168 披露宴
目の前の小包の山を眺めながら、僕は寒気を覚えて身震いする。
しかしそれは、狂気すら感じる謎の贈り主にではなかった。
「さて、どうしてやろうか」
「先輩にとって害のある存在だとわかった以上、もはや様子を見る必要はないでしょう」
「…………二度と、こんな真似ができないよう、すり潰す」
この贈り主への殺意を迸らせている皆の方が怖い。
エル、フィオナ、シアラはそう言うが、知ってるシアラ?
すり潰したら人って死んじゃうんだよね。確かに二度とこんな事はして欲しくないけど、そこまでしなくていいよ。
何故だろうか、犯人に同情してしまいそうになる。
「まあまずは犯人の特定だな」
「……見張りを立てた方がよさそうね。雨で匂いは消えてるし、雨音に紛れて気配を消してる。少なくとも、今は近くに居ないと思うわ」
アリスが腕を組み、ミーナがピクピクと耳を動かしながら鋭い目つきで入り口の方を見る。
「周到に贈り物……いえ、ゴミの匂いも消してあるようですね。まあ当然ですが……腹立たしい」
フィオナが忌々しげに小包の山を睨みつけた。
ミーナはともかく、何でフィオナもそんなに嗅覚が鋭いんだろう。というか、何が当然なんだろう。贈り物の匂いを消しておくのって当然なのかな。
「うーん……やっぱりおかしいな。髪の毛が入ってるなら……まあそうじゃなくても普通は作成者くらいわかるはずなんだけど、モヤがかかったみたいになってる……妨害されてるのかな……こんなの初めてかも……見えないんじゃなくて、見えなくされてる……?」
《解析》で腕輪を検めていたテセアがぶつぶつと呟きながら首を傾げた。どうやら情報を上手く読み取れないらしい。ただの狂気じみた贈り物ではないようだ。
しかし、本当に犯人は誰なのだろうか。はっきり言って今ここに居る皆に気づかれることなく荷物を店先に置き続ける事が出来る人間など、そうそう居ないだろう。
テセアの先程の言も考えると、犯人は僕の《狩人》のように、いやそれ以上の気配を消す手段でも持っているのだろうか。存在を完璧に隠蔽できる程の。だとしたら恐ろしいが少し羨ましい。
ああいや、テセア曰く僕が二日引きこもっていたせいで皆は正常な状態ではなかったらしいから、気にする余裕がなかっただけなのかもしれない。意味がわからない。
とはいえ、店長にすら気づかれないなどあり得るのか……?
「店長、誰か来た事に気づかなかったんですか?」
「む? ノイルが出てきてからの方がおもしろいじゃろ?」
隣の彼女に訊ねると、にこにこと微笑みながらそう返してくる。つまりあなた、放置してたわけね。まあ僕の問題なんだけどさ、放置してたわけね。
非難の目を向けていると、店長は考え込むように顎に手を当てた。
「じゃが、気配自体はかなり希薄じゃったのぅ。雨に紛れると殆ど感じ取れぬ程じゃ」
店長の言葉を聞いたエルが目を細める。
「……プロか」
何の?
ストーカーの?
やっぱりエルってその道に詳しいの?
「何のプロなの……?」
ほら、テセアも僕が考えたのと同じことをぼそりと呟いてる。
「であれば、一筋縄ではいかないでしょうね」
「いや、そうとも限らないよソフィ。筆跡に頭髪、手掛かりを残しすぎている部分もあるからね。筆跡は相手に恐怖を与える場合を考慮してバラバラにしなかったのかもしれないが、贈り物をするのならば、見ただけではわからない体液等を混ぜるのがベターなんだよ。想い人にも、周りにも警戒心を抱かせないようにね。メッセージカードの内容といい、自身の存在に気づいてほしいのはわかるが、自己主張をしすぎている。ボクらに捕捉されないよう雨季を狙い動き出した点と、気配を消す技術、または能力だけは一流のようだが、それだけだ。――まだ甘い」
エルって、プロより上なんだ。
ソフィに微笑みかけながら、彼女は頭のおかしい説明をしていた。慈しむような表情だけを見ればまともな事を教えているかのように思えるが、頭がおかしい。ソフィも納得したように頷いちゃだめだよ。敬愛するエルの言葉全てを受け入れていいわけじゃないんだよ。
言っていいんだよ、おかしいって。
ミーナとアリスの顔の顰め方が凄いことになっている。
「というか、私犯人わかっちゃったかな」
いつの間にかテーブルの上に置かれていた腕輪を摘みあげて、じっと見ていたノエルがそう言った。
全員の視線が彼女に集まる中、ノエルは腕輪を置くと僕ににこりと微笑みかける。
何故だかその愛らしい笑みを見てぞっと背筋に悪寒が奔った。
「ね? ノイル、わかったでしょ?」
「え?」
「ああいうお店は、二度と行っちゃだめだからね?」
「え?」
「夜花苑」
「え」
にこにことそう言われ、僕ははっと思い当たる。そういえば、あそこには財布を置いてきたままだった。あの財布の中には、昔店長が作った本人も忘れているであろう手書きの名刺が入っており、一切使う機会などなかったので僕も忘れていたが、『白の道標』の住所も書かれていたはずだ。
それがなくともガルフさんの知り合いならば、彼に訊けば僕がどこに住んでいるか知ることができただろう。忘れた財布を届けたいと言えば、怪しまれもしない。
今までこんな事は起きなかった点を考えれば、犯人は最近接触した人物である可能性は高く、その中でやたらと興味を持たれていた相手は彼女だけだ。
極めつけは腕輪に使われていたという赤茶色の髪……別段珍しい色ではないが、あの日僕らのテーブルを担当していた彼女も、確か赤茶色の髪だった。
ぽつりと、顎に手を当てて思わず呟く。
「まさか……シェイミさん……?」
しかし、彼女はこんな事をするような人には見えなかった。少々おかしなところはあったが……どうにも想像できない。それに身のこなしも雰囲気も、特殊な力を持っているようには到底見えなかった。まあ、僕は彼女の事を殆ど知らないわけだが……。
「誰ですか先輩? シェイミさんって」
「ああ、父さんと行ったお店の――」
考え込んでいた僕は微笑んだフィオナの問いに殆ど無意識的に答えようとして、はっと口を手で押さえた。
気づけば室内には雨音しか響いておらず、皆が僕へと視線を向けており、だらだらと嫌な汗が流れ落ちてくる。
しまった――死ぬ。
「えっちなお店でしょうか?」
やめてソフィ。やめて。
純粋な疑問をぶつけてこないで。
えっちなお店ではないから。というか誰だ彼女にえっちなお店の存在を教えたのは。
落ち着け、クールになれ。僕は何も悪い事はしていない。
「ち、ちちちちが……」
「ソフィ、そんなわけがないだろう?」
「え」
僕がソフィに冷静に答えようとすると、エルが瞳を閉じて腕を組み、悪戯を嗜めるかのような口調でそう言った。
「お義父様の行動には頭が痛くなるが、ノイルはボクと初めてを遂げると誓い合ってくれたんだ」
誓い合ったっけ……? いつ……?
よく見れば、エルの身体は僅かに震え、自身の腕を痛そうな程に握り締めている。多分彼女も冷静に見えて混乱しているのだろう。記憶の改竄が行われる程に。
「そうですね、先輩は初めては私を使ってくれると約束してくれていますし、あり得ません」
使うって何……? そんなクズみたいな約束した……?
フィオナは朗らかな笑みを浮かべているが、口端が高速でひくついている。どうなってるんだろうあれ。とにかく、彼女の記憶も改竄が行われたらしい。
「…………兄さんは、私にしか、ムラムラしない」
異常者かな?
妹にしかムラムラしないって、異常者かな?
一切瞬きせずに僕をじっと見つめているシアラに至っては、僕が異常者という記憶の改竄が行われてしまったらしい。元から崩壊している兄の尊厳が心配だ。
「楽しかったかのぅ?」
「ちょっと黙って」
店長がそう訊ねてきたので、僕は短く言葉を返した。
「まあ、あんたがそんな事してたら、そもそもあの女が落ち着いてるわけがないわ」
ミーナが呆れたような息を吐き、ノエルを見る。流石はミーナだ。やや頬を染めているが冷静である。しかし頻りに耳と尻尾を動かし、こちらをちらちらと窺うように見てくるのは何故だろうか。
実のところ一度触ってみたいと思っていたが、触っていいのかな?
うん、ダメだね。流石にそれはない。僕は馬鹿だが紳士なのでやってはいけない事くらいわかっている。
「エロ猫の言う通りだわな。とはいえ、要はエロくはねぇが男向けの店に連れて行かれたって事だろ」
アリスが頬杖をついて面倒くさそうに息を吐き出すと、ミーナの顔が一瞬で赤く染まり耳と尻尾の動きが止まった。
「うん、その時にノイルにまとわりついてた人が居て――」
「ちょっと待ってください。何故その時点で殺しておかなかったんですか?」
ちょっと待ってください。何故その時点で殺しておく必要があるんですか?
ノエルが説明していると、フィオナが片手を挙げて責めるかのような視線を彼女に向ける。
「…………使えない」
シアラが瞳を閉じて呆れ果てたようにゆっくりと頭を振った。
あれ、おかしいな。これ手を出さなかったノエルが責められる流れなの?
「殺さずとも、二度と愚かな真似ができない状態にしなかったのは無能としか言いようがないね」
エルが片手を翳しながら凛とした声でそう言うと、小包が全てふわりと浮き上がり、まるで小さな竜巻の様な風に包まれたそれらは見る見るうちに粉々に引き裂かれ塵と化す。
そして、いつの間にかソフィが構えていた大きな袋の中に吸い込まれる様に捨てられた。
淀みない手付きで袋の口を結ぶソフィを見ながら、僕は贈り主に対して少々申し訳なく思ってしまう。
おそらく犯人が判明したのなら、手掛かりとして取っておく必要もないと処分したのだと思うが、相手も悪気があったわけではないだろう。そんな全力で塵と化さなくても。
まあ残していたところで扱いに困っていたのは間違いないが。
というか、今後僕は知り合い以外の女性との接触は控えたほうがいいのかもしれない。僕は多分女性を不幸に陥れる存在となっている。下手をすれば相手の生命を脅かすだろう。死神かな?
「だってノイルが止めたから」
止めなかったらノエルは何をしていたんだろう。あの時の僕を褒めてやりたい。いや、僕のせいなんだけど、全力で褒めてやりたい。
彼女は人好きのする笑顔を浮かべたまま、言葉を続ける。
「それに私が無能だとしても、ノイルを見つけられもしなかった人たちはそれ未満だよね」
売るねぇ、喧嘩。
セールでもやってるのかな?
やっぱりものを売るのに笑顔は重要だよね。効果的だよ。見てフィオナ達の表情、僕は見たくない。
「チッ!!」
シアラの舌打ちが隣から響いてくる。耳がキーンとしたが、僕は他の誰とも目を合わせないように時折店長の手によって口元に運ばれてくる哀れな魚を咀嚼する。色んな意味で気分が悪くなってきた。
「でも、やっぱり私が悪いと思うから――捕まえてくるよ」
「僕も……」
「ううん、一人で大丈夫だよ。明確に敵意を向けてるのに私たちにバレたくはないって事は、つまり直接の戦闘能力はないって言ってるようなものだし。そういう罠かもしれないけど、それなら見え見えすぎるしね。多分、たまたま何かの能力に目覚めて慢心してるんじゃないかな。だからわからせてあげなきゃ、調子に乗ってノイルを困らせるなって。ちゃんとね。でも心配してくれてありがと、すっごく嬉しい」
「あ、はい」
さてはノエルさん、お相手方に相当ブチ切れていらっしゃいますね?
僕の言葉を遮り、どこまでも穏やかかつ早口で有無を言わさずそうおっしゃられた彼女は、懐から血の入った瓶――ラブボトルを取り出し栓を開ける。
「うーん、最後の一本だしあの人程度なら保険を兼ねても数滴で足りそうだけど……どうせノイルにまた貰わなきゃだしね」
艶やかに微笑むノエルの顔を、僕はもはやまともに見る事ができなかった。口の中で大喧嘩する魚とホイップクリームを冷や汗を流しながらごくりと飲み込む。
同時に、彼女が魔装を発動させた。
「――《披露宴》」
しかしそれは、《伴侶》の純白のドレスでも《深紅の花嫁》の深紅のドレスでもなく、まるで二つを掛け合わせたかの様な姿であった。
「三つ目……?」
僕が呆然と呟くと、血を飲み干した彼女はにこりと微笑む。
「違うよ」
「ほほぅ」
「同時、発動か……一体どうやって……」
店長が楽しげな笑みを浮かべ、僅かに目を見開いたエルがすぐに考え込むように顎に手を当てる。
シアラ、フィオナ、テセアの三人は既に知っていたのか驚いた様子はないが、アリスは眉根を寄せ、ミーナは驚いた様に、ソフィは興味深げな視線をノエルへと向けていた。
「簡単な話だったんだよ」
彼女は落ち着いた声音で胸に手を当てて、説明を始める。
「私の《伴侶》はノイルを強化してあげる魔装。だったら――ノイルの血を、強化できないわけがないよね?」
訊かれてもわかりません。多分ノエル以外には理解できないと思う。
「私は、私の中に居るノイルを強化しているだけ。できて当たり前の事をやっただけ。そうしたら、魔装がこんな風に変化したの。この状態なら、制御もちゃんとできるよ」
そうか――ノエルの魔装はどちらも纏うタイプの魔装だ。故に、同時に発動させた事で見た目が変化したのだろう。店長ではないがおもしろい。多分魔導学園でも教わった事だろうけど、同時発動の才能が皆無だと思い込んでいた僕はあまり真面目に聞いていなかった。
もっとも、変化したのは見た目だけではないようだが。
「私にはノイルが必要で、ノイルにも私が必要。ノイルに救けられて、ノイルを救けて……手を取り合うための魔装が矛盾するわけがないんだよね」
ちょっとノエルが何を言っているのかわからなくなってきたが、そういう事らしい。
彼女は恍惚とした笑みを浮かべる。
「その想いを、一つに纏めたのがこの魔装。私とノイルが結ばれた証――《披露宴》」
ちょっとノエルが何を言っているのかわからないが、そういう事らしい。
元々、彼女の魔装は相性が悪いわけではなかったのだ。とはいえ、この短期間の内にそれに気づき成長するなど、一体何をしたのだろうか。そして、ノエルはどこに向かっているのだろうか。もう僕にはわからない。
苦笑しているテセア、愉快そうな店長、無表情のソフィ以外はシアラも含め顔を顰めている。
「つまり……クソオナニー魔装じゃねぇか……」
アリスが何かとんでもなく下品な事をぼそりと呟いたが、聞かなかったことにした。
「ん?」
しかしノエルはにこりとアリスに首を傾げ、彼女は嫌そうな表情で顔を逸らす。
「なんでもねぇよ……」
あのアリスが、色んな意味で引いていた。
「そっか」
ノエルはそう言って伸びをすると、入り口へと歩き出す。
「あの時念の為、血の匂いを憶えてて良かったかなぁ、怪我、してるみたい。わかりやすい。そう遠くない。まあ、隠れて様子を窺うよね」
何かぶつぶつと呟きながら、彼女は扉を開く。土砂降りの雨の音の中でも、一度振り返ったその声は、はっきりと僕に届いた。
「ちょっとだけ待っててね」
「あ、はい」
僕が頷くと、ノエルは微笑んで『白の道標』から出ていく。
「あはははははははッ!!」
そして扉が閉まると、甲高い笑い声が響き渡り、次第に遠ざかっていった。
多分あれ、まだ微妙に制御できてない。
「――はははっ!! あはっ!」
そして、あまりにも直ぐに笑い声が戻ってきた。
もう犯人を捕らえてきたのなら、いくらなんでも仕事が早すぎる。まだ誰も言葉を発していない内に帰ってきたよ。
どうやら二重の強化を施されたノエルは、規格外の存在となってしまったらしい。ごめんなさいカリサ村の皆さん。
入り口の扉が開き、魔装を解除したびしょ濡れのノエルと、彼女に引きずられている外套を深く被った人物が店内へと入ってきた。
「ただいま」
「あ、はい。おかえりなさい」
にこりと微笑んだノエルは扉を閉めると、おそらく犯人であろう人物を引きずって皆の元へ運ぶ。相変わらず顔を顰めているエルによってテーブルが部屋の端へと退かされ、空いた二つのソファの間に外套を被った人物が倒れ込んだ。
被っていたフードがはらりと落ち、赤茶色の髪と可愛らしい面貌が顕になる。
「…………うう……ばけ、もの……きゅう……」
苦しげに顔を歪め、そう言い残し気絶した犯人は――やはりシェイミさんであった。
「化物って……本当、失礼な人」
「こらっ、だめだぞっ、ノエルにそんな事言っちゃ」
ぽたぽたと水滴を溜らせながら彼女が不満げに頬を膨らませたので、僕は気絶しているシェイミさんを注意しておくのだった。




