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11 ジェム

 

 それはただ一匹の脆弱な魔物であった。


 知能もなく、まともな意思すらもない。その体は余りにも脆く、外敵から身を守る術すら保たない。

 ただ漠然と、食べることだけが彼の頭の中にはあった。


 地を這いずり、ただ食べる。何を食べているのかも理解はしていない。取り込める物だけを食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて食べて――――――


 そんな時、彼の前に何か(・・)が現れた。

 何千、何万、何億分の一の確率で訪れた幸運、あるいは不運は、彼に変化を齎した。


 …………あ、レは、うマ、ソ、ウだ…………ウマ、そう? ウまソうとハナンだ――――?


 彼に理解は出来ない。だがしかし、それは確かに意思の芽生え、心が生まれた瞬間であった。


 彼はゆっくりと確実に『それ』へと近づき、体内へと取り込む。

 次の変化は劇的であった。


 ああ……ああ…………! オレは、オレはチカラをテニイレタ!


 湧き上がってくる力に震える。思考することができる悦びに崩れ落ちる。

 もはやそこに存在するのは、意思すら保たぬ脆弱な魔物ではなくなっていた。


 もっと……もっと…………ホシイ――――。


 目覚めの時を経た彼が求めたのは、更なる力だ。力への渇望が彼を突き動かす。

 全身から伸びた触手が周囲の生物、植物、鉱物、およそ物質と言える物何もかもを捉え、体内へと運ぶ。


 マズイ……ウマイ……マズイマズイ……ウマイ。


 これまで何を取り込んでも感じることは無かった感覚を彼は愉しむ。中には不快なものもあるがそれすらも悦びであった。

 美味く、より新たな力を与えてくれる獲物ほど自らへと抵抗するのが少しだけ煩わしかったが、大した問題でもない。彼は様々なものを吸収しながら進み続ける。


 そして出会った――人という存在に。


「ん? 何だスライムか」


 それは森で狩りをしていた不幸な人間であった。


 名をジェイムという。近くの村で娘と共に暮らすごく普通の男であり、今日は誕生日である娘を祝うために、豪勢な食事を作ろうと獲物を捕りにきた娘思いの父親だ。

 だが、彼にはそんなことはどうでもよかった。


 ナンだ、コイツは?


 初めて見る獲物を前に彼は考える。どうすればこの生き物を食べることができるのかを。

 知能が高そうな獲物だ。下手を打てば逃げられるかもしれない。


「何もしないから、あっち行け。しっしっ」


 じっと観察を続ける彼に、ジェイムは何かを話している。だが、彼にはその意味はわからない。しかし、彼は己が酷く弱い生き物だと思われていることを知っていた。


 今まで喰らってきた獲物も自分を警戒する様子は見せなかった。興味すら示さない獲物も居れば、彼を見るなり襲い掛かってきた獲物も居る。そうして彼は学んだのだ、奴らは自分を下にしか見ていないのだと。

 

 ドウセ、コイツもオレをナメているのだろう?


 彼は自ら弱者となる。いつか見た、愚かな同胞の姿を思い出し無害な生き物を演じる。

 彼は初めはあれが自らと同じ種だとは考えていなかった。しかし経験を積むことで、今ではそれを理解していた。


 フザケたハナシだ。


 彼にとってそれは認めたくない事実ではあったが、獲物を狩るのには丁度良かった。


 ユダンしているエモノのホウがタベやすい。


 この時もし彼に顔があったならば、その顔は醜悪に歪んでいたことだろう。


「はぁ、何なんだお前?」


 自分から離れるどころかむしろ擦り寄ってくるような相手に、ジェイムは溜息をつく。


「遊んでほしいのか? ま、んなわけねぇか。ここに居られちゃ邪魔なんだよ。運んでやるからどっか行け。今日は大事な――」


 それが、ジェイムの最期の言葉となった。


「ッ!?」


 屈み込んだジェイムの顔に、彼は今まで演じていた緩慢な動きとは比べ物にならない速度で飛びつき、体内へと取り込んだ。

 ジェイムは慌てて振り払おうと藻掻くが、もはや何もかもが手遅れであった。


 オレは、ホカのバカどもとはチガウダロウ?


 彼は優越感に浸りながら、ジェイムを生きたまま喰らった。

 痙攣しながら崩れ落ちたジェイムの身体から彼が離れると、そこにはもうジェイムの頭は存在していない。

 ジェイムの頭――脳を喰らった彼は、更なる進化を遂げる。


 なるほど――――こいつの名前はジェイム……人間か。


 彼はジェイムの記憶を取り込み、その知能を得ていた。


 いいじゃないか、その名前を貰おう。オレは――――そう、『ジェム』。ジェムだ。


 もはや彼――ジェムは、異常な力と人に劣らぬ知能を保った化物へと変貌していた。

 ジェムは考える、これからどう行動すべきかを。

 やがて、ジェムは一つの結論へと辿り着いた。


 オレがこの世界を支配してやろう。

 先ずは、地上に蔓延っている人類を滅ぼす。そしてオレが人に成り代わり、頂点に立つのだ。

 今までオレを舐めていた者共に力を示してやろう。


 だが、それにはまだ力が足りないとジェムは思う。たった今自分が食った人間は雑魚だ。人の中には強大な力を持った者もいるらしい。

 今のままでは敵わない相手も存在することをジェムは理解している。愚かにも、無策で挑むような真似を彼はしない。


 しかしそれならば、力を身につければいいだけだ。


 ジェムは仕留めた人間の身体を呑み込み喰らう。途端に、得も言われぬ幸福感に包まれた。


 やはり人間という生き物は美味い。今まで喰らった獲物の中でも一番だろう。雑魚でこれなのだから、強者を取り込んだ場合にはどれほどの快楽を味わうことができるのか。

 ジェムは己には存在しないはずの唾液が溢れるような感覚を覚えた。


 しかし同時に残念でならない。

 これから先は、人間を捕食するのは可能な限り避けねばならならなかったからだ。

 人間は群れて生きる存在だ。もしも一人でも取りのがしてしまえば、ジェムの情報は瞬く間に広がり脅威だと認識されてしまうだろう。

 そうなれば、まだ力の足りないジェムは人間の強者に追われ、いずれは狩られてしまう可能性が出てくる。


 ジェムは不気味なほどに慎重であった。


 せっかく力を得たのだ。それを失うわけにはいかない。

 人間を確実に仕留められるようになるまでは、弱者へと擬態し生きていくべきだろう。

 幸いにも人間は愚かだ。自分を発見したとしても、先程のように脅威だとは認識しない。


 この姿は都合がいい――。


 ジェムはゆっくりと味わいながら男の身体を消化した。

 馬鹿な人間共も他の生物も、自分のことを取るに足らない存在だと思いこんでいればいい。

 そうして愚か者共は後悔するのだ。力をつけた暁には、(もてあそ)び、嬲り殺してやろう。

 スライムという本来圧倒的弱者であるはずの存在であるが故に、ジェムは凶悪であった。


 ジェムは旅に出た。

 各地を周り、慎重に隠れながら行動し、弱者を演じつつ様々なものを取り込み続け、強者へと成長し続ける。長い年月をかけて、彼は人を滅ぼす準備を整えた。

 そして、自らが生まれたこの地へと戻ってきたのだ。


 今、ジェムの力は過去とは比較にならないほど強大なものになっている。

 彼にとってもっとも幸運だったのは、偶然にも魔物の中でも最強の種と言われる生物の新鮮な死骸を、旅の最中に喰らうことができたことだろう。


 生きたままよりも得られる力は劣るが、それでもその生物から獲得した力は、彼の計画を早めることができると思えるほどには充分に過ぎた。

 それにスライムであるジェムの特性と合わせれば、もはやオリジナルを優に超える力すらあると彼は確信している。


 死骸や周囲には戦闘の跡があり、自然死したのではないと推測できた。

 だが、人間どころか全ての種にとっても重宝されるであろうエネルギーを秘めたそれは、愚かにも放置されていた。


 おそらくは相打ちにでもなったのだろうとジェムは考えている。全ての部位が貴重である死骸を放置する馬鹿など存在しないと結論し、やはり自分は幸運に恵まれていると心の中でほくそ笑んだ。


 経緯はどうであれ、最強種を超える力を手に入れることができたのだ。今ならば人間など容易く屠ることができるだろう。

 人間の次は奴らを狙うのも悪くない。

 そう考えながら、待ち侘びた時が来たのだとジェムは感じた。


 築き上げた拠点に隠れ潜みながらジェムは考えを巡らせる。

 先ずは王都を陥落させる。そこに住まう者共を全て取り込みさらに力をつけた後、他の人間の都市を一つずつ潰していこうとジェムは画策する。


 しかしここまで力を持っても、彼は慎重を期した。いきなり王都へ攻め込むわけではなく、近くの村へと己の分身を送り込む。

 ジェムは人間の中でも極めて強力な存在である採掘者(マイナー)を警戒していた。


 そのため小手調べとして問題を起こし、採掘者を誘き寄せようと考えたのだ。

 自分の力はどれ程なのか、奴らを仕留めるのに負うリスクはどれ程か、実験をするつもりだったのだ。ジェムは狡猾であった。

 人間の住む場所に何か問題が起れば、採掘者が、そうでなくとも強者が調査のためにやって来るのは知っている。


 自分の身から分離したスライム達は愚かな同胞とほとんど変わりはないが、自らの思い通りに動かすことができる謂わば分身だ。こいつらを送り込み続ければやがて異常だと感じた村人が、採掘者へと助けを求めるだろう。


 しかし、しばらくスライム達を送り続けて様子を窺っていたジェムだが、やがてしびれを切らし始める。


 遅い…………もういいか?


 ここまで長い年月を掛け力を蓄えたジェムにとって、これ以上待ち続けることは苦痛であった。自らの力を早く誇示したかったのだ。


 どうせ人間など取るに足らない存在なのだ、今の自分には敵う筈がない。そんな人間ごときに、ここまでする必要があるのか?


 ジェムは慎重で狡猾であったが、自らが酷く傲慢な存在に成り果てていたことに気づいてはいなかった。


 これで最後だ。これで来なければこちらから蹂躙してやろう。


 ジェムはこれまでよりも大量のスライムを村へと送り込む。それはもはや辺りを埋め尽くすほどであり、村人だけでは対処不可能な事態だったが、ジェムは気にもしない。

 村が潰れるならそれでも構わなかった。そうなったらなったで王都へと向かうだけだ。

 

 しかし、村は無事であった。

 いよいよ村にスライムが迫りきった時、一人の人間が現れたからだ。


 何だ…………あれは(・・・)


 異常を感じて監視用の分身へと乗り移り、村の様子を見ていたジェムは思わずそんな感想を抱いた。


 白い人間の女だ。

 気づけばどこからともなく現れたそいつは、ジェムの目から見れば酷く矮小な存在に見えた。

 確かにその人間からはより多くのエネルギーを感じるが、あの程度であれば何度も目にしたことはある。今のジェムと比べれば大したことはない。他と比較すれば美味そうではあるが、所詮取るに足らない存在だ。


 しかし次の瞬間、ジェムは考えを改めることになった。


 女はたった一つの動作――片手を前に出しただけで、全てのスライムを葬ったのだ。

 自分の分身は雑魚だ。吹けば飛ぶような存在である。しかし、だ。あれだけの量を一歩足りとも動かず処理できる人間がどれ程いるだろうか。

 それも、ジェムには女が何をしたかも理解できなかったのだ。


 あれは――――危険だ。


 ジェムは戦慄を覚えると同時に、強い怒りを感じていた。


 クソックソックソッ! 何だあれは!!


 ふざけるな、とジェムは憤慨する。

 予想外だ想定外だ酷い誤算だ。愚かな人間の強者があれほどとは露程にも思っていなかった。

 それでもジェムは自分が敗れるなどとは考えていない。

 しかし、計画を練り直す必要はあった。


 一度身を潜めるか? いやしかし既に問題を起こしてしまっている。

 ここに残る痕跡を調べられ、自分の存在が露見すればより多くの――あの女のような強者に狙われるかもしれない。


 ならばあの女をここで喰らってしまうか? 

 だが、それには少なからずダメージを負う可能性が高い。弱ったところを別の者に追撃をかけられれば、流石に仕留められてしまう可能性もある。


 ジェムは思考する。

 

 もっと力があればあの女を処理できる。

 村人を喰らうか? 

 いや、奴らでは大した力にもならない。

 クソッゴミ共がッ!


 力、力…………力だ、今すぐチカラが必要だ。


 力チカラちからチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラ――――――力を寄越せ!


 決して、ジェムの歪な願いが通じたわけではない。

 だが、『それ』は現れた。


 これは――――


 ジェムは敏感にその気配を感じ取る。

『それ』は女に遅れてやって来た。


 奇妙な馬車を駆る黒髪の人間の男だ。

 そいつが近づくに連れジェムは確信する。


 あの男――――もっている(・・・・・)


 自分の中に眠る『モノ』と同じ(・・)、ジェムが手に入れた何よりも大きな力。それがあの男の中にもある。


 幸いにも男自身は強者には見えない。それどころか、自分の分身と同じで吹けば飛んでしまうような存在、間抜けそうな人間だ。おそらくは己の中にある力にも気づいていないのだろう。

『これ』は選ばれた者のみが扱える偉大な力なのだから。


 それはまったく根拠のない自信、傲慢な考えだったがジェムは気づくことはない。


 お前のようなゴミには相応しくない!


 歓喜と憤怒がジェムの中で混ざり合う。


 次に喰らうのはあいつだ。

 そして奪う、いや、正しき場所に戻すのだ。オレのような偉大な存在こそが『アレ』を所持するに相応しい。


 ジェムの次の獲物は、黒髪の間抜けそうな男――ノイル・アーレンスだった。 

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