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137 魔導具


「ふぅ……」


 採掘者協会入り口の扉脇で、壁に背を預けたヴェイオン・ライアートはゆっくりと紫煙を吐き出した。


「禁煙されてはどうですか?」


「俺は一生煙草はやめられねぇよ」


 彼の隣に静かに佇むサラ・レルエが眉を吊り上げて忠言するが、ヴェイオンは全く耳を傾けるつもりはない。もう一度深く煙を肺に入れ、たっぷりと味わった。


 サラは文句なく優秀な人材ではあるが、少々生真面目すぎて口煩いところがある。

 今の頭を悩ませ心労を抱えた状態で、煙草の一本や二本をいちいち注意されていてはたまったものではないのだ。


 もしも――あいつらが戻らなかった場合、どう動くべきか。


 『精霊王』――エルシャン・ファルシードは簡単に勝手に消えた事にすればいいなどと宣ってくれたが、そういうわけにもいかないだろう。


 実際、失踪した事にするのは容易だ。

 『創造者(クリエイター)』と『精霊の風(スピリットウィンド)』が【湖の神域(アリアサンクチュアリ)】に向かった事実は、ヴェイオンとサラしか知らない。本来ならランクSの採掘跡に挑む者が現れれば、採掘者(マイナー)の間では大きな騒ぎになるが、彼女たちの要求通り、極秘理に事を進め念入りに人払いも済ませていたため、目撃者も存在しないだろう。


 『紺碧の人形(アジュールドール)』の人員は、アリス・ヘルサイトの言いつけは必ず守る。彼女が口外するなと命じたのであれば、たとえ拷問されようが事実を広めたりはしない。


 ああ簡単だ。

 ヴェイオンが特別何かする必要もない。

 余計な仕事が増えることはない。


 だが――ヴェイオンは心情的にそうしたくはなかった。


 結局のところ彼は、自身の立場やアリス、エルシャンが要人などということはどうでもよかった。

 ただ、自分の管轄であるイーリストの採掘者たちに特別な思い入れがあるだけだ。


 エルシャンが指摘した通り、ヴェイオンは甘い人間である。


 だからこそ、彼は彼女たちの提案を飲むことができない。


「……事実を公表されるおつもりでしょう?」


「あいつらが戻らなかったらな」


「はぁ、損な性格ですね」


「人の人生の足跡(そくせき)は、きちんと知られるべきだ。何をやり、何を成し遂げ、どう終えたのか。それはあいつらの生きた証だ。隠すようなことはしたくねぇ」


 そう言って紫煙を吐き出すヴェイオンの隣で、サラは「責任問題になれば、私も道連れなのですが……」と、嘆息し肩を落とした。しかし、考えを改めさせようとする様子はない。


「ま、問題ねぇ。あいつらは【湖の神域】を攻略するさ」


「ランクSの採掘跡を攻略したとなれば、それはそれで仕事が増えるでしょうけどね」


 確かにその通りだと、ヴェイオンは僅かに笑みを浮かべる。


「ん?」


 と、その時ヴェイオンは採掘者協会へと未だ人払いしているはずの通りを歩いてくる複数の人影に気づいた。一瞬目を細め、そして見開く。

 歩いてくる三人の内一人が、ヴェイオンへと片手を挙げた。


「おーう! ひっさし振りだなぁ!」


「……『狂犬(マッドドッグ)』」


 何とも陽気な笑みに呑気な声で手を振るのは、二十年振りに見た問題児だった。

 『狂犬』の後ろを並んで歩いてくるのは、黒猫の獣人族――『沈黙の猫(サイレントキャット)』と、薄緑の髪の女性――ミント・キャラットだ。


「あいつらもう行ったか?」


 ヴェイオンとサラに歩み寄った『狂犬』は、何とも軽い口調で訊ねてくる。

 向かった先はランクSの採掘跡であるにもかかわらず、まるで自身の息子とその友人が遊びにでも出掛けたかのような口調だった。


「……ああ、さっきな」


「そうかそうか」


 二十年前と変わらぬいい加減さ――いや、もっと丸くなっただろうか。

 だが、ヴェイオンから見れば相応に歳を取ったこと以外はかつてと殆ど変わりがない。

 最後の依頼で失った右眼に嵌る眼帯も、当時のものと同じだ。


「お久しぶりです、ヴェイオンさん。ほら、なーくんも」


「ああいや、『沈黙の猫』はいい。ちょくちょく来るからな……」


 ミントが微笑みながら挨拶し『沈黙の猫』にも促すが、ヴェイオンはそれを片手を上げて必要ないと止める。

 『沈黙の猫』は娘である『黒猫』――ミーナ・キャラットの話をしに、度々ヴェイオンの元を訪れる事があった。


 最初に再会した時は驚いたものだが、今では二十年前よりもよく話す。当時は殆ど口を開かなかったはずの男とだ。やはり家庭をもつと変わるものなのだろう。若干妙な人間となってしまってはいるが。


 しかし、ミントはよくこの『沈黙の猫』を落とせたものである。コミュニケーションを取ることすら困難であった上に、謎の『飼い主(オーナー)』に当時は『狂犬』も『沈黙の猫』も惚れ込んでいたというのに。


 『沈黙の猫』への憧れだけで『曲芸団』に所属していた目立たなかった少女は、今や彼の立派なパートナーだ。


「ええっ、そうなんですか?」


「ああ、その……」


「大半は、娘さんの話をしに」


 ヴェイオンが言い淀むと、サラが眼鏡を指でくいと上げながらきっぱりと説明した。

 『沈黙の猫』は無言で顔を逸らし、ミントはそんな彼にじとっと半目を向ける。


「なーくん?」


「…………」


「もう! そういう事すると、一番困るのはあの子っていつも言ってるでしょ!」


「…………つい」


「つい、じゃありません! 大体、ノイル君をけしかけたりしたのも、気持ちはわかるけどやりすぎなんだから!」


「…………しかし……」


「しかし、でもありません!」


「だははははははは!!」


 二人のやり取りを見た『狂犬』が、バツが悪そうに顔を逸らす『沈黙の猫』を指差して大笑いした。

 両者とも与えられた二つ名には到底似つかわしくない姿だ。


 三人とも呑気なものだ、とヴェイオンは嘆息する。

 自身の息子と娘が今まさに死地とも言える場所に足を踏み入れているというのに、その余裕は一体何なのか。よほどヴェイオンの方が二人の身を案じている。


「お前ら、不安とかねぇのか……」


「ん? もう俺よかつええ奴の心配はいらねぇだろ。いい仲間と一緒だしな」


 『狂犬』にさらりとそう言われ、ヴェイオンは眉根を寄せた。彼から見てノイル・アーレンスは随分と情けない男にしか見えなかったからだ。それは、サラから見てもそうだっただろう。

 未だ、本当にこの男の息子なのかすら疑わしい。


「ミーナなら、必ず乗り越える」


「それだけ信頼してるんなら、過干渉はやめてあげようね」


「…………それとこれとは」


「別じゃありません」


 この三人を見ていると、ヴェイオンは自身が小心者なのではないかと思えてきた。

 自然と口角が上がり、彼はもう一本煙草を懐から取り出す。

 サラが咎めるような目をしてバインダーに何か書き込み始めたが、ヴェイオンは意に介さずに煙草をくわえた。


 それを見た『狂犬』がポケットから紺碧のライターを取り出し、キィンという高く澄んだ音を鳴らして火を灯すと、ヴェイオンの前に差し出す。

 ふっと微笑み、彼は差し出された火で煙草を灯した。


 しかし――。


 紫煙を吐き出し、自身も煙草を吸い始めた『狂犬』、未だミントに叱られている『沈黙の猫』の三人を見ながら、ヴェイオンは思う。


 『狂犬』の息子ノイル・アーレンス。

 ミントと『沈黙の猫』二人の娘ミーナ・キャラット。

 そしてこの場には居ないが、あの紺碧のライターを創造したロゥリィの養子アリス・ヘルサイト。


 この三人が手を組んだのは、何かの偶然か、はたまた運命か。


「で、お前ら『曲芸団(サーカス)』がまた集まった目的は何だ? まさか旧友と星湖祭を見物に来たわけでもねぇだろう?」


 少し愉快な心持ちになりながら、ヴェイオンは三人に訊ねる。

 昔のように、きっと何処かに『飼い主』も居るのだろうとあたりを付けていた。


 目的についても、おそらくはロゥリィ・ヘルサイトに関係する事だとは察している。


「『曲芸団』として受けた最後の依頼をよ、ちゃんと終わらせにきた」


 『狂犬』が、紫煙を吐き出してそう言った。


 ヴェイオンは僅かに眉根を寄せる。

 『曲芸団』の最後の依頼――それは、結果から見れば失敗で終わったはずだ。

 未確認の新種の魔物に襲撃され、護衛対象は一人を残して死亡し、『狂犬』は片目を失った。『曲芸団』ですら辛うじて撃退する事しかできなかった魔物は、二十年の間一度も目撃されておらず、謎に包まれたままとなっている。


 サラがこれからの発言を記録するためか、バインダーを持ち上げて目を細めた。


「どういう意味だ?」


「あんたにも話しとくのが筋ってもんだと思うんだが……誰にも言わない?」


「内容次第だ」


「んじゃダメだ。ダメダメダメ、話せねぇー!」


 おちゃらけた態度の『狂犬』に僅かな苛立ちを覚えたが、ヴェイオンは目を閉じて息を吐きだし気持ちを落ち着かせる。


「…………わかった。内密にするから話せ」


「本当にぃ?」


「……ああ、さっさと話せ」


 ヴェイオンが頬を引くつかせながら腕を組むと、『狂犬』は「おほん」と、一度わざとらしい咳払いをしてから口を開いた。


「まず言わなきゃならねぇのは、実はな、新種の魔物に襲撃されたって報告、ありゃ真っ赤な嘘だ。あの時魔物なんざどこにもいなかった。魔物の見た目とか、特徴とかは、ぜーんぶこいつが考えた」


「会心の出来だった」


「なーくん……威張らないで」


「……あ?」


 にかっと笑い『狂犬』は背後を指差し、差された『沈黙の猫』は得意気に腕を組む。そして、ミントは呆れたように肩を落とした。


 ヴェイオンは呆然と口を開き、サラがバインダーに猛烈な勢いで何かを書き込む。


 確かに、やや不審な点は見受けられた。しかし、まさか『創造者』が虚偽の報告をするなどと疑うことはしなかった。

 彼女は信用の置ける人物であったからだ。


 だというのに、今更何もかもが嘘だったと言うつもりかこいつらは。

 何故、何の目的があってそんな大嘘をついたというのか。


「し、襲撃はなかったのか……? なら、なんで、お前は片目を失った? 本当は何があった?」


「あーいや、襲撃はされたぜ。ただ、それは魔物にじゃねぇ」


「野盗か」


「んなもんにこの俺が目をやられっかよ」


 『狂犬』はけらけらと笑い、そして空を見上げながら紫煙を吐き出す。


「あんたを信用するから言うが――アリスちゃんだ」


「なに……?」


「当時は四歳か? そんな子供が偶然創っちまった魔導具に、俺たちゃ窮地に追い込まれた。そんで、今もその魔導具は存在してんだよ。ロゥリィの中にな。それを俺たちは――ぶっ壊しにきたんだ」


「…………詳しく話せ」


 視線を戻し、嘘偽りの感じられない瞳を『狂犬』に向けられたヴェイオンは、くわえたままだった煙草の火を、携帯灰皿に押し付け静かに消すのだった。







 果てのないように見える階段を、神経をすり減らしながら僕たちは慎重に進んでいた。

 誰も声を発する事はなく、いつ何が起きても対処できるよう周囲に視線を走らせている。


 辺りは不気味な程に静かで、不気味な程に何事も起こらなかった。


 今、この瞬間までは。


 ――複数人での入場を確認。


 突然響いた声に、皆が足を止め身構える。


 ――チームモードが適用されます。


「チームモード……?」


 ミーナの警戒と疑念を孕んだ声。


 ――ランダム転送まで、三秒。


 対して、頭の中に響く声はどこまでも無機質に僕らへとそう伝えた。


「マズい……! レット、ソフィ! 荷物を分けるんだ!」


 いち早く何が起こるか予測したのであろうエルが、焦燥に駆られたように食料と飲水を詰めた背嚢を背負った二人に指示を出す。


 ――三。


「チッ! クソがッ! 間に合わねぇ……!」


 アリスちゃんが忌々しげに吐き捨てた。


 ――二。


「ノイル」


 皆が慌ただしく動く中、店長がいつの間にか僕の手を握っていた。

 彼女は、絶対に離さないとばかりに痛いほどきつく手を握りしめてくる。


 ――一。


「我の傍に――」


 ――開始します。


 瞬間、『浮遊都市(ファーマメント)』に拉致された時のように、僕の前から店長の姿はかき消えた。

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