上げずに腕を組んだままのマオーさんも凄いけど、芸人を目指しているのならもっとリアクションすべきだと思う。
「はい。……本当に嫌っているのなら、避けようとすると思うんですよ。でも、そんな様子もなかった」
それに、僕はあの時の店長の言葉を思い出していた。
――親子水入らずでな。
僕と父さんにお茶を運んできてくれたあの時の顔を、僕は憶えている。他人とはいえ自らの親を恨んでいる者が、親子のやり取りをあれほど微笑ましげに眺めるだろうか。
多分、店長はこの二人を嫌っても恨んでもいない。
「じゃが、確かに我らはミリスに酷な思いをさせたはずなのじゃ。親として、傍におることもできんかった」
マオーさんは半身程が床に埋まったまま、目を閉じてそう言った。
「なら、その事は謝ればいいじゃないですか。もし謝っても許してくれないようなら――」
視界が一瞬揺らぐ中、僕は何とも無責任に二人へと笑いかける。
「得意の芸で、無理やり笑わせてやればいいんですよ」
あの人は面白いことが大好きだから、きっとそれで許してくれるだろう。
マオーさんと勇者さんが一度目を見開き、くすりとおかしそうに笑った。
「ならば、その時にはノイルにも付き合ってもらうからのぅ」
「覚悟しててね」
「え、普通に嫌ですけど」
「何でじゃあ!!」
「そこは頷くとこだよね!?」
愕然としたように二人は叫ぶが、嫌なことは嫌なんだから仕方ない。僕がやる事は、ここに店長を連れて来るだけだ。それだけで――充分だろう。
「とにかく、次はミリスも連れてくるので」
「平然と話進めるし……」
「勝手な男じゃ……」
今更気づかれても。
がっくりと肩を落としていた二人は、一度息を吐き出して僕へと向き直った。同時に、再び視界が揺らぐ。別に僕は戻ろうと意識したわけではないが、この世界に居られる時間には限りがあるようだ。
「まあよい、我らは芸を磨き、ここで待つ」
「剣を抜く準備ができたら……あの子を連れて、戻ってきて」
視界がかすみ、二人の姿が遠く離れていくような感覚を覚えた。
「そして、今度はちゃんと聞かせてね」
「ノイルがミリスと過ごした日々の事をのぅ」
僕は優しげな微笑みを浮かべる二人に、笑みを返す。
「それは、ミリスから聞いてください」
きっとその方がいい。
最後にそう言うと、二人は微笑んだまま頷き、何やら肩車をし始める。床に突き刺さったままのマオーさんの上に、勇者さんが乗った。
「次に相まみえる時は、よりキレのあるものを見せられるはずじゃ」
「楽しみにしてて」
そして――
「うんこー!!」
同時に叫んだ。
「そのギャグつまんないですよ」
子供じゃないんだから。
ドヤ顔の二人にそう呟いた瞬間、この世界から僕の意識は切り離されるのだった。
◇
「ん……」
何故か後頭部に柔らかな感触と、温かさを感じ、僕はゆっくりと目を開ける。
「…………おはよう、兄さん」
「シアラ……?」
最初に視界に入ったのは、僕を可愛らしく覗き込んでいる可愛い妹の顔だった。
何故こんな事になったのかはわからないが、どうやらシアラに膝枕されていたらしい。
視線を横に逸らすと、草の生い茂った地面と、勇者の剣が目に入った。
知らない間に別の場所に来てしまったわけではないようだ。しかし、それなら何故シアラがここに?
僕は何故膝枕されているんだ?
やや困惑しながらも身体を起こそうとして――
「まだ、だめ」
「あ、はい」
やんわりとシアラの膝の上に戻される。
ふむ……意味がわからない。
「えっと……シアラ、何でここに?」
とりあえず、僕は優しく頭を撫でてくる妹に訊ねてみる。友剣の塔内部の様子から、さほど時間が経っていないだろうことはわかるが……。
「…………魔物が、私を、襲ってこなくなったから……仕方なく、都市の中に、入った」
「あ、はい」
「…………それで、兄さんの、匂いを追いかけた」
「あ、はい」
「…………そしたら、ここで寝てた、から」
「あ、はい」
なるほど。
魔物が恐れる程に狩り尽くして、やる事がなくなったから友剣の国に入った、と。僕の匂いを辿れる辺りの意味がわからないが、そうしてたどり着いた友剣の塔の中で僕が寝ていたから、とりあえず膝枕をして起きるのを待っていた、と。
しかし……眠っていたのか。いつからだろう。あの二人の世界から現実に戻ってきた際に、眠りについてしまったのだろうか。思っているよりも疲れるのかな。
「…………兄さん、つらい?」
「へ?」
考えていると、シアラに唐突にそう訊かれた。
何だろう、そんなに疲れているように見えただろうか。いや、こんな場所で寝ていたらそう思われて当然か。
僕は彼女に笑みを向ける。
「大丈夫だよ、別に体調が悪いわけじゃないから。ただ――」
「兄さん、つらい?」
何だろう。何故答えている途中で全く同じ質問をされたのだろうか。
シアラはじっと僕を見つめたまま、再度口を開く。
「…………つらいこと、あった? しんどい?」
そこで、ようやく僕は妹が体調を心配しているわけではない事に気づいた。自分の頬にそっと手を当てる。
「……そう見えたかな?」
シアラはふるふると頭を振り、僕の手の上に自身の手を重ねた。
「…………いつも通り。けど、兄さんは、自分でも気づいてない、だけ。心が、しんどいって」
すごいなシアラは。僕よりも僕に詳しい。
「…………何か、あった?」
僕は一つ息を吐いて、瞳を閉じた。
「そうだね……まずは麗剣祭で優勝しないといけなくなった」
「…………そう」
「あとは…………僕、このままいけば、世界の敵になるかもしれない」
「…………そう」
「もちろん、そうならないように――」
安心させるようにそう言いかけたところで、ふわりと、シアラが僕の頭を抱きしめる。
お風呂好きな彼女の、石鹸のような香りに包まれた。汚れることも汗をかくこともなく魔物を狩っていたらしい。
「大丈夫」
そう言って、シアラは僕の頭を撫でた。
……ああ、本当だな。彼女の言う通りだ。少しだけ――軽くなった気がする。
「…………兄さんは、大丈夫」
「うん……」
「…………私が、居る」
「そうだね……」
「…………世界中が敵になっても、私は味方」
現段階では推測の域を出ないが、突然『魔王』に狙われているという事実を知った僕の心は、自分でも気づかない内に、どうにも弱っていたらしい。
大丈夫だとは思っていても、何とかなるとは思っていても、覚悟を決めたと言っても、だ。
まあ元々僕の心などそれ程強くないのだから、当然といえば当然か。
「…………だから、大丈夫だよ、兄さん」
不覚にも――言葉を返すことができなかった。
今声を出せば、情けない声になってしまう気がして、彼女の腕の中で僕は震える口を噤む。
妹に慰められるなど、格好良い兄を目指している僕としては、あってはならない事だ。ましてや自分自身でも気づいていなかったような弱さを見抜かれ、あまつさえ頭を撫でられるなど、格好悪いにも程がある。
やはり僕は、つくづくダメな人間だ。
けれど、この瞬間――僕は本当の意味で、心の底から安心できたのかもしれない。
そして、改めて覚悟を決められた。
ダメな僕でも、戦う覚悟を。
まあこれで、『魔王』が僕を狙っていなければ、笑うしかないのだが。そうならないかなぁ……。
僕は一つ息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、身体をゆっくり起こし、シアラとそっと身体を離した。向き合って、彼女にお礼を言う。
「ありがとうシアラ。軽くなったよ」
「うんじゃあお礼のちゅー」
早いな。
物凄く反応と言葉が早い。
シアラってそんなに早口で喋れたんだね。兄さんびっくりだよ。
彼女は殆ど飛びかかるようにして、僕の身体を押し倒してきた。
せっかく起き上がったのになぁ。
僕に馬乗りになったシアラは、目を閉じて唇を突き出す。
「ちゅーちゅーちゅー」
「いや、シアラ……ここ外だし……一応神聖な場所だからさ……」
「だめ、ここでする。今、ここで、深いのを」
「シアラさん? どうしちゃったの?」
目と鼻の先で真顔でそう言われ、僕も真顔になった。場所もだめだし深いのもだめだよシアラさん。目が怖いよ。
さっと顔を逸らそうとすると、彼女は両手で僕の頬を挟んだ。流石に何かまずいと感じた僕は、シアラの肩を掴んで離そうとして――
「シアラさん? 何故鎖を?」
いつの間にか漆黒の鎖に手足を拘束されていたことに気づく。やばい冗談じゃ済まなくなってきた。というよりも、もう済んでない。
動こうとしても、シアラの《絆ぐ鎖》は僕に対して何故か絶大な効果を発揮する。早い話が動けない。
「大丈夫、兄妹なら普通。深いちゅーは、普通」
大変だ、妹の頭がおかしくなった。
ちくしょう何でだ。
「大体、兄さんは、最近姉さんにばかり、構いすぎ」
原因は僕だった。
いや違うって。別にテセアにばかり構ってたわけじゃないって。でも思い返してみれば確かにその通りだ。別に贔屓していたわけじゃないがその通りだ。明らかにシアラよりもテセアと一緒に居る時間が長くなっていた。不思議だね。
かといってこれはよくないって――
「ちゅーーーーーーーーーーーーーー」
この日のシアラのちゅーは、長くて深かった。




