釈放
「あ、あの、どういうことですか?」
院長の言葉が理解しにくかった少女___百枝花奈はもう一度院長に尋ね返した。
花奈や陰陽寺大雅が入所している少年院の院長は、最初に告げた時と同じように顎から生える少々長い(と思われる)白髭を片手で撫でながら平然と言った。
「つまりだ。394、君はここにいるべき人間ではなかったということだ。こちらの方で少し手違いがあってな。本当に入るべきだった人間が昨日の朝に逮捕されたんだ。それに……」
院長はそこで言葉を止めて訳がわからないと言うふうに眉をひそめて
「以前に警察の方から頼まれていたのもあるのでな」
「警察が、私の釈放を頼んでくださったんですか?」
「ああ、そうだ。何故かはわからんがきっとその逮捕された少年のことがもうわかっていたんだろう」
花奈は考えた。
その逮捕されたという少年が誰かは不明だがその人物の代わりに花奈が誤逮捕されたと解釈しても間違いではない。だが何故今になってあの事件の捜査をやり直すことになったのだろう。既に花奈が犯人だという物的証拠も周囲の証言もあって完璧な根拠のもと花奈は逮捕されたはずだった。そして裁判の結果少年院に送検されたのだ。
それをも覆す決定的な証拠が見つかったというのだろうか。そうでなければ入所中の者を釈放することなど一般的にはあり得ない話ではないか。
「わかり、ました。荷物、まとめてきます」
「じゃあわたしは出口で待っているからな」
院長は頷いて花奈に背を向けて去っていった。
部屋に向かいながら花奈は懸命に頭をフル回転させ状況を整理した。
まず院長は花奈を釈放すると言った。その理由は花奈が数ヶ月前に引き起こした事件の真犯人の逮捕。そしてその人物は「少年」。花奈の脳裏に浮かんだのは懐かしい実弟の顔だった。
(まさか、咲夜が!? でもどうして? 私が犯人だって証拠も周りの証言も完璧にボロなく揃えたのに……)
今の時点でどう過去を考え直してみても現実は変わらないことは分かっている。だが花奈は考えられずにはいられなかった。
完璧だと思っていた作戦がこうも簡単に崩されるとは思いもしなかった。やはり警察という大きな組織にはたった1人の女子高生の知恵など小学生が考える悪戯並みに浅はかなものなのか。
(じゃあ今、咲夜は刑務所にいるってこと? 少年院だし外部からの情報が私たちに何1つ届かないのは知ってたけど、こんなことならもっと早く知りたかった……)
花奈は悔やんでも仕方がないこの建物の仕組みに絶望した。
仮に咲夜が逮捕されそうだということを知ったからといって自分に何か手助けができたわけではないが、何も知らないよりははるかに良かったはずだ。
部屋に着いてドアを開けると畳の上でくつろいでいる大雅と目が合った。
「何かあったの」
大雅に尋ねられるが
「う、ううん、大丈夫、だったよ」
途切れ途切れになりつつ無事を報告するがその視線は空中。そんな姿を見て勘の鋭い大雅が気付かないわけがない。
「どうした」
「え? な、何でもな……」
「そんな風には見えないけどな」
必死に放った花奈の言葉をいとも簡単に払いのけて大雅は頬から汗を流す少女を見た。
「な、何でもないってば!」
大雅に全て見透かされているような恐怖に襲われて花奈はいたたまれなくなり、荷物を乱暴にかき寄せて部屋の外へ出た。
大きな音を立ててドアが閉まり、花奈は身体全体から絞り出すようなため息をつく。同時に大雅にキツく当たってしまったことを心配したが院長を長く待たせるわけにはいかないと足早に出口へ向かった。
出口の近くでは院長が花奈を待っていた。走ってきた花奈を見つけて院長は顔を明るくする。
「ずいぶん早く準備が終わったんだな。感心感心」
まるで孫の成長を喜ぶ老人のように院長は目を細める。だがそんな姿も花奈は見ていられない。今の自分にそんな心のゆとりはなかった。
「もう外で警察の方に待ってもらっているんだ。行こうか」
花奈はコクリと頷いて一歩一歩足を進めていった。
仲良くした入所者たちとの突然のお別れだった。
大雅のことを最初は怖い子だと思っていたがだんだん接するうちに優しい面もあることに気付いた。花奈の異変にいち早く気付いてくれるしぶっきらぼうだが決して冷たい男ではなかった。笑って共に話すまでには至らなくてもここでの大雅との日々はすごく楽しかった。
未央は少年院での最初で最期の先輩だった。急に話しかけられて勿論戸惑いの方が大きかったが、花奈を気遣ってくれる優しさやお茶目なところ、未央の弾けるような笑顔を見るだけで元気が湧いた。食堂で一緒にご飯を食べるのがいつもいつも楽しみだった。
2人の間には時折溝も感じたが最近はそんな様子も見ることなく本当に楽しい日々を過ごすことができた。感謝しても仕切れないほどだ。
花奈は誰もいない廊下を見つめた後、心の中でお礼を言って院長が開けてくれたドアから外に出た。
久しぶりの空気だった。意識しなくても自然と吸い込まれていってとても気持ちがいい。
たった数ヶ月の少年院生活がものすごく長く感じられる証拠だ。
「百枝花奈ちゃんですか?」
ふと名前を聞かれて前を向くと、そこには茶髪の女刑事___早乙女千里がいた。彼女は早乙女悠希の母であり、この道30年のベテラン刑事。
彼女はニッコリと笑って頷く花奈に手を差し出した。
「長い間本当にお疲れ様でした。行きましょう」
「どこに」とは言わずに千里は目を細めた。側にいる新米刑事___黒川翔も同じ顔をしていた。
「よ、よろしくお願いします……」
頭を下げて花奈は千里の手を取った。
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