169 夢物語
「では処分します」
「ひぃ」
「ちょっと待とうかフィオナ」
応接用の二つのソファの間に、皆に取り囲まれ汗を流しながら姿勢を正して座ったシェイミさんの後頭部へ、フィオナが短銃をゴリッと突きつけ、彼女は顔を死にそうな程に青ざめさせた。
シェイミさんの正面のソファに座っている僕は、とりあえずフィオナを止める。
処分って何かな。とりあえずまずは話を聞こうよ。
フィオナが不満げに短銃を下ろすと、シェイミさんは胸に手を当ててほっと息を吐き出した。
外套を脱いだ彼女は、ショートパンツに膝上程の靴下、やや大きめに見えるブーツを履いており、上は肩開きの緩めのシャツを着ている。普段着なのだろうか。
『夜花苑』で働いていた時に比べれば、随分とラフな格好だ。赤茶色の髪も下ろしており、少しだけクセがあるのか、艶のある髪は毛先が緩やかにはねている。とはいえ、服装も髪も無造作で雑という印象は受けず、むしろお洒落に整えられているのだろう。僕にはよくわからないが、可愛らしく纏まっていると思う。
キャスケットだったか、そんな帽子が似合いそうだ。
シェイミさんはフィオナを止めた僕を見て、髪と同色の瞳を輝かせた。人懐っこそうな笑顔だ。
「ああ! やっぱりノイルさんは私の――」
「黙れ」
両手を組んだシェイミさんの眼前に、僕の隣に座るシアラの漆黒の拳が突きつけられる。
正確には、手の甲辺りから伸びた鋭利な刃が、だが。
彼女は魔装の扱いがまた上手くなったのかもしれない。どうやら《魔女を狩る者》を自在に変形させているらしい。
瞳を輝かせていたシェイミさんが、笑顔を浮かべたまま固まり「ひゅっ」と、息を飲む音がした。
「余計な事は喋らないでもらえるかな? 不快だ」
腕を組んだエルが、床に座るシェイミさんを冷たい瞳で見下ろす。とりあえず、僕はシアラの拳を下げさせ、必死な様子で息を整えているシェイミさんへと改めて向き直った。
「その……シェイミさん。とりあえず、何でこんな事を?」
「エイミーです」
「え?」
「シェイミは、お店での名前なので。本名はエイミー・フリアンです」
瞬間、三度シェイミさん……エイミーさんへと凶刃が突きつけられる。短銃、拳、土剣が彼女を囲み、エイミーさんはだらだらと汗を流しながら身を震わせた。
彼女が目を覚ます間にシャワーを浴びたノエルが、未だ湿っている髪を整えながら、にこりと微笑む。
「名前とか、訊いてないよ? 今ノイルは何でこんな迷惑な事をしたのか訊いたの。質問にだけ、答えて?」
がたがたと震えているエイミーさんは、一度ノエルを見るとぜんまい仕掛けの人形のように僕へと縋るような視線を向けた。
ごめんなさい、そんな目で見られても多分僕には何もできません。
「…………はぁ、話が進まないでしょうが。ノイルは話を聞くって決めたんだから、あんたたちはちょっと落ち着きなさいよ」
ミーナが呆れたような声でそう言うと、しぶしぶといった様子でエイミーさんを囲んでいた凶刃が下げられる。
「…………ノイルさんに救けてもらいたかったのに……」
何でエイミーさんは不満げな顔でそんな事を呟くかなぁ……。
今ミーナがせっかく皆を落ちつせてくれたのに。失礼かもしれないが、この人もしかして頭おかしいのかな?
「言っとくけど、あたしも怒ってないわけじゃないわよ」
ほら、ミーナも不快そうに眉を顰めたじゃん。多分次は止めてくれないよ? 謝って、早く謝ってください。
「面の皮がクソ厚いやつだなおい。ま、そうじゃなきゃこのメンバー相手に喧嘩売ろうなんて思わねぇか」
アリスが『紺碧の人形』ミニミニキュートアリスちゃんバージョンを胸元から取り出す。隣のテセアが「かわいい!」と両手を合わせて瞳を輝かせた。
ミニミニキュートアリスちゃんは、アリスの手のひらから跳躍すると、スパーンと、エイミーさんの頭を小さな身体で叩く。
「いったー!!」
しかしそれには本人の素以上の力が込められていたらしく、彼女は涙目になり両手で後頭部を押さえた。
ミニミニキュートアリスちゃんは、「クヒヒ」と嘲笑うとアリスの元へとちょこちょこと走って戻る。
テセアが「可哀想だけど可愛い!」と、ミニミニキュートアリスちゃんを両手に乗せて拾い上げていた。
「おら、さっさと話せ」
アリスはそれを満足げに見ながら、ソファにもたれかかり脚を組む。
涙目のエイミーさんは、後頭部を擦りながら顔を上げた。
「………………理想の、ヒロインが必要だったんです」
「ん?」
ぽつりと、エイミーさんはそう呟き僕は首を傾げる。
彼女は意を決したように取り囲んでいる皆を睨みつけた。
「ノイルさんには! 理想のヒロインが必要で! それが私だったんですぅ!!」
開き直ったのか、エイミーさんは大声でわけのわからない事を叫ぶ。どうしたものかと、僕は頭を抱えた。
この人、やっぱり変な人だ。
「ヒロインがヒーローに贈り物をして何が悪いんですか? 厄介な人達に囲まれたノイルさんの目を醒まさせてあげることの何が悪いんですか!! 私は! 何も悪い事はしていません!! ヒロインとして正しい行いをしただけですぅ!! 悪いのはあなたたちですよ!!」
立ち上がり、彼女は僕以外の皆を見回しながらそう言った。
「やはり、異常者か。ストーカー行為に走るわけだ」
エイミーさんを睨みつけてそう返したエルに、僕は無言で視線を向ける。彼女は、自分の言っている事を理解しているのだろうか。
「意味がわかりませんね。不気味な贈り物をするのが正しい行いなわけがないでしょう」
なんだろうな。エルもフィオナも概ね正しい事を言っている筈なのに、何故こうも釈然としないのだろう。
「そもそも、何であんたが理想のヒロインになるのよ? 殆ど面識もなかったくせに」
「運命ですぅ!! 感じたんですぅ!! 運命を!!」
おっと……こいつは重症だぞ。
肩を竦めるミーナに対してそう言い切ったエイミーさんを見て、僕はこめかみを押さえた。
彼女はどうやらかなり思い込みが激しい人らしい。はっきり言って怖い。
「ノイルさんは私の理想なんです!!」
何がどうなってそうなったんだろう。エイミーさんの思考を全く理解できない。
「だから私もノイルさんの理想なんです!!」
………………?
「文句ありますか!!」
エイミーさんはダンッ! と床を踏み鳴らして、鼻息荒くそう叫んだ。僕にはもうわけがわからなかった。夢でも見てるのかな?
文句はない。文句を言えるほど、僕はエイミーさんの発言を理解できていない。ソフィとテセアも同じらしく、頻りに首を傾げている。ミーナとアリスは面倒くさそうに顔を顰め、フィオナは呆れ果てたようにゴミを見る目を向けていた。エルは腕を組んで瞳を閉じており、シアラは感情の一切感じられない無表情だ。ノエルに至ってはもはや話を聞く気もないのか、タオルを綺麗に畳んでいた。
そして、店長だが――
「我はそんな事よりも、貴様がどのように気配を消していたのかが気になるのじゃが」
マイペースに僕の口に哀れな魚を押し込みながら、エイミーさんの頭のおかしい発言をさらりと流した。迷いなくこの料理を完食させようとしている辺りも含めて、流石だぜ。
僕は気分の悪くなる料理を味わいながら、確かにそれも気になると、口の中の物を飲み込む。
エイミーさんはどう見ても普通の人だ。いや、思考回路は普通ではないが、やはり身のこなし等を見ていても皆に気取られない程に気配を消せるようには思えない。
殺意に対して慣れている様子もなかったし、一般人なのは間違いないだろう。失神しなかったりこうして意味のわからない反論を出来る辺り、かなり肝が座っているが。
しかし、事実エイミーさんは気配を消していた。そうなるとやはり考えられるのは――
「魔装、ですよね?」
僕が訊ねると彼女は勢いよくこちらを見て瞳を輝かせた。
「はい!!」
「独学で……?」
「私、元々本が好きなので! ガルフさんにも色々とお話を聞いたりして、勉強してたんです! 今まではどうしても上手くいかなかったんですけど……ノイルさんのおかげです!」
「あ、はい」
まあマナのコントロールさえ掴んでしまえば、魔装は後は想像力と想いの強さ、本人の資質次第ではあるのだが、本来そうそう簡単に発現させられるものではない。出来ない人はいつまで経っても出来ないものだ。
元々才能はあったのだろう。とはいえ、きっかけを与えてしまったのは僕らしい。いや、別に魔装を発現させる事は悪い事ではないのだが、嫌な予感しかしない。
「お見せしますね!」
「あ、はい」
エイミーさんは両手を前に差し出すと、目を閉じる。
「魔装――《夢物語》」
彼女の声と共に、その手の平の上には、一冊の本が現れた。
豪華な装丁の革張りの分厚い本だ。茶色のカバーには金の装飾が施され、金属のようなボタンで二箇所を留められるようになっている。背表紙や表紙には何のタイトルも記されてはいなかった。
エイミーさんは感極まったように一度ぎゅっと本を胸に抱きしめると、ページを開いて僕に見せる。
――エイミー・フリアンは、誰にもバレることなく小包を『白の道標』に届ける。
そこには、赤いインクでそう記されていた。
「この本に書いた物語――というか書いた事は、現実になるんです!」
「は?」
微笑みながらの彼女の言葉に、僕はぽかんと口を開けてしまう。
何だその反則だとしか言えない能力は。強力なんてものではない。
もし事実ならば、エイミーさんは神か何かだ。
皆も店長以外は驚いた様に目を見開いていた。
「ほう……じゃが、我は貴様に気づいておったぞ。ノエルも貴様へと行き着いた、どういうことじゃ?」
店長が顎に手を当てて、片手は僕に哀れな魚を食べさせながら、興味深げに《夢物語》に書かれた文字を見る。
確かに、《夢物語》には誰にもバレることなく、と書いてあるが、店長は気配を感じた上で無視していたに過ぎず、ノエルはエイミーさんが犯人だと特定した。
彼女が嫌そうな目を店長に向けた後、一つ息を吐き、《夢物語》を閉じる。
「…………まあ、本当は全てが書いた通りにいくわけじゃなくて、あくまでそうなりやすくなるってだけです……」
そして残念そうに説明して、エイミーさんは片手で《夢物語》を持ち上げた。
本人は不満があるようだが、僕はそれを聞いて安心する。もしも何もかもが現実になるのだったら、『神具』すらも遥かに超えた危険な代物に他ならなかっただろう。
まあ、そうなりやすくなる、というだけでも破格の力だと言えるが。
「それに……ページが全部埋まっちゃうと、この魔装は使えなくなるんです」
「へぇ……」
ゆらゆらと《夢物語》を振りながらの彼女の説明に、僕は思わずそんな声を漏らした。
使用回数に制限があるという事か。そんな魔装は今まで聞いたこともない。おそらくだが、魔導学園でも教わってはいないだろう。無表情のシアラはともかく、フィオナも唇に手を当てて考え込んでいるようだから間違いない。
限られた回数しか使えないからこその、破格の性能というわけだ。
あれ……?
もしかしてそんな魔装を創造したのは、エイミーさんが世界で初という事なのか……?
それってかなり凄いことなのでは……?
「っ……」
考え込んでいると、突然エイミーさんが痛みを堪えるように顔を顰め、《夢物語》を取り落とした。ばさりと彼女の魔装は開いた状態で床に落ちる。
「大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です」
僕が訊ねると、エイミーさんは慌てたように両手を振った。ずっと気になってはいたが、彼女の両手はどの指も包帯が巻かれており、傷が開いたのかじわりと赤い染みが滲んできている。
「えへへ、実はこれ、私の血をインク代わりにしないと効果がなくて……なのに――」
「え」
僕は目を見開く。
しかしそれは、微笑んだエイミーさんの言葉にではなかった。
床に落ちた《夢物語》――その開いたページが視界に入ってしまったからだ。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
「………………おぉふ……」
開かれた《夢物語》には、ページいっぱいにぎっしりみっちりと、一切の隙間なくひたすらに同じ文章が書かれていた。
ぞっと背筋に怖気が駆け抜ける。
「何でもは、叶えてくれないんだもんなぁ……」
エイミーさんはそう呟きながら、平然とした様子で《夢物語》を拾い上げた。
そして、ぱらぱらとページを捲りながら僕に見せる。
「見てくださいよ、こんなに書いたんですよ」
僕はごくりと、生唾を呑み込んだ。
《夢物語》のページ、その半分程が、既に先ほどと同じ文章で埋め尽くされていたからだ。
「でも、幾らかはそうなりやすくなったはずですから――安心してくださいね。私の英雄」
艶やかな笑みを向けてくる彼女に、僕は言葉を失い冷や汗を流すのだった。




