116 小芝居
相変わらずじっとソフィに見つめられながらもしっかりと服を着た僕は、大浴場からおっさんの鼻歌が聞こえてくる中、昨夜起こった出来事と、そうなってしまった経緯を彼女に話せる部分は話していた。師匠がミーナの父親だということは勝手に話せないので、クライスさんに見舞いを頼まれたことにしてしまったが、この辺りは致し方ないだろう。
もう別にバラしても良かったかもしれないが、流石に親子関係に罅が入るかもしれないのでやめておいた。僕自身も師匠との関係が壊れるのは嫌だし。今度会ったらいくら師匠といえど文句を言いまくるけど。それぐらいの権利はあるはずだ。
クライスさんに関しても別に嘘をついたわけでもないし、ソフィだけになら話しても問題はないだろう。というより、レット君は昨夜反省させられていたため、僕に屋敷の鍵を渡すことができるような相手は彼だけであり、言うまでもなく彼女は大体の経緯を察していた。
「……それで、発情期のフェロモンにあてられただ……ノイル様がミーナ様を襲い、抵抗された結果殴られて朝まで気絶していた、ということですか」
「うん、ミーナも弱ってたから色々と危なかったけど……言うほど何かあったわけでもないんだ。まあその……発散するくらいには、僕がやらかしちゃったわけだけど……」
そう言って肩を落としながらも、僕は我ながらよく回る口だと思った。汚属性ここに極まれり、だ。
確かに僕は話せる部分は話したが、そうできない部分――つまりミーナの部屋で何があったのかは嘘をつくことにした。
冷静に考えてみると、何も正直に話す必要はないのだ。ソフィは昨夜僕がこの屋敷に訪れた事を知っているだけなのだから。ならば、僕が暴走した結果、痴漢まがいの事をしてしまいミーナに殴られた、ということにしておけばいいだろう。
その方が自然だし、彼女の尊厳も守られるはずだ。
ソフィを騙すのは心苦しいが、致し方ない。
「お身体の怪我は、抵抗された際についたものですか?」
「え? ああ、うん。でも自業自得だからさ」
ふいにそんな事を訊ねられる。
どうやら服を着る間やたらと僕の身体をまじまじ眺めていたのは、それが気になっていたからだったらしい。
僕が苦笑して応えると、ソフィは一度目を閉じ、僅かに俯いた。
「……お優しいですね」
「そうだね、このくらいで済ませてくれるなんて、ミーナは優しい……ソフィ?」
一歩、ソフィが距離を詰めてきた。どうしたのかと思っていると、彼女は背伸びし――
「失礼致します」
「へ?」
ぺちん――と、軽く僕の頬にソフィの小さな手が当たった。
一拍遅れて、僕は頬を叩かれたのだと理解し、彼女の突然の行動に呆然としてしまう。
藍色の瞳が、どこか責めるようにこちらをじっと見つめていた。
しばしの沈黙の後、ソフィは口を開く。
「申し訳ございません」
それと同時に、ソフィはもう片方の手も僕の頬に添える。温かなものが流れ込んでくるような感覚があり、身体の傷が癒えていくのがわかった。
彼女は僕の顔を優しい手つきで挟んだまま、視線を逸らさせないようにして、いつも通りの淡々とした口調で言葉を続ける。
「今の嘘をミーナ様が聞いていらっしゃれば、こうなされるだろうと思いましたので」
「……嘘なんて――」
「ノイル様のお身体の傷は、どれもご自身でつけやすい場所にあり、抵抗されついたものにしては、規則的すぎます。お顔には怪我をされていないのも不自然です。それに、ソフィは傷は見慣れています。騙せるとお思いですか?」
「あ、はい。すいませんでした」
この期に及んで言い逃れしようとすると、理路整然と嘘を暴かれ、僕は謝ることしかできなくなった。
「……本当は何があったのか、大体の想像はつきます。ミーナ様の事を配慮してくださっているのも、わかります」
ソフィは決して目を逸らさずに、真っ直ぐに僕へと語りかけてくる。
「ですが先程のような嘘を、ミーナ様はお許しにならないでしょう」
「…………」
「ソフィも……ソフィはノイル様のお優しい嘘が好きです。ですが、ご自身が悪く思われても、嫌われても構わない、という嘘はどうかおやめください。それは、間違いです」
「ソフィ……」
「…………それに、ノイル様は……ソフィにどう思われようが、よかったのですか……?」
悲しそうな、寂しそうなソフィの表情と言葉に、僕ははっとする。そして、自分のやってしまったことと愚かさに嫌気が差した。
何故、こんなにも簡単なことに気づけなかったのか。
僕は別にプライドのない人間だ。だから深く考えることもなく嘘をついてしまった。そうした方がいいと、あまりにも浅はかな考えで。
悪く思われようが嫌われようが構わない、という嘘を――ソフィに向けた。
それは、一種の拒絶に等しい行為だ。
自分の事を軽蔑し、離れても、関係が壊れても構わないという態度を取ったようなものだ。
もし僕と彼女の立場が逆で、同じ行為をされたらどう思うだろうか。どう感じるだろうか。きっと――酷く傷つくだろう。
ああ、やはり僕はバカな人間だ。
ソフィは優しい嘘と言っていたが、こんなものはただの自己満足で、正反対じゃないか。
どうやら本当に、汚属性極まれりだったらしい。
僕は彼女の両手を取り、屈みこんで視線を合わせる。身体の傷は既に癒えていた。
「ごめん……ソフィ。そんなつもりはなかったんだ。本当に悪かった。許してほしい。それと……ありがとう」
「いけませんだ……ノイル様、ソフィにそれ程熱い眼差しを向けられては」
「…………」
ソフィさんや、今真面目な空気だったよ?
だいぶ真面目な空気だったよ?
頬を染め、照れたようにわざとらしく顔を逸らすソフィ。表情だけはそれなりに上手いのだが、喋りは相変わらず棒読みだった。
「ああ、でも抑えきれないこの胸のときめきー」
「…………」
「ソフィはどうしたらー」
「…………」
「このままではー、二日間煮込んだカレーよりもドロドロの関係にー」
「…………」
「なってしまいますー」
「ソフィって何口派?」
「甘口です」
そっか、美味しいよね。『白の道標』で作るカレーも甘口なんだよね。店長が辛いのだめだから。今度食べにおいでよ。
「テレレーテレーテレレレー」
そんな事を考えていると、背後からやたら良い声で謎のメロディーが聞こえてくる。物凄く嫌な予感がして振り向けば、いつの間にかおっさんが擦りガラスの扉を少し開けて、顔を右半分だけ出し、大浴場からこちらを覗き込んでいた。ていうか右眼は眼帯つけてる方だろあんた。見えてないだろそれ。
「てれーてれててーてれれー」
!?
ソフィが平坦な声で謎のメロディーの続きを口ずさみ始めた。僕は混乱した。
おっさんとソフィが笑みを交わす。僕は混乱した。
「テテー」
「てー」
!?
「テレレ」
「れー」
!?
「ババーン(ばばーん)」
!?
無駄にいい声と平坦な声が重なり、僕は混乱した。
無駄にハモっていて、僕は混乱した。
「父さんは」
「みーたー」
誰か、この二人が何をやっているのか説明してくれ。僕は何故こんな人の息子なのか、教えてくれ。
腰にタオルを巻きつけて、堂々とこちらへと歩み寄ってきたおっさんを見ながら、僕は切に願う。
おっさんは僕と何故か満足そうなソフィの傍まで来ると、眉を顰めてぽりぽりと頭を掻いた。
「ノイルお前……その子が本命だったのか。いや……可愛らしい子だしお前の趣味にとやかく言う気はねぇんだが……何歳差だ? 正直引くわ」
言われて、僕は未だソフィの両手を握っていた事に気づいた。おそらくはこのおっさん、ソフィが謎のお芝居をしている間もばっちりと見ていたのだろう。
だからといってその反応は普通に頭がおかしい。ツッコむ気力も湧いてこず、僕は無言で彼女の両手を離した。
「いえ、ソフィは身体だけ……」
手、離さなきゃよかった。
ソフィは物凄く棒読みでそう言うと、その場で泣き崩れる。涙はまったく出てはいないが。
「爛れた関係なーのーでーすー」
「何ぃ!?」
おっさんは何でそんなに演技上手いの?
真に迫り過ぎてるよあんた。
愕然としたような表情で大声を上げたおっさんは、すぐに目を剥き、僕に詰め寄り胸ぐらを掴んできた。
「やることやりすぎてんじゃねぇかッ!!」
「やってねぇよ」
僕はそんなおっさんの頬を、ぺちりと叩くのだった。
◇
「…………兄さん、一緒にお風呂」
「僕、今出てきたんだよね」
ふやけちゃうよ。
ようやく父さんとソフィの小芝居が終わり、大浴場を後にした僕たちが屋敷の談話室に入ると、おそらく駆け寄ってきたシアラが、開口一番そう言った。何故おそらくなのかといえば、傍に現れたのがあまりにも一瞬過ぎてしっかりと見えなかったからだ。心地よい風が通り抜けたので多分駆け寄ってきた。瞬間移動じゃない。鼻息荒いし。
とりあえず彼女の頭を撫でて落ち着かせつつ談話室を見回すと、他の皆はテーブルを囲むように置かれたソファに座っていた。
上座の位置にある一人がけのソファにエルが座り、テーブルを挟んだ、三人は楽に腰掛けられるであろうものに、店長とテセア、対面にノエルとフィオナが座っている。シアラはテセアの隣に居たのだろう、皆僕らに笑顔を向けたり手を上げたりしている中、テセアだけは何が起きたのかわからないという顔をしていた。そのままの君でいて。
「父さん、シアラと遊んでて」
「おう、任せろ」
僕は父さんにシアラの相手を任せ――
「嫌」
「わかった。じゃあシアラ、父さんの相手してあげて」
「…………兄さんの頼みなら、仕方ない」
シアラに父さんの相手を任せ、ソフィと共に皆の元へと歩み寄る。
「お帰りなさい、先輩」
「ゆっくりできた? ノイル」
「存分に泳いできたかのぅ?」
「泳がないですよ」
店長はなんかおかしい。いや、まあうん……一人の時は泳いだけど。
あと、ソフィは何やらエルに耳打ちしてるけど、僕の服の在り処かな? 一旦どこかに持って行ってたもんね。僕が使ったタオルもね。意味がわからない。
「お兄ちゃん……シアラ……さっきどうやって動いたのかな……」
テセアは未だ困惑しているようだった。
教えてあげたいところだが、僕にもよくわからないんだ。多分手品の類だよ。
「あれ? ノイル……いつの間に服買ったの?」
「え」
首を傾げたノエルにそう訊ねられる。
なんでこの服が新品ってわかったの?
確かに新しいけど、いつもの服だよ?
「そうですね……初めて見る物です」
おかしいな、フィオナの言っていることは間違ってはいないけど、おかしいな。いつもの服だよ?
「……昨日、買ったんだ。皆が『私の箱庭』の中にいた時に」
本当の事を話すと厄介な事になりそうなので、僕は普通に嘘をついた。先程ソフィに注意されたばかりだが、この嘘はセーフのはずだ。
エルがごく自然にさりげなくこちらにウィンクを飛ばし、ソフィは腰の辺りでピースサインをしているが、協力したわけじゃない。
「ああ、それじゃまだチェックできてなかったかぁ」
チェック……?
「タイミングがなかったですね」
タイミング……?
僕の服を僕が知らない間にチェックするタイミングがあるの?
ノエルとフィオナは何を言っているの?
「ねぇお兄ちゃん……二人が何言ってるのかわかんない……」
僕もわかんない。
「さて、それじゃあ次はボクたちが入浴を済ませようか。順番は、さっき決めた通りで問題ないね?」
おかしな空気になってきた時、ぱん、と綺麗な音を立てて手を叩きエルがそう言った。
僕は首を傾げる。
「皆で入らないの?」
広いよ、お風呂。
大浴場だもの。別々に入る意味ある?
「ノイル、ボクが身体を見せる相手は、キミとミーナとソフィくらいなんだよ」
「あ、はい」
「私も同性といえど、先輩以外に裸を見せたくはありませんから」
「あ、はい」
「我は泳げるならばなんでも良い」
「あ、はい」
「私は別に拘りとかないから、ミリスと合わせるよ。順番もノイルだけが入った後ってわけでもないなら、別にどうでもいいし」
「あ、はい」
なるほどね。
とにかく別々に入るってことか。
僕はテセアの肩に手を置いた。
「シアラのことは、頼んだよ」
「ずっとお兄ちゃんと入るって言ってるけど……」
「僕、今から父さんと出掛けるからさ……」
「…………どこ、行くの? 聞いてない」
手品かな?
気がつけば、背後にシアラが立っていた。テセアが目をごしごし擦っている。父さんはどうしたのかと見てみれば、シアラが引きずっていた。何がどうなってそうなったのかわからないが、首根っこを掴まれている父さんは、堂々と腕を組む。
「悪ぃな。ちっと男同士で飲みに行かせてくれや」
そしてにかっと笑い皆にそう言うのだった。
 




