悪い予感
「うーん、難しい要求じゃね? これ」
「確かにね。てっきり身代金とかかと思ってたけど。ふわぁー」
顔をしかめて考え込む龍斗の横で、のんきそうに茜が大きな口をあけてあくびをする。
「でも悠希くんまだ生きてるんでしょ? 良かった」
茜のさらに横で、早絵がホッと胸を撫で下ろす。
悠希には色々と世話をかけてしまって申し訳ない半分感謝の気持ちも持っている早絵は、悠希の安否を一番気にしていた。
「あいつ結構図太いし、殺されても死なないよ。ふわぁー」
「茜、お前さっきからふわぁふわぁうるせぇんだよ。ていうか、そこは"殺されそうになっても"だろ。殺されたのに生きてたら不死身だし怖ぇよ」
茜の語彙力の無さを、龍斗があくびのうるささと一緒に指摘する。
「早くこの動画を撮った場所を突き止めないと早乙女の無事も断定できないわ。これを早乙女のお母様から受け取ったのがつい昨日の話なのであって、警察の方に直接送られたのはもっと前でしょうし」
動画を三人に見せた担任教師の月影が言った。
当初は下ろしていた長い黒髪を一束にまとめていて、すっきりとした風貌をしている。その代わりに、冷たい冬風に触れるようになった為か耳たぶが少し赤くなっているが。
季節は冬。ようやく今日から冬休みという時期に突入していた。
と言っても午前中は二学期の終業式や大掃除など、学生にとって正直辛いとこぼしたくなるイベントが満載だったわけだが。
だがそれは月影たち教師にとっても同様だった。
クラスの人数分の成績表を携えて終礼を済ませ生徒らを帰宅させた後で、予め呼んでおいた龍斗、茜、早絵の三人と今こうして教室で動画を見終わったところだった。
「まさかとは思うけど、この動画撮っといて別の場所に移動した……とかはないよな?」
不安げに龍斗が声を漏らす。だがその可能性は十分に考えられる。
むしろ、こんな場所の特定しやすい動画を送っておいて移動していないという方がおかしな話だ。
「その可能性も否定できないわね」
言いにくそうに月影が腕を組む。
早絵は『そんな……』と口を手で覆い、茜は机に突っ伏したまま顔を曇らせた。
「まぁ、早乙女のことはあなたたちが一番気にしてるんじゃないか、と思ってこれを見てもらったわけだけど、捜査は警察の方々の方で進んでるって話だったしきっと大丈夫よ。私たちは早乙女が帰ってくるのを待って笑顔で迎え入れましょう」
月影は重くなった空気を断ち切るように手を叩き『さて』と前置きをした後、
「引き止めて悪かったわね。早乙女のことも心配だけど、課題も大量に山ほどものすごーくあるんだから、冬休み中も絶っっ対に怠けないように。ね?」
「はい……」
月影の、妙に押しの強い圧力を背中で受けつつ、三人は学校をあとにした。
帰り道。龍斗の騒がしい声が響き渡る____ような雰囲気ではなく、三人は重い足取りで家路を歩いていた。
月影に圧をかけられたばかりで未だに背筋は凍っているが、それでも頭にあるのは誘拐、監禁されている友人のことだった。
ふと早絵の足がピタリと止まり、それに気付いた茜が、
「どうしたの早絵」
と尋ねた。茜の問いかけに先を歩いていた龍斗も振り返る。
「あ、ううん、何でもないよ」
俯いた暗い表情を一変させて微笑みながら、早絵は『ごめんごめん』と早足で二人に追いついた。
「本当に大丈夫?」
それでも何か違和感を感じて、こそっと茜が尋ねるが、早絵は笑って流した。
「うん。大丈夫だよ。ありがとう、茜ちゃん」
「……わかった」
感情がすぐ顔に出る早絵の特徴がしっかり発揮されていて、いかにも大丈夫そうではなかったが、こんな状況で深堀りするのも悪いと思った茜はコクリと頷いた。
「じゃあ、また冬休み明けだな」
別れ際に龍斗がそう言って手を振った。帰り道は途中から龍斗だけ違うのだ。
「うん、バイバイ」
「気をつけてね、龍斗くん」
「おうよ」
二人の言葉に元気よく答えて、龍斗は背中を向け去っていった。
「じゃあ私たちも帰ろっか」
茜が、肩からずれ落ちかけていた制カバンをよいしょと元に直しながら言った。
「うん……」
どこか歯切れの悪い早絵の返事に、茜は黙ったまま早絵を見つめる。
その横顔は先ほど違和感を感じた時と同じ表情をしていた。
「心配だね、悠希」
早絵の心境を探るべく、茜はポツリと言ってみる。
「そ、そうだね。早く見つかるといいけど……」
やはり早絵の返答は歯切れが悪いままだ。こういう時は何か考え事をしている時だ、と茜は半年以上の経験から睨む。
「今回は警察も動いてるって先生が言ってたし大丈夫だよ」
何とか早絵の気持ちを楽にしたい。その思いで茜は早絵を励ました。
「そうだね」
____あの時は警察動いてくれなかったし。
声に出すことなく、茜はそっと胸の内に思いを吐いた。
徐々に日が沈む中、二人は同じあることを思い出していた。
早絵は宿題などを届けに行った際に刺されたこと。茜は早絵のことで話をしに行った時に一晩帰してもらえなかったこと。
どちらも世間から『破壊者』と呼ばれた同級生・陰陽寺大雅によるものだ。
____『破壊者』?
早絵はその言葉にハッとする。
実は悠希がこんな状態になるよりもっと前に、新聞でそんな記事を見た気がしたのだ。
確かその時の名前は……。
「ごめん、茜ちゃん」
急に立ち止まり、早絵は不思議そうに振り返った茜を見つめる。
「私、用事思い出したから先に帰るね」
「あ、うん。わかった。気をつけてね」
茜は笑顔で手を振った。早絵も振り返す。
挨拶が済むやいなや、早絵は踵を返して元来た道を全速力で駆け出した。
「え⁉︎ 早絵の家ってあっちじゃ____」
茜が急いで引き止めようとする声も、早絵の耳には聞こえなかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「先生!」
すっかり日が沈んで、職員室だけポツリと明かりがついた高校に駆け込み、早絵はドアを乱暴に開ける。
職員室で残って作業していたのは、幸いにも担任の月影だけだった。
「え、どうしたの? 古は____」
月影が言い終わる前に早絵は叫んだ。
「悠希くん、本当に危ないかもしれません!」




