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なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいです  作者: 高葉
五章

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171 世界を歪める力


「そうか、お前が麗剣祭にねぇ……」


 土砂降りの雨の中、走りに走って走り続けて、僕は『獅子の寝床』へと辿り着いていた。話を聞いてくれたガルフさんが、顎に手を当てて同情してくれるかのような優しい表情をしている。 


 正直勢いのまま逃げてしまおうかとも思っていたのだが、どうせ逃げられないのでせめてもの安らぎを求めて『獅子の寝床』に来たのは正解だったかもしれない。ずぶ濡れだった僕をガルフさんは温かく迎え入れ、シャワーと服を貸してくれた。

 これで未だ壁に飾ってある父さんのサインと眼帯が無ければ完璧なのに。


 『獅子の寝床』に居る事など皆既にわかっているはずだが、ここならばしばしの間はそっとしておいてくれるだろう。


「というか、シェイミ……いや、エイミーちゃんは普通の子だと思ってたんだがなぁ……」


 ガルフさんがそう言いながらホットウィスキーを僕の前に置いてくれる。お礼を言って一口飲むと、柑橘系の香りとシナモンやスパイスの香りが口と鼻いっぱいにふわりと広がり、仄かな甘みと共に長時間雨に打たれた身体を内側から芯まで温めてくれた。


「ノイルんに興味持つ女がまともなわけねぇだろ。ノイルんだぞ」


「酷くない?」


 ほうと息を吐き出していると、隣に座ったレット君がいつものように炎酒を飲みながら当然の事のようにそう言った。僕たち親友だよね?


「ミーナはまともな子だ」


 友情を疑っていると、彼の隣に腰掛けた師匠がそう言って紫煙を吐き出す。

 レット君が難しそうに眉根を寄せた。


「いや師匠には悪ぃけどよぉ……最近のミーナ姉ぇは怪しいぜ。この間、ノイルんに猫耳と尻尾が好きかさり気なく訊いといてくれって頼まれたからな」


 僕が居る場で言っちゃだめじゃないかな、それ。レット君は空になったグラスをカウンターの向こうのガルフさんに差し出す。


「んなもんどうやってさり気なく訊けっていうんだよ……」


 確かに。

 言われてみればその通りだ。

 げんなりした様子でガルフさんに炎酒を注いでもらった彼は、それを一口飲んで口を開く。


「だから昔好きって言ってたぞって答えといた」


「何でそんな事言うの?」


 適当に答えないでよ。


「だって好きだろ?」


「…………まあ」


 さらりとそう返され、僕は頷いてホットウィスキーを飲む。耳と尻尾というか、猫自体は割と好きなので何も言えなかった。

 釣りをしているとたまに野良猫が寄ってくる事があるのだが、一緒にまったり過ごしていると癒やされるんだ。


「そしたらよぉ……何つーか……その……すげぇニヤけてたんだよな……本人は顔に出さねぇように堪えてるつもりだったんだろうけどよ……あの顔は多分俺一生忘れねーぞ……」


 レット君は顔を顰めて炎酒をまた一口飲んだ。その表情は、見たくないものを見たという内心を雄弁に語っている。


「訓練の時には……変なぬいぐるみを訓練場に持ち込んでるみてぇだし……」


 変なぬいぐるみってあのシーツを被せたやつの事だろうか。そうか……あれを……そうか……何だか何とも言えない気持ちになってきた。


「時間の問題かもな、ミーナ姉ぇも……」


 炎酒をぐいっと飲み干すと、レット君は遠い目をして呟き、空のグラスをガルフさんへと差し出す。それに彼は無言で炎酒を注いだ。


 ミーナが妙な方向に行きつつある事を憂いているのだろう。話を聞いた限りではまだその程度なら大丈夫そうだが、僕はノエルという前例を知っている。彼女も最初は小さな変化から、気がつけばカリサ村の皆さんにごめんなさいする程に変わっていた。


 ホットウィスキーを一口飲み、思う。


 僕って、何なんだろう。


 自分がどんな存在なのかわからなくなってきた。おかしいな、何で僕と関わると皆妙な方向に変わってしまうのだろう。僕って一体何なんだろう。

 ……あれ? もしかして僕がおかしいのか?


「フッ、可愛らしいではないか。なあノイルん?」


「あ、はい」


 考えこんでいると、師匠が微笑みかけてくる。答えづらい問いかけだが、とりあえず頷いておいた。

 相変わらず師匠はぐいぐいミーナを推してくるなぁ……。


「あー、えっと……ガルフさんは麗剣祭に出た事ってあります?」


 僕は師匠が止まらなくなる前に慌てて話題を麗剣祭に戻した。

 ガルフさんは懐かしむように苦笑する。


「あるぜ、まあ結果はお察しだがな」


 そしてウィスキーを一口飲むと、顎に手を当てて僕をじっと見た。


「ちなみに、『狂犬(マッドドッグ)』さんは麗剣祭で結果を残して、採掘者(マイナー)になったんだぜ」


「え?」


 それを聞いて余計に出場したくなくなった。

 まあ考えてみれば、あのおっさんが正攻法で採掘者になれるわけがない。品位がなさすぎて無理だろう。


「麗剣祭となりゃ、当時の事を憶えてる奴も居るだろうし……目立つかもな、お前」


「え」


 何してくれやがってんだあのおっさん。絶対に許さないからな。


「つーか勝ち上がらなきゃダメだっつーなら、どちらにしろ目立つだろ。どうすんだノイルん?」


 ナッツをポリポリと摘みながら訊いてくるレット君に、僕はげんなりとした顔を向けた。

 そうなのだ、エイミーさんは勝ち上がってと依頼してきた。もしも出場する事だけが依頼内容であったのならば、さっさと負けるだけで済んだのに、本当に厄介な依頼を出してきたものだ。


「頑張ったけど、負けた事に……」


「バレるだろそれ」


「だよね……」


 僕は顔に手を当てて大きく嘆息した。

 手を抜いて直ぐに敗退したいところだが、それは間違いなく店長に見抜かれる。そうなったらより面倒な事になるだろう。何より『白の道標(ホワイトロード)』は一度引き受けた依頼を絶対に達成する事を売りにしている。そして実際に、今までやり方に文句はあれど、店長は仕事を失敗した事はない。


 それが僕の手抜きのせいで依頼不完遂となってみろ。間違いなく麗剣祭で勝ち上がるより厄介な事になる。店長に何をされるかわかったものではないのだ。

 少なくとも、予選は死ぬ気で突破しなければならないだろう。本戦はまあ多分普通にやって普通に負けるだろうが、そこは仕方ない。

 店長は不機嫌になるかもしれないが、手を抜かなければ責められはしないはずだ。


 問題は、本戦まで残ってしまえば嫌でも目立つという事だ。

 本戦はランクB以上の採掘者か、予選を勝ち上がった者しか出場できない。そんな強者たちの中に一般参加の採掘者でもない者が居れば、注目を集めるだろう。まあその辺りは、フィオナ達にも言える事だが……。


 予選を突破するだけでも大変なのに、その先に待つのは世間からの注目とか、地獄かな?

 罰ゲームでしかないじゃないか。ただでさえ僕は採掘者さんたちに目をつけられているのだ。平穏な人生を送れなくなる可能性がある。いや、既に平穏じゃない気がするが、気軽に釣りにすら行けなくなったら最悪だ。


「変装、するしかない……か」


「麗剣祭で身分を偽るってお前……」


 決意を込めて顔に当てていた手を下ろすと、ガルフさんがアホを見るかのような目をしていた。僕はゆっくりと首を振り、クールな笑みを返す。


「ガルフさん、男にはやらなきゃならない時ってやつが――あるでしょ?」


「驚く程に共感できねぇな」


 何か今度は可哀相な人を見るような目を向けられた。しかしこれ以外に手はないのだから仕方ない。


 出場するのは僕だが、それがノイル・アーレンスで無ければいいのだ。

 店長に何か『神具』でも借りよう。いいものがあるかはわからないし、借りを作ることになるが、背に腹は代えられない。もしくは、アリスかエル辺りに頼んで何とかしてもらう。彼女たちほどの採掘者ならば、多少は融通を利かせる事もできるはずだ。できて欲しい。


 僕はやるぞ、全力で他人に頼って不正を働くぞ。栄誉ある麗剣祭の警備は厳重なはずだが、僕を舐めるなよ。その栄光を誰にも気づかれずこっそり汚してやる。汚属性の頂きを見せてやる。そして静かに退場してやる。


 思考が完全に犯罪者だが、なに、別に悪い事をするわけじゃない。ちょっと身分を詐称するだけだ。


 よし考えはまとまった。後は店長が姿を偽る『神具』でも持っていてくれればいいのだが、何かあった気がするんだよな……まあそう都合良くはいかない可能性のほうが高い。世界はいつだって僕に厳しいからだ。『神具』なしでも何か変装する手段を考えておかなければならない。


 というか、あの人自身はどうするつもりなのだろうか。店長も変に注目されて自由がなくなるのは望まないはずだ。あの人は何かに縛られる事を妙に嫌う。


「まあ俺は応援してっから頑張れよノイルん」


 レット君が僕の肩に手を置いてそう言った。


「レット君は出ないの?」 


「出るわけねぇだろんなもん。何が楽しいんだよ」


「だよね」


 流石は僕の親友だ。とてもランクBまで上り詰めた採掘者だとは思えない。まあレット君の能力、というより遠距離を得意とする魔人族には一対一の試合形式は向いていないだろう。


「まあボスとミーナ姉ぇが出るから、俺も友剣の国には一応行くぜ」


「我も行くつもりだ」


 レット君はともかく、師匠も紫煙を吐きながらそう言った。愛娘の晴れ舞台を見逃すつもりはないらしい。


「ん俺ッんもッ! 行くよぉっ!!」


 なんか来た。


 『獅子の寝床』の扉が突然開いたかと思えば、ずぶ濡れのクライスさんが現れる。

 僕が言えたことではないが、何でずぶ濡れなんだろう。


 そう思っていると、入り口に立ったままクライスさんは大仰な仕草で濡れた前髪をかきあげ、歯を輝かせて親指を立てた。


「水んもっしったたっるっ! いっいおっとこっ!」


「あ、はい」


 妙なリズムでそう言ったクライスさんは、しばらくそのまま歯を輝かせる。

 まさかこの人、これがやりたいがために濡れながらここまで来たのか……? 正気か……?


「それでどこにいくってぇー?」


 しかも話の内容がわかっていたわけでもないらしい。何故か服を脱ぎながらそう訊ねてきた。確かにずぶ濡れのまま店内に入るのはよろしくないが、往来で服を脱ぐのもどうかと思いますよ僕は。この時間にこの雨じゃ殆ど人は歩いてないけどさ。


「《完璧な俺(パーフェクトクライス)》!」


 クライスさんは下着一枚になった後、持っていた袋からタオルを取り出して身体を拭き、きらびやかなマントだけを発現させた。そしてそれで身体を覆うと、下着までも脱いで濡れた衣服を全て袋に詰める。


 そうして、大きなマントで全裸を隠した変態(クライスさん)は、爽やかな笑顔を浮かべて堂々と『獅子の寝床』へと入店してきた。


「もしかして、ん麗剣祭ッ! のことかな?」


 師匠の隣に腰掛けた彼は、歯を輝かせながらそう訊ねてくる。どこからツッコめばいいのか、僕にはもうわからなかった。


「ああ」


「ノイルんも出場する事になったらしいぜ」


 師匠が頷き、レット君がそう言った。ガルフさんは慣れた手付きでクライスさんの前におそらくアルコール抜きのカクテルを用意する。凄いな、皆何でスルーできるんだろう。僕がおかしいのかな?


「こいつ、ここ最近ずっとやってんだよこれ」


 僕の困惑を察したのか、ガルフさんが溜め息混じりに教えてくれた。なるほど、皆既に初見ではなかったわけだ。知らない内に世界が歪んだと思ってた。


 クライスさんは小指を立ててカクテルを一口飲む。


「いいね!!」


「あ、はい」


 そして、僕に勢いよく親指を立てウィンクを飛ばしてきた。ちょっと僕まだ慣れてないんでゆっくりお願いします。まだちょっとついていけてないんで。


「……クライスさんは、出ないんですか?」


「ん俺も出るよ! 楽しみだねぇ」


「あ、はい」


 再度バチバチとウィンクを飛ばされ、僕は天を仰いだ。わかってはいたが、レベル高ぇや。

 まあ……予選にはランクB以上の採掘者は居ないはずだけど……本当に、何で僕が出場しなきゃならないんだろう。


「しかし、流石だねぇマイフレンド」


「え?」


 キリキリと痛む胃を押さえていると、クライスさんがふいにそんな事を言った。


「もう片腕で戦闘もこなせるという事だろう?」


 こなせないや。


 すっかり頭から抜けていたが、そういや片腕ないや僕。

 この状態で麗剣祭に出て、何ができるというのか。でもそれを言い訳にはできないだろう。店長がノリノリだったからだ。簡単に負けたら絶対に酷い目に遭わされる。


 あいたたたたた……胃が痛いなぁ……。


「君と当たっても、ん手加減はしないぜっ!」


 遠い目をした僕に、クライスさんは立ち上がっていい笑顔でそう宣言するのだった。





 エイミー・フリアンは、土砂降りの雨の中一人歩きながら、満面の笑みを浮かべていた。

 雨具など何も使用しておらず、ずぶ濡れになりながらも彼女の表情だけは、快晴と表現するに相応しい。


「ふふ……うふふ……」


 『白の道標(ホワイトロード)』への依頼人となったエイミーは、ミリス・アルバルマにより身の安全と自由を保証されている。故に彼女は、危害を加えられる事なく自宅へと帰る許可を出されたのだ。

 ノイル・アーレンスの居ない場に用はないと、エイミーは即刻『白の道標』を出た。


 自宅への帰路を傘すら差さず、元々纏っていた外套すらも被らずに、エイミーは胸に自身の魔装(マギス)である《夢物語(ハピネスストーリー)》を抱いて軽快な足取りで歩く。


 彼女以外は知る由もないだろう。


 そこに――「ノイル・アーレンスは麗剣祭に出場する」と書かれている事を。


 エイミーの依頼は全てが計算尽くであったわけではない。ただ彼女は、ノイルの格好いい姿を見たくて、そうなればいいなと願いながら、数日前に《夢物語》へと願望を綴っただけだ。


 そう――エルシャン・ファルシードと、ミーナ・キャラットが麗剣祭への出場を決めたその日に。


 エイミーの力が、彼女たちの決断や行動を決定したのかはわからない。どこまでの影響を与えのかは、わからない。


 ただ実際に、結果的に、全ては彼女の望んだ状況になった。不自然だと言える程に。


 エイミーは微笑む。


 彼女はノイルに負担をかけたとは思っていない。片腕を失っていた事には驚き一人涙を流したが、それでも彼ならば、エイミーの理想の英雄ならば――この程度は余裕だからだ。


 エイミーのノイルへの期待は、今や大きくなり過ぎている。彼女の妄想は、明らかに行き過ぎていた。


 純粋で(いびつ)(ゆが)んだ情愛を、エイミーは抱いている。それは、決して美しいものではないだろう。

 しかし、もはや本人もその事に気づいてはいなかった。


 彼女は、嗤う。


 やっと出逢えた理想の英雄に、想いを馳せて。


「ふふ、あはは、あはははは!」


 両手を広げ天を見上げ、運命に感謝しながら、エイミーは楽しげに笑い続けた。

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[気になる点] エイミー、一気に嫌いになった。そんな人っ他にいるー?
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