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なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいです  作者: 高葉
四章

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133 強くなるために


 今日の仕事は終えたのであろう採掘者(マイナー)たちで賑わう夜の通りを、シアラ・アーレンスは普段通りの無表情で足早に歩いていた。


 よく知らぬ者が見れば、美しい人形かと誤解する程に無感情に見える彼女だが、その内心には激しい苛立ちを抱えている。


 ノイルの傍に居ることができない怒り。

 自分よりも優れた存在がノイルの傍に居る怒り。

 そして何よりも、無力な自分自身への怒り。


 これまでシアラは、持って生まれた天稟故に、劣等感や嫉妬を覚えた事はなかった。

 しかし、今はそうではない。


 愛する兄の周りにはシアラの才をもってしても及ばぬ者が集まり、ノイル自身もシアラの予想を遥かに上回る程に成長していた。

 もはや彼は、自分が助ける必要などない。


 そしてそんなノイルに、今の自分は到底釣り合ってなどいなかった。

 こんなはずではない。こんなはずではなかったのだ。


 シアラはノイルは自分が居なければ何もできない人だと思っていた。実際、離れるまでの彼は頼りのない人だった。

 だが、今はどうだ?


 何もできないのは、自分の方だ。


 僅かにシアラが眉を顰めるのと同時に、ギリっと歯を噛み締めた音が響く。

 何事かといった様子で、怪訝そうに数人の採掘者たちが彼女の方を向くが、誰一人としてささやかなシアラの表情の変化に気づく者はいないだろう。


「だめだよシアラちゃん。歯が欠けちゃうよ?」


 しかし、そんなシアラに声をかける者がいた。彼女の後をついて歩くノエル・シアルサである。


「…………うるさい。なんで、ついてくる。キモい消えろしね。ついてくるな」


 穏やかな笑みを浮かべている彼女に、シアラは振り向く事も足を止める事もなくそう言った。

 ノエルは『精霊の風(スピリットウィンド)』のパーティハウスからずっと、シアラの後を追ってきている。

 それもまた、彼女を苛立たせている要因の一つだ。


 あの女みたいに、折れれば良かったのに。


 そうなっていれば、邪魔者は二人消えていた。


「やだ」


 だというのに、ノエルはすぐに立ち直りシアラの後を追ってきたのだ。


 シアラは短く鋭く発せられた彼女の声に、小さく舌打ちする。

 一見ノエルは笑みを浮かべているように見えるが、よくよく見てみればその瞳は全く笑っていない。内心穏やかではないことなど容易に窺える。


 それも当然だろう。

 その能力故に自分こそが最もノイルの力になれると信じ切っていた彼女は、端から見ても憐れだと思える程に叩きのめされた。

 それが単なる思い上がりでしかないと、はっきりと突きつけられた。


 しかし耐え難いほどの惨めさを味わったはずのノエルは、すぐに立ち上がったのだ。


「だってシアラちゃん、何かあてがあるんでしょ? だから迷わず屋敷を出たんだよね? そんなのズルいよ。ズルいズルい。ズルだよそれ」


「ちッ……」


 心底厄介な女だと、シアラは今度は大きく舌打ちをする。


「私も強くならなきゃいけないの。ノイルは絶対に無事に私の所に帰ってきてくれるから、それまでに私は少しでも強くなってなきゃ。でもね、ミリスも居ないし、闇雲に特訓したって効率が悪いよね? どうしようかなって思ってたんだけど、シアラちゃんが抜け駆けしようとしてたから、それなら付いていけばいいかなって。だってシアラちゃんは私よりも強いもん。そんなシアラちゃんがもっと強くなるために何かしようとしてるなら、付いていったら絶対に私の参考にもなると思うんだよね。まあ大体予想はついてるから逃げてもいいよ? というかシアラちゃんずっと歩き回ってるけど、もしかしてどこに行けばいいのかわからない? 私捜してあげようか? 《深紅の花嫁(ブラッドブライド)》を使えばわかると思うから。制御の練習にもなるし、そうしようか?」


 べらべらべらべら、よく喋る……。


 未だ屈辱感は一切拭えていないのだろう。シアラは今のノエルから鬼気迫るものを感じていた。


 しかしそれでいて、感情のままに行動するわけでもなく、考えなしに無茶をするでもなく、自分にとって最も利益になり、そして他が突出する事も防ごうとしている。


 この抜け目のなさと計算高さがノエル・シアルサという人間の厄介な部分ではあるが、シアラはそれを今の不安定であろう精神状態でも行える事が最も気に食わなかった。


 折れるか愚かな行動を取ってくれればいいのに、ノイルへの狂気じみた執着が彼女に冷静な判断力を与えている。


 ノイルがこの世界に存在する限り、彼の

事を想っている限り、この女は壊れているが、壊れない。


 シアラはノエルがごく普通の村娘であったと聞いている。ならば、その頃は特段強靭な精神力の持ち主ではなかったはずだ。


 ノエルが『白の道標(ホワイトロード)』で働き始めた経緯も知っている。

 唯一の家族であった父親をスライムに奪われた、ということも。


 ぽっかりと、心には大きな穴が空いたのだろう。

 だがそこに、ノイルへの恋慕の情という一本の芯が入ってしまった。ぴたりと、納まってしまった。父親への想いと、ノイルへの想いが相乗し、より深い執着へと昇華した。

 決して揺らがず、彼女を支える柱になった。


 一度は()を奪われた経験があるからこそ、ノエルはもう二度と何が起きても(ノイル)を誰にも奪わせない覚悟がある。

 この女の異常な強かさは、そこにあるのだろう。


 くそうざい……。


 シアラは立ち止まり、彼女には珍しく思いっきり顔を顰めた。


「…………黙れ、もう見つけた」


 そして、目の前の古びた石造りの建物を眺める。人通りの少ない場所に忘れられたようにひっそりと建っている壁に蔦の這ったこじんまりとした建物だ。しかし荒れている様子はなく、蔦も無雑作に伸びているわけでもない。寧ろ手入れが行き届き、入り口上の突き出し看板や明かりの漏れる窓を飾るアクセントとなっている。


 建物自体は古いが、それがいい味となっており、洒落た隠れ家のような外観の酒場だった。


 そこから、嗅ぎなれた煙草の香りが漏れている。シアラはあまり好きな匂いではないし、寧ろ悪臭とさえ感じるが、慣れ親しんだ匂いであることには間違いない。


 鼻にマナを集め嗅覚を強化して王都を歩き回り、雑多な匂いの中から探し出すのに少々時間が掛かってしまったが、ようやく見つけた。


 シアラは店の突き出し看板に目を向ける。眠る獅子を象ったような鉄のプレートには、『獅子の寝床』と記されていた。


 そこはノイルがよく入り浸っている、ガルフ・コーディアスの経営する酒場であった。当然シアラも把握してはいたが、実際に訪れたことはない。


 だが、シアラは躊躇うことなくクローズの札が掛かった扉に手をかけた。


「ちっ……」


「ああっ、だめだよちゃんと開けなきゃ」


 当然ながら鍵がかけられていた事に苛ついたシアラが、扉を蹴破ろうとするのをノエルが慌てた様子で止めに入り、後ろに下がらせ鍵穴を弄り始める。


「…………犯罪者」


「シアラちゃんも憶えたら? うん、これは古いし単純なやつだから簡単だね」


 どちらにしろ、不法侵入だった。


「いややめろお前ら。まずは普通にノックしろや。かちゃかちゃいわすな」


 と、ノエルが解錠するよりも早く扉は開き、中から恐ろしいものを見たと言わんばかりの顔をしたガルフが姿を現す。

 彼は疲れたように一つ息を吐いて目を閉じ、眉間を指で揉んだ。


「はぁ……トラウマになるぞこんなもん」


「…………父さんは?」


 しかし、怯える彼など意に介すこともなく、シアラは無表情で問いかける。

 ガルフはまた大きく息を吐いた。


「……中に居る。まあ入れや」


 そして諦めたように二人を店の中に招き入れる。


 彼の後について暖色の明かりが照らす店内に足を踏み入れたシアラは、すぐに目当ての人物の姿を見つけた。

 カウンターに背中を預け、シアラに向かってにかっと笑みを浮かべている。


「おう、シアラ! ノエルちゃん! グレイさんだぜぇ!」


「…………知ってる。うざい」


「泣くぞおい」


「お義父さん、こんばんは」


「おう……ノエルちゃん……シアラがひでぇんだ」


 が、シアラの冷ややかな態度にすぐに悲しそうに眉尻を下げ、ノエルに力ない声で応えた。


 店内に居たのはグレイ・アーレンスだけではない。彼の右には黒いスーツにサングラスの二人――二号と一号がそれぞれ腰掛けており、左隣には黒猫の獣人族――ノイルが師匠と呼んでいる人物と、シアラか見たことのない女性が座っていた。


 深紫の瞳に、肩の辺りで切り揃えられた薄緑の髪の柔らかな雰囲気の女性は、シアラとノエルを見ると微笑んで手を振る。


「こんばんは~」


「…………誰?」


「お父さんのお友だちだよ」


「…………そう」


 父の友人だということは、歳はもしかすると同じくらいなのだろうか。その割には若く見える。それに――


「あの、どこかでお会いしたことありませんか?」


 小首を傾げて訊ねたノエルに、シアラは心の中で頷く。


 何か、その顔には既視感があった。

 しかし女性は童顔ではあるが、それほど特徴的な顔というわけでもない。むしろ影は薄そうだ。何故そんな女性に既視感があるのか、シアラにはわからなかった。


「ないよ〜ありません」


 ノエルの問いに、女性は片手を口元に当て、くすくすとおかしそうに笑う。


「うーん……そうですか」


 納得のいっていない様子のノエルと同じく気にはなるが、今はそんな事よりもやるべき事がある。

 シアラはまだしょんぼりと肩を落としている父へと向き直った。


「…………父さん、強くなりたい」


「シアラは充分つえーだろ」


 グレイはいじけたようにそう言うと、ぷいとシアラに背を向け、カウンターの向こうに戻っていたガルフから空いていたグラスに酒を注いでもらい始める。とてもいい歳をした大人の態度ではない。


「…………父さんは、私より強い、でしょ?」


「気づいちまったかぁ、父の偉大さに」


「…………ずっと、気づいてた」


「ほぉー」


「…………だから私と戦って。本気で」


「本気でかぁー」


「…………強くなりたいから」


 グレイは酒を一口飲むと、煙草をくわえる。キィンという音が鳴り響き、煙草に火をつけた彼は一度紫煙を吐き出すと、振り返ってシアラの方を向いた。

 そして、にかっといつものように笑う。


「強くなるためにつえーやつと戦いてぇってか。そういうのは嫌いじゃねぇ」


「…………じゃあ」


「でもダメだな。俺が本気でやったら――シアラを殺しちまう」


 ぞくりと、シアラの背すじに冷たいものが奔り、自分でも気づかぬ内に身を震わせた。

 グレイは笑顔のままだ。笑顔のままだが、そこから一瞬だけ放たれたプレッシャーに、シアラはその場に尻もちを着きそうになる。


 冷や汗が彼女の頬を伝い、床へと落ちた。


「殺すまでやんなきゃいいだけだろうがアホ」


「あだっ!」


 と、隣の二号がグレイの頭を叩き、そこでようやくシアラは我に返りほっと息を吐きだす。


 一瞬呼吸すら忘れてしまっていた。


 叩かれた頭を擦りながら、グレイは二号へと不満げな顔を向ける。


「冗談だろうが、冗談」


「本気でビビらせるやつがあるか」


「あだっ!」


 そして、もう一度頭を叩かれた。

 先程シアラに死を感じさせた姿とは別人のように情けない。


「あー……そうだな、悪かったシアラ。ちと試してみたんだ。あんまりいい顔してたもんだからつい、な。あれで逃げ出さねぇなら充分合格だ。ノエルちゃんもな。なんかこえー魔装(マギス)使ってるけど」


 申し訳なさそうに手を合わせ、片目を閉じて謝罪するグレイの言葉に振り返れば、そこでは確かにノエルが《深紅の花嫁》を発動させ臨戦態勢となっていた。


 防衛本能から無意識の内にだったのだろうか、魔装はすぐに解除され、彼女は呆然としたような表情となる。


「だけど、はっきり言って俺は教えるのが下手だ! 手加減も下手だ!」


 威勢のいい声に、シアラは再びグレイの方を向いた。自信満々といった様子で胸を張っているが、発言と態度が噛み合っていない。

 そんな父を見て、シアラはようやく調子を取り戻してきた。


「…………下手でも、いい」


 先程の殺気と向き合うだけでも、充分な経験になるだろう。想定以上だ。

 しかし、グレイは煙草を咥えると腕を組んで首を横に振った。


「いーや、ダメだな。とういわけで」


 そして、にかっと笑う。


「任せるわ」


 その声に、今までカウンターの方を向いていた二号が振り返り、口の端を吊り上げた。


「そういうことだ。私がアンタたちの面倒を見るよ。といっても、私らもやることがあるから、ほんの少しだけだけどね」


「…………」


 シアラは少し困惑する。

 二号について彼女が知っているのは、アリス・ヘルサイトの下僕の一人ということだけだ。

 しかし、先程のやり取りを見るに、父とはどうやら気の置けない関係らしい。


 そもそも、この父を始めとした集団は一体何なのか。様々な疑問がシアラの頭の中に浮かぶ。


 しかし、その全てを彼女は呑み込んだ。

 今はわからなくてもいい。

 シアラはなんだかんだでグレイを父として信頼している。


 父が一任する程の人物ならば、文句はない。


「――私も、混ぜてもらえませんか?」


 と、突然の声にシアラは驚き振り返った。


「こんばんは、お義父様」


 艶やかな笑みを浮かべながら『獅子の寝床』へと入ってきたのは、心折られたとばかり思っていたフィオナ・メーベルだ。


 シアラは僅かに目を見開く。


「おお? うおお!? イメチェンか? フィオナちゃん!」


 グレイが素っ頓狂な声を上げると、フィオナはくすくすと笑った。


「はい、思い切ってみました」


 ただ髪を切っただけではない。

 一部黒いリボンと共に編み込まれている髪に優美な仕草で触れる彼女は、以前よりもどこか、より自信に満ち溢れているとシアラは感じた。


 そして、心の中で大きく舌打ちする。


 まさかこうも早く復活してくるなどとは思ってもいなかった。むしろ、再起不能な程に折れたとばかり思っていた。

 これは大きな誤算だ。


 しかも、おそらくはいつからか後を付けられていた。


「いいねぇ。楽しくなってきたよ」


 突然のフィオナの乱入に、二号は愉快そうな声を上げる。


「若人よ……高く舞え」


「おお……」


 師匠が鳥の形をしたパイプの煙を吐き出し、それを見た一号が感心したかのような声を漏らしてサングラスの位置を指で直した。


「なーくん、とうとう鳥作れるようになったんだね」


 そして、薄緑の髪の女性が深紫の瞳を輝かせ拍手をする中――


「いや勝手に入ってくんなよ……」


 店主であるガルフが至極真っ当な指摘をして、大きな溜め息を吐くのだった。

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